曇天に渡る河に聴くもの

曇天のもとに渡る河の水面は鏡のようになっていて、その底には竜のような何物かが潜んでいそうにも見えた。

こんな日に聴くのはバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ。少々心身が気だるく重いなか自然に選ぶのは、やはりカール・ズスケによるもの。

何の衒いも無く、ただそこにある、という感じの自然さに満ちていて、最もリラックスして聴いていられるのが好きだ。

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# by k_hankichi | 2017-05-15 08:00 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
夏に備えての買い物をした。買いたいものは一応整えられたのだけれど、現代の家電製品のバラエティーには度肝を抜かれた。

メーカーというものは何社もあるわけだけれど、それぞれが何種類もの製品をラインナップ展開していて、昨年モデル、今年の最新式モデルが目白押しに並べられている。

省エネ度まで念入りに記載されていて親切なのだけれど、数字があると却ってそれにとらわれて思考にバイアスがかかっていく。販売促進員の言葉巧みな誘導にのっているうちに思いもよらずの次元に入り込んでいて、戻れない世界とは、こういうことをいうのだなあ、と思った。

そんななか、昼過ぎに買い求めた木材製品を思い出し、それを家のなかに並べてみて、ようやく安堵した。

シンプルながら美しい佇まい。奇をてらうことのない木工技能師の技に、ただただ吐息をついた。

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# by k_hankichi | 2017-05-14 22:39 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
京滋地方が銅鐸のメッカの一つとは知らなかった。そしてまた、小中学生の頃は銅鐸の用途使途は不明であると教わったことが最早違うことにも驚いた。

いま訪ねてみると、「鐘である」、とはっきりと記されていて、さらにレプリカが吊り下げられ「どうぞご自由に叩いて鳴らして下さい」と、木の棒が備えられている。

なるほど、鐘ですか。しかしこれらの銅鐸は、どれもが山中にしっかりと整えられて埋められていたそう。僕はこれは、夜中に鐘を鳴らす輩が出ぬよう、そして化け物が出ぬように、そうされたのではないかと推察した。

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# by k_hankichi | 2017-05-13 11:38 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)
西に向かう車中で、丸谷さんの『別れの挨拶』(集英社文庫)を読み続けた。そのなかに「幸福の文学」という章があり、それは吉田さんの『酒肴酒』を評したものだった。

曰く、“この本には、うまい料理を食べたりうまい酒を飲んだりするのが幸福だといふことが書いてある。これは日本の文学史上はじめての事件だつた。”

それよりまえの日本の文学では食べ物について、その喜びについて、これほど深く書いたものはなかったというのだ。

“たとへば吉田さんはニュー・ヨークの朝飯屋について、「卵の匂ひがする卵や、バタの匂ひがするバタの朝の食事を出」す、と書く。われわれはもうそれだけでニュー・ヨークの朝飯屋にゐてその卵とバタを味はうやうな気になり、嬉しくなる。また、冬の新潟で食べた料理について、「それから、たらば蟹といふのが、割に大きな甲羅に美しい緑色の臓物が入った蟹が出た。この臓物はうまい。蓴菜を動物質に変へたやうな味がする」と書く。この比喩は完璧で、恐ろしいくらゐ喚起力に富んでゐる。つまり早速この蟹を食べたくなる。”

なるほどなるほど、確かにあの本を読んだとき、すぐさまにその地に出掛けたり、その食べ物を食べたくなったことを思い出した。

ところで、「ニュー・ヨークの卵の匂ひがする卵や、バタの匂ひがするバタ」と聞いて、改めてその正しさを感じた。僕もその地に暮らしていたことがあって、単純な朝のそれらの食べ物の味は、世界のどこよりも旨かった。

ニュー・ヨークのマンハッタンは、酪農王国ニュー・ヨーク州の南東の外れにあり、それら農家の朝採れ品が毎日迅速に運び込まれてくるというカラクリがあるのだけれど、そういうことも吉田さんは知っていたのかもしれない。

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# by k_hankichi | 2017-05-12 08:58 | | Trackback | Comments(2)
アメリカに仕事で訪れるごとに、中華系の開発センター長が連れていってくれたレストランのことを思い出した。それはベトナム料理の店で、その国の食べ物を口にしたのもそれが初めてだった。

生春巻というものを奇妙に思いながら怖々と食し、パクチーの香り高さに面食らった。肉や野菜の南方系の味付けにも陶酔し、青菜というものがこんなに旨いのだとも知ったのもあのころのだった。

ゆっくりと濾してゆくベトナムコーヒーには、もはや眩暈さえ覚えた。

そんな記憶の軌跡があったことも忘れるくらいに、今やベトナム料理はいろいろなところに在り、このゴールデンウィークの拙宅では二回もその料理になったりもした。

青いパパイヤの香るその国をいつか訪ねてみたい。

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# by k_hankichi | 2017-05-11 19:36 | 食べ物 | Trackback | Comments(2)
柔らかなる五月雨のなか、今日もみちのくに向かう。

曇天に似合うのはバッハのオルゲルビュッヒュライン・BWV599-644。出だしの曲がやはり一番好きだけれども、それに続く曲の数々にも自然と寡黙になる。

曇天を突き抜け響け、賛美歌よ。

・599「おいでください、異邦人の救い主」
・601「主キリスト、神のひとり子」
・608「喜びの声をあげて 」
・639「わたしはあなたに呼びかけます」
・・・・・

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# by k_hankichi | 2017-05-10 08:22 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
『みみずくは黄昏に飛びたつ』(川上未映子、村上春樹、新潮社)をようやっと読んだ。

「私」のことも、騎士団長のことも、雨田画家のことも、免色さんのことも、秋川まりえのことも、みみずくは、ずっと見ていたのだと思った。

川上さんは、次のように言っている。

“人はいつだってたくさん死んでいるけれども、本当はすごいことで、その内部で何が起きているかってことは誰も体験したことがないんですね。死んだ人は教えてくれないから。一つ一つの死に、もしかしたらこれだけのことが召喚されていてもおかしくないと。見えないだけで、知らないだけで、人ひとりが死ぬっていうこたはもしかしたからこれだけのことが起きることなのかもしれない。そのようにわたしもまた召喚されているのではないかと思ったときに、この物語が私の中で現実味を帯びてくるんです。”

あの小説は、ひとりひとりが生きている、生きてきた、ということを洞窟の裏側に回って眺めているのだとも感じた。

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# by k_hankichi | 2017-05-09 07:34 | | Trackback | Comments(2)
佐藤正午の新しい小説『月の満ち欠け』(岩波書店)を読了。人は死んでもその魂や記憶は次の世代に繋がっていく、ということを恋愛の中に織り込んで物語っていく作品だった。

子供の頃、絵本「ふしぎなえ」(安野光雅)の世界に虜になっていて、日を置かずに何度も眺めていた。また、母親が使っていた三面鏡の左右の鏡を並行にしてその間に頭を突っ込んで、どこまでも続く自分の顔の行く末をいつまでも見ているのが好きだった。

そういうときに、父母から祖父母、そしてそのまた昔に繋がる系譜のことを想起して、あたまがぽうっとなったりしたのだけれど、その感覚に近いものが、この小説のなかには流れていた。

何度か読み返して、人と人のつながりの不思議さに吐息をつくことになりそうだ。


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# by k_hankichi | 2017-05-08 20:08 | | Trackback | Comments(2)

クレーの絵のこと

丸谷才一の『別れの挨拶』を読みはじめ、始めの章「英国人はなぜ皇太子を小説に書かないか」で、日本人の小説家が採る技法についての次のような一節に拘泥されてしまう。

“たとへば谷崎潤一郎『細雪』の主人公は何かの会社の役員らしいことになつてゐて、そのくせ、一日中、書斎にこもつてばかりゐて、まるで作者その人のやうである。そして吉行淳之介『砂の上の植物群』の主人公が化粧品のセールスマンだといふのは、宿帳に書いた贋の職業としか思へない。つまり日本文学では私小説の筆法がいまだに支配的で、実は主人公の稼業など何であってもかまはないのだ。”

化粧品のセールスマン、という言葉にちょっとヒヤッとした接近感を覚え、あれ?そういう小説だったのかいと、移り気をして丸谷さんの本をほったらかしにしてそちらを読んでしまった。

なるほど、この吉行さんの作品は、主人公がそういう仕事である必然性はどこにもなく、恋愛の極地を描いた時代小説だった。

ここで小説の主人公は、作品の題名でもあるパウル・クレーの絵『砂の上の植物群』のことを描写していて、それを読んでいたら学生時代のたしか最終学年の頃に、東京駅にあった大丸美術館でこの画家の展覧会を観たことを思い出した。

実は、クレーの絵はなかなか僕にとっては苦手で、それは今も続いている。

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# by k_hankichi | 2017-05-07 10:10 | | Trackback | Comments(3)

豊島たづみのこと

同年代の友人と歓談していて、ふとしたことから彼が豊島たづみのファンであることを知った。

豊島たづみ・・・・。学生時代、ひとつ上の先輩から薦められて聴いたことを思い出し、そして買い求めたLPが手元にあることも思い出した。

およそ35年ぶりに針を落としてみる。

けだるさ、アンニュイを伴いながら、しかしその遣る瀬なさをなんとか乗り越えていこうとする一縷の明るさ。

暑い五月の夕暮れに、一筋の涼風が吹き過ぎていった。

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■エヴリデイ・エヴリナイト



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# by k_hankichi | 2017-05-06 20:40 | ポップス | Trackback | Comments(4)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち