或る男

F.Rodriguezが教えるChemical Engineering 640の授業。その男は、教室の後ろに座っていた。彼の大胆な質問は教授を困らせていた。授業が終わると、彼は僕に人懐っこく話し掛けてきた。「おまえは日本人か?」

そこから付き合いが始まった。彼は米国人だけれどもRenaultに乗っていた。欧州に長らく住んでいたからだろうか。僕はそのことを聞きそびれた。

彼の妻はChrisという名で、美しく、親切で、そして頭がよかった(数学科の卒業だった)。ちょっと早口で面白かった。でもあるとき、僕が緑色のセーターを着ていたら、「あなたはアイルランド人みたいだ」、と彼女は声を出して笑った。僕はちょっとしょんぼりした。そしてセント・パトリックデーが恨めしくなった。

僕ら三人は、よく一緒に食事をした。「Utage」という日本レストランで。今はもうその店は無い。

卒業したあとはお互いに仕事で出張した際、時々会った。場所は、ボストン、サンノゼ、コロラドスプリングスで。クリップル・クリークという、廃れた街の、疲れた人々の姿が記憶に刻まれている。日本では、乗鞍高原や箱根、六本木。

そんな彼からメールが来た。二人目の奥さんをもらい、その家族と住んでいるバージニアから。彼は「Haikuをまだやってるか?」と尋ねた。僕は「今はもうやってない」、と答えた。

彼の息子らの写真もついていた。彼らは彼にそっくりだった。僕らは「月日が経つのは早いね」、と伝えあった。

あの1986年の冬以来、僕は緑色のセーターを着ていない。
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# by k_hankichi | 2010-02-12 08:12 | 一般 | Trackback | Comments(2)

最高のカレー南蛮そば

ついでに、これも書いておきましょう。

以前読んだ川上弘美さんの小説「此処彼処(そこかしこ)」に、鶴巻温泉の駅前のそば屋に入ったことが書いてあり、そりゃ何処のことだろう?と思っていた。

今日、温泉に行く前に駅前を探したのだが、「田代庵」という一軒しかない。んん・・・やはり此処か?お店の構えがちょっと昔風で、ちょっとためらう。でも、此処しかなさそうだ。

えい、っと意を決して入ってみたら、昭和40年代であった。なんだか懐かしい。小上がりの座敷もあり、窓の横には置物やらがいろいろとあったり、胡蝶蘭の鉢まである。壁には子供が書いた絵(これがとても上手な絵である)がたくさん掛っている。

さて、蕎麦である。僕は最近、「カレー南蛮そば」に、いたく取り込まれており、どこにいってもこれを頼む。ゲテモノはやめなさい、と近くの者から言われ続けているが、意に介さず、頼み続けている。

今日出てきた蕎麦は、麺がすこし黄色がかっている。こういうやつには初めて出くわす。何者だ?(中国産の韃靼そばを用いているらしい)。汁の上には、豚バラ肉がたくさん入っているのが垣間見える。よい湯気である。

一口噛みこんで、おもわず、「美味い」、と口走ってしまった。そばの麺の風味が絶妙である。麺はベタベタとくっついておらず、くっきりと一本一本が境界線を主張をしている。そこはかとない粉の香りや味が、まろやかなとろみにマッチする。最後に、ざるそばをすこしカレー汁につけて食べたら、それがまた、たまらなくおいしかった。

この庵の「カレー南蛮そば」、これまで食べてきた中での一位に、いきなり躍り出た。ダッタン人が踊る。
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# by k_hankichi | 2010-02-11 18:38 | 食べ物 | Trackback | Comments(0)
先のブルックナーのミサ曲、今日の昼下がりに近所の日帰り温泉(鶴巻温泉)で湯に入ったり出たりしながら、休憩室の床にごろりと寝転んでウオークマンで聴いていた。体の芯からぽかぽかとしているなか、神の子羊が次から次へと頭の中を駆け巡る感じ。うとうととしながらも、寝入ることはなく、至福の空間と化していた。

すべての気持ちを開放して聴けたからかな。温泉にはブルックナーがよく合っている。
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# by k_hankichi | 2010-02-11 17:47 | 一般 | Trackback | Comments(0)
ブルックナーの3つのミサ曲とテ・デウムなどが収められたアルバムを聴いている。僕は信仰をもっているわけでもないしブルックナーファンでもないのだが、ペルゴレージのスターバト・マーテルを聴いて以来、宗教曲の透き通った美しさにひきこまれてしまい、ああ~聴いてみたい、と即座に買い求めていた。

