映画『Hidden Figures(邦題:ドリーム)』を出張中の機内で観た。素晴らしい作品だった。

時代は1960年代初頭。無人人工衛星でソ連に先を越されていたアメリカ合衆国は、躍起になって衛星打ち上げ技術の開発に取り組んでいる。

アメリカ中のエリートをNASAに集め、また検算担当に理数系を専攻した女性らも加えて頑張るものの、有人人工衛星の打ち上げでまたもソ連に先を越される。

マーキュリー・アトラス6号を打ち上げ、きちんと軌道に乗って地球を何回も何時間も周回させ、そして無事に大西洋に着水させたい。コードネームはフレンドシップ7。皆は血眼になって取り組むが、楕円軌道から放物線軌道に変えるポイントも計算出来ず、頓挫しそうになる。

そんなアメリカを救ったのがキャサリン・ジョンソンという黒人エンジニアだ。その方程式を解き明かし、見事着水まで至らしめたのだった。当時、黒人たちには公民権もなく人種差別も甚だしく、まして黒人女性に対しては何のレスペクトもしない文化だったから、その偉業といったらない。

原題名は、隠された計算(Figures)と、隠された人々(理数系の黒人女性エンジニアたち)を掛け合わせ暗喩したものだった。

どこから日本での映画名がドリームというツマラナイ題になってしまうのか、とんと見当がつかなかったが、これでは、落語もオチにならない。映画製作者を愚弄しているのだろうか。

■カリフォルニアのモントレー上空から。よく晴れていて美しかった。
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# by k_hankichi | 2017-10-09 08:21 | 映画 | Trackback | Comments(2)

ブッカー賞に唸る

カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞し、さすが欧州の慧眼者たちの選考だと唸った。そんなときに僕が読んでいたのは2011年にブッカー賞を受賞した『終わりの感覚(The Sense of an Ending』(新潮クレストブックス)。この作品にも唸った。

アントニーには、高校時代に秀才の学友エイドリアンがいた。彼は名門大学に入ったが在学中に自殺する。自分の恋人ベロニカがエイドリアンと付き合うようになっていて二人とは疎遠になったいたから驚いた。社会人になり四十年も経つまで、彼はベロニカと全く音信を交わさなかった。

そんななか彼は、ベロニカの母親の弁護士から、母親の遺産の一部をアントニーに贈るという連絡を受ける。

そんな感じで始まる物語だ。

東洋の島国と西洋の島国との、大きく隔たる恋愛観、世界観がみて取れる。

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# by k_hankichi | 2017-10-08 12:48 | | Trackback | Comments(0)

久しぶりの遠藤

『フランスの大学生』(遠藤周作、小学舘 P+D BOOKS)を読んだ。フランスに留学していた際の日本の雑誌などへの寄稿文や手紙や日記、小説仕立ての作品が主体だった。

フランスの学生の悲劇を描いた二つの作品が秀逸に感じた。「恋愛とフランス大学生」、「フランスにおける異国の学生たち」。

戦争がもたらした残酷な仕打ちがトラウマになって、そこから抜け出せない男と女。そして、老人の情婦に陥ってそこから身を投げだしてしまった女。

物語の語り部として、真相を尽く力が若くして発露していた。

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# by k_hankichi | 2017-10-06 00:12 | | Trackback | Comments(2)

稲毛のプールセンター

ああ、ここは小学生のころに良くきたプールセンターの少し沖合いだなあ、と来るたびに感慨深く思い出す場所を昨日も訪れた。

いまや国際的なコンベンションセンターとしても有名なこの地なのだけれど、僕が子供のころは、船橋ヘルスセンターやら谷津遊園よりも、さらに先の、プールセンターがある場所としか覚えがなかった。

あの頃、昭和40年代の後半、プールとあれば父親はどこへでも連れていってくれて、だから、稲毛にプールセンターが出来たと知れば即座に家族でそこに足を運んでいた。

遠浅の浜が埋め立てられて海浜公園プールが出来るよりも遥かに昔のことである。

目前に、そこに繋がる浅瀬から生まれた近代都市を眺めていても、「ひよっこ」時代の残響がまだ耳の奥でこだまする。


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# by k_hankichi | 2017-10-05 07:50 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
冒頭に、副総理・財務大臣のひとが日本の改憲議論に絡めて行った演説からの抜粋が出ていて、その全文を読んだことがなかったものだから、その内容の次元を理解して椅子から転げ落ちそうになった。

