次元の違う世界と領域へのいざないのはじまり・・・『河岸忘日抄』(堀江敏幸)
書架からあふれ出た本が床に積まれて、それが机の領域までせり上がってきて、机の上の書籍は読み終わったものと読みかけのものの境目がなく、お気に入りの本を並べたその上には、このあいだ購入してすこしづつ楽しんでいるムック本が横置きにされて光沢を放っている。そのカバー写真のなかでは、今年生誕100年、没後も65年を迎えた「最後の文士」が、ちょっといたずらっぽい目つきでグラスを左手に持ちながら、横に居る誰かに悪戯っぽい視線を送っている。
彼が飲んでいる酒は、見えているグラスのかたちからワインではなかろうかと普通の人は想像するかもしれないが、それは違っていて彼の街中での酒の嗜好から考えればおそらく上質のシェリー酒だと僕は信じて疑わない。
視線をその本から左に移すとドレッサーが置かれているが、鏡にはどこで買ってきたのか分からないような蜻蛉の絵柄がちりばめられた布が掛けられその機能を果たしておらず、仕舞われた椅子の前には別の椅子が置かれ洗濯して折りたたまれた衣類の置き場所となっている。ドレッサーの左にはベッドが二つ置かれていて今朝もそこで目覚めたわけで、だからそこは僕の書斎であるばかりか寝室でもある。
その寝ざめの夢うつつの気持ちを思いだそうとしているうちに、運河の河岸に打ちては返す波の音とともに岸に繋留された船のなかで目覚める主人公を描いた小説を読んでいる僕がいる。その重い頭の底にはさまざまな軌跡が流れているだろう、と直に伝わってくる読みさしのそれは堀江敏幸の『河岸忘日抄』で、今朝、思いがけなくその机の本の山からぽろりと出てきてたものだ。
それにしてもこれまで何度かこの字面を追おうとして感覚がまるっきり伝わってこなかったのに、いま何故か、その趣きや気持ちがいきなり伝わってきた。ここまでこのように書いているのは彼による触発のように思えるが、いったいどうしたことなのか。
久しぶりに出てきたこの小説を早く読み進めたいと思うこの朝の心象は清々しい。