朝、かなりの雨音で目が覚めた。本格的な梅雨だ。
会社に向かう道すがら眺めれば、安藤広重の絵にあるような雨が、糸のように降り注ぐ。
遠くの小山の裾は、雨霧で霞んでいて、そこから山影が浮かんで見え、それはそれは趣きがある。
水田に注ぐ雨粒が作る波紋も、全てが同期しているかのようで美しい。
西洋の絵画では、雨が描かれることは、それほど多くなかろうが、浮世絵をはじめとして、日本には雨の絵が馴染み深いなあと思う。
絵画はそうなのだけれども、いま、雨のなかを歩きながら聴くのは西洋。マーラーの交響曲第六番『悲劇的』。クラウディオ・アバド、ベルリンフィル。
雨が降ろうと矢が降ろうと、自らの道を切り開き進んでいく。鼓舞され、突き進んでいく。第一楽章。
つかのまの至福、第二楽章。ブラームスの交響曲第三番のような旋律も流れ。雨景色がよく似合う。
第三楽章は、行進の復活だ。どちらに向かうのだろうか。僕もどこに向かうのだろうか。曲を聴き終えぬ前に、会社に着いてしまうのが、なんとも心のこりだ。