音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち
昨日の祝宴の名残があって、どうも記憶が蘇らない。

アナ〜タ、イマトコアル、ワタ〜シ、ワッカラナイ

そういう異邦の朝である。

■逸品料理の盛り合わせに、「コレハ満漢全席デスカ」と訊ねてしまい笑われた。
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# by k_hankichi | 2017-07-14 07:12 | 一般 | Trackback | Comments(0)

張家港

大陸を疾走する僕は
どこを目指すのか
楊貴妃の国
果てを知らない

成安で育ったと言う人
も居て
孫悟空の場所かなと
訊ねたくなった

蘇州から来た
と聞けば
夜曲はどうだったか
知りたい

無錫旅情
上海帰りのリル
李香蘭はどうでしたか

訊きたくても
発語を知らぬ
喉が渇く

大陸を疾走する僕は
どこを目指すのか

「張家港」
標識があって
前世で訪れたという既視感
に覆われる

それは玄宗皇帝の幻想

■曾ては一面の草原だったろう。いまは近代都市。
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# by k_hankichi | 2017-07-13 08:31 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
出張の機中で映画『サバイバルファミリー』を観る。2016年、東宝、矢口史晴監督。
http://survivalfamily.jp/

仕事一筋で家庭は全て妻任せの夫・鈴木義之(小日向文世)は、妻(光恵、深津絵里)や息子(賢司、泉澤祐希)娘(結衣、葵わかな) から疎んじられている。

そんな或る日、世の中のエネルギーが一斉にシャットダウンされる事象に遭遇する。電気、ガス、水道。

これらがないと都会生活は成り立たず、一家は東京から祖父が住む鹿児島へ自転車で移動することに。

互いに相手に責任をなすりつける家族。しかしサバイバル活動をしていくうちに目に見えぬ強い絆が、しっかりと作られてゆく。

この境遇に陥ったら僕だったらどのようにしてゆくだろう。徒党を組んで皆を引き連れて生き残りをかけて自然に帰る生活をしていけるだろうか。

現代のすべての家庭に突きつけられた命題かもしれない。
 

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# by k_hankichi | 2017-07-12 08:24 | 映画 | Trackback | Comments(0)

ペリエを飲む朝

出張に発つまえ、何を飲もうかと考えていて、あれやこれや、喧騒のような相剋から逃れたい気持ちになって、それを手に取り飲み干した。

世の中、なにが正しいのか、誰が正しいのかを証明する合戦に陥っているような気がする。

どうこう言い合っていても、世界に生きている皆は、かならず寿命というものがあって、いずれそのうちにこの世からは居なくなる運命にある、ということを忘れてはいやしまいか。

自分が正しければ相手も正しい。彼も正しければ彼女も正しい。

万物、相対的にしか存在しない。改めてそのことをみなで合意したいものだと思う。

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# by k_hankichi | 2017-07-11 08:32 | 社会 | Trackback | Comments(2)
日曜日の新聞の読書欄で歌人の穂村弘さんが薦めていて、思わず買い求めた。穂村さん以外が紹介していたら間違いなく敬遠していただろう。マンガは、コマとコマの移り変わりが苦手だからだ。行間とでも言おうか。

『東のエデン』(杉浦日向子、ちくま文庫)。明治維新後の文明開化に晒される日本の日常を描いたもの。

とても面白く楽しめた。行間を読む必要が無かった。どうしてかそういうふうに出来ている。コマの移り変わりが自然でそこには必然性がある。すーっと心に吸われていく。

小津安二郎の映画はカット割りがしっかりしていて、お能の間合いのように観ているひとに違和感を覚えさせないとされていたが、あの感じに似ていた。

“歴史とは想像することだと、小林秀雄先生がカセットの中でしゃべってましたが、このマンガを見ていると本当にそれを実感する。知識や資料というのは手続きにすぎない。それらをいったんご破算にしてふくらんでいく想像力が。過去へ向かって未来的に先回りするんです。それはほとんど霊的な力で。それが私たちの中にわずかに残留している霊的端末子に働きかける。そうやって私たちは日向子に導かれて、あの時代の空気に鼻先から進入していく。”(赤瀬川原平による巻末解説から)

