「理解とはいけにへを要求することではなく、逆におのれをむなしくして、対象にいけにへをささげることだ・・・」(福田恆存『理解といふこと』より)

坪内祐三の『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)を読んでいて出会った言葉だ。

福田さんの言葉は次のところも引かれている。

「批評は思考がそのままに行動となる形式である。」(『福田恆存集』あとがきより)

「吾々にとつて大事な事は何かを知る事ではない。知る事より生きる事の方が餘程大事であり、人は行為を通じてしか何も知る事が出来ない。」(『小林秀雄全集』第十二巻、解説文より)

坪内さんはこれらの言葉に接して、相当に動揺している。そしてしかしそこで停滞することなく様々に仮説し論考してゆく。

早稲田大学を卒業する1982年に書いた卒論「福田恆存論」(全文掲載されている)のなかでのことである。

彼の出発点を前にして、僕の36年は停止していた。

改めて焦る。




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# by k_hankichi | 2018-11-18 23:14 | | Trackback | Comments(0)

ドイツの田舎道を疾走していると、ああこれは何処かで見たことがある、という景色に遭遇する。そしてそれは必ずといって良いほど、カスパル・ダビッド・フリードリッヒの絵で観たものだと気づく。

夕暮れは夕暮れでまたそうで、空の雲の色だとか形だとか、そしてまた絵柄というべきか模様というべきか、それがたまらなく彼の絵を思い出させる。

ということはつまり、フリードリッヒはドイツの人たちの魂が呼応するような郷愁の風景を通じて、キリストの世界を描こうとしたのではないか。

田園がどこまでも続く風景のなか、雲がとてつもなく美しく広がっているのをみてそう感じた。


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# by k_hankichi | 2018-11-17 02:38 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

信者ではないけれども、しかし心を常に捉えてならないのはキリスト教。これまで、カソリックとプロテスタント、そしてさらに数多ある宗派を前に常に驚いたり躊躇したり悩んだりしてきた。

プロテスタントが隆盛していったドレスデンでもそういう気持ちになったのは、聖母教会からすぐ近くに、カトリック旧宮廷教会がいまもしっかりと鎮座しているからだった。

宗教戦争のころは悠長なことは言っていなかっただろうが、しかしその熱さが冷めたころにはしっかりと違いを尊重できるように落ち着いたということなのだろうか。

いま沢山の国々で起きているゼロイチの政治論争が、稚児の事象のように思えてくる。

それぞれに荘厳なるカソリックとプロテスタントの教会が近くに佇む態様を前にして、僕はただただ、自己の狭心さに溜息をついた。


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# by k_hankichi | 2018-11-16 07:33 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

夕暮れが訪れるころ、アルテ・マイスター絵画館というところで、かろうじて絵を観る機会を得た。15世紀から18世紀あたりの絵画ばかりが収蔵されていた。

フェルメールやルーベンス、レンブラントもあるなかで僕の心を捉えたのは、何故なのか、ルーカス・クラナッハ(父)の絵だった。

ちょうど友人から無常ということについて連絡を貰っていて、それだから尚更なのかもしれない。クラナッハの絵のそれぞれの人の表情からは、まさに「無常」というものが僕に向かってくるように思えた。

どんなに信じていようとも神は見放すかもしれない。そこに示された出来事は本当は違うかもしれない。

主人公の男や女は、つねに虚ろな目つきを中空を静かに投げかけていたり、あるいはこちらを試すかのような目で眺めている。

それは「哀しげ」ということではなく、しかし宿命のようにこうなっているのだ、というようなことを無言で伝えているように感じた。

ドレスデンの夕暮れは瞬く間に夜に囲まれてゆき、聖母教会の前でマルティン・ルターが僕を静かに見下ろしていた。


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# by k_hankichi | 2018-11-15 06:11 | 美術 | Trackback | Comments(3)

ドイツが東と西に別れていた時代、カール・マルクス・シュタットと改名されていた街を訪れた。閑散としたその地はザクセン州にあるのだけれど、ベルリンの壁が崩壊したあとは人口が流出し、世界で最も出生率が低い街となったことがある。

なるほど街の通りの幅や広場はとても広くて嘗ての栄華が伺える。いまは人通りはどこか疎らで、豪勢な構えとは裏腹だ。

それでもカール・マルクスは今でも人々を見渡し鎮座し続ける。

彼が描いた世界。希求した世界。それは、夢の跡を残すのみなのか。


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# by k_hankichi | 2018-11-14 15:58 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)