むかしは「猿の惑星」の”禁断の土地”のように思っていた宗教曲コーナー、いまや、楽園への入口のように思えるから不思議である(もちろん、あそこでCDを手に取っていると、まだ、ちょっと気恥ずかしい気持ちがある)。

さて、ブルックナー。ミサ曲第3番が特に素晴らしい。

澄みわたる天空から舞い降りてきたかのようなキリエ(主よ)。クレド(信仰告白)はワグナーのオペラのような響きの合唱が、いつしかブルックナー的なあまりにもブルックナー的な音の階層の渦に移り変わってくる。ティンパニもたましいを揺さぶる。ベネディクトゥス(幸いなるもの)は、マーラー的響きと、ベートーベンの第9交響曲の第3楽章のようなたおやかさを、一緒にしたような崇高さ(これは凄い!)。アグヌス・デイ(神の子羊)は儚く、消え入るような美しさで終わる。

ブルックナーはもともと教会のオルガニストからキャリアをスタートしているだけに、こういった宗教曲への思いも深いのだと思う。「テ・デウム」は交響曲第9番の4楽章として演奏するよう、言い残しもしていたということで、こういう彼の傾倒の系譜をもっと知りたいと思った。

ところでこの音盤、3枚入って何と1705円という店頭価格設定だった。こんなに素晴らしい演奏と音質なのに、である。嬉しさのなかにも、需要と供給のバランスという経済原則が頭をかすめた。

第1番二短調 B XVI:ニコル・マット指揮/ヴュルッテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団・ヨーロッパ室内合唱団(2003.1.20-25録音)
第2番ホ短調 WAB27、テ・デウムハ長調、PSALM 150:ヘルムート・リリング指揮/シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊・シュトゥットガルト記念教会聖歌隊・ベルリン・シュパンダウ ダム・カントライ(1996.9.7,9録音)
第3番ヘ短調 WAB28:ヘルムート・リリング指揮/シュトゥットガルト放送交響楽団・ゲッヒンゲン聖歌隊(1992.12月録音)

ブルックナー:宗教曲集(ミサ曲第1番〜3番、テ・デウム他)

Brilliant Classics

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# by k_hankichi | 2010-02-11 17:28 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

「サラサラの組織」

富士ゼロックスKDI著、野中郁次郎+小林陽太郎監修、ダイヤモンド社刊

昨年、少し読みかけ、でも違和感を感じ頓挫していたこの本も、いまはワクワクした気分で読みすすめることが出来ました。

生き生きとした組織とは?そのためにできること、やることとは?

以前は、そういう議論を真面目にやるのは、気恥ずかしかったり、やることの意義を先に考えてしまい、始めることに躊躇したりしていました。そして、やらなかった。

でもいま、こういう議論を気がねなくできるようになりつつあります。仲間が増えてきたから、でしょうか。

著者は、そういったことを自ら考え、実行していったグループ。彼らが抽出した、七つの大切なこと。

① 変革の「正当な意志」をもつこと(「おかしい」と思うこと、肩書には関係ない)・・・企業変革は、特別な人の担う、特別な仕事ではない。ただし「意志」は思いつきではあってはいけない。

② 「現場の観察」から始める・・・相手の立場で思考したり発想したりできるようになるための仕込み

③ 「暗黙知」を引き出してつなぐ・・・組織ごとに内在してしまっている暗黙知を明らかにする。暗黙知が組織間の壁になっている場合も多い。それをとりはらう。

④ 「自発の活力」をじっくりと待つ・・・組織横断のコミュニケーションを意図的に設定し、そういった場も利用しながら、すべてを自発的なモチベーションで進めることを許す(認める)。

⑤ 「相互の共感」を演出する・・・ワークショップを設け、互いにやってきた物語を語り合う。相互の共感がさらに創造的対話を生む。(注:ワークショップの時間だけは全員が同じ立場で発言できるようローカルルールを合意すること。)

⑥ 「矛盾の超越」に挑戦する・・・イノベーションは一握りの人たちによるものではなく、全社員が参加させるのだという意識改革とそのための工夫。

⑦ 「変化の継続」を仕掛ける・・・改革はなかなか成果が見えにくい。そこで、たとえば誰もが大事と分かるようにするためのイベントを設ける。

以下の警鐘も反面教師にしたいです。
「組織の硬直化、ドロドロ化には、さまざまなレイヤーがある。自分の半径10メートル以内、つまり、職場のなかでは役割が固定化し、自分の立場を守ろうとするあまり、お互いを批判している。次に半径30メートル、組織間の連携もうまくいっていない。会議は各部門が進捗を順番に報告し合うだけで、創造的な対話もない。議論が起きるのは、自部門の仕事への影響を防ぐための反論ばかりだ。そして半径100メートル、会社全体についても・・・・」

サラサラの組織―あなたの会社を気持ちいい組織に変える、七つの知恵

富士ゼロックスKDI / ダイヤモンド社

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# by k_hankichi | 2010-02-10 07:58 | | Trackback | Comments(0)
先に読んだ本に紹介されいた、ベネディッティ・ミケランジェリさんの初期の演奏。これが入っているCDを、何度も聴いている。ジュネーブ国際ビアノコンクールで優勝した1939年から1948年までのもの。

冒頭にバッハのイタリア協奏曲。このCDを企画した人の意気込みが分かる。この曲は和声がこんなに綺麗なのかと発見する。音の粒が際立っている。極めて速いテムポなのに、これまで聴いたことのない響きがする。高次の倍音の響き?

曲想に応じてテムポを自在に操る。それでいて一糸乱れぬ演奏。彼の壮年期の端正な哲学的演奏とは異なる。グレン・グールドの究極まで絞り込まれた淡麗さとは対極だ。

二曲はバッハのシャコンヌ。これまためちゃくちゃカッコいい。終盤にしかかり、ぞくぞくと鳥肌が立つ。こういう曲をインベンションとフーガ、って名付けても良いのではないか、と素人ながら思う。こんな演奏されては、バイオリニストは、がっくしと首をうなだれてしまうだろう。

そしてスカルラッティが続く。曲の美しさが際立つ。珠玉の○○○、という表現はこういうやつに使いたい。

ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」も、バイオリニストが隅に入りたくなるような演奏。叙情的変奏になるとき、ミケランジェリの生の姿が、ちらりと見えるような気がする。

若きミケランジェリは斯くも奔放自在なり。

グレート・ピアニスト・シリーズ/ミケランジェリ 初期録音集 1939-1948

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ / Naxos

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# by k_hankichi | 2010-02-09 08:18 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

春の気配を感じた

二月は如月(きさらぎ)と呼ばれるが、これは、絹更月、衣更月と綴ることの当て字だとも言われているそうである。まだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」。

いいなあ、日本語は。

でもこの日曜、月曜日は、日中とても暖かだった。春の仕掛けをする誰かがそっとこちらを窺っているような感じまでした。いとをかし。

仕事のほうも、春に向けて、感性・感受性、協調と調和を大切にしながら、技術者のはしくれとしても頑張りたいな、と思った。斬新で鮮烈なものや仕組みを生み出すことを考えつつ。組織変革の本も読み始めた。

ちょっとセンチな今日である。
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# by k_hankichi | 2010-02-08 20:08 | 一般 | Trackback | Comments(0)
青柳いずみこ著、中公文庫。

長らくクラシック音楽から離れていた僕にとって、この著者のことも知らなければ、ましてや吉田秀和さん以外が書く音楽評を読むなんて気持ちも沸かなかった。この人による「ドビュッシー」という文庫本が出たときも、わが平島正郎さんやアンドレ・シュアレスさん以外の評論なんて、と無視していた。そんななか、先週、新年会の前に立ち寄った書店でこの本を見つけ、なんだかちょっと気になるところがあり、買い求めてしまった。

不思議な書だった。著者は現役のピアニストだった。その立場ながら、ピアニストの先達を、冷静にかつ親しみをもって分析し、評していた。

音楽を心のそこから愛している。スコアを緻密に分析している。作曲家の筆致をよくよく知っている。ピアニストがどのようにそれを読み込み、考え、反応し、演奏するのかを語っている。これほどまでに深く、ピアニストたちの運指法から、流派から、師弟関係の系譜、そしてある部分は私生活まで、あらわしたものはないのではなかろうか?

