音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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週末に観た映画『フローズン・タイム』(原題:Cash Back)のことが、まだ心に残っている。Tokyo MXテレビで放映されていたものを録画してあって、それを何の気なしに観始めたら、魅入ってしまった。タイムマシン物の作品『アバウト・タイム』など、この足もとにも及ばない秀作だった。

ストーリーは、恋人に振られて失意の底にある美大生・男(ベン)の心象風景だ。静かに桜の花が散り舞うように、男の心は沈降し、眠れない夜が続く。そしていつしか時間が制止してしまうほどになってしまう。

そんなとき、男は美しさというものが、瞬間のなかに込められているのだということを知る。スーパーマーケットで夜勤をする仲間、シャロン(エミリア・フォックス)の真の姿を見たからだ。

美しいこと、それは瞬間を切り取ることなのだと知った彼は、それをデッサンに描き続ける。その末に起きたこととは・・・。

この映画は音楽もよい。思考が停止してしまうほどの焦燥の時間は、オルゴールのようなこのような音が聞こえるのかもしれない。そしてまた、恋に落ちた男の脳の中には、ベルリーニの歌劇『ノルマ』から、「清き女神 Casta Diva」が響き渡る。

この曲の美しさに初めて気づくのも、映像のなせる業だと思った。

■スタッフ、キャスト
・監督、脚本:ショーン・エリス
・撮影監督:アンガス・ハドソン
・美術:モーガン・ケネディ
・音楽:ガイ・ファーレイ
・編集スコット・トーマス 、 カルロス・ドメク
・キャスト:
 ベン・ウィリス役・・・ショーン・ビガースタッフ
 シャロン・ピンティ役・・・エミリア・フォックス
 ショーン・ヒギンス役・・・ショーン・エヴァンス
・製作:2008年、英国

■映画トレイラー https://youtu.be/0qypk2iyTqU

■Casta Diva (Norma by Vincenzo Bellini) by Anna Netrebko →https://youtu.be/yiGpm56Bi8s

フローズン・タイム [Blu-ray]

アミューズソフトエンタテインメント

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by k_hankichi | 2015-03-31 00:32 | 映画 | Trackback | Comments(2)
静岡の友からの写真を観れば、桜ははや満開のよう。テレビ報道でも東京の賑やかな様相が伝えられる。

日曜は、そぞろ心が落ち着かず、薄曇りの空を見上げながら、相模の中央を流れる川沿いの桜並木を見に出かける。遠くからでも見えてくる桜の花々。あったあったと理由なく嬉しい。

ああ、これは四分咲きとでも言うのか。満開直前の風情が得も言えぬ。

良く眺めていると、蕾の桜色は赤紫とでもいうのか、とても美しく、それは開花に伴って拡散し、やがて白との間の色に移り変わってゆく。

満開を過ぎれば、赤紫のみなもとは、跡形も消えてしまうのだろう。この儚さが、この世に生きとし生ける者たちの命なのだ。

花とともに散りゆく、その美しさを知る。

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by k_hankichi | 2015-03-30 00:17 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)
現代詩についての講演録、そして論考、評論を収録した松浦寿輝の本を読んだ。『詩の波 詩の岸辺』(五柳叢書)。松浦さんは詩人でもありその感覚は鋭敏。この詩評集は、折に触れ読み返すだろう。

彼は、西脇順三郎のことを特に高く評価していることが分かる。西脇は1894年生まれ。最初に出した詩集は英語によるものだ。その西脇が日本語に目覚めたときの最初の詩集が『Ambarvalia』、出したのは39歳のとき、1933年。第二詩集は53歳のときの『旅人かへらず』。第三詩集が『近代の寓話』、1953年の59歳だ。歳を重ねるほど、ますます新たな語感が生まれ、冴えわたるとする。

その第三詩集のなかにある次の詩のことを、僕も思い出し、なにかまた新鮮な気持ちになった。

『秋』


灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に
麦の穂やバラや菫を入れた
籠にはもうリンゴや栗を入れなければならない
生け垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた


タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行つて
あの黄色い外国製の鉛筆を買つた
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずつた木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ


詩の波 詩の岸辺 (五柳叢書 99)

松浦 寿輝 / 五柳書院

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by k_hankichi | 2015-03-29 10:32 | | Trackback | Comments(4)
朝日新聞で「五味康佑・音楽談義コラム」が始まると知り、その記事をスマホで撮って友人に送った。夏目漱石の連載小説が再掲されるほどだから、こういう気の利いたこともできるのだろう。そう思った。

記事は、これからの連載に向けた気概に満ちていて、出だしはシューベルトにするのか、やはりベートーヴぇンにするのか、はたまたシュトラウスなのか、そんな徒然が文面から匂ってくる。

初回は欄の1/3を使って、オディロン・ルドンのような茶色の祭壇を描いた油絵の写真が掲載されている。五味さんが毎回、音楽に加えて筆者ゆかりのアートシーンが繰り広げられるのだ。

こりゃ来週からたまらんらん、いっくぜ東北♪、という感じだった。

今朝起きて、またその初回記事をよく読もうと新聞のなかを探したが、いくら探しても無い。

スマホのなかにも撮ったはずの新聞記事画像が無い。友人とのLINEの記録にも、友人から貰った桜の写真が最後になっている。喜びいさんで彼に記事の写真を送ったはずなのに。

あるはずのものが無いとかなり焦る。いったいどうしたことなのか。

4月1日はまだ来週だ。
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by k_hankichi | 2015-03-28 09:52 | 夢物語 | Trackback | Comments(0)

みちのくの一撃

みちのくは暖かだった
雲雀でも啼いているのではなかろうか
と思うくらいで
エネルギーが知らず沸いてくる
そんな気がした
 
だから選んでしまったのか
 
そいつは大胆にも二頭の鯨
のように横たわっていた
つまり二枚だ

その下には綺麗な微塵切り
の草原の輝きのキャベツの毛布と
さらにその下の敷き布団は
綿花のように柔らかな銀しゃりだ

しかし油断してはならない
そこにはまだら模様の甘辛の搦め手の
ソースがしなしなと
 
箸ではさんで食べ始めた
ら旨いこれは旨い目玉がぎらぎらとして
次から次に胃袋のなかに納まる
 
食べやすいように一口二口サイズに切ってあります

とは書かれてはいない
だからなのか
いくら箸を運んでも
なかなか減っていかない
あなたは何者

恐るべき三層構造
 
身体中がソースカツになって
前頭葉が溶解しきった
その男は甘いです

帰りの電車のなかで
鯨のように眠ってしまった

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by k_hankichi | 2015-03-27 00:28 | 食べ物 | Trackback | Comments(2)
みちのくに通いはじめて二度目の春になる。空が明るくて、安達太良山の雪が美しく光る。『智恵子抄』では阿多多羅山と表されている山だ。

「阿多多羅山」は、高村光太郎が創った呼び名だという見方があるそうで、美しく透明なる心の智恵子を表そうと濁音を消し、またそれは般若心経に拠るというのだ。

「アれが アたたらやま アの ひかるのが アぶくまがわ」

と詩の冒頭で韻を踏んでいるが、地元では阿武隈川と書いて「オオクマガワ」と読むことを曲げてこのように読んだともある。

なるほどなあ。光太郎の純粋なる気持ちの昇華だなあ。そう感慨した朝だった。
 
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by k_hankichi | 2015-03-26 07:48 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)
ここ数週間、音楽といえばシューベルトばかりを聴いている。それもピアノソナタの第21番ばかりを様々な演奏家によって。ウォークマンは、同じ曲の異なるピアニストの音盤で埋め尽くされていて、自分の持ち物ながらギョッとする。

しかしついに新たな曲を追加した。友人お薦めの弦楽四重奏曲第13番イ短調D804作品29-1『ロザムンデ』。ウィーンコンツェルトハウス弦楽四重奏団による。ウェストミンスター・レガシーシリーズ59枚組に入っていたもの。

ジャケットのイラストは、白と赤の線描が不安げに揺れ動くクァルテットを表していて、いかにも中身の音楽を暗示するよう。

第一楽章はくぐもった響きから始まる。子供や赤ん坊が初めてこれを聴いたら泣き出してしまうのでは、と思うような怖さがある。マイン・ファーター・マイン・ファーター。主旋律は、手を替え品を替え、少しずつ変形したものが繰り出されていく。やがて長調に転じた旋律が現れたりする。短調からいきなり長調に転じるとき、あー神様、と救われたような安堵感に包まれる。

第二楽章は、これまでの様々な困苦辛苦をねぎらい、それはそれで良かったんだよと優しさで包んでくれる。ああ僕はこれで良かったんだね、マイン・ファーター。

第三楽章。マイン・ファーターは過ぎ去りし楽しき思い出を噛み締め、諦観とともに終わる。

最終楽章。どうしたの?ファーター、いきなり陽気になって。そのエネルギーはいったい何かの前兆なの?するとマイン・ファーターは言う。ああ、少しだけ不安はあるんだけど、もう暫くやっていけそうだ。この力は何なんだろうね。君のおかげなのかな、ありがとう。

シューベルト : 弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」/第14番「死と乙女」

ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 / MCAビクター

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by k_hankichi | 2015-03-25 07:49 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(3)
TBSドラマ『流星ワゴン』の最終回は、予想以上に素晴らしかった。香川照之の、籠らせた声色のなかにある情念と、西島秀俊の格好よさ、千住明の流れるような音楽と、場面の転換に現れるサザンオールスターズの主題歌『イヤな事だらけの世の中で』。

父親のチュウさんの子供を想う気持ち、そして子供がそれにようやく気づくとき。そのギャップと時間的な狭間。自分の親や、自分の家人たちとの関係もそういうものなのだ。それを悟ったとき、どうしても涙を拭い去ることができないほどになった。

秀逸なるドラマというものがどのようなものか、良くわかった。

■千住明『流星ワゴン』主題歌→https://youtu.be/zvroNJQ5bj0

■番組第9話&最終話の宣伝→https://youtu.be/kimvNGe-R8A
  
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by k_hankichi | 2015-03-24 00:19 | テレビ番組 | Trackback | Comments(0)
この作家の作品を読んだことがなかったと思う。書店の店頭でふと気になって手に取ったら、彼女は昨年の八月に紫綬褒章を受章し、そのあとすぐに亡くなっている。まさにその直前に纏められたエッセイ集がこの作品で、だからこれは彼女の遺作だった。『少し湿った場所』(稲葉真弓、幻戯書房)。

この人の感性は凄かった。たとえば次。

「冬の光を、衝撃的に美しいと感じたのは、フェリーニの映画「道」の中の一シーンだった。ジェルソミーナが、人買いであり夫であり芸の親分であるザンパノに、人気のない雪の道に捨てられるあのシーン・・・。病んだジェルソミーナの体に、薄い午後の光がさして、それはとても豊かとはいえぬ荒涼とした土地にさす貧しい光であるにもかかわらず、見る者の胸いっぱいに、オペラのアリアのように染み込んでくるのだ。」(「冬の猫」より)

次のように教わることも多い。吉屋さんの著作をさっそく注文してしまうほどだ。

「私は『花物語』などの少女もの以上に、彼女が書いた「男」の話が好きだ。女流文学者賞を受賞した名作「鬼火」には貧しい女を追い詰め自殺させるガス集金人の男が登場するが、この男の卑しい欲望をあぶり出す筆致や、やはり名作(と私は思う)の「鶴」。この作品には、東京九州の火炎地獄から自分を助けてくれた女を裏切る男が登場する。あるいは高原の別荘地を訪れた帰還兵の若者が、別荘の「坊ちゃん」になりすます「生霊」。競輪に凝って、大切な茶碗の売金を使い果たしたあげく気が狂う骨董店の番頭の零落話「茶怨」など。生の道を踏み外していく男たちの、得体のしれぬ衝動と熱を描いたこれらの作品は吉屋信子のもうひとつの魅力となっている。」(「母娘二代の吉屋信子」より)

