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三つのシューベルト(その1)
東に向かう機内では、シューベルトのピアノソナタばかりを聴いていた。第21番変ロ長調D960を三人のピアニストによる演奏で。まずは第1楽章について。

■スティーヴン・コヴァセヴィッチ(Stephen Kovacevich)
http://www.allmusic.com/artist/stephen-kovacevich-mn0000044967/biography
最も好きな演奏。第1楽章のMolto Moderatoの出だしは、柔らかな筆でそっと撫でるかのようで、思わずドキッとして息をのむ。初めて美しい女性を目の前にしたときのようだ。それはそっと始まる。ほんとうにそっと始まる。しかし、それは懐かしむ思い出が込み上げるかのように速くなり、フォルテッシモのメロディにまで至る。激情とともに音魂が叩きつけられる。ピアニストの唸り声が聴こえる。これは柔と剛のコントラストであり、緩と急のコントラストであり、寡黙と饒舌のコントラストであり、優しさと気難しさのコントラストでもある。しばらくするとまたとても静かな世界に戻っている。目を瞑っているとそこに、あの温厚そうなコヴァセヴィッチが鍵盤に向かっている。ずっとこの世界に浸っていたい。極めてゆったりとこの楽章が終わる。ドキドキとする鼓動がそこに残されていることに気付く。20分6秒かけている。
・収録:2004年
・音盤:EMI Classics 62818

■イェネ・ヤンドー(Jeno Jando)
http://www.naxos.com/person/Jeno_Jando/339.htm
コヴァセヴィッチの次には彼が良い。件の『問題のあるレストラン』の第6話のクライマックスに使われた演奏。冒頭からして素晴らしい弾き方だ。良いなあ。ひとこと、ひとこと、語っているというよりも、ゆっくりと言い聞かせるような、おれはこういう気持ちなんだ、と噛んで含め伝えてくるようだ。伽藍に居るのだ。伽藍のなかで、彼は身振り手振りとともに、僕にずっと語りかけている。ゆったりと、しっかりと。大丈夫だ、君の人生は素晴らしかった。そんな寂しげな顔をしなくてもよいよ、君は何の瑕疵もなく朗々としていたよ。分かっているよ、と返事をしたくなる。弾き上げていく。三分の二を過ぎたころから、ピアニストは感極まって、旋律を口ずさみ歌いながら弾いてしまう。何とも熱い情感が伝わってくる。とにかくこのピアニストは凄い。もっともっと聴きたくなる。もっともっと知りたくなる。彼による第1楽章は、テムポは三人のなかで一番遅く感じるのに17分32秒で弾き上げている。繰り返しのどこかを省略しているのだろうか。
・収録:1991年9月2~7日, Reformed Church, Budapest
・音盤:Naxos 8.550475

■シュ・シャオメイ(Zhu Xiao-Mei)
http://en.zhuxiaomei.com/
どこまでも太く朴訥としたタッチ。ブラインドで聴かされたならば、男のピアニストによる演奏だと思ってしまうだろう。冒頭の第一主題に対比する第二主題は、嵐の前の雷鳴が響くよう。ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』を彷彿させる。速度はあまり大きくは変化しない。弾むようなタッチで朗々と弾き続ける。失くしてしまいそうな自分の情熱・情念を慈しむ、というような響きだ。それにしてもこの人の音の響きは独特だ。一オクターブ離れた倍音がいくつか聴こえるかのような。だから太く聴こえるのだろうか。眼下に見える平らなる雲海のようだ。そういえばこの人の顔はベートーヴェンに似ているなあ。感情の起伏は激しくないが、太く長く終わる。第1楽章は19分27秒かけている。
・収録:2004年(MANDALA音源)
・音盤:Mirare France MIR157

Schubert: Piano Sonata No 21

Schubert / EMI International

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シューベルト:ピアノ・ソナタ第19番, 第21番

ヤンドー / Naxos

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・シュ・シャオメイの音盤→http://books.rakuten.co.jp/rb/12034960/?scid=af_pc_etc&sc2id=248980955

◇出張先のホテル中庭
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by k_hankichi | 2015-02-28 06:32 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
2月最後の衝撃・・・『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』(森本恭正)
この著者のことを知らずに、これまで西洋音楽を聴き続けてきた自分を非常に恥じた。と同時に、目からうろこが落ち、鮮烈な火花が散るなかに身を晒しているような気持ちになった。『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』(森本恭正、光文社新書)。

バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第三番BWV1006」の冒頭を例にとり、西洋音楽はバッハの時代から「後拍(裏拍)」であったと看破する。四分の三拍子の冒頭は休符で始まり、全32楽節中、16楽節で後拍から音楽が始まるという。それに対して、われわれ日本人は、後拍で音楽を聴く感覚がないとする。二の句が継げない。

そしてロマン派音楽について。

「ロマン派の音楽とは何だと思う?一口で言うと」

「私に言わせれば、それは一種の狂気だ。今までの規範、世間の常識では計り知れないもの、人智の遠く及ばないもの、想像を超える程の狂気、そういった事への慄きを表出したものがロマン派の本質だ」

著者はそう自問自答する。僕はと言えば、もはやすべての自分の認識が打ち崩されるかのような衝撃を受ける。

さらに続く。ブラームスのヴァイオリンソナタ第一番ト長調の第一楽章冒頭について。

「これが、Vivace(早く生き生きと)に聴こえましたか?」

Vivace ma no troppo・・・早く生き生きと、しかし甚だしくなく

そのように作曲家は指定しているという。しかし現代の演奏家でそのように弾いている人は皆無に近いそうだ。だれも作曲家の趣旨を理解せずに、たんに曲想を自分の想像するままに歪曲解釈している現実があるという。

“「胸がどきどきして、息苦しく、思わず大きく深呼吸したくなる様な、あの震えるような興奮を、私たちはブラームスの音楽に忘れてきてしまったのではないでしょうか。否、ブラームスだけではありません。現代まで生き残ったクラシックの作品には、恐らく、全てあるのです。信じがたいようなあの興奮が。それらがすっかり忘れられて、クラシックといえば、敬老会の為の音楽のようになってしまった。それは、100%私たち演奏家の責任です。 (中略) 現代の演奏家を見てみたまえ。こうした狂気を見据えて作品に取り組む者が、一体どれだけいるか、心を掻き毟られ、手を震わせながらシューベルトの楽譜を読み、ベートーヴェンのリズムに陶酔し、チャイコフスキーの切実さに体を重ねあうようにして、弾いているものが一体どれだけいるのだ。」”(「第二章 革命と音楽」より)

これまで、西洋音楽を分かった気になって、聴いてきた自分のことが、やっぱり極東の「表泊リズム」でかつ指揮者が居なくとも全体感で動いてしまう民族の一派なのだと痛感した。

西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け (光文社新書)

森本 恭正 / 光文社

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by k_hankichi | 2015-02-27 06:38 | | Trackback | Comments(2)
ロシアンティーのこと
まだまだ寒い朝、東京に向かう車中で、ふと温かい紅茶を飲みたくなった。何というやつだっけ、あの、苺ジャムを入れて溶かしながらの飲み方は。

ブルガリア、いや違うペロポネソス、いやいや、皇帝、ロマノフ、あ、・・・ロシアンティーだ。

思い出したら更に無性に飲みたくなった。

子供の頃は、紅茶と言えば牛乳と砂糖を入れて飲むものと決まっていた(それ以外はあり得なかった)。ハチミツを入れて良いよと、許されたのは、中学校に入ってからのことだ。

それが、大学に入ってから、学生街や友人宅の近くのサ店に入り浸ることが多くなり、様々な飲み方が有ることを知った。

赤坂の裏通りに面した「みわ」という名前のサ店だったのではないかしら。あれが大人の入り口だったのかなあ。そんな思いが込み上げてきた。

どんよりとした、垂れ下がった雲を眺めていたら、それがミルクティーのように見えてきて、そのなかに自分が突っ込んでいって、トンネルを出た先はモスクワになっているような気がした。
 
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by k_hankichi | 2015-02-26 07:03 | 食べ物 | Trackback | Comments(3)
バッハ・ロ短調ミサのシュライアー盤
1980年代のバッハ演奏の規範。旧東ドイツが国を挙げて完成させたドイツ宗教音楽の真髄。そういう宣伝文句があって、思わず買い求めた。