吉田秀和さんの、温かな感受性に溢れた、そして明晰かつ鋭敏な音楽評とは、まるっきり異なる観点ではあるが、演奏家側からみた、音楽の分析、奏法の分析、気持ちの分析というものが、ここまで、厳しく、冷ややかで、そしてまた一方で同情や同感に溢れているものだということを知らなかった。

スビャトスラフ・リヒテル、ベネディッティ・ミケランジェリ、マルタ・アルゲリッチ、サンソン・フランソワ、ピエール・バルビゼ、エリック・ハイドシェックという六人のピアニストについて評したものだが、女としておなじ女流をどのように見ているのか、どの人を崇め、どの人に憧れ、どの人を近寄りがたいと感じ、誰を友とし、そしてもっとも尊敬しているピアニストは誰なのか、が読み進めると共に如実に分かってくる。面白いぐらいに。

読んでいる途中で、おもわず僕は、CDショップに駆け込み、ベネディッティ・ミケランジェリのデビューから10年間のうちの演奏が収められた音盤を買い求めてしまった。すこし聴いただけで、これまで知っていたミケランジェリとはまるっきり異なる世界がそこにあることがわかり、この先の自分の心境の変化を予感してぞくぞくした。

ピアニストが見たピアニスト―名演奏家の秘密とは (中公文庫)

青柳 いづみこ / 中央公論新社

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グレート・ピアニスト・シリーズ/ミケランジェリ 初期録音集 1939-1948

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ / Naxos

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# by k_hankichi | 2010-02-07 20:54 | クラシック音楽 | Trackback(1) | Comments(2)

「生きて愛するために」

辻邦生著、中公文庫。

40年あまり小説を書いていた著者が病に伏し、半年の闘病を明けて、ゆるゆると書き始めたのがこのエッセーだったそうである。もう15年ほど前の書になるけれども、いまもってその新鮮な感性にはぞくぞくする。

出だしがすごい。

「地上に生きているということが、ただそのことだけで、ほかに較べもののないほど素晴らしいことだ、と思うようになったのは、いつの頃からであろう。」

季節の移ろいに機微を感じ、清少納言からリルケ、芭蕉、と心打つ詩句をつまびく。異国の春には、西行の次の句に思いをよせてしるしている。

「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」

雨が嬉しい、とも彼はいう。ヴェルレーヌの詩「巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る」にもたとえながら、パリの雨の、なんともいえない孤独で寂しい姿に感動する。僕も雨が好きだ。すこし濡れたとしても、傘をささずに歩き、そのしみじみとした感覚を静かに味わう。辻さんの気持ちは心によく染みる。僕はまた、台風も好きだ。吹きすさぶ風雨のもと、商店街の魚屋の店先で、鯵やひらめの表面が、揺れ動く白熱電球の光を反射させてぎらぎらと輝いていた様相の美しさを、今もって鮮明に覚えている。

辻さんの書を読むと、いつものことなのだが、鋭敏な感性、感覚がいかに生きるということを豊かにさせてくれるのかがわかる。そして、もし、美しさに対しての感性を磨かないでいるとすれば、いくつもの宝石を失うことと同じであろうことにも気づく。

生きて愛するために (中公文庫)

辻 邦生 / 中央公論新社

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# by k_hankichi | 2010-02-06 18:16 | | Trackback | Comments(2)

爽やかな飲み会のあとに

昨晩は遅まきながらの新年会(部門内の或る委員会メンバーでの)。批判や他責の言葉のない良い場だった。たわいもない話も織り交ぜながら、ありたい組織とはなにか、カルチャーとはなにか?について、酒もたくさん飲みながらメンバーと深く話し込んだ。

組織のなかで目指すゴールについて、心の奥底から、皆がおなじイメージでもって共有・共感しているようになっていること。気持ち、マインドのレベルまでそれに共鳴し、互いが自然に協調していること(相互扶助、という言葉をつかっていた)。そのゴールに向けてそれぞれの立場は違えどもMotivation高く進んでいる状態、そこに達するために、臨機応変に振る舞える状態。無意識にもそうしている状態。

そういうことをあたりまえのようにごく自然に受け取ったり(受容したり)、振る舞ったり(行動したり)、思考したり、判断したりする、目に見えないまた無意識な思考規範・行動規範になっていれば、それはもう、ある種のカルチャーなんだと思った。

階層にかかわらずそういう方向に、共に育ち育てていきたい。青臭いと言われてしまうかもしれないが、もっともっと良くしていきたいという気持ちやエネルギーにあふれた、爽やかな飲み会だった。

二次会も散会し、一人になってみると、急にさみしく人恋しくなった。最近、ときおりそういう気持ちになる。
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# by k_hankichi | 2010-02-06 12:50 | 一般 | Trackback | Comments(0)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち