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おおごとをおおごとと思わないようにしようかと

世の中の動きを各人各様の視点から語る人々がいて、それらの何が真実なのかは渦中にいてもなかなか分からないのが常だ。

このところとくに地政学が持て囃されていて、それがあたかも新規なように扱われているが、ほんとうはギリシャやローマ帝国の時代から全く変わらない。欠けていることがあるとすれば歴史を勉強していないことぐらいかもしれない。勉強せずに想定外と騒いで徒に人々を不安にさせている。

経済活動やら文化、宗教、はたまた独裁社会を重ねてみて、難しい難しいと口を揃えて言えども、やっぱり人々はとうのむかしから巧みにそれらに対峙してきた。

おおごとは世紀末に起きるというのも幻想で、いつでもおおごとは世の中に跋扈している。

おおごとをおおごとと思わないことがまさしく大事なのかもしれない。


■『半導体超進化論』(黒田忠広、日経プレミアシリーズ)
■『半導体有事』(湯之上隆、文春新書)
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# by k_hankichi | 2023-06-10 11:16 | 社会 | Trackback | Comments(0)

味わい深いブラームスの音楽評

『ブラームス・ヴァリエーション』(新保祐司、藤原書店)を読み進めている。これは実に味わいのある一冊で、しかも奥行きが深い。

前半はブラームスについて新保さんが設定した主題をもとに、変奏のような評論が展開されていく。

後半はコロナ禍中に一日一曲づつ聴き進めていった手記だ。緻密であるとともに聴き進める中での新保さんの気持ちの移ろいも感じる。

前半の主題と変奏ところから少し引用する。

“ブラームスの間奏曲を貫くものは、この「あはれさ」なのである。ブラームスに親しみを感じる日本人が多い理由は、この「物のあはれ」に通じるものがあるからかもしれない。作品117の1の間奏曲を聴いて、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」が思い浮かんで来る人もいるであろう。また、作品118の6の間奏曲に定家の「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」を連想したとしても、少しもおかしくはあるまい。小林秀雄は、ブラームスではなくシューベルトの最後のピアノソナタ変ロ長調を聴いて、「これは西行の歌 願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ のような曲だ」と言ったが、このシューベルトの曲は、ブラームスの曲想に近い。西洋音楽から和歌を連想するというのは、決して鑑賞の遊戯ではない。それは、変奏の一種である。”(「第1部 第1主題」より)

鬱陶しい梅雨の季節。心を鎮めて、しばしブラームスに耳を傾けたくなった。


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# by k_hankichi | 2023-06-09 06:57 | | Trackback | Comments(4)

駄作は誰がどう見ても駄作だ…終盤の『拳銃無頼帖』

そして赤木圭一郎の『拳銃無頼帖』シリーズの最後の2作『不敵に笑う男』『明日なき男』を観た。片岡さんが次のように評価していた通りの駄作だった。

“ロケーション撮影された部分は金沢市と能登だ。なぜそこだったのか、理由はわからない。『電光石火の男』は四日市、『不敵に笑う男』は金沢と能登、そして第4作の『明日なき男』は岐阜だ。第1作の東京は架空性が高く、それがぜんたいに対して好ましく作用していた。四日市は物語の背景にジオラマ感をかもし出す方向へと働いていた。『不敵に笑う男』の金沢と能登には、架空性もジオラマ感も希薄であるように、僕は感じる。(中略)町の祭礼も海へと出ていく祭礼も本来の祭礼ではなく、撮影のために再現されたものではないかと僕に思わせる感触が、ぜんたいをうっすらと覆っているようにも感じる。架空性の高い東京から始まった『拳銃無頼帖』シリーズを、2作目から地方都市へと出した理由がどのようなものだったのか、謎のままだ。”

たいそう落胆したけれど、この最後の2作はどうしてか僕の友人の足跡に重なっている。それだけが僕としてのこの2作品の取り柄だ。

片岡さんは次のように続けて、昭和を愛する彼としてちょっとだけ持ち上げている。

“金沢の駅、駅前、香林坊の交差点、そこを走る路面電車、その信号塔、さらには横安江町のアーケード商店街など実写された景色には、当時の金沢を知らない僕でも驚きを覚える。あの頃は東京もこんなだったから金沢もやはりこうだったのだ、という四十数年遅れの確認をぼんやりおこなうと同時に、四十数年前の日本の地方都市の景色を、どこかアジアの異国のもののように見る自分がいることに気づく。現在の日本を基準にかつての日本を見ると、それはいまの日本よりもはるかにアジア的なのだ。”

そして最終作についての評論を次のように書く。

“第4作の『明日なき男』を観て僕は異常のような思いを強くする。第1作から第2作へおもむろに降下していき、そこから第3作へかなりの急降下を果たし、第4作はおそらく降下しきった地点だったと言っていいだろう。(中略)休みの日に浅草や新宿へ出て来て幟やポスターに誘惑され、なけなしの小遣いのなかから二百円ほどを投じた純朴な勤労青年たちが、このような映画を観終えて外へ出たとき、一抹を明らかに超える寂寥感が彼らの胸の底にあったなら、47年遅れで僕はそれに強く共感する。”

冷静な片岡さんなのに、この二作についてはメチャクチャ怒っているから却って愉快になる。

駄作は誰がどう見ても、やっぱり駄作だ。


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# by k_hankichi | 2023-06-08 06:50 | 映画 | Trackback | Comments(2)

栄華を極めていた四日市…『拳銃無頼帖2 電光石火の男』

『拳銃無頼帖2 電光石火の男』を観た。
https://www.nikkatsu.com/movie/20445.html

この作品について、片岡義男は件の評論本のなかで、次のように書いている。短い文を繋げていくことが多い片岡さんにしては、柄になく長文だ。感情移入が半端ない。

“自分には確かなものはまだなにひとつなく、事実上のゼロからスタートするという、当然と言うなら当然の、しかしどこか理不尽なハンディキャップの象徴としてとらえなおすなら、自分がいま立っている地面が胸の底で抜け落ちていくような不安な虚ろさの切実な痛感の象徴でもあり、そのような痛感によって自分が刺しつらぬかれる一瞬、観客の青年は同時代の青年である拳銃使いのやくざの丈二に、純粋で完璧な共感を抱く。『電光石火の男』という映画は、この一瞬が、若い男性観客の胸に去来するかしないかの一点にすべてを賭けた作品だと、僕は位置づける。”

片岡さんはそれぞれのシーンについて深く深く考察する。台詞の意味、男女の仕草や雰囲気、拳銃や物品の素性、街角の風情。それらについての気づきは非常に秀逸だけれど、僕も僕なりに感嘆した。

映画の舞台は四日市。それも国鉄・関西本線の駅前の商店街だ。

数年前に僕はこのまったく同じ場所に降り立ったことがある。ロータリーにはタクシーも自家用車も一台もおらず閑散としていた。人っ子一人歩いていない。昼食時だったので食堂を探し求めたが、一軒も見当たらなくて仕方なくコンビニでサンドウィッチを買って食べたことを思い出した。

それがどうだ。1960年ごろの四日市の街は、物凄く隆盛を極めている。さまざまな店が軒を連ねている。物資の輸出入のための港湾事業が隆盛でそれが人々の生活を支えていることが分かる。石油化学コンビナートが数年前に誘致されて、新しい事業も幕開けになりつつあることが伝わってくる。遠景には大協石油のマークが付いたタンクが連なる。

この素晴らしい街が、どうして衰退して今のような状態になってしまったのか。これは街角探検隊としても調べてみたい題材だ。

その繁華街のコーヒー・ハウス「異邦人」は浅丘ルリ子が営む店。そこで吉永小百合がウェイトレスをしている。高校を卒業したてというような立て付けだ。

吉永の日活映画デビュー作だそうだが、初々しさ、可憐さに陶然となる。主演の浅丘が霞むほどだ。吉永はこのとき実年齢が15歳。信じがたい美しさだった。


『拳銃無頼帖2 電光石火の男』
■スタッフ
監督:野口博志
脚本:松浦健郎
原作:城戸禮
音楽:山本直純
■キャスト
丈二:赤木圭一郎
圭子:浅丘ルリ子
大津昇:二谷英明
五郎:宍戸錠
ジーナ中川:白木マリ(白木万理)
金:藤村有弘
大津仁作:菅井一郎
辰吉:高品格
節子:吉永小百合
製作
日活、1960年5月14日公開

■大協石油のCM。なんだか懐かしい。

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# by k_hankichi | 2023-06-07 07:05 | 映画 | Trackback | Comments(2)

『怪物』が描き出すもの

是枝監督の最新作『怪物』を観た。

物の見方受け取り方というのは百人百様で、それによってたくさんの誤解が生じる。真実は当事者にしかわからない。そのことを伝えてくれた。カンヌ国際映画祭で脚本賞(坂元裕二)を得たことは頷けた。

大人による子供への虐め、子供による子供への虐め。
体裁を守ろうとする大人。大切な事柄を守ろうとする子供。
憶測で物事を語る大人。実際の触れ合いで理解する子供。

同時並行的に進んでいくなかで、人々は全く異なる形で物事を受け取っている。

この作品を観てしまうと、あらゆる事柄を即断することができなくなる。あらゆる事柄に慎重になる。そしてあらゆる事柄にまずは一度落ち着いて耳を傾け直したくなる。

坂本龍一のピアノ曲が最後まで心の底に響いた。


■作品トレイラー

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# by k_hankichi | 2023-06-06 06:13 | 映画 | Trackback | Comments(2)

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