今月初めの出張で、ランボーがヴェルレーヌに撃たれた場所を見つけることができたが、そういえば、大学を卒業するかしないかの頃からしばらく、『地獄の季節』の詩の朗読レコードに、いたく嵌まっていたことを思い出した。それは旅行先で買い求めたものだった。
当時、友人たちと、部屋のあかりを暗くして酒を飲みながら、静かに耳を傾けていた覚えがある。意味は分からなくても、聞きこんで、感心していた。いまは、押入れの遥か深いところに埋蔵されていて、お目にかかることはないが、その声色だけは、いまでも深く頭の奥に残っている。
今もそういうものは無いものかと、Webを調べてみた。そうすると、かなりその筋に近いものがあった。Bruno Sermonneというフランスの俳優によるものだ。
この朗読も、素晴らしい。ランボーの詩は、このような声の響き、強弱から、なにか熱くうごめくものが伝わってくる。踏んでいる韻から、思いや気持ちも伝わってくる、ということなのだろうか。
素晴らしい詩は、音魂からして凄味がある。そして、音楽にも近づくように思う。
『地獄の季節』:序の部分・・・「おれの思い出が本当なら」
・この部分に対応する原文:たとえば以下のサイト。
http://www.mag4.net/Rimbaud/poesies/Jadis.html
この部分の訳が、ありがたいことにwebに乗っていた(篠沢秀夫さんによる)。小林訳とは、格調も風情も全然異なるものの、なんだか妙にくだけた口調があって、それはそれで面白い。
http://www.gutenberg21.co.jp/jigoku.htm