「あの手口、学んだらどうかね」

のことである。

「きちんとした議会で多数」をとり、「選挙で選ばれた」ヒトラーの下で、ワイマール憲法は「誰も気づかない」うちに変わった。しかも「みんないい憲法と、みんな納得して」変わったのだという。

“しかしワイマール民主制からナチ独裁への移行は、決して静かに「みんな納得して」進んだのではない。言論弾圧と国家テロを使って無理矢理成立させた天下の悪法、授権法(「全権委任法」)の制定過程のいったいどこに、私たちがまねるべきものがあるというのだろうか。国際社会がこの演説に批判と疑惑の目を向けたのは、けだし当然だろう。そのヒトラーがワイマール憲法を無効化し、独裁体制樹立に道を拓くために濫用したのが、憲法第四十八条に規定された「大統領緊急措置権」である。これは二〇一二年四月に自民党が発表した憲法改正草案の目玉のひとつ、「緊急事態条項」に相当するものだ。ヒトラーは、この条項に助けられて、合法性の装いを取り繕いながら史上類例のない強力な独裁体制を短期間のうちに樹立することができたのだ。”(「はじめに」から)

このことを理解したうえで、僕たちは、いま、目の前の出来事に対応していかないといけない。


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# by k_hankichi | 2017-10-04 08:52 | | Trackback | Comments(2)

つるつるしたもの

松浦寿輝のエッセイ集『散歩のあいまにこんなことを考えていた』(文藝春秋)を読んだ。とっつきにくいのかな、という予想に反して、極めて軽快、またあるときは洒脱な調子で心身に沁み入る。

「つるつるした人」が嫌いだということについて書いている篇では、思わず膝をぽんと叩いてしまった。

“自分のまわりに笑顔と社交辞令のバリアを張りめぐらせて、内側には一歩も踏みこませないぞと無言のうちに恫喝している人のことである。そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか、とぽんと軽く肩を叩いてやりたくなるのだけれど、叩こうとした手もつるりと滑って脇に逸れ、相手には何も届かない。”

会社や取引相手、コンサルタントや政治家(いまの騒ぎの真ん中に・・)にも、居るなあ。

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# by k_hankichi | 2017-10-03 06:44 | | Trackback | Comments(5)

“”ひよロス” 哀歌

朝の連続テレビ小説「ひよっこ」が終わってしまい、文字通り、“ひよロス”状態だ。

きみきみ、そんなぼくのこと「わろてんか」。

・・駄洒落言えども笑えない。

“ひよロス”を、“ひよろす” と書くと、なんだか旨そうな夏の酒の肴のように思えるが、そんな夏もとうに終わってしまった。

“ひよっこ”時代の常磐線や東北本線の停車場に今宵も立ち寄り、ひとり佇んだあと帰途につく我である。

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# by k_hankichi | 2017-10-02 19:27 | テレビ番組 | Trackback | Comments(4)
小津がはじめて松竹以外で監督をした作品『宗方姉妹』を観た。どんなものなのだろうな、と期待していたら、いちど観たことがあったことがわかり、自分の記憶力のなさに愕然とした。

しかし新たに観てみると、描いている世界の凄さと、そして田中絹代の演技力の超越度に驚いた。『晩春』のお能観劇のシーンの原節子が、まさにお能のような冷たい無表情でそれはとても有名な話なのだけれど、こちらの映画の田中絹代はそれを上回るかもしれない。そしてその裏には遣る瀬無く、仕方なく生きる女の悲哀が静かに横たわっている。共演している高峰秀子や上原謙が大根役者にしか見えず、霧の彼方ほどに遠い。

田中絹代は、ちょうどこの映画の前、1949年10月に日米親善使節として渡米していて、翌年正月の帰国の際、派手ないでたちと言動によって大ひんしゅくを買っていただけに、小津の映画で、誰をも唸らせる凄い演技でそれらの罵詈雑言を圧倒させようとしたに違いない。

