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<   2015年 05月 ( 33 )   > この月の画像一覧
『カルメン故郷に帰る』とシューベルト
『カルメン故郷に帰る』(成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演、1951年、松竹、同年キネマ旬報第4位)を借りてきて観た。高峰の演技は、コメディには合わないなあ、と感じながら、無茶苦茶のストーリーでも活き活きとしている彼女を観て、女優魂というものに感じ入った。

劇中音楽は、シューベルトが大半で、この時代にこれだけ聴くことができれば、それはそれで元が取れたといえるかもしれない。

■音楽
ピアノ五重奏曲『ます』第1楽章
交響曲第7番ロ短調D759『未完成』第1楽章
軍隊行進曲・第1番ニ長調
歌曲「野ばら」 作品3の3
歌曲「菩提樹」(『冬の旅』作品89、D911から)
『楽興の時』第3番Op.94-3 D.780-3

■予告編 →https://youtu.be/DehuoPOXpps

■浅間山近くの高原で踊るカルメン →https://youtu.be/jw2lD0DUm2A

  

木下惠介生誕100年 「カルメン故郷に帰る」 [DVD]

松竹

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by k_hankichi | 2015-05-31 08:05 | 映画 | Trackback | Comments(2)
『わたしの渡世日記』を読む
『わたしの渡世日記(上、下)』(高峰秀子、新潮文庫)は、すばらしい自叙伝だった。嫌味や衒いの無い、真正面から書いた文章には、人柄があふれ出てくる。浮いた話の一つや二つも無かったのか、と思えば、次のような文章にも出会う。

“昭和二十一年、東宝争議が分裂して以来、私は東宝から離れたので金指英一とは疎遠になったが、そのころは俳優課長からプロデューサーに転向していた平尾には引き続きなにかと相談にのってもらったり、彼の企画作品に出演したりしていた。私とは二十歳も年齢の違う平尾は、私にとって初めは父親のように頼りがいのある存在だった。そして、ハッと気がついたとき、彼が周到に計画した「色と欲の二筋道」を、私は夢遊病者のように歩きはじめていたのである。”

あまりくどくどとは書いてはいないが、そこだけはちょっとだけ厭世的な雰囲気になっている。成瀬巳喜男の映画『浮雲』の主人公の女が語っているかのよう。

かと思えば、小津安二郎監督との思い出などを描く。

“酒席の小津安二郎は、深川の生まれらしく口調もいなせなべらんめえで、飲めば唄のひとつも出るという陽気な酒だった。「芸術」という言葉を嫌い、親分と呼ばれることを好んだ彼に、あたくしは「キッチリ吉五郎親分」というニックネームを進呈した。
「キッチリ山の吉五郎か・・・。でもねェ、デコ、吉五郎はやっぱり吉五郎の映画を作っていくよ・・・・。だってそうだろ、長年豆腐ばっかり作ってた奴に、とつぜんハンペンやガンモドキ作れったってそうはいかないよ、、俺はやっぱり、豆腐だけつくる・・・」
ふっと盃を置いて食卓に頬杖をつき、意外と真面目な表情で答えた彼に、私はチラと演出家小津安二郎の悩みをみたような気がして黙った。”

高峰の、人を鋭く洞察する審美眼が光る。

この人の出ている映画を、もっともっと観なくては、と思った。

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わたしの渡世日記〈上〉 (新潮文庫)

高峰 秀子 / 新潮社

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わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫)

高峰 秀子 / 新潮社

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by k_hankichi | 2015-05-30 17:58 | | Trackback | Comments(2)
自分に素直になるということとは、どういうことなのか
友人から薦められた『永い言い訳』(西川美和、文藝春秋)を読了した。主人公の作家の男は、周囲に対して自分の心をまっすぐに開けない人間だった。妻に対してであろうとも。

男は、自分自身の真の姿を客観的に見据えていると考え、分析的に何もかも把握している、と思っている。しかし、それでいて、身の回りに起きている哀しい事象に対して妙に冴えてしまっている。普通の人であれば泣き崩れるようなことに対しても、客観的に眺めている。

そんな彼は、ひょんなことから、これまで経験したことの無かったような物事をやらざる得なくなる。そういうことを積み重ねていくうちに、まったく異なる世界が有ること、そして、そこから見える自分と言うものが何かということにも気づいていく。

自分に本当に素直になれたとき、彼は初めて涙を見せることができた。僕も彼の気持ちを分かり、そこに沿うことができた。

しかし、僕自身については、本当の姿が、まだ見えない。

永い言い訳

西川 美和 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2015-05-29 00:24 | | Trackback | Comments(3)
ふたたび、外郎(ういろう)・・小津映画の有馬稲子の面持ち
葛餅は下品な食い物だけれども、あの葛からなる餅に、ネロネロした黒蜜と黄な粉をねびることと、そのあとに醸し出される旨さが、えもいえない。一方で、「ういろう(外郎)」のことが、いつも気になってならなかった。 ※葛餅については以前書いた。→http://hankichi.exblog.jp/17895039/

外郎は、本当にこれほどまでに、旨く無いものなのか?正真正銘の外郎っていうものは、実は目の覚めるほど旨いっていうことになってやしまいか?裏切られているのではないか?いつも気が気ではなかった。

そんななか、

「名古屋のは論外、小田原も駄目だね、じつはね、山口の外郎が一番旨いよ」

ということを囁かれた。

それ以来、山口に行くチャンスは無いかと探った。でも実現できなかった。そんななか、東京の百貨店の地下でこれを見つけた。瞬間的に6本を買い求めた。御堀堂(みほりどう)、山口県の外郎。

家に帰って袋を開け、大切なものなので包丁で、いくつかに切り分けた。ケーキ入刃。

ようやく、憧れの山口県の外郎を味わう。

んん・・・?

う、薄い・・・。物悲しい。このなんとも味気なく薄められた甘味は、なになの?これがひょっとして上品?

いやいや、そんな馬鹿な、ちがうのでは?頭がぐるぐる渦巻く。

黒糖が入っているやつも食べてみる。う・・・、これも薄い。

小津安二郎の映画、『東京暮色』のなかの、有馬稲子の気持ちを、どうしたことか思いだした。

御堀堂の外郎 →http://mihorido.com/html/

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追伸:だれか、旨い外郎というものが、本当にあるのであれば、教えてください。
  
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by k_hankichi | 2015-05-28 00:31 | 食べ物 | Trackback | Comments(5)
「喉がビタッとね」の恐怖…「心がポキッとね」ではない
昨日、タクシーに乗った。運転は老年に近い男のひとで、落ち着いたスピードでゆるゆると走らせる。しばらくすると彼は呟くように話し始めた。

「インドで人がかなり倒れて亡くなりましたね、熱中症で、数百人。」

よくわからなくて、そうなんですか?ニュース?と聞き返す。

「新聞に載っています、この季節、あちらはかなり危ないようで。」

「私もね、20年ぐらい前にね、倒れたんですよ、熱中症で。麦わら帽子を被って畑で草取りをしていたんですよ、二時間くらいやったかなあ、少しフラフラしたかと思ったら、足が動けなくなり、ピタッと喉が貼り付いた感じで息が出来なくなってしまった。」

諭すようにゆっくりと語る。ここは御仏の間なのか。僕は生唾をごくりと飲み込む。

「木の下まで這って行ってそこで倒れていた、水筒まで、あと二、三歩なのに取ることができず数時間、倒れていた。少しだけ動けるようになって、水を飲みました、そして生き返りました。」

「喉がね、喉ちんこがね、ピタッとね、貼り付いたら危ないんです、口からは息は出来なくなる、そしたらね、鼻から息をしなさいと、あとで聞いたら医者が言った。」

運転手のおじさんはゆっくりと、しかし「ピタッ」という言葉を実に冷たく言い放つ。その貼り付くさまが分からない。けれど、「ピタッ」という音は実に怖い。

「水をね、いつも肌身に近いところに置いておくことです。そして喉が乾いていなくても、口のなかを潤す程度に時々舐めるのでもよい、そしたら貼り付くなんてことない。」

お坊さんの語りに、心が更に鎮まりかえる。しかしさらに拍車がかかってくる。

「インドじゃね、道でそのまま動けなくなっちゃうんだろうね、そしてそうやって喉がピタッとね、息ができなくなってしまう、やがて知らずうちに亡くなってしまうんだろうね。」

僕はますます寡黙になる。目的地に着いた。足が真っすぐペットボトルを買い求めに向かい、理由なく喉に注いでいた。暑かったのではない。怖かった。

今朝起きてみて、テレビを見ていたら、今日の日本の気温について報じていた。
 
「喉がビタッとね」の恐怖が倍加した。「心がポキッとね」どころではない。
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by k_hankichi | 2015-05-27 07:35 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
亡き殿の仇を討つシューマンのヴァイオリン協奏曲
ずっと、シューマンのヴァイオリン協奏曲が苦手だった。彼はなかなか決めきれなくて躊躇し続けていたのかと、ずっと思っていた。 ココ→http://hankichi.exblog.jp/18615101/

それがである。演奏が異なるとこうも別世界になるのか、と分かった。こちらの演奏は、「今宵決めに行くぞ、赤穂浪士、討ち入りじゃ!」という感なのだ。第一楽章のことだ。

だから潔い。多少の迷いがあるやつがいても、前進のヴェクトルが出来ているから、シューマンはこう言っている、だから付いてこい、妻子のことは俺に任せろ、亡き殿の仇であるぞ、という感じになる。

そうなると第二楽章は、仇討ちを果たした後の人々の心の裡。なにもかも解き放たれ、これでもうよいのだ、これだあんたらは、為すべきことを果たしたのだ、と伝えている。この主題はシューマン曰く「夢の中で天使が現れ、歌った」とされている。

第三楽章は、交響曲第3番『ライン』の感興。赤穂の安泰の時代の輝かしさを、思いだしている。在りし日の、元禄の太平を安らかに過ごしていたその日々。第一楽章のことを想うことなどなかった時代。お家の断絶のことなど思いもしない。それにしても、この楽章はやっぱり長い。長いことの意味はまだ腑に落ちないのだけれど、討ち入りを終えた男たちにとっては、切腹までの日々は、このように感じられたのかもしれない。
 
■曲目
1. シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 WoO1
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/1704年製ストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティー」)、フライブルク・バロック・オーケストラ、パブロ・エラス=カサド(指揮)
2. シューマン:ピアノ三重奏曲第3番ト短調 op.110 [29:13]
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/1704年製ストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティー」)、ジャン=ギアン・ケラス(チェロ/ジョフレド・カッパ、1696年)、アレクサンドル・メルニコフ(フォルテピアノ/ジャン=バティスト・シュトライヒャー ウィーン1847年、エドヴィン・ボインク・コレクション)
■録音
2014年5月、8月、9月、ベルリン、テルデックス・スタジオ
■音盤
ハルモニア・ムンディ HMC902196
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by k_hankichi | 2015-05-27 07:08 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
牧羊神の像のこと
先週末に、渋谷で映画を観た後、いつものようにCDショップに向かっていた。若い人たちでごった返す道でふと斜め上を見ると、笛を吹く人の銅像があった。愛妻信子に去られ悲しみとともにある国木田独歩が、明治29年に移り住んだ場所だそうだ。その彼らのことに思いを馳せた作品。

「牧羊神の像」
作者:佐藤忠良
場所:西武百貨店B館前

国木田独歩・・・。近代日本文学の古典を、ぼくは読んだことがあっただろうか。わからない。知らない。わからない。

未だ観ぬ、知らぬ世界が沢山ある。たくさんの文学に触れずにある我。その世界は、古代から現在まで、とうとうと流れていて、果てしない。

牧羊神の笛の先からは、細くて哀しい、しかしとても美しい音が、喧噪のなかにいつまでも響いているような気がした。

■『武蔵野』より(抜粋)
 見たまえ、そこに片眼の犬が蹲まっている。この犬の名の通っているかぎりがすなわちこの町外の領分である。
 見たまえ、そこに小さな料理屋がある。泣くのとも笑うのとも分からぬ声を振立ててわめく女の影法師が障子に映っている。外は夕闇がこめて、煙の臭とも土の臭いともわかちがたき香りが淀んでいる。大八車が二台三台と続いて通る、その空車の轍の響が喧しく起こりては絶え、絶えては起こりしている。・・・(中略)・・・
九時十時となると、蝉が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂埃が馬の蹄、車の轍に煽られて虚空に舞い上がる。蝿の群が往来を横ぎって家から家、馬から馬へ飛んであるく。
 それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、どことなく都の空のかなたで汽笛の響がする。

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by k_hankichi | 2015-05-26 00:11 | 美術 | Trackback | Comments(6)
太宰を舐め尽くし、穴が開くほど読む小説『太宰治の辞書』
太宰を舐め尽くし、穴が開くほど読む、ということの凄さに脱帽した。『太宰治の辞書』(北村薫、新潮社)。

僕も学生時代は、太宰治に傾倒し、じぶんが太宰ではないのかと思うほどのものだったのだけれど、北村さんのこの書を読めば、そんなことは何百年も早いのだ、いや、そこには到底到達しないのだ、ということがわかる。

悔しい、口惜しい、ということを通り過ぎて、ただひたすら平身低頭する。

『女生徒』という作品から、ロココ料理という部分を抜き出して、その描写はどこからきているのか、ということをひたすら探究する。太宰のその作品の部分は、以下だ。
“ロココといふ言葉を、こないだ辞書でしらべたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されてゐたので、笑つちやつた。名答である。美しさに、内容なんてあつてたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまつてゐる。だから、私は、ロココが好きだ。”

主人公は、このロココという言葉を引いた辞書は、どの辞書だったのかということを探していく。さまざまな探索のあと、さいごは群馬県の県立図書館まで赴こうとする。

その途中、つぎのようなシーンがある。

“やがて、大きな橋にかかったので、
「これは・・・」
というと、
「大渡橋です」

ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より
直として前橋の町に通ずるならん。

朔太郎の「大渡橋」の冒頭だ。自註にいう。<大渡橋は前橋の北部、利根川の上流に架したり。鉄橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋をわたりて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその尽くる果を知らず。冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり>。朔太郎の書く文の魔力は、註にも満ちている。>”

太宰を探すために、朔太郎や、その他あまたの小説家の事柄も同時並行して紐解く。深くため息が出る。

ここまできたときに、この惣社という街が、新前橋の駅の次にある、群馬総社駅の近隣のことだと、僕は悟った。そこは、僕が中学1年生の時、級友らと古墳を探しに廻った場所。東京から出かけた僕ら4人組の小さな冒険の記憶が蘇った。

にじにじするような渇望をもとに探究する主人公と自分を対比して、がっくりと肩を落としていただけに、僕の軌跡と、ここでちょっとだけ交錯して、それだけは嬉しかった。

太宰治の辞書

北村 薫 / 新潮社

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by k_hankichi | 2015-05-25 06:48 | | Trackback | Comments(5)
「夕映えの中で」を味わう映画・・・『イタリアは呼んでいる』
リヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」の第4曲「夕映えの中で」、が冴える映画だった。『イタリアは呼んでいる』(原題:The Trip to Italy)。→http://www.crest-inter.co.jp/Italy/

全編に亘って、何回かこの曲が挿入され、だから、この映画はこの曲のためにあるのだと思って憚らない。エンドロールもこの曲だ。

作品は、さまざまな俳優の演技を物真似し興じながら旅する男二人の珍道中だ。過去の素晴らしき映画の名シーンの台詞が繰り広げられ、さながら、イギリス版映画漫談。『ハムレット』のなかで、ポローニアウスが骨を片手につぶやくシーンまでもがある。解説を読んだら、イギリスの人気コメディアン、スティーヴ・クーガンとロブ・ブライドンによるものだそう。

コメディアンというのは、それに徹すればするほど、自分の真実から遊離していく。二人の男は、どのような事柄も映画俳優の口調を通して表現していくのだけれど、それは見せかけに過ぎない。

人生の中で、酸いも甘いも沢山を知り、山谷を幾つも越え、そしてイタリアの南の島までやってきた二人は、美しき夕映えを前にしながら、ようやっと、それぞれの自分と対峙していく。

僕も、友とこういう旅をしたくなった。

※挿入される「ものまね」の数々
「ゴッドファーザーPARTII」、「ミニミニ大作戦」、「ダークナイト ライジング」、「バウンティ/愛と反乱の航海」、「甘い生活」、「フランケンシュタイン」、「ローマの休日」、「悪魔をやっつけろ」、「クレイマー、クレイマー」、「ダーティハリー」、「イタリア旅行」、「鳥」、「軽蔑」、「007シリーズ」、「ノッティングヒルの恋人」…。声色で真似られる俳優は、マイケル・ケイン、クリスチャン・ベイル、トム・ハーディ、アンソニー・ホプキンス、ヒュー・グラント、ウディ・アレン、アル・パチーノ、マーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、ハンフリー・ボガート、ダスティン・ホフマン、ロジャー・ムーア…。また、トム・ジョーンズ、アラニス・モリセットなど。
(以上、http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1426582643004/から)

■作品
監督・脚本:マイケル・ウィンターボトム
出演:スティーブ・クーガン・・・スティーブ
ロブ・ブライドン・・・ロブ
ロージー・フェルナー
クレア・キーラン
マルタ・バリオ
ティモシー・リーチ
製作:2014年、イギリス

■「夕映えの中で」 詩:ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ
Wir sind durch Not und Freude
gegangen Hand in Hand;
Vom Wandern ruhen wir
nun überm stillen Land.
私たちは苦しみと喜びとのなかを
手に手を携えて歩んできた
いまさすらいをやめて
静かな土地に憩う

Rings sich die Täler neigen,
Es dunkelt schon die Luft,
zwei Lerchen nur noch steigen
nachträumend in den Duft.
まわりには谷が迫り
もう空はたそがれている
ただ二羽のひばりが霞の中へと
なお夢見ながらのぼってゆく

Tritt her, und laß sie schwirren,
bald ist es Schlafenszeit,
daß wir uns nicht verirren
In dieser Einsamkeit.
こちらへおいで ひばりたちは歌わせておこう
間もなく眠りのときが来る
この孤独の中で
私たちがはぐれてしまうことがないように

O weiter, stiller Friede!
So tief im Abendrot.
Wie sind wir wandermüde
Ist dies etwa der Tod?
おお はるかな 静かな平和よ!
こんなにも深く夕映えに包まれて
私たちはさすらいに疲れた
これが死というものなのだろうか?

■予告編 →https://youtu.be/1nJXfcQKvtk
■イギリスでの予告編 →https://youtu.be/DtlEQ6y8Rp8
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by k_hankichi | 2015-05-24 00:12 | 映画 | Trackback | Comments(5)
「ガム変質事件」の真相
件の『大映テレビの研究』(竹内義和)を読んで、むかし抱えていた謎が、いとも簡単に解けた。あれ、これって何か変だよなあ・・・、とドラマを観ながら思い、弟だけとは顔を見合わせて頭を傾げ、しかしそれより先には聞くに聞けなかったあの瞬間のことを、思い出したのだった。

昭和41年の初頭。日本初のカラー特撮ドラマ『マグマ大使』(ウルトラマンはこれに1週間遅れて始まったそう)の宇宙の帝王ゴアは、それはそれはおっそろしい顔をしていて、毎週、弟は今にも泣きだしそうになっていたが、そのことではなくて、ロケット人間のことである。

ロケット人間とは、アースが生んだ、ロケット能力を持った正義の味方である。ゴアは、毎週、地球に対して怪獣を差し向けるが、江木俊夫が演じるマモル少年が笛を吹くと、ロケット人間の一人であるマグマ大使が飛んできて、怪物たちを毎週やっつける。

ロケット人間には、このほかにモル、ガムという二人が居る。ここで謎だったのがガムのこと。ガムは一番小さくて、マモル少年といつも仲良く遊ぶような、かわいいやつだった。

この本には次のように書いてあった。
“ガム役のタレントは、当時、お稚児さんみたいに可愛かった二宮秀樹。”ガム変質事件”とは、そのガム役の子役がいつの間にか変身してしまった事件の事である。あんなに可愛かったはずのガムが、ある日突然、めちゃくちゃへんな顔の奴に変身していたのである。(この役者は吉田次昭といって、後に高沢順子のダンナさんになった)。背も異様に高くなってるし、顔もどうしようもないくらい変化しているし、声なんかも大人みたいにブッとくなっているのに誰もそれに気がつかないのだ。(中略)マモル青年までが、「やあ、ガム」っていう感じで、今まで通りのガムとして接しているのには、正直いってビックリしてしまった。”何いうてんのや、それ、ガムとちゃうやんか”と、子供心にも、思わずブラウン管に向かってツッコミを入れていた僕だったのだ。”

僕が抱えていた謎については、このようにして晴れた。

しかしこの本の中ではまだ続く。このような、目の前でおかしな物事が起きているのにも関わらず、出演者は誰もが見て見ぬふりをする、そしてそのまま会話が展開していく、というのが大映テレビドラマの基本パターンであるということなのだ。

そして改めて思った。

なるほど、これに倣っているのか。現代の政治というものは。見ている側の皆がおかしいなと思っていても、そんなことは無かったかのように、筋書きを進めていく展開力。そして演技力のある俳優たち。
  
■ガムの歌 →https://youtu.be/_6i9MQ62nJE
■「マグマ大使」 →https://youtu.be/wzHCsGcZqGI
  
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by k_hankichi | 2015-05-23 00:15 | テレビ番組 | Trackback | Comments(6)