『海街Diary』・・・自然なる感性と時の流れの融合
「真実ってさ 一つじゃないんだよね」
「人は信じたいものだけを信じて 見たいものを見るのよ」
・・・夕日が映えるの海を見ながらのこんな会話の背景には、湘南の空があり、そこには通奏低音のように次のようなことが書き連ねられている。
“思いもよらないことが ある日ふいに姿を現す 昼間偶然見つけた月のように でもそれはずっとそこにあったのだ ただ気づかなかっただけで”
(『海街Diary』第2巻 「真昼の月」から)
子供のころから漫画雑誌は苦手で、唯一読めていたのは毎日小学生新聞の数コマ漫画の『がんばれゴンべ』ぐらいだった。四、五年前、ワインにまつわるコミックスということで『神の雫』にすこし嵌りはしたが、酒についてだから読んだのであって、物語としては陳腐でそこに何の意味があるのかをつかめないままでいた。僕には絵と文字を同時に追うことがうまくできないのだ、漫画は性にあわないのだ、これを読める人たちには別の能力があるのだ、と思いこむことにしていた。
長い間そういう状態にあったなか、この吉田秋生(よしだあきみ)のコミックス『海街Diary』(小学館flowersコミックス)を友人から知り、読み進めている。この漫画は、各コマの流れの合間に、ときおり丁寧な心情描写が入っていて、それが唐突な場面の切り替わりの緩衝剤というか時の流れの融合のはたらきをしている。
素晴らしいのはストーリーだ。鎌倉という街を舞台に、父親に先立たれた若い四姉妹が生きる物語だが、そのなかに日本人が持っている「想う」「慕う」「堪える」「通じる」ということが、実に控えめに描かれている。小津安二郎が生きていたら、絶賛したのではないだろうかとおもうほどで、コマとコマの間にもそういった余韻をもった美しさがある。
初めて、漫画というものを理解できた気持ちがした。