昨夕、みちのく路からの帰路に、内田樹さんの『街場の大学論』(角川文庫)を読んだ。またまた爽快なる気分を禁じ得なかった。
「どうして仏文科は消えてゆくのか」という章など特に。
“今日、社会的上位者には教養がない。かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いできっぱりとものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」の人々のほぼ全員に共有されている。別にこの能力によって彼らは社会の階層を這い上がってきたわけではない。たまたまある種の競争力を伸ばしているうちに「副作用」として、こういう作法が身についてしまっただけである。”
“だが「ひそみにならう」人々は、これが階層化形成の主因であると「誤解」して、うちそろって「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりと言い切り」、「決して自分の過ちを認めない」ようになった。そうして教養が打ち捨てられたのである。”
うぉおぅ、くらくらする。あまりに的を得ていて、そ、そう、そうだよなあ、と苦笑いするほどで、しかし身近にあるその現実を思い出せば、浮かれてばかりはいられない、どうしたものかと口がへの字に曲がる。