2018年 05月 23日

南北戦争の舞台に想いを寄せる

出張先は、155年前であれば正に南北戦争の舞台であった街だった。降り立つ前に機内で観ていたのも南北戦争中での出来事が主題だったから偶然にしても、出来過ぎていた。

『ビガイルド(原題 Beguiled)』。ソフィア・コッポラ監督による。森林に囲まれた女子学園で戦争負傷者の若い男を介抱していく過程での、禁忌と愛欲との狭間で揺れ動く男女の心理と行動を描いたもの。

ニコール・キッドマン、キルスティン・ダンスト、エル・ファニングなど絶世の美女たちが一緒に暮らしている学園があること自体が、もう夢みたいなものだけれど、そこに北軍の兵士役としてコリン・ファレルが傷を治されてゆく。男はまさにハーレムのような感覚になり、女たちは誰もが色っぽい視線をながす。

この決壊するかしないかの愛欲の堤防状態には心拍数も上がる一方で、到着地がまさにこんなだったらどうしようかと、はらはらどきどき。

結末は、そら怖ろしいことになっていて、女たちというものはこんなにおっかないんだ、と震撼した。



■日没後の曇天に輝く清涼飲料会社の本社ビル。
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# by k_hankichi | 2018-05-23 08:26 | 映画 | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 22日

チャンポン変身の巻(カレー担々麺)

銀座にきて映画を見ると食べたくなるのが有楽町の交通会館地下一階の『桃園』のチャンポンだ。そういうことを頭のなかで予行演習しながら来たのは先週末も同じで、しかし、それは呆気なく崩れ去った。

その絶好のコーナーは、「四条富小路 麺屋虎枝(めんや いたどり)」となっていた。なんだこれ?読みにくい店名だな、しかも関西が何で東京の聖地に来るんだ!と半ば憤りと共に頭が白くなった。

しかし空腹は待っていない。ええいどうとでもなれ、とその暖簾を潜った。

京都が本店らしいその店のお薦めは「カレー担々麺 チャーシュー入り」。なになに?カレー味の担々麺?そんな邪道なぁ!

そう思いつつもそれをやはり注文してしまうのは、蕎麦屋に入れば必ずカレー蕎麦を頼む自分のさが。

ごはんはどうします?と訊かれてそれが無料と知れば、勿論頼んでしまうのも吝嗇ゆえの性分。

そして運ばれてきたのが写真の逸品だった。

担々麺と言えば下北沢の『天手毬』しか頭に無くて、それが閉店してからは、ついぞそのメニューを外食時に選んだことが無かったから、この突然の出会いは僕にはまさに藪から棒。そしてそれは棒ではなくて恍惚なのだと分かるまでに時間はかからなかった。

虎枝のこの料理は、まろやかさと刺激と辛味が絶妙なるバランスを保って複雑な佇まいを形成している。呆然となりながら、僕の箸と蓮華の前進は止まらず、新たなる聖地を開墾してゆく。

「犬のように貪る。貪り食う。」

そういうものとはこういうことを言うのだということを、もしあのとき周りから眺めていたならば、人は指をさして口々に言っただろう。

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# by k_hankichi | 2018-05-22 00:26 | 食べ物 | Trackback | Comments(4)
2018年 05月 21日

『私はあなたのニグロではない』の衝撃

束の間の週末の半日は有楽町でドキュメンタリー映画を観た。『私はあなたのニグロではない』(原題: I am not your negro)。

これは衝撃的な作品だった。そしてまた奇遇な連続にもびっくりした。このあいだ観た映画『マルクス・エンゲルス』と、同じ監督(ラウル・ペック)によるものだった。

米国の人種差別の無言のうちの厳しさは、僕も彼の地で過ごした一年間に、とことん味わっていて分かっていたつもりだった。しかしこの作品を観ることで、その生半可さに思い当たる。侵略と移民が始まってから400年以上もの期間が作り上げてきた、想像を超えた壮絶な暗黒の既定概念は、表向きは平等を謳う現在でも極めて根深く、そして実際はさらに陰湿に存在し続けている。

直裁な、そしてときに凄惨な映像は、読むこと以上に、ぐさりと深くこの身につき刺さる。

音楽も厳しい。黒人音楽、ブルース、ゴスペル、ジャズの哀切。そしてそれに対して示される白人的音楽の享楽的甘美的な響き。

差別というものは、庶民が生活のなかで自分たちの立ち位置を保つための最期の橋頭堡であり、そしてほとんどの場合、その虚像とその無意味さに気づかされずに、政治家たちによって見事なまでに操られてきたことも知る。

翻ってみれば、僕らのなかの日常にもその病魔は増殖していて、健全な心身にも目に見えずに既に息をしているのだということに思い当たる。

何度も何度も反芻して、この先にどう考えどう行動するかに反映していかなくてはならない。



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■映画とは対照的に野放図に明るかった丸の内
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# by k_hankichi | 2018-05-21 06:41 | 映画 | Trackback | Comments(2)
2018年 05月 20日

亡き王女のためのパヴァーヌに沁み入る

ラヴェルの音楽を久しぶりに聴きたいなぁと思っていたら、 友人がピアノ協奏曲を聴いていたのが分かり、妙にびっくりした。

僕の方のきっかけは、NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』からだ。主人公の楡野鈴愛(永野芽郁演じる)が働いている少女漫画スタジオの先生、秋風羽織(豊川悦司演じる)が、嘗て飼っていた犬たちを懐かしみながらレコードを聴くシーンがあって、それが映像ととてもマッチしていて僕まで犬たちのことを愛おしくなった。

掛かっていたのは、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』。この昼下がりの微睡みのような甘く切ない旋律に触れ、ゆっくりと瞼を下ろしているだけで、そこにある時間は過ぎ去りし心温まる日々に戻っていく。

嗚呼、ラヴェルは良いなあ、脳が記憶のなかに溶けていくなあ。

それにしても、ドラマのなかで掛けていたLPレコードは不思議だ。レーベルにはヴァイオリン協奏曲第4番作品35と読み取れる。しかも不思議なことにKV番号まで付与されているよう。レーベル名はMETROMELODY。

無きヴァイオリン協奏曲のためのパヴァーヌだった。

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# by k_hankichi | 2018-05-20 09:28 | テレビ番組 | Trackback | Comments(2)
2018年 05月 19日

伝説の編集者によって生き長らえたことを知った

『伝説の編集者  坂本一亀とその時代』(田邊園子、河出文庫)を読了。ブログ友人たちが感銘したことがよく分かった。

こんなにたくさんの作家たちを発掘したのか。偉ぶらず、縁の下の力持ちの如く振る舞い、評判が上がったら身を退き、次の作家を探し育てに掛かるという編集者の鏡のような極み。珠玉とはこういうことを言うのだ。

辻邦生のことも坂本が育てたと知り、目の玉が落ちそうになった。辻の文学を知り得なければ、僕の今はない。苦悩した学生時代を乗り越えることが出来たのは、辻があったからこそだった。

『夏の砦』の執筆について、辻は次のように記していたそうだ。

“書下し長篇のときの坂本さんの意気込み、純粋な情熱というものは、忘れがたい美しい思い出です。「夏の砦」も今になれば、坂本さんの言われたように、あれだけ描き直してはじめて正しい姿になったのだと思っております。その意味では坂本さんこそはあの作品の生みの親だったのだと思います。”(坂本の河出書房新社を退社する挨拶状にたいする辻の返信手紙より)

“私は坂本一亀に激励され、威嚇され、叱咤されて、河出の長編小説にとりかかった。『廻廊にて』に続く第二作を書くべく精力を集中しなくてはならなかった。坂本さんはその第一稿に詳しく眼を通してくれた。ただ、河出の書き下ろし長編小説とは、書く方向も意識も全く異なっていたので、ある程度までその要請に合わせて自分の主題を処理するには、大変に苦労した。しかし、出版とは無縁な状態のなかで孤独に創作するのではなく、坂本さんのような熱心な編集者に側にいてもらって小説を書くということはある意味で贅沢な快楽でもあった。”(「13 平野謙「文藝時評」、いいだ・もも、辻邦生など」より)

『夏の砦』の支倉冬子の心に、戦争で裂かれそして苦悩した坂本さんの心が重なった。

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# by k_hankichi | 2018-05-19 07:05 | | Trackback | Comments(3)