さて、ストーリー。

戦前、田代(上原謙演じる)と宗方節子(田中絹代演じる)は互いに恋慕をしていたが、田代のフランス留学によりその関係は離れてしまう。やがて節子は三村(山村聡)との縁談を受け入れ結婚し東京の大森に暮らすが、戦後の荒廃時期、三村は職を失ってしまっている。彼は酒を飲み憂さを晴らす毎日だ。節子は仕方なく銀座でバーを開いて日々の家の生計のもととしている。三村と節子の家に妹の満里子も同居しているが、姉は夫の三村に冷たくあしらわれており、満里子は常々そのことを腹に据えかねている。

そんななか、田代がフランスから帰国して神戸で家具商を営んでいることがわかり、満里子はそこに足を運び、なんとかして田代が姉に近づいてくれないかと思いながら、いろいろ持ちかけていく。田代はもちろん節子に思いはあるのだけれど、そういうそぶりを妹には見せない。

夫三村の仕打ちは日を追って厳しくなっており、ある日、手を上げられ頬を殴打されるまでに至る。節子はとうとう東京に来ていた田代のもとにかけつけ、もう駄目ですと伝えると、田代は自分のところに来いと言ってくれる。三村はそういう二人のことに勘付き、彼も彼で益々自暴自棄になって酒を飲み、とうとう・・・・。

僕は戦後の小津映画では『東京暮色』だけが哀しみに満ち溢れた暗いものだと思っていたから、この『宗方姉妹』の田中絹代の演技を観て、いやいや、こちらのほうがもっと暗い、と思うに至った。

■出演
宗方節子:田中絹代
満里子:高峰秀子
田代宏:上原謙
真下頼子:高杉早苗
宗方忠親:笠智衆
節子の夫・三村亮助:山村聡
■スタッフ
監督小津安二郎
原作大佛次郎
脚本野田高梧 、 小津安二郎
■製作
新東宝、1950年

■殴打のシーン(小津映画でこんなことがあるとは・・・すごい)→https://www.youtube.com/watch?v=51xi4jfeDBQ

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# by k_hankichi | 2017-10-01 11:48 | 映画 | Trackback | Comments(0)

喧騒を離れての葛飾柴又

実は初めて葛飾柴又に行った。学生時代まで極めて近くに住んでいたのにも関わらず、なにか敬遠していて、結果的にあれから三十有余年。

柴又帝釈天の参道を経て寺院で参拝したあと、寅さん記念館、山田洋次ミュージアムへ。

寅さんの記念館は、予想以上にしっかりした構成で、これには驚いた。周辺の住宅街や、江戸川の土手は喧騒を離れた静寂があって、これも良かった。

松竹映画の裾野の広さに感銘し、お決まりの「とらや」で草団子を買い求め、久しぶりにほっとした夕方だった。

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# by k_hankichi | 2017-09-30 21:18 | 街角・風物 | Trackback | Comments(5)

おかず食い

子供のときから、食事のときのごはんと味噌汁、主菜、副菜を食べる案配が良くなかった。というか、一つ一つ仕上げるたちで、まず味噌汁をあっという間に飲み干し、主菜を平らげるやいなや、副菜のいくつかを順番に仕上げてゆくことになっていた。

だから自ずとごはんが最後に残る。

「なんかない?」

訊くやいなや、

「作った人に失礼。おかずとご飯をちゃんと交互に食べなくちゃ駄目じゃない、ずーっと言ってるでしょ、ないない、ほかのおかずなんか。」

と自動的に台詞が返ってくる。

「ふりかけなんかは?」
「ないない。」
「缶詰めは?」
「ひとりじゃ食べきれないでしょ、勿体ないでしょ。」
「ん~、じゃ塩!」
「掛けすぎないのよ。」

毎度こんなやりとりになる。大人になって、所帯を持つようになっても、返ってくることばは同じだ。示し合わせているのか?

西への出張が、ようやく突破口を開いた。

「近江牛ご飯だれ」

出先の土産物コーナーの片隅に、ひっそりと佇んであった。

スプーンで一匙すくい。あつあつご飯に載せる。不安な面持ちのまま一口食べてみる。

テーブルの周り1メートル四方の空気が薔薇色に変わった。

救世主の登場。

「食べるな危険」

貼り紙を付けて冷蔵庫に仕舞いたいものができたね。

心の声が聞こえた。

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# by k_hankichi | 2017-09-29 07:12 | 食べ物 | Trackback | Comments(3)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち