名古屋に向かう新幹線のなかで、ミケランジェリによるドビッシー『前奏曲集・第二巻』を聴いている。第一巻を聴き込んでいたものの、こちらを手に入れたのは、ようやっと先週のことだった。
CDジャケットは、ドビッシーと愛娘シュウシュウ(これがまた可愛い)が、林のなかでピクニックしているセピア色の写真。やさしいまなざし。急に、昔の懐かしい思い出がアルバムの奥から出てきた、というような感じだ。
さて、音魂について。
やはり(予想どおり)、宝石箱の中身をビロード布の上にぶちまけたような感覚。響きが重なる音の洪水。だがそれは、厚く豊かなその布に、しっとりと吸い込まれてゆく。響きが減衰していく際の美しさといったらなかった。
「ヒースの荒野」は、さわやかに吹き寄せる風に乗って、草の葉が同期してたなびく様が見えるよう。
「月の光が降り注ぐテラス」。まさにそこに椅子にすわって、ひとり瞑想していたい。
「交代する三度」…繰り返しから生まれる美しい響き。最晩年のエチュードに近い。
「花火」。これは究極の音の饗宴だ。バリの空に次から次と打ち上げられる花火の絢爛を、シャイヨー宮のテラスから、眺めている。