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# by k_hankichi | 2017-07-10 07:09 | | Trackback | Comments(2)
島尾ミホが書いた『海辺の生と死』(中公文庫)を読んだ。奄美群島の加計呂麻島の風俗や、そこを訪れる旅芸人たちの姿、そして、島尾敏雄を慕ういくつかの手記は素晴らしかった。

この本の序文は島尾敏雄が書いている。そしてまた各篇の冒頭などに入っている挿絵は、息子の島尾伸三が描いていて、それはルドンやビアズリーを彷彿させるタッチだ。文庫本の外カバーの写真も息子によるもの。荒波を乗り越えた一家が総出で作り上げられたものなのだと感慨する。

“それにしても隊長さまは特攻の出撃直前というのにどうしてそんなに落着いていられたのでしょう。物静かな余裕に満ちた様子を、私は驚嘆の想いでみつめるばかりでした。それにくらべて私は悲しみをこんなにもあらわにして泣きくずれてしまって。取り乱してはならないと自分に言いきかせても、このかたはもうすぐ震洋艇もろとも敵の軍艦に体当たりなさるのだ。この声、この手、この身体も火薬とともに砕け散ってしまうのだと思うと、身も世もない悲しみがこみあげてくるのをどうしようもありませんでした。
今だけ、今のこのひとときだけが、私の目と手で確かめる事ができるのだと、私は隊長さまのからだを両手でしっかりと上の方からしごくように抱きしめて行ったのですが、足もとまできて靴の上にうっ伏すと、たまらなくなって泣きくずれてしまいました。
「ミホ、ほんとうに演習なんだよ。さあ、今夜はおそいからお帰りなさい。あしたの朝早く山田に手紙を持たせるからね。こんな所にいないですぐ帰るんですよ。いいね、わかったね、ほんとうにすぐ帰るんですよ」
隊長さまはやさしくあやすように話しながら、泣きじゃくる私を再び立たせました。”(「その夜」から)

『死の棘』とは別世界の愛と死の序章だった。しかしこれを別世界と云ってはならないのかもしれない。この世界があったからこその『死の棘』なのだ。

愛は別の愛を触発し、それは嫉妬をもたらし、そして嫉妬は永遠の愛を求めようとする。島尾夫妻の愛憎は、二人だけの世界に閉じていて、それは醜さとは隔絶している。美に向けて昇華する。

最近、日本の某俳優夫妻が赤裸々に人々に明かし語る愛憎劇あって、連日のワイドショーを賑わしているのだけれど、島尾の世界は比較にならぬほど純粋で全く次元が異なる。

珠玉になるものとならないものの違い、芸術になるものとならないものの違いがここにある。

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# by k_hankichi | 2017-07-09 12:44 | | Trackback | Comments(0)
うだるような暑さのなか、食材を冷やす家電製品がいきなり壊れた。知ったのは今日なのだけれど、家人に言わせれば、具合がわるいことはかねがね伝えてきていたよう。それを僕が取り合っていなかったゆえに今日の突然崩壊に至ったのだと、ようやく分かった。

しかたなしに新しい機器を買い求めに行く。

いまの世の中、5~6社から様々な容量の製品が売られていて目移りするばかり。どれがよいのかとんと見当がつかなく当惑したが家人は違った。

この会社のこれはこうで、こちらはこうなっている。だからこれがよいのだ、とまるでアキハバラデパートで包丁砥ぎ器を売っている販売員のように、相手の心境を把握し心得ている。

馬耳東風の男がこれまで素通りしていたことの反動が一気に出たかのようで、お店の人もその切り口にはタジタジである。なるほどなあと頷き続けざるを得ない。

そこで明かされた最適解に従って、新しい製品を注文し一件落着となる。

まもなく届くそれを待ち遠しく思いながら、週日の疲れに誘われて眠ろうとしている暑い宵だ。

■同じ日に、ついでに買い求めた品物のタグ。フィレンツェでの縫製と説明されて思わず買い求めた仕事用のカバンなのだけれど、やっぱりタスキ肩掛けのタイプを選んでいた。
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# by k_hankichi | 2017-07-08 21:01 | 一般 | Trackback | Comments(4)
ベルンハルト・シュリンクの『階段を下りる女』(原題:Die Frau auf der Treppe、新潮クレストブックス)を読了。そこには無いと分かっていながらも、オーストラリアの美術館に、その絵を眺めに訪れたくなった。

表紙カバーの内折り側に、次のようなライプツィヒ国民新聞(Leipziger Volkszeitung)の書評が載っている。

“彼らの人生において何が実際に可能だったのかは、この機知に富んだ、やさしくてときおり悲しい小説では答えが出ないままだ。この本は「殻にこもった生活」、愛の不思議さ、年老いること、つかむことと手放すこと、回顧と出発について語っている。”

言い得て妙だ。

主人公の男は、曾て愛した女・イレーネのことを想いながら、自分の人生を振り返って次のように述懐する。

“いまでは年を取ってしまったが、それを嘆こうとは思わない。若者にはこれからの人生があるからといって、羨む気持ちもない。もう一度人生をやり直すなんてまっぴらだ。だが、彼らが背負っている過去が短いという点は、羨ましく思う。若ければ、過去をすべて見渡すことができる。振り返るたびにその意味が変わるとしても、過去に意味を与えることができる。いま、自分の過去を振り返ってみると、何が重荷で何が恵みだったのか、そもそも成功に価値があったのか、女性との出会いで何が得られ、何が拒まれたのか、もはやわからなくなってくるのだ。”

男にとっても、女にとっても、人生の黄昏を感じるようになるころ、再びにあらたな意味を掴むことに導いてくれるような作品だった。

それにしても、階段を下りるイレーネの絵を観てみたい。


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# by k_hankichi | 2017-07-07 07:53 | | Trackback | Comments(4)
昨日から出張。晩は行きつけのお店で食事をしながら酒を呑む。

献立も夏の料理に変わっているので戸迷うが、暑いときには豚肉が良いと聞いたことを思い出して角煮を頼む。

口にしてみると何の抵抗もなく肉が解(ほど)け、しかし軟体ではない絶妙の歯触りだ。少量の和辛子との相性は堪らなく、天女の舞というような精神状態となる。

いつものカニグラタンに移る前に、少し野菜を食べたくなり、訊ねてみると今日はサラダの用意が無い。思案にくれていたら「フルーツトマトは如何ですか」と勧められた。

トマトは野菜なのにフルーツと称するのは如何なものかと常々思っていたので、顔には出さないが不機嫌になる。途方に暮れていたら、「美味しいんでございますのよ」と再度後押しがある。

ふーむ、と思いながら承知する。

料理が出てきた。かき氷状にうやうやしく並べられていて大層仰々しい。天然塩まで添えられている。陛下向けの料理の構えだ。なにさまだ。気にくわない。

箸に取って、何だかなあという形相で口に入れてみる。

と、どうしたことか・・・。そこは竜宮城に様変わりした。

豚角煮の天女が舞い戻るとともにサンクトゥスの音楽が優しく囁かれエンジェルがそこかしこにファンファーレを鳴らしている。

なにこれ、わたし知らぬここはどこ。先端で、さすわさされるわそらええわ。

フルーツトマトを見くびっていた自分は途方もない愚か者だった。

暗転。

「フルーツトマトは天女とエンジェルの舞」

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# by k_hankichi | 2017-07-06 08:03 | 食べ物 | Trackback | Comments(4)

韓流ドラマへの憧憬

待ちに待った韓流ドラマが始まる。あの女優を観られると思うだけて心昂る。

彼女が出ている作品は、悲劇であろうとも清く感じられ、自分の周囲の空気まで綺麗になる。

彼女が発する言葉は、柔らかなマシュマロを次々と転がすようで、その音の振動はどんな世界をも美しいものに変える。

『師任堂(サイムダン)、色の日記』(2017年)。

中世の李氏朝鮮時代の女流画家、申 師任堂にまつわるドラマだ。

※サイムダンの肖像は韓国の5万ウォン紙幣にも用いられている。

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# by k_hankichi | 2017-07-05 06:55 | | Trackback | Comments(0)