一昨日の訃報に際して、弔意よりさきに不安感が来たのはなぜなのかな、と思い返していた。
そして今朝のテレビでは、哀悼に伏す人々の姿が映しだされている。デパートの女店員たちがエスカレーターのベルトにつかまって、泣き崩れ身をよじっている。
みやこでは追悼に訪れた人々の数が200万人を越えたといい、顔を歪めながら泣き荒ぶ群衆の列を映していた。
昭和が終わったとき、ぼくらはこうではなく、慎んで、極めてしずしずと哀悼に黙していたから、この感覚の違いにもやはり戸迷う。
わからないままに今年の暮れが近づいてゆく。