今日の日曜日に、『日曜日たち』を読了(講談社文庫)。吉田修一さんは、こういう短編の連なりが上手い。東京という都会に暮らす別々の若者たちが、それぞれどこかで少しだけ繋がっている。どの人も、取り組んでいること、愛していること、生きがいやらは異なるけども、どこかで交錯していたり、接点があったりする。
ひとの生きざまはそれぞれで、日々を大切にいきなければと考えながらも、一年、二年、そして十年と流されていく。そういうなかにも、心の片隅に沈降していることがあり、それは何年か経たあとに、ふっと一連の映像のように連続した記憶として蘇ってくる。
この小説は、軽く読めるようでいて、実は、流れ流されていく僕たちの日々の生活の、片鱗にあるいろいろな一コマにも意味がある、ということを教えてくれる。心の片隅に忘れ去られたかのようにあることの数々が、実は大切なことに繋がっている。
そういうことに気づく瞬間の、あの、目の前の空間を焦点を定めずにみやりながら、短いながらも目が透き通るようになったかのように感じる、おどろくような爽快な感覚の存在を、改めて気づかせてくれる。