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借りてあった映画のDVDを観た。『サラの鍵』(原題:Elle s'appelait Sarah )。劇場公開のときに見逃してしまい、ようやっと観ることができた。

フランス人が自国民を自らの手でユダヤ人たちを収容所に送りこんだおぞましい歴史のなかで、一家族の女の子・サラが切っ掛けとなって糸のように繋がっていくさま描かれている。

彼女の家にその後住むことになったフランス人家族
生きながらえたサラがアメリカに作った新たな家族

ジャーナリストはサラの系譜や人生を探っていくにつれ、平穏に暮らしていたそれぞれの家族のなかにある秘密が明かされることになる。そのことが明かされていくことの当惑。

秘密にしてきたことを明らかにしたことで、沢山の摩擦が出たりするのだけれど、最終的にはそれでよかったのだということに気付いていく。

家族の系譜というものは、どのような人たちであろうとも、ほんとうに大切なものであり、ひとつとして軽んじられたり素通りしたりできないものなのだと思った。

最後のシーンでは、むせび泣くほどの感動を覚えた。

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by k_hankichi | 2017-06-24 18:43 | 映画 | Trackback | Comments(1)

梅雨の合間の好天に

嵐のような梅雨の合間に、少し薄ぼんやりと一層の霞みが掛かった晴れになった。あと半月か一と月もすれば、ギラギラと照りつける真夏日の連続になるだろうことを想起させる。

そのころには何をしているのだろうかと想像してみるが、やはり真夏でも休みともなれば神保町界隈や有楽町の裏通りあたりを街角探検しているのだと思う。

東京の街はその路地が江戸時代のまま大人になったようなところがあり、だからそれはきっとロンドンのそれに似ているだろうと仮説してみる。日本のそれはしかし鎖国から開国へ、そして関東大震災や非道な爆撃により壊滅された時を越えてのことで、それでも何事もなかったかのように街区が保存されていることにはやはり驚かざるを得ない。

東京の街角の表情は変われども、街区や路地のかたちはかなり原形が保たれていて、だから自然観察紀行としても十分に楽しめるのがこの町の飽きないところだ。

■過日の赤坂界隈からの都心の眺め
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by k_hankichi | 2017-06-23 08:56 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
クラシック音楽家が主人公の韓流ドラマの放映が始まった。『密会』。千葉テレビ・水曜夜7時だ。二年前にBSで放映がされその再放送だそう。

出てくる曲の数々に先ずは聴き惚れる。何気なくピアノ協奏曲『皇帝』のシーンが出てきたり、我流でピアノを弾く青年が見つかってしまって、試し弾きをさせられると、それはバッハの平均律やモーツァルトのピアノソナタ第8番イ短調だったりもする。

もちろん俳優も美男美女だからそれも嬉しい。

毎週の楽しみが増えた。


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by k_hankichi | 2017-06-22 06:03 | テレビ番組 | Trackback | Comments(2)
吉田篤弘の小説を読んでいると、たびたび、「あ、これ同じじゃん、僕と」というようなシーンに出くわす。『空ばかり見ていた』(文春文庫)もそうだった。

連作風の短篇集のなかの「モンローが泊まった部屋」では、次のような部分。

“その無数の名演が刻まれたレコ―ド群の中から彼女が好んで聴いたのは、かならずベートーヴェンの最後のピアノソナタ、第32番のそれも第2楽章のみと決まっていた。(中略)そこで唐突に曲調が一変し、それまで静かにゆっくり一音一音刻むようだったのが、指が鍵盤の上を駆け巡るような速さに転じてしまう。(中略)そうして二分後に再び楽曲が再び静けさを取り戻すと、彼女は水から上がったようなおもむきで、わたしの顔を見直しながら、必ずこう言ったものだ。
「で、なんの話でしたっけ?」”

子供の頃の大切な思い出がふと蘇るような甘酸っぱさが顔を出す、彼の小説のなかに、時折織り込まれる、こういう小話のようなものが、とてもたまらなく好きだ。


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by k_hankichi | 2017-06-21 21:48 | | Trackback | Comments(4)
島尾敏雄の『死の棘』(新潮文庫)を読んでいる。ぞわぞわと心の奥底が揺れうごき、掴まれ捕らわれ、もうすこしで、わななくような案配。

社会生活者が読んで良いものか、当惑しつつ、その世界と登場人物たちの心の襞の合間から染み出てくるほんとうの気持ちに誘惑される。

帰還することが出来るのだろうか。いや帰還できなくともよいのか。

行く先の宛がどこなのかわからぬまま漂う朝だ。

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by k_hankichi | 2017-06-20 08:58 | | Trackback | Comments(5)
借りてあったDVD映画を宵に観た。『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(新藤兼人監督、1975年)。溝口映画といえば『雨月物語』で、畏れ慄きながら纏綿として流れる愛の執念のような雰囲気に没入したことを思い出す。その監督がいかに鋭い視点観点から俳優たちを操り、作品を創り出していったのかがわかった。

とりわけ興味深かったのは、田中絹代、京マチ子、中村雁治郎、浦辺粂子、川口松太郎、若尾文子、木暮実千代、山田五十鈴などによる述懐。

それぞれの俳優が持つ述懐からは、監督が実際にはだれを尊重してきたのかが、如実にわかって、人によっては痛々しいほどの事実が浮かび上がってくる。

1976年(第49回)キネマ旬報ベスト・テン 第1位、監督賞の作品は秀逸だった。

■『山椒大夫』より
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by k_hankichi | 2017-06-19 06:13 | 映画 | Trackback | Comments(0)
この春から、週末と云えば必ず電車や自動車による遠出の外出が入っていて、相当に草臥れていた。この週末は、初めて自宅でゆっくりと過ごした。

耳を傾けたのは、ミカラ・ペトリとキース・ジャレットによる、6つのリコーダー・ソナタ集(BWV1030~1035)。もともとはフラウト・トラヴェルソのために書かれた曲だそうだが、リコーダーで弾かれるそれは古楽器の様を呈していて、その素朴な音色に陶然となる。

ジャズプレイヤーとして名声を欲しいままにしているキース・ジャレットが弾くクラシックも素晴らしい。僕は『平均律クラヴィーア曲集第1巻』以来で、しかも、デュオでの演奏を聴くことは初めてだ。“ジャズセッション”という言葉がある訳だけれど、それを想像して聴き始めたら、全くそれは異なっていて、極めて端正なる佇まいで落ち着いて支えている。

この人には音楽というものの魂が宿っていて、それはカテゴリーに依らずに彼の心のなかに降臨し、その奥底が自然に呼応しているのだと思った。

ライナー・ノーツを読んでいたら、このチェンバリストは次のように語っていて、まさにさっき感じたことと同じで驚いた。

“私たちはどうも価値のある音楽を求めるよりも、言葉によって音楽を語ることに重きを置きがちのようです。確かに私たちは今こうして言葉を使っています。でも、そうした言葉は聴き手に頭で考えさせるためではなく、音楽へと導くために使われるべきなのです。頭で理解しようとすると、人は音楽を聴くことができなくなるものですから。私はバッハの音楽に、不必要なほど緻密な知的考察は加えたくないのです。”

■曲目
J. S. Bach: 6つのリコーダー・ソナタ
・ソナタ ロ短調BWV1030
・ソナタ ト長調BWV1031(原曲:変ホ長調)
・ソナタ ト長調BWV1032(原曲:イ長調)
・ソナタ ハ長調BWV1033
・ソナタ ト短調BWV1034(原曲:ホ短調)
・ソナタ ヘ長調BWV1035(原曲:ホ長調)
■演奏
ミカラ・ぺトリ(ソプラノ・リコーダー、アルト・リコーダー)
キース・ジャレット(チェンバロ)
■録音
1992.2.28, 29, 3.1、キース・ジャレット・ケイヴライト・スタジオ、ニュージャージー
■音盤
BMG BVCC-37649



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by k_hankichi | 2017-06-18 17:57 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
有楽町を訪れると必ず立ち寄る場所がある。交通会館だ。建物のなかのテナントのそれぞれは昭和そのもので、いつしか自分があのころの街を歩いているかのように思えてくる。いや思えてくるのではなく、あの時代に戻っている。

そして1階のピロティに設けられているマルシェ。小さな店があれやこれや並んでいて、そのひとつひとつに引き寄せられる。勧められるままに試食をし、いつのまにかそれを買い求めている。

昭和の魔界のことが堪らなく好きだ。

■味付あさり(このままビール・酒のおつまみにしてしまうか、あるいは炊き込み御飯になるのか・・・)
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by k_hankichi | 2017-06-17 10:05 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
『この国のかたち』(司馬遼太郎)も第三巻に入った。読めば読むほど噛み応えがあり、知らないことばかりであることに唖然とする。もちろんそして感謝するばかりである。

「ドイツへの傾斜」という章では次のようなことに目から鱗が落ちた。

“話の最後に当時の日本陸軍のドイツへの異常な傾斜についての質疑があり、中原さんは以下のように答えている。「当時、陸大を出てドイツに留学していない人は、有力部員、有力課員になっていないのです。だから日独伊同盟を作ったり、大事な時には、総長、次官、大臣、皆ドイツ留学組なんです。」さらに、昭和二十年に日本が破れるまでの十二年間の陸軍省と参謀本部のポストについた人の留学先を調べると、ドイツが一番多かったといわれる。最後に、ドイツを買い被っている人は多かったが、ドイツをよく知っているという人はいなかったというのである。こういう面からみても、日本の近代化時代のドイツ偏重や、陸軍におけるドイツ傾斜というのは、一種の国家病のひとつだったとしかおもえない。”

いまの日本のことを考えた。「ドイツ」を別の国に置き換えただけなのだと思った。

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by k_hankichi | 2017-06-16 00:12 | | Trackback | Comments(0)

ザビエルの見た日本

『この国のかたち 二』(司馬遼太郎、文藝春秋)を読了。1988年から1989年の「文芸春秋」巻頭エッセイだ。

フランシスコ・ザビエルの書簡を集めた本があるそうで、そこには日本のことが次のように書いてあるという。

“・・・・この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士もそうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。”(「ザヴィエル城の息子」より、文中『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(河野純徳訳、平凡社)の引用)

ここにある名誉とは、「清貧」と読み替えてもよいかなと思った。いまの日本の政治経済の世界の情動とは、逆・裏・対偶にあることか。

曾て、そういう国があった、という昔話になっている。


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by k_hankichi | 2017-06-15 00:24 | | Trackback | Comments(3)

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by はんきち