音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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横浜美術館のホイッスラー展(James Abbott McNeill Whistler、July 11, 1834 – July 17, 1903) をようやっと観た。→→http://www.jm-whistler.jp/
ホイッスラーと言えば、ローワン・ワトキンス主演の映画『ビーン』で出てきた、『ホイッスラーの母の肖像』のことぐらいしか知らなかったのだけれど、素晴しかった。薦めてくれた友人に感謝。

人物画は、『ライム・リジスの小さなバラ』という、くすんだ黒と朱色からなる、少し昏い哀しげな顔の少女が良かった。それから、『人物画黄金と金色のハーモニー:ゴールド・ガール - コニー・ギルクリスト』、そして『アナベル・リー』。美しさは儚さと一緒にあるということが、この画家は心底に良く知っていて、それを伝えたかったのだと思った。

風景画は、青と緑の世界。ターナーやモネが茜色に輝く夕暮れに魅せられた一方で、ホイッスラーはもうすこし夜のしじまに近くなって青と緑、そして灰色が入ってきた夕闇に心をうたれたことが分かった。それは、『ノクターン:ソレント』(1866年)や、そして『ノクターン:青と金色-オールド・バターシー・ブリッジ』(1872-75年)、『ノクターン:青と銀色』(1872-78年)に美しい。

ホイッスラーはターナーからその流れを汲み、夕暮れをモネに繋げた。それが分かった。

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■映画『ビーン』からのホイッスラーのシーン →http://youtu.be/rWqVoaYxgRs

http://youtu.be/zANq9Dusk6Y
 
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by k_hankichi | 2015-01-31 21:39 | 美術 | Trackback | Comments(5)
ユリア・フィッシャーがマーラーのピアノ四重奏を演奏するシーンに出会って、この人の音色を知ったのだけれど、そのつながりでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64が出てきて、その新鮮さにはっとした。

演奏は、チョン・ミョンフン指揮によるフランス放送フィルハーモニー管弦楽団。2014年6月19日の演奏だ。オーケストラは爽やかで流麗。厳かというものではなく、あくまでも健康で溌剌としていて嫌味が無い。若々しいということはこういうことをいうのだと思った。

彼女はピアニストとしても、数々のコンクールで優勝しているという。天は二物を与えず、ということはないのだということを知った。

■ユリア・フィッシャーによるメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
With the Orchestre Philharmonique de Radio France (Myung-Whun Chung conducting)→http://youtu.be/30O9JgRXil4

  
■ユリア・フィッシャーによるグリーグ・ピアノ協奏曲イ短調作品16
With Junge Deutsche Philharmonie, Conductor: Matthias Pintscher→http://youtu.be/N9oTYIvKafs

  
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by k_hankichi | 2015-01-30 06:45 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
原節子が出ている映画『御嬢さん乾杯!』(木下恵介監督)のビデオを借りて観た。→http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/content/filmdetail/12.html

小津安二郎の作品の彼女の演技ばかりを観てきただけに、他の監督の場合はどのようになるのだろうと思ったのだけれど、あにはからんや、原節子は、どの監督のもとでも原節子なのだということを理解した。

まなざしの微妙な移ろい、幾つになっても、すこし恥ずかしげな伏し目。何が美しいのかといえば、気持ちが動く直前に少しだけ視線が揺れ動くその按配だ。

『晩春』の能舞台で父親を見やる場面に昇華される原節子の眼差しは、すでにこのようなコメディ系映画においてでも発現されていて、原節子ファンにとっては見過してはならない大切な作品なのだと思った。

原節子だけがもっているこの眼差し。日本の女優では唯一だろうし、海外でも、『カサブランカ』のイングリッド・バークマンと、『天井桟敷の人々』のアルレッティぐらいではないのだろうか。

<あらすじ(松竹のYoutube webから)>
自動車修理業で成功した圭三に元華族の 令嬢・泰子との縁談がもち上がる。圭三は"提灯に釣鐘だ"として­最初は断わるが、仕方なくお見合いするハメになる。 ところが圭三は泰子に会ったとたん一目惚れ。圭三には雲の上の美女に思われた泰子の方­も結婚を承諾。こうして成金と没落華族のチグハグなやり取りが始まるのだった・・・.

■出演:佐野周二、原節子、佐田啓二、東山千栄子、村瀬幸子
■監督:木下惠介
■製作:松竹、1949年
■受賞歴:1949年キネマ旬報ベストテン6位、第4回毎日映画コンクール女優演技賞

■Youtubeから『御嬢さん乾杯!』 →http://youtu.be/67srbsZx1-A

  

お嬢さん乾杯! [DVD]

松竹ホームビデオ

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by k_hankichi | 2015-01-29 00:13 | 映画 | Trackback | Comments(2)
先週末からマーラーという作曲家の音楽で、まるで病に罹ったかのような状況になっていて、読みかけの小説が、なかなか終わりまで辿りつかなかった。友人の薦めで読んだ『ソロモンの偽証』(宮部みゆき、新潮文庫)は、長大ながら自分たちの若かった時から現在までの、葛藤と欺瞞の素の姿を振り返えさせ気づかせ、内省させる佳作だった。

「事なかれ主義」「他責にすべし主義」「見過ご主義」の蔓延するいまの僕らの世界。小中学生であろうが、大学生であろうが、社会人であろうが、意識しないままに、流されるようにそうしてしまっている。

巻尾の解説で、松山巌が次のように書いている。

“ソロモンとは旧約聖書『サムエル記』『列王紀』に登場する古代イスラエル王国の王で、神から知恵を授かった者とされる。とすればそれほどの権威を持つ者、知恵のある者が嘘をついたという意味になる。作者本人は権威を持つものが嘘をついている意味、つまり学校組織や社会が嘘をいうこと、あるいは最も正しいことをしようとする者が嘘をつくことだと語っている。
 要するに、ソロモンの偽証というタイトルは、一つには、体裁のための事件の真実を当初明らかにしなかった学校にも、思い込みで報道したマスコミにも、果たしてその姿勢は正しかったのかと作者は問いかけているのだ。”

小説の中で、互いに糾弾し合う中学生のみならず、社会人である僕らも、根拠の不確かなまま、安易に他者を糾弾し、自己正当化や保身のために退けていることがあるのだ、ということに気づかせられる。

強いものには抗えず、弱いものには強く対応する。そういうことは、論理的には何の正当性もないことが、ままある。

これは、僕らの公私ともどのもの生活のなかにある、自己防御と排他という状況への警鐘なのだ。

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ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

宮部 みゆき / 新潮社

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ソロモンの偽証: 第I部 事件 下巻 (新潮文庫)

宮部 みゆき / 新潮社

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ソロモンの偽証: 第II部 決意 上巻 (新潮文庫)

宮部 みゆき / 新潮社

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ソロモンの偽証: 第II部 決意 下巻 (新潮文庫)

宮部 みゆき / 新潮社

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ソロモンの偽証: 第III部 法廷 上巻 (新潮文庫)

宮部 みゆき / 新潮社

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ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻 (新潮文庫)

宮部 みゆき / 新潮社

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by k_hankichi | 2015-01-28 00:06 | | Trackback | Comments(4)
ブルックナーのオルガン曲であるとか、宗教音楽集に熱中したときがあった。しかしあのときとは違う何かがここにある。

マーラーに敢えて近づかずに、友人らがそこを享受することを遠巻きに見るだけにしていたのは、今となってはどうしたことだったのかとさえ思う。

そしてちょっと不安になる。マーラー熱というのは、おたふく風邪のようなものだろうか。つまり一度罹患すると免疫がかかって健常の世界がマーラーになるものなのだろうか。あるいは、犬が罹るジステンバーやフィラリアのように死んでしまうものなのだろうか。おたふく風邪であれば嬉しく、それはバッハやペルゴレージも並行して愛することができるからだ。

