その本を読み終えて、夢を描き、人を巻き込み、情熱と愛情を以て、清らかに平らかに、正々堂々と周囲に接し、世の中を変えていった経営者の言葉が、ずっと心の中に響いた。

「経営首脳の不思議なところは、ミスをしてもその場にはだれにも気付かれずに何年もそのままでいられる点である。それは経営というものが一種の詐欺まがいの仕事にもなりかねないことを意味する。・・・私の考えでは、経営者の手腕は、その人がいかに大勢の人間を組織し、そこからいかに個々人の最高の能力を引き出し、それを調和のとれた一つの力に結集し得るなかで計られるべきだと思う。」

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# by k_hankichi | 2017-03-09 19:30 | | Trackback | Comments(2)
その名前を聞くたびに、なぜか空恐ろしくなるのだけれど、どうしてもそこを通過しなければならない。綾瀬と北千住の間、そして南千住と三河島の間。それぞれに背筋を縮こませて、過ぎ去ることを耐えていく。

あなたは怖くないの・・・?

同じ列車に乗っている乗客たちの顔色をうかがう。

大丈夫そうなのは何故・・・?

お守りを握りしめているかどうか、確かめたくなる。

この緊張が無くなることはない。もし無くなったとすれば、それは人としての感受性が欠如していくこと。

「国鉄三大ミステリー事件」のひとつ「下山事件」。「国鉄戦後五大事故」のひとつ「三河島事故」。

マタイ受難曲に耳を傾け続けざるを得ない気持ちにするこの空間は、現代の魔界だ。

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※遥か後ろにこんな看板があることを、撮影したときには気付かなかった。事件や事故を忘却の彼方に置いての、うたかた。
 

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# by k_hankichi | 2017-03-08 21:38 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

夜に進む気持ち

仕事が終わり、そのあとに進む方角は大事だと初めて分かった。

これまでは職住接近だったから、方向性など無いも同然だったのだけれど、通勤となると違うのだと、社会人になって以来数十年してから漸く分かった。

それは、東に向かうのはこころもち明るく、西に向かうのは大分やさぐれているということだ。

理由は分からない。でも違いは如実だ。

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# by k_hankichi | 2017-03-07 21:17 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

ハムノート

中学一年生から二年生に上がるころに、アマチュア無線の免許を取った。

そのころの思い出が出てきた。

買いたかった無線機の外観図をハンドライティングした紙まで出てきて、喉から手がでるとは、こういうことだったんだなあと思った。

小遣いも少なく、また高価な機器をねだるわけにもゆかず、いつか世界の人たちと繋がりたいと夢をみながら毎日を過ごしていた。

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# by k_hankichi | 2017-03-06 23:49 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
引っ越しの荷物を片付けていたら、とある箱から中学時代以降のレコード購入記録帖が出てきた。初めのほうの音盤は父親保有のもので、それは購入欄に場所の記入がないからそれで分かる。

そのあとの微々たる購入数を見るにつけ、あのころの乏しい懐事情が手に取るように蘇ってきた。学校帰りに秋葉原の石丸電気を訪れては音盤を眺めて、いつか手に入れたいものを皮算用していたこと、グラモフォンの音盤の神々しさに圧倒されていたこと、カール・ベームがなんだかとってもおっかないオジサンに思えたこと。

ページを繰るたびに、その時々の記憶が呼び起こされる不思議さに感慨する。

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# by k_hankichi | 2017-03-05 23:20 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
居宅の引っ越しを久しぶりにやってみて、身辺に溜まった様々な物がなんと多いことなのかと愕然とした。勿体ない症候群ではないのだけれど、書籍、CD、押し入れの奥に入っていたLPレコ―ド、写真アルバム、映画や音楽会のパンフレットなどなど、出るわ出るわ。

このあいだ書籍やCDの大棚ざらえ処分をしたばかりなのにである。

「これからの家訓は断捨離にする」

このあいだこのように家人たちにぶちまけた言葉に対して、ノーレスポンスだった意味が、ようやく分かった。

自分からして身辺をもっともっと、潔くしなくては。

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From: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Duanshelis.jpg
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# by k_hankichi | 2017-03-04 23:15 | 一般 | Trackback | Comments(2)
仕事で都内へ往復した。電車はたいそうな混雑で席には座れなかったことを伝えると、「それはたいそう疲れたのでは?」という質問が返ってきた。

「いや大丈夫だったよ」と答えると、訝しい顔つきをされた。このひと変なのかしら。

久しぶりにゆっくりと連続した時間を持てたのだ。席に座っていては眠ったりして心や頭に入らないし、共鳴して身体をああだこうだ反応させて動かすわけにはいかない。小さな声をだしても不審がられる。

次のような返事が市民権を得られるような世の中が早く来ないだろうか。

「だって車中ではずっとマタイ受難曲を通しで聴けたので良かった、思わず口ずさんだ」

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# by k_hankichi | 2017-03-03 08:58 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

郊外から郊外へ

ゆえあって、「東京を外れた西の地」から、「東京を外れた東の地」に転居することになった。

思い起こせば幼少期は、自らが生まれた東京の北多摩郡でその前半を過ごし、後半を東京を外れた東の地で日々を過ごした。そして社会人になってからは、この「東京を外れた西の地」に35年ほど住んでいた。

