あの書は、やはりしばし人に考えを深めさせるものがある。
つまるところ、「自責にせよ他責にせよ、心に刻まれた痛手や傷は、巡礼という手順をゆっくりと踏むことでしか、浄化救済そして癒し再生されない」ということか。
仕事で旅する友人が、バッハのマタイ受難曲を携えていったことにも合点がゆくし、自分も、何故か無性にレクイエムを欲したことも腑に落ちる。
村上春樹の新作を読んだ読者は、自己との対話を始めざるを得なくなるのではないか。
そして僕もいま、通勤途中の車内で、クレンペラー指揮のマタイ受難曲を聴いている。