ワインと文学論が、渾然と一体化した秀作…『熟成する物語たち』(鴻巣友季子)
酒も文学もこよなく愛す僕だけれども、その両方を適切なるセパージュ、バランスで、しかもこれほどまでに高度に組み込んだ本には出遇ったことはなかった。『熟成する物語たち』(鴻巣友季子、新潮社)。ああ参った、これは信じるに足る、と正直に頭をさげる。
なにがどうで、どれがどんなぐあいで、ということを説明することは難しく、それはなぜ難しいのかは、この書を読まないと、いまの境地をいい表せない。
ヴァージニア・ウルフの小説のなかの言葉に潜む、秘められたる意味の数々。
ヴァルター・ベンヤミンが信じる翻訳についての深遠なる考察。言葉が刈り入れられていったん定着した「死後」にもさらに熟成していくことを「後熱」(ナーハライフェ)と彼は表現しているということで、それはワインの熟成にもにているとする。
落語と物語の因果関係について。「会話文から内面描写へすっと移るくだりで、こんな風に閉じ括弧なしで訳せた感じが出るのに」と嘆息する著者。
「翻訳語」の寿命について、そして、日本語という言語でしか表せない僕らの心の風景について。
村上春樹の文学について、その変遷と、そして世界文学になってゆく予感。それによる日本の心からの乖離への不安。
それらの文学に関する叙述のなかに、フランスワインと各国ワインのそれぞれの醸成と変遷を重ね対比し、論考が展開されてゆく。
なんとまあ、心地よく、そして、深く敬服する文章なのか。これは、エッセイでもなく評論でもなく、さまざまな視点から心に射し込まれる情念を描写した「心の風景」のように思う。