小人の夢

夜、眠っているときは夢をほとんど見ない、ということを言う人がいた。

驚いた。

どの人もみな、夢を見ているのだろうと思ったからだ。

夢を見るたびに、なぜそんな場面が出てきたのか、と不思議に思うが、思っているうちに、しだいに忘れてしまい、朝飯を食べるころには、すすーっと、跡形もなく消え去っていることに気づく。

深層心理に溶け込むのか、本当に、雲散霧消してしまうのか、わからない。このメカニズム、だれかしらないだろうか?

で、今朝の夢。

アメリカの中西部の大きな街で、大きな人たちの足元を、避けるように歩いている。

しばらくすると、車に乗り込む。運転ししている人は、浅黒く、インドネシア系の男である。しかしその男、妙に小さい。大人の1/5くらいの背丈。

気が付いた。僕も背丈小さいのだ。小人族。大人族の邪魔にならないように街の中で生きているのだ。

手元に金があった。僕はその男に、「ほら、このお金がなにか役にたたないかな?」と言った。

「ああ、単車を復活させよう!」、とその男は、車のシートのすき間に折りたたんであったオートバイを大きく膨らませた。結構おおきな車体である。

「単車にガソリンを入れる。」と、近くのスタンドに向かう。

スタンドの男は、なぜか親切そうに言った。
「小さい君たち、これからどうするのだ?東海岸?遠い旅は大変だろう。あっちにいったら世話をしてくれる人を紹介しよう。」

彼が書いた地図をみた。東海岸のニューヨーク州の片田舎にある町だ。旧インディアン居留地。

その町(ITHACA)にある「UTAGE」(うたげ)という日本食レストランの経営者を頼って行け、というのである。下町のどまんなかにその店はある。

あれ?と不思議に思った。
「UTAGE」の経営者は自殺したのではなかったか?
「UTAGE」は、町を離れた州道の傍らにぽつりとある店ではなかったか?

陰の声が響く。”いや、彼とは別です。あのあとずーっと時間が経って、若い人があたらしくレストランを起こしました。なぜ同じ名前をつけたのかは分かりませんが。”

希望に溢れる眼差しをもっている若い実業家の姿が僕の頭のなかに浮かんでいた。

・・・というところで、目が覚めた。
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# by k_hankichi | 2009-10-18 08:38 | 夢物語 | Trackback | Comments(4)

喜びのあとの寂しさ

昨夕は、お世話になった先輩の定年退職に付随しての感謝の会。

幹事として関係者にお声を掛け、古き佳き時代から今の同僚まで集まり、昔話、自由闊達の花が満開だったころの話、今だから言える秘話、思い出し話、暴露話、など楽しんだ。先輩の技術へのひたむきさや、独創的な研究開発の着眼点などについても多くの人が口にした。

遠く九州に赴任していたひとも駆けつけてくれ、非常に喜ばしい、よい会になった。

先輩もとてもうれしそうだった。

会が散会した。急にさびしい気持ちになった。

取り残された感じがするためなのか。

バスターミナルまで行ったものの、なんだかそのまま家に帰る気になれず、熊本にいる会社の友人に携帯電話をかけて話をしたり、なんとなく、ぽつねんとしていた。

人はさみしくなると、やっぱり友と話をしたくなるものだとおもった。
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# by k_hankichi | 2009-10-17 14:24 | 一般 | Trackback | Comments(0)
「自分探し」、「自分探しの旅」とかいう表現がよくあります。

学生時代から、そういう言葉に触れるたびに、ちょっとうーむ、何やあ?、と煙たい気がしていました。

自分は自分だろう、なにをいまさら探すのか?、と。

でも、それは少し違うんだな、とわかりました。

ここ一、二週間、読んだ本からもそう思いました。

自分はなにものなのかきちんと説明できるようにすることは、今に生きる人として非常に重要なのだ、と感じています。

自分探しの旅、は、自分とは何かを再びゆっくり考え、自分自身に説明し、腑に落ちたものを得るための時間、と考えれば、それは大切なことなのだと思いました。

僕の近くにも、そういうことをきちんとやられている人がいます。そして行動されている人がいます。そういう人をたいそう尊敬します。

でも、そのように深く考えて、行動されている人のことを、ああだこうだと自分の基準にあてはめようとして全否定する人もたまに居ます。

そういう人については、受け流すしかありません。人が自分自身の言葉で考える、という行為の大切さを大事にしてくれないからです。真に受けているとおかしくなってしまうでしょう。

自分とは何か、自分が周りにたいしてできることは何か、どうしていると幸せなのか、そういったことを自分できちんと考え、行動している人を尊敬します。
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# by k_hankichi | 2009-10-16 08:33 | 一般 | Trackback | Comments(0)

きちんと考えること

今日は島田雅彦さんの「徒然草 in USA」(新潮新書)を、出張で宮城に向かう車中で読みました。

またまた、大局的に考えることの大事さを痛感しました。

経済を学んだ人からすれば当たり前なのかもしれないしれませんが、たとえば以下のようなものです。

資本主義は、自由競争の名のもとに、貧しい者をより貧しくし、戦争と恐慌をもたらす。善の区別や内省、理性、あるいは倫理というものがすっぽりぬけてしまう。

そして今やその首謀をしていたアメリカ社会はもはや自滅の一途にあり、そこに盲従する日本は、堕落が見えている。

…としています。

堕落…。そうか。

それとはなく気付いていたし、分かってはいたが、見てみぬふりをしていた。考えないようにしていた。難しいから。

今、綺麗なもの、すばらしいこと、楽しいことだけ考えていたかったから。会社の仕事も忙しいし。

でも、世の中に何かの投げ掛けをしていかない限り、ぼくら日本人の存在がどんどん低下してしまうわけだ。

製造業に携わるぼくにできることは、日本から世界に向けての差異化製品や技術を発していくことか。

外国の彼らの想像をはるかに上回る、そしてできれば全く新しい文化につながるモノを創り出していくことか。

こういうことをしっかり意識して、仕事のなかで、より円滑に関係部署と創造的コミュニケーションをしていかねば。

・・・今日の仕事は、ある電子部品の次世代品開発に関する打ち合わせだったが、なんとなく直近の売り上げや品質、歩留まりといった、そういうサイズの関心事になりがち。

でもよく考えればこの部品、その実、世界の一二を競う性能であり、世界の映像文化を支えているもの。

関係者で、もっともっと目線を上げ、マインドやモチベーション高くプロジェクトを進めていけるようにしたいな。

そして日本の力を、影響力を、見せ付けたい。

徒然草in USA―自滅するアメリカ堕落する日本 (新潮新書)

島田 雅彦 / 新潮社


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# by k_hankichi | 2009-10-15 20:07 | | Trackback | Comments(0)
「スピード・オブ・トラスト」 スティーブン・M・R・コヴィー著、キングベアー出版

知人が最近読んだそうで、僕も春先に読んだものを見返していました。

・自分自身の信頼
・人間関係の信頼

これらが適切に構築され育まれることによって、組織や業務のスピードや効率が革新的に高まるというのです。

相手を信頼せずに仕事をすすめていると、やり直し、再精査、説明だけのためのよぶんなワークの発生などが発生し、かえってコストが高くなり革新のための契機を逸する。

ああ・・・・。そうはいうものの、相手を信頼しきる、ということが如何に難しいことか。

ぼくは相手を信頼し切れず、任せきれず口出しし、相手のやる気をなくさせていることが何度もある。

相手の間違いを正すことなく、あとで陰口や人のせいにしてしまうこともある。

自分が信頼されることなど、まだまだ先だ。

きちんとそういうことを、周囲と口にだして語り、それが風土となるようにしていかないといけない。

※信頼されるリーダーの13の行動
1.率直に話す
2.他者を尊重する
3.透明性を高める
4.間違いを正す
5.忠誠心を示す
6.結果を出す
7.より上を目指す
8.現実を直視する
9.期待を明確にする
10.アカウンタビリティを果たす
11.まずは耳を傾ける
12.コミットメントし続ける
13.他者を信頼する

スピード・オブ・トラスト―「信頼」がスピードを上げ、コストを下げ、組織の影響力を最大化する

スティーブン・M.R. コヴィー / キングベアー出版


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# by k_hankichi | 2009-10-15 07:12 | | Trackback | Comments(2)
ようやっと、片岡義男さんのエッセイ集を読み終えた。NHKブックス。

日経新聞夕刊で2002年上半期にコラム連載されたもの。私的な事象から、憲法改正というような事象まで、非常に幅広い内容。

自分として学んだのは、僕が日頃、政治というものをわからないもの、と一刀両断に片付けてきたことに対して、社会のなかで生きるものは、きちんと十分に考えねばならない、考えることができないのであれば考えられるように自ら学ばねばならない、ということ。

批評するのではなく、また他人の考えにしたがって是非を言うのではなく、自らの頭で考え解釈し、じぶんとしてはこう位置付ける、対応する、ときちんと述べることができること。

