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大切なシーンが蘇る

件の小説『存在の美しい哀しみ』(小池真理子)の最終章は、ウィーンで締めくくられる。この章は、とても素晴らしい仕立てなのだけれど、さらにそれを装飾しているのは、次のような記述である。

“モーツァルトハウスから少し南に下がって行くと、ふいに、美しい石畳の小さな広場が現れた。フランツィスカーナ広場、とある。中央に、煤黒くなった八角形の縁石に守られるようにして、黒い銅像が立っている。その向こうには、淡い水色の小じんまりとした教会がある。(中略)中に一軒、オリーブグリーンの壁の、ごく小さなカフェが見える。「KLEINES CAFE」とある。(中略)それが、『ビフォア・サンライズ』というタイトルの、ウィーンを舞台にした映画に登場した場所であることを思い出したのは・・・”(「ウィーン残照」より)

これまで観た映画のなかでベスト3に入る作品のことが(いや、ベスト1としても良いかもしれない)、ぽっと出てきて、急激に動悸が激しくなった。小説の結末が幸せで終わることを予感させた。

■『Before Sunrise』トレイラー →https://youtu.be/jGvcbSabADM

 

存在の美しい哀しみ (文春文庫)

小池 真理子 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2015-08-31 06:05 | | Trackback | Comments(2)

『モルダウ』の旋律が聞こえてくる小説

スメタナの交響詩『わが祖国』の第2曲「モルダウ」(※)の旋律が聴こえてくる小説を読んだ。『存在の美しい哀しみ』(小池真理子、文春文庫)である。

“プラハには、中世がそっくりそのまま息づいている。さかのぼった時間の中の風景が、街の至るところに変わらずに生きている。彫像、尖塔、三角屋根、ドーム型の屋根、赤い屋根、青い屋根・・・・それらすべてがちまちまと、愛らしく小さく、渾然一体となって立ち並んでいる。そこに近代都市のもつ法則性は一切なく、巨大なもの、のしかかってきそうなもの、威嚇するがごとくそびえ立っているものも、何ひとつない。(中略)
ヴルタヴァ川をはさんで右岸と左岸。右岸に旧市街と新市街、左岸にプラハ城とマラー・ストラナ地区。すべてがわかりやすく、シンプルだ。地図はすぐに頭の中に入ってくる。それなのに、どこに行っても迷路がある。迷宮がある。”(第1章「プラハ逍遥」から)

この国を訪れたことがないけれど、あの深みのある哀愁の旋律が浮かび上がってくるように流れてくれば、いつか必ず訪れたいと思うのだ。

※モルダウは、チェコ語:Vltava ヴルタヴァ、ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau。

存在の美しい哀しみ (文春文庫)

小池 真理子 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2015-08-30 06:25 | | Trackback | Comments(3)

『私の東京地図』(小林信彦)の土地勘

『私の東京地図』(小林信彦、筑摩書房)を読んだ。改めて、このひとの記憶の力と土着的なる土地勘に舌を巻く。

あらゆることをきちんと整然とさせずにはいられない。商店街の店舗の並びまでも詳細に振り返っている。

次のような記載にも声を上げそうになった。

“「出没! アド街ック天国」という番組がテレビ東京に古くからあって、<東日本橋>をとり上げるから見たらどうか、と友人に教えられた。(中略)
まず驚いたのは、私より二つ下ぐらいの司会者が禿げて、ほとんど居眠りをしていることだった。たぶん、興味がないか、地理がわからないのだろう。<東日本橋>篇といいながら、横山町、馬喰町、浅草橋のあたりの店を映しているのに少々呆れた。もっとも、地下鉄の東日本橋駅でおりても、私は生まれた町(東日本橋という名になっている)に、すっと行きつけるとは限らない。むしろ、まごまごすることが多い。これは、1971年に、両国を<東日本橋>という名に変えてしまった役人が悪いのである。”(「橋だけが残った —日本橋」より)

僕も、この番組にはモノ申したいことが何度かあったのだけれど、これだけ痛烈なる言い方はできなかった。ボケた番組、ボケた役人。これくらいの言い方も時には必要かもしれない。

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私の東京地図

小林 信彦 / 筑摩書房

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by k_hankichi | 2015-08-29 09:53 | | Trackback | Comments(2)

『柔らかな犀の角』の柔らかさ

若いころ、東京タワーの下のボウリングセンターに行った帰りに車ですれ違ったのが、確かにこの本の著者だった、と今でも信じている。その時の格好よさといったらなかった。ボルサリーノ帽を斜めにかぶりながら、実に渋い顔つきで運転していた。

その本のことは友人からずいぶん前に聞いて知っていたのだけれど、買い求めることをしていなかった。先週末に立ち寄った古書店の棚で見つけて買い求め、読み始めたら止まらなくなり、みちのくへの道すがらで読了。

『柔らかな犀の角』(山崎努、文春文庫)。

読書量にまず驚いた。そして次に、冴えわたった視点に震えた。俳優業をやっている傍らで、こんなに読み込み、直感的でかつ直截的なる書評を重ねていたとは。嫌味がなく、実に素直な姿勢だ。かといって愚直というわけではなくて、彼自身の人生観にもとづく独自のスタンスでそれぞれの物語を見通している。

読み進めていくだけで、山崎さんが良しとするする本を読みたくて仕方がなくなる。読みながら、ページを繰ることを止めて、ついつい発注をしてしまう。これは麻薬だ。

書評の神様。これからは、そう呼ぼうと思った。

柔らかな犀の角 (文春文庫)

山崎 努 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2015-08-28 07:06 | | Trackback | Comments(3)

吉野弘の「奈々子に」に泣く

件の吉野弘のエッセイ集のなかに、彼の長女と次女について思っていることが書かれていた。そのなかで、長女の誕生の際に創った詩のことが紹介されていた。

ここには、とても深いところから、じわんじわんと湧いてくるものがあって、それはそれは力強く、そして身体がわななくのだった。自分の家のことのようにも思った。

泣いた。

吉野さんという人は、とてつもなく優しい。そしてその底は、この詩のように果てしない。

「奈々子に 」

赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。

自分があるとき
他人があり
世界がある。

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた

苦労は
今は
お前にあげられない。

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。

くらしとことば: 吉野弘エッセイ集 (河出文庫)

吉野 弘 / 河出書房新社

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by k_hankichi | 2015-08-27 06:32 | | Trackback | Comments(2)

青が争う、と想像するこころ

吉野弘のエッセイ集『くらしとことば』(河出文庫)を読んだ。どれもがこころ落ち着く一篇なのだけれど、その理由として、清岡卓行が次のように評していることがわかった。

「戦後詩人たちの中でおそらく最も優しい人格。自分にきびしく、他人に寛大な、どこまでも静かに澄みわたろうとする批評。生命へのほのぼのとした向日的な温かさ」

とてつもなく優しい清岡さんからみてもこうなのだ。

エッセイのなかに、「浄・静」という一篇がある。次のような記述には、深く深く吐息をつくだけだった。

“「青が争う」となぜ「静」なんだろうと思われるかもしれない。確かに「争い」が「静かさ」をつくり出すなんて理屈に合わない。それで私は、青空を仰いでごらんとだけ云いたい。そこには、青が争っていないだろうか。青がひしめきあっていないだろうか。青が渦巻いていないだろうか。そしてそれが、張りつめた静かさとして、空に満ち満ちているのではないだろうか。空の青さは、決して青ペンキをぬった一枚の板ではない。底知れぬ深さをもち、嵐の海のようにひしめきあい、争うことで、あの美しい青さをつくり出している。”

週末にひとつ齢をとったのだけれど、こんな詩のような文章に会えただけでも、年月を重ねるということは素晴らしいものだと思った。

くらしとことば: 吉野弘エッセイ集 (河出文庫)

吉野 弘 / 河出書房新社

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by k_hankichi | 2015-08-26 06:25 | | Trackback | Comments(4)

東京方言のこと

件の『和菓子屋の息子』(小林信彦)のなかに、下町弁について説明している章がある(「下町ことばのゆるやかな消滅」)。そのなかで、日本橋生まれの谷崎潤一郎が次のように言ったという。

“下町弁というのは、久保田万太郎の戯曲の中の会話であり、<滅び行く東京人の弔鐘であるとも云へる。>”

続いて、この久保田文学を引用して、国文学者の池田弥三郎が、下町言葉について四段階の分類をしていることも紹介している。その四段階とは、以下だという。

1. 私(池田)にはほとんど意味がわからないし、同時にそれを(人が)口にのぼせているのを聞いた経験がない語(56語)。
2. 意味はわかるが、聞いた経験が私にはないといった種類の語(34語)。
3. 今(1956年)は聞くこともないが、以前は私の周囲の年長者たちが、口にしていた語(11語)。
4. 私自身も時に使うが、今の若い人は使っていない語(11語)。

4には、<うじゃじゃける>、<とっこにとる(言いがかりのたねにする)>、<とちる>などがあるそうで、小林信彦は、それは今でも使っているそうだ。一方で、小林さんも分からないという1の範疇には、かわだち、こずむ、ざっかけない、などの言葉があるという。僕にもわからない。

このほか、小林さん流に分析すると、彼の祖母や父が使っていた言葉に以下がある、という。

<まっちかく> (真四角)
<まっつぐ> (まっすぐ)
<まっちろ> (真っ白)
<大川> (隅田川)
<下地> (醤油)
<いごく> (動く)
<あすぶ> (遊ぶ)
<めっける> (見つける)
<しゃむせん> (三味線)
<高慢なお子> (生意気な子供)
<えいとうえいとう> (押すな押すな)
<すけない> (少ない)

これはそんなに変形した言葉ではないから分かる。僕の母親は、深川に生まれ育ったので、もちろん、これらの言葉にさらに様々なものを加えて、僕ら兄弟を家庭で牛耳っていた。

そんな僕。最近も、仕事場で次のような言葉を使って話をしていたら、皆から「何・・?」ときょとんとされて、却ってびっくりした。

<おまめさん> (年端もいかぬ妹弟が、兄ちゃんたちの遊びのルールから度外視して仲間にいれてもらう際にそう呼ぶ)
<こまっちゃくれた> (小さいのに大人びた物言いをする子供)
<かたす> (これは皆知っているものの、「片づけるでしょ、日本語おかしい」、と直された)

方言というものは、ほんとうに奥が深い。
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by k_hankichi | 2015-08-25 00:47 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

『和菓子屋の息子』が語る戦前

戦争中の杉並の映画を見終えたところで、そのころの東京・日本橋区米沢町(現在の中央区東日本橋)のことがでている随筆を読んだ。『和菓子屋の息子 ある自伝的試み』(小林信彦、新潮社)。

そのたりが本来、両国と言われたところだということだということも、ようやっと知った。唐辛子などで有名な薬研堀がここにあり、そこと隅田川、そして後の靖国通りを囲む地帯だ。東京の生粋の「下町」の一角であって、その暮らしの日々が描かれている。

それにしても、つぎのような事柄には驚いた。

“下町=<人情共同体>というのは、戦後のマスメディアによって作られたイメージである。その証拠に、古典落語に出てくる長屋の人物はそれぞれに仲が悪い。彼らがまとまるのは、因業な大家に対抗する時だけといってもよいだろう。そこにはある種のリアリティがあったわけです。<人情共同体>というカンチガイが発生した元は、1930、40年代の<大船庶民映画>にあったのではないか、とぼくは推測している。”(「下町には<通俗的な人情>はない」より)

いやはや、下町=人情とは、そういう虚構の夢の話だったのか。

もうすこし小林ワールドを掘り下げてみたくなった。

Google Map 両国薬研堀界隈→https://www.google.co.jp/maps/@35.6933643,139.786707,454m/data=!3m1!1e3

Goo古地図 ここから昭和38年の航空写真に移ることができる。 →http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.47.24.436N35.41.23.848&ZM=11
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by k_hankichi | 2015-08-24 00:45 | | Trackback | Comments(7)

闇に光る盥(たらい)の艶

産湯の盥(たらい)の縁が光っていたことを覚えていると書いていたのは、三島由紀夫だったけれど、夜の闇に盥が浮き出て、艶っぽく光り輝くシーンが、限りなく美しい映画だった。

『この国の空』(監督:荒井晴彦)のことである。

主人公の里子を、二階堂ふみが演じていて、ちょっとたどたどしい台詞が、却って、少女から女に移行していきつつある頃合いの女の揺れ動く気持ちを表していてよかった。

そして、この作品の中で、盥が暗闇のなかに妖艶なるまでに光るとき、この映画は文字通り最高潮に輝いていた。朗読される茨木のり子の詩が、とてもマッチしていた。

「わたしが一番きれいだったとき」 
                茨木 のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

■スタッフ
監督:荒井晴彦
原作:高井有一
詩:茨木のり子
撮影:川上皓市
音楽:下田逸郎
■キャスト
里子:二階堂ふみ
市毛:長谷川博己
里子の母親:工藤夕貴
里子の伯母:富田靖子
■製作 2015年、日本、東映

■映画『この国の空』予告編 →https://youtu.be/0QPj5OGWvnk

 
■This Country's Sky - Japan Cuts 2015 →https://youtu.be/lhMKtcXaBDA

  
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by k_hankichi | 2015-08-23 00:09 | 映画 | Trackback | Comments(0)

『20世紀とは何だったのか』(佐伯啓思)に感嘆する

またまた猛暑。朦朧とするほどの空気のなか、少しでも涼を求めて徘徊する。

そんな折に読んだのは、『20世紀とは何だったのか』(佐伯啓思、PHP文庫)。副題に、西洋の没落とグローバリズムとある。

至るところで感嘆する。例えば次のようにある。

“もう少しおおげさにいえば、この世界に、自己がたしかに安らげると感じる場所がなくなってくる。ハイデガーの言葉を使えば「故郷喪失」です。あるいは、人が場所や大地から切り離されてゆく。確かな場所から切り離されたと感じる人々が、確かなものの代用として、他人の意見や生活を真似し合い、他人に同調することで安心を得ようとする。これがハイデガーのいう「公共性」なのです。ただ他人とおしゃべりをし、流行を追い、新しいものに好奇心を向け、同時にまた世論に同調して、それで自己を表現できたと思ってしまうわけです。日常のなかに頽落するわけですね。”

最近、心悩ます事柄があり、それはまさにこういったことが巡り巡ってもたらしているのかもしれないな、と深く溜め息をついた。

20世紀とは何だったのか (PHP文庫)

佐伯 啓思 / PHP研究所

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by k_hankichi | 2015-08-22 12:47 | | Trackback | Comments(0)


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