長年、クレンペラー指揮による音盤を聞き続けてきたから、このペーター・シュライアー指揮の爽やかさに、目が覚めた。ルチア・ポップの鮮烈な響きに陶然となり、また、ライプツィヒの楽団の金管の煌びやかさにうっとりする。

なにか、コンテンポラリージャズに触れた時に似た感覚。バッハの曲をずいぶん聞いているのだけれど、新しい演奏に触れるたびに、深く吐息をつく。

■演奏
ペーター・シュライアー 指揮、ライプツィヒ新バッハ・コレギウム・ムジクム、ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:イェルク=ペーター・ヴァイグル)、ルチア・ポップ(ソプラノ)、キャロリン・ワトキンソン(アルト)、エバーハルト・ビュヒナー(テノール)、ジークフリート・ローレンツ(バリトン)、テーオ・アーダム(バス)
■収録:1981年11月 & 1982年2月、ライプツィヒ、パウル=ゲルハルト教会
■音盤:コロムビアCOCO-73054-5

バッハ:ミサ曲ロ短調

エーベルハルト・ビュヒナー / コロムビアミュージックエンタテインメント

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by k_hankichi | 2015-02-25 08:17 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
坂と階段の次は、横丁・・・『東京の100横丁』(矢吹申彦)
坂と階段の本を読んだあとは、横丁についての本を読んだ。『東京の100横丁』(矢吹申彦、フリースタイル刊)。

横丁を礼讃する著者は、ハンドライティングの地図(コメントつき)とともに、その地の風情を書き連ねている。

もはや無くなりつつある下北沢駅前食品市場の横丁から始まり、谷根千、人形町の甘酒横丁、代々木上原の古本横丁、四谷しんみち、西銀座の路地などなど。『週刊金曜日』(株式会社金曜日)に連載されいたものだそうだ。

温かみのある絵地図が添えられたエッセイを読んでいるだけで、またどこかの路地を探訪したくなる。そしてそういう絵地図を描いてみたくなる。

精細なるリアル地図とは全く別物の、自分が感じたままの逍遥を描くエッセイだ。

東京の100横丁

矢吹 申彦 / フリースタイル

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by k_hankichi | 2015-02-24 06:49 | | Trackback | Comments(1)
想い出すこと・・・『幾千の夜、昨日の月』(角田光代)
友人が薦める本は、たいてい読む。全部読み切れない場合もあるのだけれど、とにかく読み始めてみる。『幾千の夜、昨日の月』(角田光代、角川文庫)もそんなもののなかにあった。エッセイである。

“先だって、隣町でめずらしく四時過ぎまで飲み、始発で帰る友だちを駅まで送って、それから歩いて帰った。真っ暗だった空が端のほうから群青色になってきて、やがて空全体が青く染まり、それを眺めて歩いていたら猛烈ななつかしさがこみあげてきて、そのあまりの猛烈さにたじろぐほどだった。ああ、二十代の私はいっつも夜と朝の真ん中をこうして歩いていたなあと思った。そうして二十代に過ごしてきたいくつもの夜を思い出していたら、ずっとひとりだったような気がした。本当は、友だちや恋人もいたはずなのに、思い出されるのは彼らと別れこうしてひとり夜のなかを歩く自分の姿だった。けれどそれはちっともかなしくもさびしくもなくて、すがすがしく堂々とした気分だった。夜はときとして、私たちがひとりであることを思い出させる。”(「かつて私に夜はなかった」より)

この文章を読んで、はじめて、僕にもこういう夜があったということに気付いた。

それは、新大陸の東部にある大学で研究をしているときのことだった。新し物性の評価をしていたときだ。眠りについたあと何故かまんじりともせず、やはりどうしてもやりたい実験のことが気になって、深い夜のなかに学校に向かった。校舎に入ると、だれ一人としていない。しかし自分一人で作業をすることだけはできる。いつしか時間が過ぎる。窓の外を見ると、闇はだんだんと群青の色が増してきて、その青く黒い闇のなかに透徹に浮かぶ街灯が綺麗だった。もうすこしたつと空の端に橙色が入ってきて、それがものすごく美しい。ひとりで夜明けを迎えるそこには、だだただ音のない空間があった。冷たい空気だけが頬に痛かった。

経験があったとしても、人がそれを「確実な何か」として認識することは、多くはない。角田光代が書くものには、そういう力がある。
  
  

幾千の夜、昨日の月 (角川文庫)

角田 光代 / KADOKAWA/角川書店

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by k_hankichi | 2015-02-23 06:34 | | Trackback | Comments(2)
『問題のあるレストラン』のシューベルトに想う
フジテレビの木曜ドラマ『問題のあるレストラン』の第6話の終盤で、シューベルトのピアノソナタ第21番・変ロ長調D960の第1楽章を、3人の女性たちが互いにイヤーフォンを分け合いながら聴くシーンがある。

諦念と深い絶望の淵から、微かな希望を持ち始めている。そこにある心は透き通っていて、美しく暖かい。冷たいかのように見えてもしっかりと温もりがある。そういう感覚に満ちている。

この曲は、グレン・グールドが初めてリヒテルの実演奏に接したときに恍惚状態に陥り、「共存しないはずの特性が融合するのを聴いた」、としたその曲だ。1957年、ロシア。→http://hankichi.exblog.jp/13023249/

僕は、この曲が耳に入ってきたことで、このドラマが狙おうとしていることが、霧の中におぼろげながら浮かび上がってきた。

男が女を見下すことだけでなく、人が他者を見下しその存在価値をないがしろにしているような現実。見下された相手は、抗う術もなく深い悲しみの淵の底に居る。居るままである。そういう事柄が蔓延するこの世の中や考え方に真正面から挑むものなのではないか。そしてこれは、民族が他民族に、国籍が他国籍に、主義主張が他の主義主張に対した時におこなわれていることがらに対しても同様なのだ。

自分だけが正しいものなのだという一方的な見方考え方に、いかに僕らが陥りやすいのか。そしてそのように陥っている自身のことを全く理解できていない。気付くこともなく、日々をこれでよいのだと根拠のない自信をもち、自分だけ、あるいは自陣営の考え方だけを是として生き続ける。自分の論理に合わない人や物事には関心を示さない。その存在をいとも簡単に無視する。そういうことにたいして何の心も動かさない。動かすことなど考えたこともない。

そしてまた、こういった事柄を目の当たりにしたり、あるいはそれが自分の身に降りかかった際、人は仕方のないことだと許容したり逃げたり、真の気持ちを偽ってへらへらとしている。

そのどちらにも、正々堂々と疑義を唱え、真正面から挑む。そういうことがらにしっかりと対峙していくのだということを、このドラマはこれから示そうとしている(と想像する)。

これまで、登場人物の男たちやそれに迎合したり許容してきた女たちが、必要以上に無機質な個性でもって、まるで劇中劇の操り人形のように登場してきた訳は、まさにここにあるのだ。

坂本裕二・脚本のこれからの展開に、ますます目が離せない。

■シューベルト: ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960、内田光子(ピアノ)、1997年5月, 8月録音。 →http://youtu.be/z99zKYAoiQQ

  
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by k_hankichi | 2015-02-22 00:43 | テレビ番組 | Trackback | Comments(8)
シューベルト・ピアノソナタ第21番の意味・・・『問題のあるレストラン』
友人から連絡があり、ようやくシューベルトを聴く時が来たみたいだと伝えられた。テレビドラマ『問題のあるレストラン』(フジテレビ木曜日、脚本:坂本裕二)第6話のクライマックスを観てのことだったという。→http://www.fujitv.co.jp/mondainoaru_restaurant/index.html

ぼくも慌てて録画を観た。そこは明治神宮の森と思しき場所。女性たちはそれぞれが心に傷を負っている。男たちから受けた負の遺産がある。そんな彼女たちがようやく打ち解け始め、互いにその内面を開かせつつあるとき、彼女たちはスマホの左右のイヤフォンを、恋人たちが分かち合うように耳にあてがう。

そして流れ始める。シューベルトのピアノソナタ第21番変ロ長調D960・第1楽章だ。す、すごい。スマホの画面には17分31秒と表示されていた。少し早目のテンポなのだけれど、素晴らしい演奏だ。

「生きててよかったな、生きような」・・・父親の妻に対する暴力的な言動のなかに身を置いて、苦しみ続けてきた娘はつぶやく。

シューベルトの遺作のこの曲を聴き続ける彼女たちのもつ、深い深い心の痛手のことを思いやる。

きゃりーぱみゅぱみゅによる軽快この上ない主題歌とは裏腹の、哀しみに打ちひしがられ闇に向かうごとく、絶望の淵にある女性たちの叫び声が聞こえ始める。

落ち着いて調べてみたら、このドラマ製作スタッフの音楽担当は、僕の中学時代の友人の娘さんで、これには再び驚いた。

■『問題のあるレストラン』主題歌『もんだいガール』→http://youtu.be/1YoPbha65sM

  
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by k_hankichi | 2015-02-21 00:14 | テレビ番組 | Trackback | Comments(8)
70年代末~80年代の記憶・・・『東京物語』(奥田英朗)
考えてみれば此れまで、その時々の時代が舞台の小説をたくさん読んできた。著作した時期が、ほぼその時代と同時期であるとき、それは「いままさにそこに生きている」という感覚を楽しむことが出来る。

一方で、昔のことを回顧して、その時代を舞台に小説が書かれているものももちろんある。昭和初期、戦後にかけての混沌とそこからの再生を描くものや、それから昭和三十年代から四十年代にかけての高度成長の荒波を超えていくいきざまを描くものなど。

しかし、そんななかで昭和50年代~60年代を振り返っての作品には、あまり触れてこなかった気がする。西暦で言うと1970年代末から1980年代についてだ。『東京物語』(奥田英朗、集英社文庫)はそんな小説だった。

まさに、僕が大学に入るころから社会人になって、猛烈に仕事をし始め、そこに没頭していたころのことだ。僕には学生時代の記憶は深いものがあるが、非常に偏った(文学と音楽)ものになっている。一方、社会に出てからは、逆にそれらの記憶がほとんどなく、それだけでなく世の中の情勢やら時代やらの記憶があまりない。つまりそのころ、時代に生きていたのにもかかわらず、その感覚が薄いのだ。

この作品には、そういう記憶の欠落の数々を補っていく、そして再構成し定着させていく作用があった。

“「新入生? 君、小林薫に似てるわね」彼女は久雄を見るなり言った。
小林薫が誰だかわからなかったので久雄は曖昧にうなずいた。
「状況劇場の役者。唐十郎の劇団。知らないの」そう言って白い歯をのぞかせる。彼女がサングラスを外した。
その瞬間、胸がきゅんとなった。切れ長の瞳が久雄の瞼に焼きついた。(「レモン 1979/6/2」より)”

花園神社の紅テントのメンバーだったのか・・・。あそこからほど近い歌舞伎町・ゴールデン街が舞台の映画『深夜食堂』で、小林薫の存在だけが妙に馴染んでいる理由が、ようやっとわかった気がした。

東京物語 (集英社文庫)

奥田 英朗 / 集英社

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by k_hankichi | 2015-02-20 06:49 | | Trackback | Comments(5)
銀座が掘割と川のなかにあったころ
『銀幕の銀座』(川本三郎、中公新書)は、昭和時代の映画をもとに、銀座のかつての佇まいを思い出す本だった。

“昼休みには女性社員たちが屋上でくつろぐ。昭和十年代にもこういう光景が見られたか。屋上からはまだ外濠川も見える。川べりの泰明小学校も。この時代、銀座はまだ「水の東京」の面影を残している。”(「東京の女性」より)

原節子が外車販売のキャリアウーマンとして頑張る映画を紹介する章だ。しかしそれよりも、僕には泰明小学校の北西側に、外濠川が流れるシーンを想像した。あの、有楽町のほうからコリドー街に沿った場所は、かつては明るく拓けた川が流れていた。

児童たちの嬌声が跳ね返る水面。東京の街中にある楽園がそこにあるのだ。

■昭和8年の「日劇」と「泰明小学校」(空から眺めた大東京-數寄屋橋附近、大東京冩眞案内刊[昭和8年]より)。http://www.library.city.chuo.tokyo.jp/bookdetail?23&num=2267998&ctg=1&area=2&areaimage=1
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銀幕の銀座 - 懐かしの風景とスターたち (中公新書)

川本 三郎 / 中央公論新社

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by k_hankichi | 2015-02-19 06:11 | | Trackback | Comments(5)