再び台湾

昨日は宮城にいたのだが、今朝は台湾。

新竹という喧騒の下町の朝を、少し歩いた。

バイクと車が、節操もなくごちゃごちゃに走り周る。その隙間を縫って、ゆっくりと道をわたる老人。街角には、これまた節操もなく、看板や広告が、掛かっている。バスの屋根が、その軒にぶつかりそうなくらいである。

街角では屋台に毛がはえたような飲食店に、朝食を求めて列をなす男女たち。美味いものなのだろうなあ。吉田健一さん的に食してみようか。

ああ、この、お構いなしのごった煮のような街が好きだ。

のら犬ですら、悠々泰然としている。

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# by k_hankichi | 2010-02-26 08:18 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

宮城にて

昨晩から仕事で宮城に来ている。さすがに寒い。だけれども、この朝の凛としたひんやり感覚が、なんとも言えずによいなあ、と思う。

この地は、僕にはもともと縁もゆかりもないけれども、なんだか郷愁を感じる。むかしに此処で生きた日本人の血が、どこかで僕に繋がっていて、それが騒いでいるのかな。

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# by k_hankichi | 2010-02-25 07:36 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

「酒肴酒」

友人から、吉田健一張りの、酒談義の楽しきメールを貰い、思わず微笑んでしまった。友の話もおもしろかったが、僕のほうも吉田さんの標題のエッセイを読み始めていて、なんだか、同期していて愉快だったからである。光文社文庫。

食べものあれこれ、舌鼓ところどころ、酒肴酒の話し、どこまでもその筋の話ばかりだが、いかにも美味そうな、かといって、押し付けがましくなく淡々と、でも、美味いものは美味いと、しみじみ伝わってくるものばかり。

しかして、読み飽きるかと言えば、そんなことはなく、東京の戦時下の宴、支那の小籠包料理、西洋のグリンピースの深淵などなど、思わず、その食べ物を見たり味わってみたいと羨ましくなる、素晴らしく洒脱なエッセイなのである。

たとえば、こんな感じである。

「それから最上川の鮭。これは十月から十一月一杯までのものだそうで、素焼きにしたのを生姜と大根卸しで食べたが、鮭の味はすべて皮と皮の下の所に集まっているのを改めて認めさせられるような取れたての鮭で、鮭といえば塩鮭かと思う感覚では、西洋人がこの魚に夢中になる理由が解らないことに漸く気づいた。」

それにしても、吉田さんが書く金沢の街は、ほんとうに耀いている。この街にかつてすんだことのあるひとが羨ましい。

酒肴酒 (光文社文庫)

吉田 健一 / 光文社

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# by k_hankichi | 2010-02-24 18:10 | | Trackback | Comments(0)
フルート協奏曲だけでも100曲以上書いたと言われるヨハン・ヨアヒム・クヴァンツという18世紀の作曲家がいることをcwd*f3*2さんのブログで知りました。紹介されていたフルートソナタ集を聴いています。第272番〜第277番!!が収録されている。

楽器はフルート・トラヴェルソなのですが、現代のフルートと尺八の間のような響きがして、素朴この上ない。軽く擦れるような音感。クヴァンツさん、バロックの独自路線をつらぬいた人なのかな。

これらの曲を次から次へと献呈されたフリードリッヒ大王は、さぞや満悦だったでしょう。

フルート・トラヴェルソ:ヴェネラ・フィッシャー
バロック・チェロ:クラウス・ディーター・ブラント
ハープシコード:レオン・ベルベン
2006.11.15-17録音
@ニュルンベルグ、マイスタージンガーハレ、小ホール

クヴァンツ:フルート・ソナタ集 Nos.272-277

Naxos

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# by k_hankichi | 2010-02-23 21:22 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

息が合うこと

息が合う者たち、というものは、世の中にいったいどれくらいあるのだろう。

いま通勤途中で聴いている、ムターとマズア/ライプチヒゲヴァントハウスのメンデルスゾーン。これもその一つだ。

他の演奏ならば、一年に一度聴くか聴かずかで良い曲と思っていたものが、毎週聴くことになるほど、心地よく、魂に優しい。

息が合う、とは傾聴、対話、信頼、敬愛の上に成り立っている。互いが同じ目線になっている。そして、そのことは、周囲をもそこに同化させる。

社会や会社、友人の間でもおなじなんだな、と思う。僕らは、いろんな場で、葛藤や理解不足、誤解、曲解、相克に出会い、巻き込まれる。自分が当事者の場合だってある。

でも、心鎮めて思いを馳せてみよう。「息が合う」とは何かを。良く良く考えて、心落ち着かせれば、だんだんわかってくるはずだ。

分からなければ、また相手との対話を深めていく。さすればたどりつく。息が合う境地に。そしてその大切さと素晴らしさを味わおう。

人間、その繰り返しだ。
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# by k_hankichi | 2010-02-22 08:15 | 一般 | Trackback | Comments(0)

「Blue Wind」

Yuiさんの「Blue Wind」が、われわれの心の奥に響く、と会社の先輩が言った。

"発明家は偉い人だと 教えられた
努力する モノを生み出す
でもそれに群がってゆく人たちこそ
かしこくて 長生きだ"

という触り。

また、その人は言った。

出されたパズルを解くことが得意の人ばかりでは、世の中は変革しない。パズルを創ること、あるいはまた、パズルではないまったく新しい仕掛けや仕組みを創る人、がいなければならない。

