鴈治郎に自分の果たせぬ夢を託した小津・・・『小早川家の秋』
小津安二郎監督の
『小早川家の秋(こはやがわけのあき)』(昭和36年、東宝)をようやっと観た。森繁久彌、加藤大介、小林桂樹、宝田明、団令子、白川由美、藤木悠などが出てくるから、東宝の『三等重役』シリーズや『百発百中』を観ているような感覚があり、しかしその色調は松竹で、だから、実に不思議な感覚に陥る。
ストーリーの中核は、楽隠居の中村鴈治郎(小早川万兵衛役)の、妾に入れ込む道楽にあり、だからこれは、『浮草』の兄弟編と言ってもよい作りだ。彼は最後に妾の家で死んでしまうのだが、小津が果たせなかった夢のまた夢を、鴈治郎というたぐいまれな歌舞伎役者によって叶えているとしか考えられない。死ぬ間際まで、彼は浮き草のように脱力しつづけていて、僕もこんなふうに生きてみたいと思うほどだ。
シーンとシーンの合間には、自宅の庭が映し出され、そこにはかならず赤い葉鶏頭がある。小津の『浮草』(1959年、大映)で登場したあの草花だ。どんなことをしようとも、赤い葉鶏頭がしっかりと見ているのだよ、というアンチテーゼも、小津はしっかりと入れ込んでいる。
もうひとつの伏線は、長男の嫁・秋子(原節子、夫に先立たれた)と次女紀子(司葉子)に舞い込む縁談であり、父親(鴈治郎)の死によって、彼女らは初めて自ら進むべき道を悟るということが示される。
最後の葬儀のシーンは、象徴的な雰囲気を出そうとしてはいるものの、冗長さを消し切れず、東宝は永久に松竹の格調は出せないということなのかもしれない。
名役者が目白押し過ぎで結果的にそれぞれの演技の燃焼度は低いのだけれど、鴈治郎だけでも十分おつりが来る作品だった。