こちらも、これまで全く知らなかったけれども、現実を真正面から突いていてとっても面白かったエッセイ。笑って堪えて、我が身を省みるところ多々あり。『クラシック100バカ』(平林直哉、青弓社)。

新聞のコンサートやCD評論を書く評論家などに対しての辛口コメントも冴えまくる。思わず拍手をしそうになる。

一貫していることがらは、自分の感性、自分の耳を信じなさい、ということ。

ときどき迎合しているだろう僕自身のことも振り返りながら、改めて、素直になることの大切さを認識した。

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# by k_hankichi | 2017-11-08 06:15 | | Trackback | Comments(3)

『東京暮色』の価値

神保町で仕入れた『小津安二郎の悔恨 帝都のモダニズムと戦争の傷跡』(指田文夫、えにし書房)を読了。まえまえから喉の奥に仕えていた骨が取れたような気がした。『東京暮色』の評価などについて合点がいったからである。

“暗いというなら、成瀬巳喜男の1955年の『浮雲』はもっと暗い救いのない話だが、成瀬なら許せる。それは成瀬の資質だからだ。だが、松竹の盟主の小津にこう暗い作品を作られては、日本映画界は成立しない。(中略)もう自分はまともな人間ではなくなったという哀しみ、やり直すことのできない過去への悔恨など、多くのものが明子(注:有馬稲子演ずる)の中に浮かんでは消えているのであろう。このシーンの明子と孝子(注:原節子演ずる)の対比は非常に厳しい緊張感のある優れたシークエンスになっている。(中略)小津は、前作『早春』の金子千代(岸恵子)のような、ほんの遊びで色恋沙汰を起こす連中は許せた。だが、もう一歩現実に踏み込んだ時、明子のような悲劇になるのは当然と、厳しく戦後世代を批判していたのである。その意味では、前年に木下恵介が監督した『太陽とバラ』と小津の立場は同じだった。しかし、小津は、そこからさらに一歩先に、その根源は何かと突き進んでいる。それは、戦前の日本の大衆社会の退廃である。戦後の混乱は、実は昭和10年代の退廃にあると、この映画は言っているのである。”(「2 『東京暮色』という映画」から)

小津はやはり成瀬の『浮雲』に対してこの作品で勝負しようとしたのだと思えてならない。

一つの劇の裏には、沢山の哀しさと時代の悲劇が内包されている。

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# by k_hankichi | 2017-11-07 00:25 | | Trackback | Comments(2)
11月になったなあ、と思いながら三連休の最終日をどう過ごそうか朝刊を読んでいたら、はや、神田神保町古本まつりが最終日になっていると知った。あれまあ、俺としたことが、と少々狼狽しながら意を決して身支度を始めていた。

家人は僕よりもあとから起きてきた。いきなり決めたことを悟られてはなるまい。おはようの挨拶のあとは、何食わぬ顔で「今日はいつものように古本まつりに行くんだけれど、どうする?」と問う。

と、どうしたことか。「わたしも行く」という返事。ん?と思いながら、出発可能予定時間を問う。返事はだいぶん遅い時間になっている。仕方なくケーブルテレビでYoutubeにあった仲道郁代の演奏の数々を聴く。だらだらとしていると意外にも家人から身支度完了という宣言。10時過ぎだ。な、なんなのだ・・・早い!と思いながら出発。そして神保町には11時を少し過ぎたところで着く。

さっそくいつものルートで本の物色を開始する。しかしテンポがでない。同伴者の同行が気になるからだ。はぐれさせては厄介になる、と思うから集中力が落ちる。

ところが、である。ある瞬間からスイッチが入り、周囲の風景が沢山の絵の具をごっちゃに混ぜたかのような曖昧な色に変わる。

藤田嗣治の美術展の画集、昭和三十年代の音楽評論集、読んだことがなかった小津映画の評論、音楽を巡る数々の本、そして小池昌代のエッセイなどが次々に手に入ってゆく。悦に入る。同伴者の居場所を常に気にしながらの収穫だったけれども、リュックサック一杯にずしりとくるこの感覚は、朝駆けで出かけて良い結果が得られた漁師の満悦と同じだ(と思う)。

