魔界のなかで翻弄されて

魔界というものがこの世にあることは知っていたけれど、それは上海の浦東の路地裏であるとかシカゴの倉庫街であるとか、良からぬものを売り買いするバンコクの川沿いであるとかだと思っていた。

それがとても身近な場所にあることを知ったのは、その路地裏の店に引き込まれてからだった。

一杯の酒とおつまみを手にしながら、店主の機関銃のようなトークを浴びていく。主題は文化・歴史から、芸能音楽まで幅広く、寄せては返す波のごとく際限がない。

日本画が出てきたかと思えば、西洋のポップカルチャーデザインに話が飛びその画集を手渡されたりもする。

著名な画家やイラストレーターによる原画だったり、アニメーションのセル画であったりもする。

テレビドラマの脚本を渡されたあとは、出演していた俳優の昔のプロマイドまででてくる。

いつしか時代は昭和40年代から50年初期に駆け戻り、レコードプレイヤーではジャパニーズ・ポップスのB面縛りになる。

ぐるぐると頭を回されて揉みくちゃにされて、翻弄の渦のなかから出てきたときには、迷宮としか思えないような路地があって、その先で放たれたときには既に全ての理念だとか感覚が抜けさった抜け殻のようなものがあった。

それが自分の身体だったのだと知ったのはようやく今頃で、撮影した写真の何枚かを眺めているだけで、記憶の映像はガリガリ博士の映画のなかで翻弄されているようなものに変わっていった。

少しづつでも恢復していきたいと念じている。

■昭和サロン『小柳』にて(北千住)
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# by k_hankichi | 2019-03-23 18:09 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

難しく、虚しい小説

難しい小説だった。第一章、第二章と進むにつれて難度が上がる。最終のは70年後の未来だ。もはや觀念するしかない。

『橋を渡る』(吉田修一、文春文庫)。

週刊誌での連載だから単行本や小説にしても読んでくれるだろう、というような考え方に思えて、なんだか悲しく感じた。


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# by k_hankichi | 2019-03-22 17:19 | | Trackback | Comments(0)

出張から戻る機内で、何の気なしに聴き始めたのは、ニコラ・ベネデイッティというヴァイオリニストの“Home Coming; A Scottish Fantasy”というアルバム。ブルッフとイギリスの古い曲からなるもの。

ブルッフのScottish Fantasyはあまり聴くのが得意ではなくて、それはそのまま聴き流していたら、口ずさんむような民謡調の曲(ヴァイオリンは無し)が始まった。これはスコットランドの古くからの調べのようで、本当に心地よくて、まるで自分がヒースが生え茂るすこし荒涼とした丘の上に立ってそよ風を浴びているような心地になった。Cunningham/MacDonaldによる曲らしい。

そして’The Gentle Light That Wakes Me’という曲。Cunninghamによるこの曲に参った。イチコロだ。スコットランドの曲なのに、なぜか心が打ち震えてしまう。

出張先は戦前に父親が生まれた沖縄のからに南の島国。そして僕は自分が生まれた国に帰ってきている。

ふたつの地がつながったような、わすれていたものがそこに現れたような感覚。

大切にしていたものを思い出させるのに音楽の東西は関係ないのだということを知った。





■泊まった場所がこんな名前の駅前だったこと、見えない形で、何か精神を刺激していたのかもしれない。
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# by k_hankichi | 2019-03-21 20:11 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

これならば期待通りの効果を得られそうだと思った。窓越しに中を覗いてみると、清潔かつ健康的な雰囲気の台座がいくつか並び、気持ち良さそうに老若男女が横たわっている。

日本のマッサージ店では、時間単位での課金だけれど、ここでは部位単位。全身が凝っていない場合はこちらのほうが良いし、要らないところまで触られないから有り難いだろう。

足指マッサージもあるみたいだから、時間があれば寄ってみたかった。

天にも昇る心地よさを空想して、後ろ髪を引かれつつ宿に戻った。


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# by k_hankichi | 2019-03-20 08:08 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

『夢も見ずに眠った。』(絲山秋子、河出書房新社)を読了。「恢復への旅路」というサブタイトルを付けても良いように思

た。


男、女、夫婦、それぞれが或る大切なことを抱えて生きている。しかしその大切なことは何なのかということを、しっかりと自分自身で認識しておらず、別のなにかを取り違えて大切なものだと思い込んだりもしている。


男は自身のこだわりを理解して欲しい。女は自分を分かって欲しい。互いはすれ違い、そしていつの間にか遠くから互いを眺めているだけになっている。


男がそのことに気づくときの描写が面白い。


“ゆるくカーブしたトンネルが東京都と埼玉県の境であった。トンネルの出口から坂を下っていくとき、突然かれは、内側でなにか変化が起きたのを感じた。一つのはっきりした目が開いたのだった。喉元のようでもあったし胸や額だと言われたらそうなのかもしれなかった。自分でもその目がどこにあるのかはわからないが、あるということだけは確実なのだった。高之はごく自然に「ああ俺の身体は二重の構造になっていたのだ」と思った。そして内側の素朴で強い目はこれまで、まるで痛みを抱きしめていたかのようにぎゅっと閉じていたことがわかった。”(「9 なにもかもがそこに」より)


高之が飯能市の西に位置する旧名栗村にさしかかり、穏やかな集落の間を流れる自然に近い小川を眺めてのことだ。


自分の心の奥底にあるもの。大切に大切にしてきたことがら。そのことに気づくとき、人はようやく自分にも他人にも素直になれる。頑なに、鎧のようにまとっていた物事から解放される。


絲山秋子の最新作は、男と女の心の旅路。そして白井一文が落ち込んでしまった淵のぎりぎり瀬戸際の縁から、なんとか回帰した恢復の物語だった。



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# by k_hankichi | 2019-03-19 17:31 | | Trackback | Comments(4)