吉田篤弘の『水晶万年筆 』(中公文庫)を読了。
彼の小説はいつも、残響のような、しん、としたしじまがある。どこか知らない、遠い北の街のこと。大きな出来事はおきない。街角にも十字路にも、人影がない。アラン・ロブ・グリエのように。
何かが、かさっと少しだけ動く。だが、その素性は知れない。おきそうなときにも、しゅん、と収まりそのまま放置される。そんなときに、しんみりと余韻のような響きがある。
そんな夜の描写が秀逸だ。
“夜には果てがない。そのことを忘れてはならん。果てがないものは次々と驚きを見せる。…正確に言えば、すぐそこにある見慣れたものが、突然、姿を変えてみせるのが『驚き』だ。夜はそれを教えてくれる。そして何かが姿を変えるたび、夜は優しげに膨らむ。”(『黒砂糖』から)。
作品ごとに、巧拙はばらつくものの、引き込まれて已むないのが吉田さんの小編だろう。
いま、会社に向かう道すがら、一匹の黒猫が身を低くして僕の目をみつめた。ああ…、こいつが吉田さんの夜に徘徊する奴か。
おわあんと心のなかで僕も叫んでやる。