この秋に創刊された筑摩選書。そのNo.0001が、内田樹さんの『武道的思考』だった。ことし友人からこの方のことを教えられ、読めば読むほどその考え方に納得し、はたと気が付き、時には目から鱗が落ちていたのだが、また鱗が落ちた。
大学で教える一方で、合気道の塾も開いている内田さん。世の中を見るこのひとの鋭い目には、武道的な直観や、そもそもそうであるはずである、という自然論的な観点がそこかしこにある。その人が、武道というもの、あるいは自分の考え方(武道というものが根幹に影響を与えている)を著した論評やエッセイを集めたものだ。
こんなことが記してあった。
“・・・僕も「どれくらい強いんですか?」と訊かれても答えようがありません。本書のなかで繰り返し述べていますけれど、武道の本旨は「人間の生きる知恵と力を高めること」であり、それに尽くされるからです。でも、「生きる力」というのは他人と比べるものではありません。・・・比べてよいのは「昨日の自分」とだけです。”(「まえがき」より)
“武道修行は単に個人の身体能力を高めることのみを目的とするものではない。高い個人的能力に基づいて、「万有共生」のための、風通しの良い、のびやかな組織体を形成することもまた武道修行のたいせつな実践的目的であると私は思っている。”(「第二章 武道家的心得」より)
“変化の仕方が変化せず、つねにワンパターンでしか変化できない生物は環境の劇的な変化に対応して生き延びることができない。自己同一的であることに固執する生物は「生きる能力」を失う。もっとも自由闊達に変化するものがもっとも自己同一的である。逆説的だがそういうことなのである。このことは人間的事実としては真理である。”(「第三章 武道の心・技・体」より)
僕はこの年になって、初めて武道というものの意味を知った気がする。