今朝の朝日新聞には、宮沢章夫さんによるコラム『人間多様性の国 ニッポン・・・いつかはきっとこれも規制される そういう社会だから』があった。規制社会や確認検査社会の行く末を風刺を込めて揶揄している。
禁煙の規則について。男女、宗教、国籍、趣向といった属性の確認について。僕が僕であるということについての認証について。
考えてみれば、なんだか煩わしいよなあ、昔はこんなことはなかったよなあ、ということに、すでに我々は溺れるように引き込まれている。
煙草は人に迷惑が掛からないように節度をもって吸えばよい。自分の属性をことさらに明示したりする必要もない。チェックされる必要もない。自分が自分であることの証左に煩雑な認証はしたくない。
このまま行くと、断りや説明や認証のために、毎日膨大な時間を要するようになるかもしれない。そんな時代は、やっぱり変てこである。嫌である。
朝からこんな記事が読めると明るくなる。こういうすぱっとした解釈に爽快になる。
病み上がりだが、軽やかな仕事納めにできそうだ。