そして自分と同じ次のような気持ちを持たれていることに、意味なく深く安堵をする。

「そんな経験をしながら、私は台風が好きだ。非日常の衣をまとった大きなものが、空気を引き裂いて近づいてくるときの高揚を、御すことができない。急いで家に帰り、窓から荒れ狂う空や木々を飽かず眺める。テレビの中で砕ける海の波にうっとりとする。そして、翌朝。あの突然の静けさがやってくる。空の青さ、折れた木々の匂いの中にも昨日と違う静けさが満ちていて、まぎれもなくそれは、風に運ばれてくる秋の気配なのだった。」(「台風」より)

この人の著作をもっと訪れてみたい。

少し湿った場所

稲葉真弓 / 幻戯書房

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by k_hankichi | 2015-03-23 00:33 | | Trackback | Comments(3)
『ワン・モア』を読んで、その構成と、切なさの末にほんのり暖めてくれる展開に唸っていた。北上次郎というひとによる解説のなかで、この書は2011年11月に上梓されたことがわかるが、その2年後の連絡長編『蛇行する月』のことも褒めている。

“これは高校の図書部に在籍したヒロインたちのその後の人生を描く連作集で、卒業した年の冬から始まって、その六年後、九年後、十六年後、二十一年後と、六つのパートにわかれて描かれる。ポイントは、高校を卒業して和菓子店に就職し、その年の冬に二十も年上の職人と駆け落ちした順子の視点が最後まで登場しないことだ。(中略)だから、本当に順子は幸せなんだろうかと気になってくる。図書部の仲間たちもそう思うのだが、その感情を読者もまた共有するのだ。この構成こそが『蛇行する月』の最大のキモといっていい。”

こんなことが書かれていれば、すぐに読みたくなって読了。双葉社刊行。構成は6つの章に分かれている。

1984年 清美・・・釧路の高校を卒業後、割烹ホテルの営業社員として働くが、駆け落ちした親友の直子の決断に触発され、うらぶれた生活に別れを告げようとする・・・。

1990年 桃子・・・カーフェリーの乗組員を務めているが、東京で暮らす順子のことを6年ぶりに訪れ、引っ掛かっていたものを捨て去ろうと決心する。「なにもかも、捨て去るときにはできるだけ遠くへ放るしかなかった。ためらいを残すと容易にこの手に戻ってきてしまう。弱さを認めて、それをいいわけにしてしまう。」

1993年 弥生・・・高卒で入った店員の順子とともに夫が駆け落ちし、九年を経たところで、東京の彼らを訪れる。貧しいが子供とともにある幸せそうな暮らしを目の当たりにし、次のように思う。「ここから先は、心を捨ててつくる笑みが必要なのだ。来た道を戻っても、三人の暮らす部分だけが景色から抜けおちているような気がする。」

2000年 美菜恵・・・順子が心を寄せていた高校教諭の谷川のことを、美菜恵もまた好きだった。猛勉強の末、大学に入りおなじ高校教諭になった彼女は、谷口と結婚できることになる。それでも、谷川と順子のことがいつもモヤモヤと頭の中にあった。「子供が大人になるように、ずるさが包容力になり恋が勘違いに姿を変えても、マイナスやプラスを繰り返し最良の答えを探さねばならない。結局は虫食い問題だ。」そして肩の力をふっと抜く。

2005年 静江・・・順子と別れて暮らし始めて21年が経た母。娘のことを頼りたい彼女にすがりたい気持ちを持って東京を訪れる。そこで分かった彼らの生活。貧乏ではありながら、長男は国立大学の工学部で建築を学ぶところまで育つ幸福。「わたしは、おまえになにもしてやれなかったからねぇ」と言ってしまい、(自分は)凡人だ、凡人凡人と母親は心の中で繰り返す。

2009年 直子・・・25年を経て彼女は順子に会う。順子は厳しい状況にありながら、これから先も我が子と世界を見る旅に出ながら生き続けるだろう幸せを選ぶ。直子は釧路湿原に蛇行する黒い川のことを思う。曲がりながら、ひたむきに河口に向かう川は、明日に向かって流れている。

こういう構成の小説だ。なるほど。後ろを振り返ってみても、そこには何もないのかもしれない。この構成に唸った。

蛇行する月

桜木 紫乃 / 双葉社

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by k_hankichi | 2015-03-22 09:43 | | Trackback | Comments(3)