たまには、食べ物のことを書こう。
僕は酒だけにはうるさいが、いわゆるグルメではない。毎日同じ食事でもあまり苦にならない。
だが、世の中に一つだけしか食材を選べない、とすれば、それには即答するものがある。
牡蠣である。無類に好きである。生でも煮ても焼いても炒めてもフライにしても蒸しても好きである。
昨晩は牡蠣とブロッコリー、人参のオイスターソース炒め。まさに牡蠣と牡蠣油のなす極みの桃園である。貝身はパンパンにエキスを吸い込み、元気である。中華鍋のなかであっちゃこっちゃ踊らされたにもかかわらず、である。
ちょっともったいない気持ちとともに、口の中で身を破るとき、ためらいが至福に変わる。じわーん、とジューシーな牡蠣の中身が舌先にしなだれかかってくる。
えもいえぬ感覚である。貝っちゅうもんは、こんなに柔らかいもんなのか?これは貝なのか?生き物なのか?
むろん貝である。でもこの貝の何が良いのか?
それは、これほどまでに柔軟かつ弾力をもったものなのに、口に含み割っただだけで、いともたやすく溶けるように馴染む感触がたまらないのだろう。大切に大切に育ってきたものが示す最大限のぎりぎりまでの抵抗、そして解放による馴染み、その微妙なバランス感覚。もちろん味も旨いのであり。
僕は何につけても、そういうものが好きだ。