『Showa Style 再編・建築写真文庫』…クレイジーキャッツと駅前と小津の映画シリーズが頭のなかで乱舞する
彰国社の『Showa Style ― 再編・建築写真文庫<商業施設>』という小型ながら分厚く重い写真集を見つけて、ああこれは僕の幼少のころのあらゆる記憶に繋がっている、と買ってしまった。
昭和28年(1953年)から45年(1970年)にかけての全145巻の『建築写真文庫』から、商業・公共建築にかかわるものが再編集されて収められている。これは読みものではなく、眺めるものであり、そのなかにおさまっている飲食店、建物、車、娯楽、椅子、照明、ショウウインドウや、さらにそのなかにある欠片からは、高い空のうえで雲がわき出てくるような勢いで、たくさんの記憶がよみがえってくる。それぞれの意匠をみていると、昭和のそのころの僕らの活力がどのようなものだったのかを思い出す。
それらは、当時の映画のシーンにオーバーラップしていく。僕が父親とともに楽しんだ(たいていはテレビ放映によってであるが)、東宝映画のクレイジーキャッツの無責任男シリーズ、日本一男シリーズ、クレイジー作戦シリーズ、そして森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺による駅前シリーズの数々だ。大学に入ってから初めて触れることになった松竹映画の小津安二郎の作品の数々ももちろんそうだ。
これらは、いまでもときおりテレビで放映がされていて、そのたびに僕は歓声をあげながら、食い入るように見入り、あれだこれだと解説を加えながら騒いでいる。家人たちはそれを遠巻きにしながら、「またはじまったね~」と、冷ややかに眺めるだけなのだけれども、いったいこれらの写真や映像は、どうして僕をそこまで熱狂させるのだろうか。
端的にいうのであれば、ここには、わくわくドキドキするような活力、上向きにできるのださせていくのだという意志、また、どうにかして感動したい感銘させたい活き活きとさせたい、という情熱や感性が込められているのではないか。
現在の建築や店舗、什器は、それはそれで斬新でスタイリッシュで素晴らしい。しかしそこには、あの昭和30~40年代の情熱はみえなくて、冷静に醒めた機能と効率さだけが垣間見えるように思う。
震災を経て、世の中をどうにか変えていきたいというわれわれであれば、そのヒントはここに隠されているように思えてならない。