友人が経営する古書店の露店では、30年振りに拙宅の家人が顔を合わせることとなり、ああ、いかに歳月は早く流れるのかということを、改めて感じ入った。「時の過ぎゆくままに」、というBGMが頭のなかで流れた。

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# by k_hankichi | 2017-11-06 00:32 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

シューマンの音楽に浸る

ああ、こういう音楽に浸りたかったのだ、と思った。仲道郁代のシューマン・ファンタジー。

「年齢を経てくるとそれには(未来ということには)限りがあるということが分かってきて、でも限りがあるからなおさらその、瞬間瞬間を感じることのできる感覚が愛おしくなって、輝くようになってくるというね、だからそういった大切な思いを音にしたいなというのが今回のアルバムです。」

このように彼女はビデオトレイラーのなかで語る。

これを眺めていたら、ああ、こういう世界なのだ求めていたのはと思うと同時に、僕はこういう人に弱いなあとつくづく思った。

■曲目
シューマン
1. ロマンス 嬰ヘ長調 作品28の2
2. 交響的練習曲 作品13
3. 幻想曲 ハ長調 作品17
■演奏:仲道郁代(ピアノ/スタインウェイ)
■収録:2017年4月18日~20日、ベルリン、イエス・キリスト教会
■音盤:RCA Red Seal SICC-19008

■CDトレイラー →https://www.youtube.com/watch?v=1LP9vuz7jNQ


■こちらにも恍惚とする →https://www.youtube.com/watch?v=H0aZg5QL1ms
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# by k_hankichi | 2017-11-05 08:23 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
おそらくあのことが書かれているのだろうと思いながら読んだのが『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美、新潮社)だった。ブログ知人が読まれていて気になったのだ。

そしてページを繰るごとに、どんどんと重い気持ちになっていった。アメリカ合衆国という国が持っている超競争社会、集中と搾取の世界の構図を、だいたい知ってはいても、その現実を赤裸々に見せつけられると自分の気持ちは沈んでいった。

あとがきで、著者はつぎのように書く。

“そんな危機感が渦巻くシリコンバレーから東京へ来ると、まるで別世界です。高望みしなければ何とかなるという妙な安定感に満ちていて、とても平和に感じます。この本で書いていることが場違いに感じられ、果たして意味が伝わるのかという不安も感じます。逆にこの感覚の違いが、富や権力の一極集中を可能にしているのかもしれません。シリコンバレーは世界的に見ても特殊な地域というだけのことかもしれません。でもシリコンバレーで起きていることの影響は東京でも頻繁に感じます。”

否応もなく近づきつつある暗雲を前にしながら、僕らは出来るだけ遠くに、あるいは次元を変えて遠ざかるしかないと思った。

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# by k_hankichi | 2017-11-04 18:52 | | Trackback | Comments(3)
小手先でこねくり回さない設計・製造というものはこういうことなのか、ということを読みながら思った。『フォルクスワーゲン & 7thゴルフ 連鎖する軌跡』(岡崎宏司、 日之出出版 )。

戦略の核はプラットフォーム設計。自動車産業のみならず、半導体やあらゆる製造業領域でそれが叫ばれながら、実践できているのは唯一、欧州企業だけだ。そしてVWは確実に他社をリードしている。それはどうして可能になったのか。

原理原則を極めながら、コアとなる設計には極めて科学的なアプローチで本質を具現化しようとする。少ない労働時間で最大限の成果を上げていこうという、極東の島国とは正反対の労務思想が、そのプラットフォーム設計を効率的に具現化させていく。横展開ラインアップも、すみやかに実現していく。

