池波正太郎の『私の風景』(朝日文芸文庫)を読了。〜池波正太郎自選随筆集③〜とある。
前半は「アサヒグラフ」に連載された画文集「東京の情景」をまとめたもの。昭和60年ごろまでのエッセイらしい。
冒頭から強い印象を受けた。「大川と待乳山聖天宮」。
“私は、この浅草・待乳山聖天宮の山裾に生まれた。(中略)
私の生家は、むろんのことに跡形もないが、大川の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ。
岸壁の左端の水門が山谷堀なのだから私の少年時代の景観からも、すべてが大きく移り変わってしまった。
むかしは、
「葛飾野から国府台の翠巒まで、一望におさめられた・・・」
といわれている。その風色も、私の生まれたころには、まだ色濃く残っていたにちがいない。
「晴れた日に聖天宮さまへ登ると、筑波山も、はっきり見えたよ」
と私の老母はいう。”
翠巒とは何かを知らなかったので調べたら、緑の山の意味だと知る。
僕はその国府台にある小学校を出ているのだけれど、昔は浅草からそこが見えたということに大いに驚いた。