あたらしいものを創りつづけよう。たとえ、そういう姿勢ではかしこくない、と言われようとも。
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# by k_hankichi | 2010-02-21 18:18 | ポップス | Trackback | Comments(0)
ラジオで、インナー・マッスルを鍛える、ということの意味を医師が語っていた。腹筋やら目に見えない筋肉を十二分にトレーニングして鍛えることなのかと思っていたら、あにはからんや。

要はバランスだというのだ。スポーツマンではない場合は、主筋がそれほど発達していないから、無理して内部筋を鍛えると、かえってバランスが崩れてしまう。

一般人は、関節のまわりについている小さな筋肉を日常的に軽く動かすことで、鍛えられるということ。例えば、手首の筋肉については、コーヒーを飲むとき、カップを肩の高さまできちんと上げて、二、三回、繰り返す。通勤カバンも重めにして利き腕ではないほうで持ち運ぶ。お風呂の中では、手のひらで水をかくように両手を前後に数回動かす。脚の筋肉も、ふつうよりも少しだけの負荷のかけかたでよい。ランニングやウオーキングを激しくやるよりは、駐車場に車を駐めるときに一番遠くにして、すこしだけ歩く距離を伸ばす程度の心掛けで良いというのだ。

そして毎日それを継続することが大切らしい。関節の周囲の、ふだんは負荷がかかりにくい筋肉を少しだけ使ってあげる。それによって、身体のバランスが形成され保たれる。継続は金なのだ、ということだ。

この間から、利き腕ではない、右の肩がすこし上がりにくくなっていたが(前後には振り回せる、たぶん四十肩かな)、これも同様なんだろう。

おー、今すぐにでもやろう。ナマケモノは学成り難し、だから。
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# by k_hankichi | 2010-02-21 10:39 | 一般 | Trackback | Comments(0)

「日本語の思考法」

木下是雄著、中公文庫。

このひとの「理科系の作文技術」という本が学生時代に出て、その内容にいたく感心し、大学の卒業研究論文をその基調で書いたことを、思い出した。永らく忘れていた。ついでにいえば、「物理の散歩道」という本についても思い出した。ロゲルギストという作者だったが、その実体は木下さんグループだった。

70年代から、木下さんは、日本語で物事をきちんと言い表わす、書き表わすことについて、いろいろな場、役職を通じて説いてきた。この本は、その集大成だ。エッセイと短い論説からなる。

あれから大分の時が流れた。追いつけ追い越せ、いけいけどんどん日本が通る、という時代があったことが懐かしい。僕らはいま、世界の趨勢からとりのこされそうな、不安と苛立ちに包まれてある。こういう時だからこそ、さらに、日本語の大切さを感じる。きちんと思考し、表現できる力をつけ、また、外国の思考論理も理解把握することの大切さ。

そして思う。そうやって整えた知性をもとに、世界に十二分に通じる文化・知恵を、きちんと伝え、主張したい、輸出したい。欧米にも、中国にも、インドにも、ブラジルにも、ロシアにもない、繊細な、感性ゆたかな文化と知恵を、僕らは持っている。

日本語の思考法 (中公文庫)

木下 是雄 / 中央公論新社

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# by k_hankichi | 2010-02-20 18:31 | | Trackback | Comments(0)

EMIよ永遠なれ

EMIが債務超過していることを平井さんが書かれていた。アビー・ロード・スタジオも資金調達のために売却される。クレンペラーがここで何度も録音したこと、知っている。ポップスだけでなく、クラシックの演奏家にとっても、奇跡の軌跡が幾重にもここに織り込まれているのだ。

EMI・・・ウィキペディアで見たところ、1931年に英コロムビアと英グラモフォン(HMV)が合併し、設立されたそうで、その名もずばり、Electric and Musical Industries Ltdだということ初めて知った。ここがあったからこそ、ワルター・レッゲによるクラシック音楽の珠玉の録音がディレクトされ、世の中に生みだされていった。

諸行無常の響きが聞こえてくるが、クレンペラーだけでなく、ミケランジェリ、アルゲリッチの音源もどこかわけの分からんところに売られたり、消し去られることがないことだけを、ただただ念じている。
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# by k_hankichi | 2010-02-19 21:48 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
先日も書いたことなのだが、「反省して次から改めよう」、などと言いつづけるは甘い、と友人から説かれたことがある。反省ばかりしているのは、きちんと都度考えて動いたり、行動したりしていないからだ、ということだ。

たしかに「反省した」と周囲にいうのは、一見、潔いようでいて、もっともずるい逃げ口上なのかもしれない。僕自身、それ以来、公私ともども、そういうことがないように、いまの気持ちはいったい何なのか? 何を決断したり選択したり行動したりすればよいのか、を考えて進めるように努めている。責任を持ち、そして悔いるようなことにならないようにすること。

またさらに、そのときに感じていた真実の気持ちとは裏腹に、上っ面の一時の気の緩みや弾みで、何かをしてしまうことも無いようにしなければ、とも思っている。つまりは、いつもきちんと判断し、選択、行動を重ねていくということだ。もちろんそれは、傲慢や自己チューと紙一重になる危険性もあることに、常に留意しながら。

いまのところ大丈夫・・・、かな。
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# by k_hankichi | 2010-02-19 07:28 | 一般 | Trackback | Comments(2)

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by はんきち