神田の西商店街は、そこが大手町の隣だということを忘れてしまいそうになる。あらゆる食い物屋、飲み屋、卸売り、マッサージ店、雑貨屋が軒を並べたところは圧巻だ。
思わず寄り道したくなる気持ちを抑えながら、そこから少し外れたオフィスビルの地下の、その店の重い扉を開けた。昼間なのに店内は暗い。音楽が響いていた。宗教合唱曲だ。
布張りの安楽椅子が八脚ほど間隔を置いて並べられ、それぞれにスポットライトが当たっている。二人の先客とマスターが、音楽に聴き入っている。
マスターがそっと僕に近づき、耳打ちする。「ヘンデルの合唱曲集です」。
飲み物の種類は多くない。僕は冷えた瓶ビール(小)を傾けながら、その寡黙な仲間に加わった。
曲が終わり、男が次をリクエストした。ギュンター・ヴァント指揮、BPOによるブルックナーの第9番。物凄いエネルギーの演奏だ。第四楽章では、友人が「開かずの踏切の警笛」と表現するあの音が、永遠に鳴り続く。
音盤リストを渡されていた僕は、次をリクエストする。ミレッラ・フレーニ(s)とテレサ・ベルガンサ(al)とが歌うペルゴレージのスターバト・マーテルだ。LP盤。ナポリ・スカルラッティ管弦楽団。
聴きはじめて早々に、しまったやばいと思った。ジューン・アンダーソン(s) 、チェチーリア・バルトリ(ms)、デュトワ指揮モントリオール・シンフォニエッタに比べたら、気の抜けたサイダーだ。男はつまらなそうな仕草をして、おもむろに本を読み始める。
辛抱の時間が過ぎた。男の次なるリクエストが出された。
ジンマン指揮するリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』。
僕は唇をぐっと噛み締めた。負けだ。退散するしかない。けじめが肝心だ。真剣なる切り札の応酬のリクエスト合戦だった。
すばらしき
音楽ラウンジ『Period(ピリオド)』。また訪れてみたい。