吉田健一さんの「旅の時間」は、珠玉の短編小説集だった。講談社文芸文庫。
いずれの短篇もそれぞれに…、いえ、「大阪の夜」、なんといっても「大阪の夜」。
吉田さんには珍しく、恋愛小説である。それが、出だしは、まったくそんな気配はない。大阪と東京のちがいやら、カフェの質のやら、道頓堀の賑わいやらを記したあとで、おもむろに三味線の話になる。
いきなりは宿の女将の三味線の話に、はいりはしないのだ。話の展開を、書いてはならないので省略するが、恋愛事を書いていたのか、と気付くのは、事が起きてしばらくしてからのほどで、何だか枕草子やらを読んでいるかの気分になる。
最後の最後の台詞が格好いい。粋、とでも言いましょうか。こんな小説が書ける人は、今となってはどこにも居ないだろう。
このほかに、次の小編も素晴らしい。
「英国の田舎」…カズオ・イシグロの「日の名残り」とその映画版を思い出す。英国の富裕というもの、文化や生き方の富裕に感じ入る。互している主人公(吉田さん以外の何者でもない)にも感銘する。
「東北本線」…上野から青森迄の車中、隣り合わせた紳士との会話だけからなるが、一度でもこんな旅の時間を過ごしたいものだ。当たり前だが、酒を飲みながらである。
「ニュー・ヨークの町」…朝、起きて、バーに直行して、ウォッカ系の飲み物を数杯飲んで、昼寝をして、夕になり、またバーに行って飲んで、相席のひとと話をして、飲んで、飲む。