人と猫を等距離で客観的に見据え抉りだす小説…『猫鳴り』
夏目漱石にはじまり、猫の出てくる、あるいは猫を主人公のように描く小説は幾多もあるが、今宵読んだ沼田まほかるの『猫鳴り』(双葉文庫)は、猫を生きている一体の存在と捉え、愛玩動物としての甘いシンパシー(人間による自分勝手な感情移入)などなしに、実に淡々と描き尽くした名品だった。
いわゆる愛猫家、という書き方ではない。しかしこの人は、猫という生き物の存在そのものを認め、ひとつの存在として敬愛している。三部構成の第一部では、道端で見つけた生まれたての子猫をいったんは家の中で手当てをするものの、自分の身の上と対比していたたまれなくなり、何度も何度も捨てに行く話しが出てくる。冷徹までに、これでもかこれでもかと対峙するこの姿勢こそ、沼田さんの筆致の一つにおもうし、そしてだからこそ圧倒的なリアリティがそこから生まれてくる。
第二部では自分の生きざまに絶望を感じている少年が、必死に生きる皇帝ペンギンのヒナや子猫や、そして幼児に対して、いたたまれない感情を抱き、そしてそれは自分自身の存在もそうなのだと気づき、自己否定の変形のようにして相手に憎しみを抱くようになる。この心の揺れ動きそのものが実に生々しく、ぎょっとするまでに心に刺し込む。
第三部では、第一部で拾われた猫が15年を経て立派に成長して飼い主とともに生きるさまを描く。第二部で出てきた子猫との絡みも絶妙だ。ひとつの生きる動物として、その死に至るまでの様相を実に克明にあらわしていく。猫っ可愛がり、あるいはニャンちゃんと呼ぶような甘ったるい押しつけはない。しかし人と猫を等距離で客観的に見据え抉りだすことで、愛情を超えた尊敬と畏怖が入り混じったようなところで沼田さんは語っている。
どちらかといえば猫が苦手だった僕だが、その障壁が取り払われたかもしれない。