世界について、政治や社会についてもっともっと考えを深めたい。

自分と自分以外―戦後60年と今 (NHKブックス)

片岡 義男 / 日本放送出版協会


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# by k_hankichi | 2009-10-14 07:51 | | Trackback | Comments(0)
駅から家の近くまでバスに乗りますが、ルートによっては、水田の真ん中を通る新道でおろされます。田んぼの脇なわけです(こう書くと何という田舎かと思うかもしれません)。

今宵、降りたって、いつものカエルの大合唱がまったく無いことに、いまさらながらに驚きました。

よく見れば、稲刈りも稲乾しも全て終わり。さばけた空間がしーんと闇夜に広がっているのみ。秋の虫が申し訳なさそうにぽそぽそと鳴いてるだけ。

思い返せば、二週間くらい前に、刈り取りしはじめている田を遠目に眺めたなあ、と気付く。

もう、秋も真っただかなかです。

あの、真夏のむんむんとしたなか、青々とした稲穂のさざ波、その草いきれ、そして夜はカエルのきれいな声色が本当に懐かしい。

こんな調子では、また冬になり、春になり、夏になり、次の秋も、すぐさまに来てしまうなあ。
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# by k_hankichi | 2009-10-13 21:58 | 一般 | Trackback | Comments(0)
通勤途上で読んでいます。松原哲明(龍源寺住職)監修、河出文庫。

ああ、なるほどそうだなあ、となります。

半分くらい読んだところですが、次のような言葉に特に感じ入りました。

「無功徳」
いろんな頑張りや熱心に行ったことを認めてほしい。報われたい、見返りがほしい。そういう気持ちを消すことを本願とする。人に対しても同じです。達磨のいう「無功徳」は、功徳という思いを捨てれば無になれる、仏陀仏教に会える、ということで、実は、最高の功徳なのである。

まだまだ自分は人たりえず、です。

こころ休まる禅の言葉 (河出文庫)

河出書房新社


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# by k_hankichi | 2009-10-13 07:34 | | Trackback | Comments(0)
温泉にときおりいきますが、熱すぎたり、自然の風情が少なかったり、人が沢山いたり、…でなかなか理想のところがありません。

近場は鶴巻温泉に時折行くものの、景色が臨めない。できれば山並みから湖が見えるような箱根の湯や、伊豆沖の海が見える熱海や伊東が良いよなあ、と思います。

そしてそんなところであれば、是非ともあってほしいものが、本を読む良い環境です。

適度にぬるめのお湯に浸かりながら、手は本をめくることができるような環境。

さらに言えば、もう片手に、冷えた酒を口に運べる設定。ブラン・ド・ブランの辛口シャンパーニュであれば最高。

風呂のすぐ脇にデッキチェアがあれば、それでもよろしい。お湯のなかでも椅子のうえでも寝そべって、本をとろとろと読み、物語に想いを馳せたり入り込むのです。

…なんてことを、今日は10年くらいぶりに訪れた清川村の日帰り温泉にて、畳に横になって本読みながら思うのでした。
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# by k_hankichi | 2009-10-12 17:05 | 一般 | Trackback | Comments(0)

「いま、小津安二郎」

小学館のショトル・ライブラリシリーズの1冊。

神保町で購入した本だが、映画の解説ではなく、小津さんが映画を作っていた戦前~戦後1960年台初頭のころの東京の街の風情とともに、小津さんのファッション(お洒落)、愛用品、グルメなどをまとめたもの。これらがかれの映画を支えてきた。彼の映画に出演した三上真一郎、岡田菜莉子、有馬稲子の述懐もほろりとさせる。

粋なスタイルというものが街角でもなかなかみられなくなってきた今、何が美しいものなのかがわかる。

また、映画に何度も出てくる日本酒、「ダイヤ菊」が茅野の名酒蔵のものだということも知った。

「茅野大津吟醸のダイヤ菊、まことに芳醇、天の美禄たり。いささか鄙びたる味ありて、一盞(いっせん)傾けるに羽化登仙、二盞、三盞、深酌高唱にいたる。この日、酔余、うたたねのまま暁に及ぶ」

と小津さんは『蓼科日記』に書かれたそうで、1本の脚本を書き上げるために、野田高梧(小津映画の有名な脚本家)と、一升瓶100本を毎年飲み干したらしい。

これもいつか飲んでみたい酒になった。

そして、小津さんの映画を再び観返していきたい。

いま、小津安二郎 (Shotor Library)

丹野 達弥 / 小学館


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# by k_hankichi | 2009-10-12 10:36 | | Trackback | Comments(2)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち