震災から一年が経ようとしている。これほどまでに短い一年は無かった。
昨年の3月9日は僕は中京から仙台空港に降り、10日は宮城で仕事をし、夜に東京に戻った。
11日の朝は東京の世田谷に向かって居たが、社会人としての自己の存在が何かとても虚しく感じていて、不安な心細さを友人に頼ろうとまでしていた。
そんな、あやふやな気持ちでいた僕の心を見透かすように、2:46が訪れた。
あの日の一部始終をいまだに良く覚えているし、そして人はそういったときになにをまずすべきかということを、たくさん学んだ気がする。
この一年の僕は、見えないところで気持ちを切り替え、あるいは切り替えざるを得ず、あらたな生きざまをしなければと必然のようにそうしてきたような気がする。