今朝は、羽田に向かっている。この地は空の玄関とは言われているけれど、周辺は町工場、商店、住居が連なる下町である。
昔は、電車で飛行場に向かうと、穴守稲荷駅で京急バスに乗り換えた。そして、少しの時間、小さいながらも活力とうらぶれの混じった商店街の空気に触れた。それを、憶えている人も居るだろう。
僕はもう少し憶えている。幸いなことに、僕の勤務先の会社には、羽田に工場があった。糀谷というバスの操車場の近くだ。ここで仕事があるときが、愉しみだった。プレス工場、鉄工所、めっき工場、シャーリング。その音に、鉄と油が混じった匂いに、その湿った感覚に、とことん浸れた。
あの匂いが好きな理由は、もう一つか二つある。僕の叔父が、板橋で金属切削工場をやっていたこと。子供のころ、良く訪ねた。瞬く間に旋盤の上で部品が削りだされるのを、眺めるのが好きだった。切削くずは、鋭利に妖しく美しかった。それに惹かれた。
その家庭は、どことなく、秘密があって、訪ねるたびに僕の母親と叔母が、ひそひそ話をしていたことを思い出す。話の内容は、子供心にも分かった。どうなるのかは、訊ねることはしなかった。よそのうちには、表と裏の世界があり、裕福さの裏には悲しみがあるのだ、ということに勘付いた。理由なく、おっかなかった。
羽田にもうじき着く。でも、そこには街の活力や、裏にある哀しみは流れていない。混沌はない。そのことは、却ってひどく淋しい。