これだけ長く住んだ土地に別れを告げるのはどういう思いなの?という問いもしばしばあるわけだけれども、自分のなかでは、ここは社会のなかで自分が選んだ使命や、その先から委ねられた種々のアサイメントをこなす場、という位置づけという思いが一番にある。

もちろん、それらをおこないながらも幸運な出会いもあって、私的なさまざまな執り行いや、そこから生まれた若い血潮を育てていく場にもなった。しかしその場が「東京を外れた西の地」でなければならない、というわけではないようにも思う。

この西の地は、今後は頻繁に訪れるという場という意味だけに集約されていき、代わってこれからは東の地が新たなる境地を見出していく場に代わっていく。堀江さんのような精神的な触発や啓発を伴う鮮やかなる場になることをも希求する。

郊外から郊外へ。

振り子のように動いてきた自分の収束は、いったいどこに行く着くのだろうか。淡い憧憬が芽生えてきた。

■北多摩郡の図
c0193136_22201946.png1.府中駅 2.調布町 3.田無町 4.谷保村 5.西府村 6.多磨村 7.神代村 8.狛江村 9.砧村 10.千歳村 11.三鷹村 12.武蔵野村 13.小金井村 14.国分寺村 15.東村山村 16.清瀬村 17.久留米村 18.小平村 19.砂川村 20.立川村 21.保谷村(旧埼玉県北足立郡) A.中神村外八ヶ村組合 B.中藤村外三ヶ村組合 C.高木村外五ヶ村組合(青:合併なし 紫:府中市 赤:調布市 橙:立川市 黄:西東京市 緑:世田谷区)From: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kanagawa_KitaTama-gun_1889.png




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# by k_hankichi | 2017-03-02 22:17 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
堀江敏幸の『郊外へ』(白水Uブックス)を読了。久々にパリの街角やその郊外の空気、風景や人々の生きざまに触れた。

それにしても堀江さんのフランスにまつわるエッセイや小説は、その濃度が濃い。それも文学の次元だけでなく、地域地勢学、ギリシャ時代や神聖ローマ帝国まで遡る歴史、古今東西の芸術家まて幅広く、気が抜けない緊迫度だ。

そうかと思えば、どこまでも街区を歩き続けたり、偶然来たバスに考えなく乗って終点まで向かったり、あてどなさは果てしない。

戦後間もないころに公費留学した学生や教職は、フランスや欧州の文化学術に圧倒され精神的にも極限まで追い込まれて、しかしそのなかから独自の境地を切り拓いてきた。「我」、「彼」というふたつの狭間で、必ず、「彼」に圧倒されてきた。

それがどうだ。

堀江さんからは、そういう精神的な極限を感じない。彼も我も同様な距離感で眺めている。そればかりか、かの地に生きる様々な人たちと交わる。

あるときはアラブ系の移民だったり、あるときは酒場のマスターだったり。また、そういう仲間とのビリヤード競技やら賭け事のようなものに興じたり。アパルトマンの貸間斡旋業を闇でやったり。給付留学という身分ではご法度なものごとにも余り躊躇いをみせていない。

つまり完全に弛緩している。ああ、このような状態での逍遙を深めたい。彼の地の街角や城壁の外側までを自在に歩き回り、その空気や人々の合間に埋没してみたい。

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# by k_hankichi | 2017-03-01 08:24 | | Trackback | Comments(2)

しっかりと読めた対談

対談というのは、僕にとって「コミック」並みに苦手な読み物だ。だからできるだけ遠ざけてきた。

たぶん、対話の空気や行間を読む、ということが苦手だからかもしれないし、対話のなかに時折入り込む「ははは・・」とか「(笑)」という字面に、ぞっとするような気持ちになるからかもしれない。コミックでも「こっ、これは・・・」みたいな吹き出しが分からない。

そんななか『『深い河』創作日記』の付録に入っていた対談・『『深い河』操作日記を読む』(三浦朱門、河合隼雄)があって、どうなのかなあと思いながら少し読み始めた。いつもと調子が違うのに直ぐに気付いた。どんどんと中身が頭に入ってくるのだ。

遠藤さんに対する篤い友情にも溢れた素晴らしい対談だった。

次のような三浦さんの言葉に、遠藤さんの最後期の思いを重ねた。

“初期のキリシタン時代の日本人たちが洗礼を受けることに対する抵抗感の一つは、「キリスト教の存在も知らずに死んだ我が親たちは、地獄の業火で永遠に焼かれているのか」ということです。それが、異教徒が回心するときの大きな問題点だった。遠藤の場合には、それはヨーロッパへ行ったときの違和感と重ねられて意識されていると思う。けれども彼は、それでいいんだ…南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、インシャラーであろうとアラーアクバルであろうと、結局は大きな河の流れのなかで一つになっていくんだ、そううう考え方だと思います。しかし遠藤にとっては、神というのは子供のときから懸命にこだわってきたものしかないけれども、だからといってそうではない他の人たちも救われないことはないので、救わなきゃいけない…という意味はあると思うんです。”

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# by k_hankichi | 2017-02-28 07:58 | | Trackback | Comments(0)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち