「センセイの鞄」

友人に薦められた川上弘美さんの小説。文春文庫。

なんだか題名が媚びた感じがしていたので、手にとらずでいたが、友人が言うとおり、とても良い。染み渡る。自分の早計さに恥じる。

センセイとのいろいろな会話、飲み、交流を通して、だんだんツキコさんに変化がある。

気持ちの変化を味わうことが、それまた心地よい。

どうしてこんなに自然体なのだろう。さらにのめり込みが深く続きそうです。

その友人とは、これから一緒に音楽を聴きに行き、夕べからはお薦めの居酒屋へ向かうことにしています。無事、家にたどり着けるかな。

センセイの鞄 (文春文庫)

川上 弘美 / 文藝春秋


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# by k_hankichi | 2009-11-22 12:43 | | Trackback | Comments(0)
吉田秀和さんの本、「之を楽しむ者に如かず」に紹介されていたスヴャトスラフ・リヒテルのドキュメンタリーDVDをようやく観終えた。

実は、ひと月ほど前に購ってあって、はじめ軽い気持ちでみはめたのだが、テオ・アンゲロプロスの映画「旅芸人の記録」のような感覚のドキュメンタリーで、あら、これはきちんと観ないと分からなくなる、と仕切りなおしていた。

このあいだ観たアルゲリッチの「音楽夜話」は、彼女のパーソナリティがとてもよく分かるものだったが、こちらは、さらにさらにそうで、リヒテルの出自から家族のこと、歴史の渦、ロシアの体制、国外演奏の禁止、妻の証言、などなど、それはそれは重い。そして、おっそろしくおっそろしく長い。しかし、とてもとても面白い。

まず出だしがかっこよい。何せ、シューベルトのピアノソナタ21番から始まるのである。

それが終わるころ、笠智衆?かと思うような出で立ちで、画面にリヒテルが登場する。しぐさや表情もそういう感じなのだ。彼の語りは、詳細につけている日記ノートを基にしている。語りが進むにつれ、この人の音楽にたいしての想いがだんだんわかってくる。そして、その彼の悲哀の気持ちも分かってくる。

映像のなかには、32もの演奏映像シーン(曲の数もほぼ同じ)が含まれている。これを観るだけでも驚愕する。すごい指使いに乗って思考の塊が伝わってくる。

リヒテルとはいったい何者なのか?グレン・グールドがリヒテルを評しているシーン、が出てくる。彼のことばがリヒテルについての全てを語っている。(このグールドの喋りがまたまた、超カッコよい。映画俳優のようで、これだけでもファンになってしまう人がいるのではないだろうか。)

「演奏家は2種類に分類できると思う。楽器にこだわる者とそうでない者だ。前者の演奏家たちは、自分と楽器の関係を前面に押し出してそこに注目させようとする。一方後者は、技巧そのものより自己と楽曲の運命的な絆を重視し、聴衆を幻想世界に巻き込んでいく。重要なのは演奏ではなく音楽そのもの。現代で後者のもっとも優れた例がリヒテルだ。」
「リヒテルの演奏は、聴衆と作曲家とを彼の強烈な個性でつなぎ、つまりある種の導管(conduit)であり、作品の新たな面を発見させてくれる。これはあの曲か、と思うくらいにまったく異なるように。」

グールドは、リヒテルの演奏に初めて接したのは、リヒテルがグールドの演奏に接したのとおなじ、1957年だった、とも言っている。1曲目はシューベルトのソナタ変ロ長調。そこでグールドは、しばらくして恍惚状態に陥った。共存しないはずの特性が融合するのを聴いた。そして気づいた。現代が生んだ最大で最強の音楽伝達者の存在を、としている。

この曲が、このDVDの最初と最後に挿入されているのはこれが布石になっている、と知る。

ああ、アルゲリッチにつづき、リヒテル熱があがりそうである。

〈謎(エニグマ)〉~甦るロシアの巨人 [DVD]

ワーナーミュージック・ジャパン


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# by k_hankichi | 2009-11-21 16:22 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

世界に繋がった広場

以前、訪れて印象に残った広場があり、その画像スライドを”ネームカード”経由でブログに表示する機能があると知り、試してみます。新規なスライドに更新すると表示されなくなるようですが、当面はこれで。



ランボオはこの広場脇で嫉妬に狂うヴェルレーヌに銃で撃たれた。彼は決別し旅に出る。そして詩集『地獄の季節』が生まれたのだ。 (ブリュッセル/グラン・プラス)
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# by k_hankichi | 2009-11-21 10:53 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)

鶴巻温泉

かなり強引ながら、縁を感じました。(いいえ、私的感情の強制注入?)

読んでいたエッセイ集(川上弘美さんの「此処彼処(ここかしこ)」)に、「鶴巻温泉」のことが書かれていてびっくりしました。

先週末、酔って乗り越し降りた駅なんです。ああ、僕は何かに導かれたのだろうか?

温泉宿のひなびた感じと近代マンション群が融合した街。そこに作者も七年ほど住んでいたそうです。

僕が知っている鶴巻に住んでいる(あるいは住んでいた)人たちは、なぜか、「温泉もある街なので(田舎なので…)」と、こころもち恥ずかしげに言うところがありますが、次からは「あっ、あと芥川賞作家も住んでいたんですよ」、と言えるなあ、とちょっと羨ましくなりました。いいなあ。

不思議な奇遇がいろいろなことを繋げ、連関性を築いていきます。この温泉、なんだかこの晩秋に無性に訪れたくなりました。

あっ、エッセイ集について。訪れた場所、住んだ場所、思い出の場所について、しみじみと描かれています。

たとえば、湯島(ぱっと車内の電気が消えて真っ暗になる銀座線経由)、ボストン(キリスト受難像へのひとめぼれ)、茗荷谷(駅前に出没する鳥[真っ白いおうむ]を肩に載せたおじさんの話)、北千住(彼とのおおげんか)、フィレンツェ(眠れぬときに想う天井画の蛸[タコ])、高井戸(ういろうを発見する話も電話ボックスの話も)。

それにしても、いまどき、「あまつさえ」、とか、「やさぐれる」、とかの言葉を自然に使える、この作家の感性が本当に、いい。

此処彼処 (新潮文庫)

川上 弘美 / 新潮社


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# by k_hankichi | 2009-11-21 08:30 | | Trackback | Comments(2)
昨晩は、あることがずっと気になり、なかなか寝付けなかった。何の感覚なのか、よくわからないもやもやした雲のよう。中味は、自省とともに、まぜこぜになった後悔、苛立ち、悩み、憤慨、悲しみ。

そういうとき、自分が砂山に埋もれているかのように感じたり、いろんなお面が浮かび上がってきたり、時間の流れる音のような音でないようなもの(さらさらみしみし)に聞き耳立てざるを得なかったりする。

こういう感覚を川上弘美さんは、きっちり描く。描き倒す。しかも自然に、気持ちが揺れ動くまさにその通りに。

ずっと前から読んでいるべきだった。

昨晩は眠る前にこの本を読了。「風花」、集英社刊。

ある男女が、それぞれ自分の気持ちをきちんと伝えきれずにいる。長くそれがつづく。しかもその理由にずっと気付いていない。

別れる。だがまた再会する。違った接し方になる。相手の名前の呼びかたも変わる。

関係が少しずつかわってゆく。そして最後にがさっ、という感じで大きな融解、気付き、許容が生まれる。

最後に救いがある、この人の小説が、好きだ。

風花

川上 弘美 / 集英社


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# by k_hankichi | 2009-11-20 07:19 | | Trackback | Comments(2)

ほめられサロン

仕事で疲れたときにどうぞ。少し前にこんな紹介記事があった。「ほめられサロン」

自分の職業にぴったりの選択肢があるわけではないが、何故かこれをやると、りきみが抜け、もやもやしている気持ちが吹き飛ぶ。

あれやこれやと、あまり考えすぎないようにしないと、と思い、再度軽く深呼吸して、胸の内もきれいにできるかんじになる。

癒しの空間、ほめられサロン。
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# by k_hankichi | 2009-11-19 08:14 | 一般 | Trackback | Comments(0)

ほんねを伝えると

昨日は、マネジメント勉強会。自分が、「組織変革」について話す番で、日頃感じ考えていることをプレゼンテーションした。

出来ていること、出来ていないこと、かまけていること、やらねばならないことなど。

①収益性について。

②組織間協調と相互学習について。

③中長期的な研究開発の進め方について。

④業績評価指標について。

これらには幾つか異論がでた。

・きちんと伝えたではないか。
・協調マインドがきちんとしていればできるはずでは。
・夢をベースに進めてよいのでは。
・評価尺度を変更しなくても人は動くのでは。

なかなか相互の意思疎通は難しい。落ち込むいまです。
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# by k_hankichi | 2009-11-18 08:27 | 社会 | Trackback | Comments(2)
オットー・クレンペラーの指揮を聴きはじめているが、昨晩は寝る前に「田園」。

フィルハーモニー・オーケストラではなく、ベルリンフィルとのライヴ。

弦は重厚、金管楽器はさらにまた分厚く吹き放たれる。おいら達は、上手いんだぞー、という感じ。

クレンペラーさん、久々のベルリンだからなのだろうか、特にきっちりしたテンポで全体を律し、すべてのパートに十分にメロディを奏でさせる。各パートに実に朗々と奏でさせる。

機会均等に、余すところなく、という感じ。演奏しているプレイヤーはさぞかし心地よいだろう、と思う。解放感。

さらに感じること。強弱、緩急が淡い。一定の中速度で疾走する機関車のよう。

緩急が淡いから、聴いている我々は、あまりハラハラしたりドキドキしたりはしない。そして情景も薄い。人々の表情や羊や、丘や、喜び、というようなことは浮き出てきにくい。ワルターのような至福や優しさを味わおうとしたら、期待はずれになる。

かわりに、ああ、この交響曲はこんな構成、掛け合いから成り立ってるんだぁ、と、感心する。

黒と白の色調からなる、と吉田秀和さんが評していたが、その感覚も分かった。

僕の感覚はこうだ。「巡航する田園」。

CD: 英 TESTAMENT社 SBT2-1217
ベルリンフィル、1964.5.31@フィルハーモニーザール、ベルリンRIAS放送録音。

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# by k_hankichi | 2009-11-17 07:48 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
とってもかわいげな少女バイオリニストが誕生したなあ、と思っていたのが30年ほど前。カラヤンにひいきにされ、もてはやされているころは、なんだか世の中に迎合するような気がし、この人の演奏を聴こうとはしなかった。

ところが、先日CDショップで、この白黒写真のジャケットをみたとたん、ぞくぞくっとしたものが瞼の奥をよぎり、曲目も確かめないまま、思わず購入してしまった。色香と才知の融合。かっこいい。解説書にはカラー版ポートレートも入っていてこれもよい。

さて、この人の弦の音色。非常に潤いがある。濃い。冬瓜(とうがん)のあんかけ、のような感じ。蜂蜜のようなとろみもあるが、甘くはない。だから、あんかけ。非常に積み重なった波長が、単純だが深い味わいをもたらしている。指使い、弓使い、この絶妙さは、まるで目の前に見えるようだ。

さてバッハ。第1番は、「わたしのおはこ、たんと聴きなはれ」といわんばかりのかっこよさ。こんなかっこよいバッハは聴いたことがなかった。第1楽章、弾ける。独奏はしっとり、でも、とてもよくオケと絡み合う。第2楽章、静かに染み入る、深く息をする。第3楽章 これはいきなりのすごいアップテンポ。どんどん畳み掛けてくる。ぐいぐいと踏み込んでくる、僕の胸の中に。頭と体が揺れる。揺れ、弾むことを止められない。なんと爽やかなバッハなのだ。

第2番は、さくさくっと野菜を切り刻んでいくように始まる。第2楽章は冬のケーテンの街が目の前に広がる。こんなにさびしいのか。ゆるやかに、たおやかに冬空を弦が舞う。第3楽章、うってかわって、乗り乗りに挑戦が始まる。第1番とおなじような闊達さ。またも頭と体が揺れ始める。指使いと弓使いが絶妙。ああ、こんなバッハの世界があったのか。

ソフィア・グバイドゥーリナは、この曲をムターさんに捧げたそう。2007年にルツェルン音楽祭にて初演されたもの。解するのは容易でなく難しい。武満徹さんが、この作曲家のことを「オリヴィエ・メシアンの曲に出会った時以来の衝撃」と絶賛したそうで、もうすこし聴きこんでいこうと思う。

それにしても、300年以上も愛されたバッハと、現代作家のバイオリン協奏曲のカップリング、とても新鮮で挑戦的だと思う。おもしろいものに出くわした。

DGのE-Playerでこれに繋がる。http://www2.deutschegrammophon.com/eplayer/eplayer.htms?ID=mutter-bach

<J. S. バッハ>
ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041
ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
トロンハイム・ソロイスツ
(ハンブルグ フリードリッヒ・エバート・ホールでの録音、2007.2月)

<ソフィア・グバイドゥーリナ(1931- )>
ヴァイオリン協奏曲
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ロンドン交響楽団、指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ
(ロンドン AIRスタジオでの録音、2008/2月)

ドイツ・グラモフォン 00289 477 7450 

バッハ・ミーツ・グバイドゥーリナ

ムター(アンネ=ゾフィー) / ユニバーサル ミュージック クラシック


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# by k_hankichi | 2009-11-16 01:05 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
この土曜日は、高校時代の卓球部OB会の創会55年記念パーティー。

多くの友や先輩後輩とかたらい、学生時代のクラブの濃い時間、人間との関わりが次々と記憶によみがえりました。

朝練、走りこみ、合宿、ストーム、いろいろなできごと。練習が厳しかったときには部活の帰りに喫茶店で先輩がおごってくれたこと。その人が「レスカ」、と頼む口調がそれはそれは格好よかったこと。”説教”と称して、プレーや試合の内容や日々の行動について、いろいろ叱られたあと、「しかして、しいて言えばこの部の中で好きな女性はだれか?」という問いかけをされ、純粋な下級生はそれに否応なく答えたり。

二次会は、僕の期、ひとつ先輩の期、ひとつ後輩の期で集まり、卓を囲んで酒もたくさん飲み、あっというまに時間が過ぎました。焼酎、一升瓶で二本が空いた。うまかった。

始めは先輩お薦めの栗焼酎。高知/四万十町・無手無冠(むてむか)社の「ダバダ火振」(ひぶり)。とてもまろやかで会話もまろやかに。

次は芋派(自分ですが)が選んだ鹿児島/揖宿郡 頴娃町・佐多宗二商店の「不二才」(ぶにせ)焼酎。白麹。芳醇な香りでますます酔いも加速していき。楽しい楽しい時間。

表参道で杯をくみかわしていたのですが、いつのまにか時がたつのを忘れてしまい、気づいたときはかなり遅くなっていました。電車で帰路についたものの、途中の記憶が定かでない。降り立った場所は「温泉」と名前がつく駅でした。

もう、帰り道方向の電車もない。ひとりぽつねんと駅前ロータリーに佇む。寒いね。なんで、こんなところに着くのかわからなく、ありゃりゃ不思議、という感じ。このような時を、幾度繰返したことか。愉しき時間の置き土産。
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# by k_hankichi | 2009-11-15 01:08 | | Trackback | Comments(0)

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by はんきち