高度成長時代の少しあとに、日本でもその思想は体現されつつあったがしかしそのまま尻すぼみになった。それに対して欧州ではしっかりと実践され昇華されていった。半導体製造装置分野と同じく進められたことに愕然とした。

僕らが追いついたと思っていた欧州は、はるか先にいっていた。

所帯を持つ前、1年ほどゴルフ1stを所有していたあのころの驚きの感覚が蘇ってきた。

原点回帰をする時期なのかもしれない。

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# by k_hankichi | 2017-11-03 20:53 | | Trackback | Comments(0)
戦前から戦争、そして戦後を生きてきた男の半生を回顧しつつ、日本の市井の人々の気持ちや反応を鮮やかに描いた作品だった。そして男にとって、自己批判をすることにどのような意味があるのかを考えさせられた作品だった。カズオ・イシグロの『浮世の画家』(ハヤカワ文庫)。ブログ友人の紹介に感謝。

いかに自己批判を重ねようと、そこに至るまでに辿った足跡は、彼や彼女の考えや判断、決意の積み重ねで、だからそれをいかに強いたとしても、何の変化をも生み出せないのではないのか。

男の苦渋とある種の諦観が、にじりにじりと自分のなかに伝染した。

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# by k_hankichi | 2017-11-02 06:26 | | Trackback | Comments(3)
草臥れていると逆に元気が出る音楽があるものだと思った。シューベルトの弦楽四重奏曲 第14番ニ短調「死と乙女」。ジュリアード弦楽四重奏団による。

陰鬱なる曲なのに、音盤ジャケットの奏者たちの写真の実に朗らかなることよ。

恐るること勿れ。怯むこと勿れ。

そう語ってきているように思えてならない、みちのく路の晩秋である。

■疲れたときについ頼んでしまうカレー。昨日のシーンから。
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# by k_hankichi | 2017-11-01 06:04 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(5)

集めて繋げた時間旅行

古本屋から映画館、純喫茶からジャズ喫茶、食べ物屋から飲み屋まで、広く深く書き綴ったエッセイ集だった。『東京 時間旅行』(作品社)。

オリンピックで東京の街が変わったのではなく、荒廃した街を再生すべく、市街のデザインや使い勝手、暮らしのインフラを整えるためにオリンピックが招致された、ということも史実に基づき紐解かれてある。

さすが鹿島さんだけのことはある。さまざまな紙面に書いてあった幾つかのエッセイの寄せ集めだけれども、集めて繋げるということにも意味はあるのだと思った。

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# by k_hankichi | 2017-10-27 18:12 | | Trackback | Comments(4)
シャーデーのファーストアルバム『ダイヤモンド・ライフ』が静かに流れていた。気になるかならないかのぎりぎりの音量で、それは静かな空気にしっくりと合っていた。

左隣に座っていた老齢の男が口を開いた。

「マスター、今年は阪神、もう少しやったね。」
「そうやな、あかんかったな。藤浪なんか20勝してもおかしゅうないんやけど、3勝やからな。どないしてるのやろね。」
「そういえばハンケチ君もそうやな。」
ハンケチ君、そうやそうや。彼はな、何がわうなったか分らんちゅうて、そしたら結局、高校時代の自分のピッチングのビデオを観て直してるうて。そしたら、あのころは腕がピシッとなっとった、やて。分からんのやなあ。」
「そういえば今日はあれやな、ドラフトやな。」
「清宮、どないなるやろな。」
「堀内とか江夏のとき、思い出すわ。何球団が手え挙げたやろ。ぎょうさんや。」
「そやなあ。」

京都駅の目の前に、そんな長閑な時間が流れる喫茶店があった。サイフォンで淹れるコーヒーはとても旨く、トーストとサラダ・卵も期待以上で、これからの定番のお店にしたくなった。

マスターが渋いダンディな男であることは言うまでもない。

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# by k_hankichi | 2017-10-26 07:20 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち