電車のなかで、バスのなかで、ふと気付くと、みな携帯電話でWebや、Facebookや、何かの録画や、メールやらに興じている。どの人も、どの人も。
繋がろうとしている、繋がりたいとしている、ということが感じられる。
繋がる意欲。それは、全体を併せると、ものすごいパワーになっていくだろう、というひとがいる。本当か、そんなことは詭弁では?と思っていた。
そして『非政治的人間の考察』を経てはいるものの、依然としてなにも世の中に問いかけていない僕は、それはそれでよいのだ、と思っていた。
しかし昨今、原発再稼働反対運動デモに参加したという高校の友人の話を聞いたり、そういった音楽やビデオを偶然的にであろうと視聴したり、そういう報道を視聴しているうちに、なにか思うところが出てきた。
変革への希求、いうか、弱いながらも空にぽっかり空いたJacob's Ladderを手繰り寄せて、昇って行こうかというような気概。
この夏は、なにかが起きるような気がする。すでに、なにか途方もない、一直線の信念が、貫こうとしている意志がこの自分のなかに転移しそうな気がする。