全集を何年かぶりに取り出して聴きはじめた。この全集を持っていたことさえ、忘れていたのだから、大切な人との大切な思い出さえも、僕は忘れたりおろそかにしているのかもしれないと思って、とても悲しくなった。

ピアノ四重奏曲(断章)イ短調(1876年)は、マーラーが過ごした若い時代と同じく、苦悩に沈む僕らの青年時代を表わしているようで、この厳かななかから、突如として浮き出てくる、つかのまの虚勢にも近い力強さには、まるで自分の心を言い当てられたかのような感がある。

■演奏:Oleg Maisenberg (Pf), Gidon Kremer (Vn), Veronila Hagen(Va), Clemens Hagen (Vc)
■収録:1994/5~6月、Neumarkt
■音盤:Universal 独グラモフォン 00289 477 9054

■写真:山田和樹指揮者。
1月24日のマーラーチクルス後の挨拶の場。誕生日は1月26日だそうで、少し早いお祝いが為された。
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■ピアノ四重奏曲。ジュリア・フィッシャーによる演奏。物凄く秀逸!! (動画が無いのが玉に瑕なのだが、格段に素晴らしい。動画が欲しい場合は、別の演奏家の以下を参照。) →http://youtu.be/JDaXUxudpbA


■ピアノ四重奏曲。ギドン・クレーメルによる演奏。 →http://youtu.be/Zw8y6fU5L2E

 
■ピアノ四重奏曲。Quarto Quartet(ブルガリアのグル-プ)による演奏。 →https://www.youtube.com/watch?v=Jyf64r4KvaI


Gustav Mahler: Complete Edition

Various Artists / Deutsche Grammophon

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by k_hankichi | 2015-01-27 00:34 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

知恵熱にうなされての夢

マーラーをじっくりと聴いたことがこんなことになった。知恵熱とも言える。

交響曲第1番「巨人」の第4楽章と第5楽章(ハンブルグ稿での)は、それぞれ 「座礁」(カロ風の葬送行進曲)、「地獄から」と題されていたのだけれど、それは何とも覚醒させるもので、夜はなかなか寝付けない。しかし寝入ったかとおもえば、うなされる、ということを繰り返した。怖ろしいできごとが夢の中で繰り広げられる。中東での事件も影響をしているのかもしれない。

石像の形をした巨人が、個人を標的にして攻めてくる。彼らは石で出来ているように見えるのだけれども、古式ではない。武器は石つぶてならぬマイクロ核兵器だ。個人を攻めてくる。宗教戦争なのか。ああっと思った瞬間、僕の頭上で爆発する。爆発による電磁波と放射能でボロボロになってしまうのか・・・、と思いきや、兵器の規模は思ったよりも小さくて身体に影響を与えない。あれっ?と攻撃された僕は驚く。

ようやく気付く。爆弾は標的の人間を壊滅させようとしているのではなく、思考回路に影響を与えることを狙っているのだ。恐怖におののく人々、恐怖におののく僕。ひきつづき頭上を、爆弾が音もなく飛んでいく。

人々は藁をもつかむ思いで、飛行艇に乗り込む。艇といっても、渓谷の急流下りで使われているような、船外機(エンジン)が付いた大型ゴムボートだ。僕の乗った艇は、他の人たちの艇と同じに空高くめがけて離陸する。

地表が見えてくる。南国の海岸だ。カンボジアのような風情。現地人たちが、椰子の木陰で悠々自適と暮らしている。ノアノア。ここは天国なのか。なんと安穏として優雅なことか。落ち着いてほっと安堵した。

しばらくして、妙な気配が気になった。のんびりと動く人たちと全く異なるグループが居るのだ。母国から敵の攻撃を逃れ移住してきた人々だった。現地人とは別個に集落を作っている。土地に似つかない大型のコンクリート造りの建物もある。ショッピングセンターもある。どこで建材を集め、いつのまに造ったのだろう。そのなかで人々は、せわしなく動きながら仕事をしているのが遠目で見える。

廻廊を歩み、そのなかに入っていくと、何と自分の会社の同僚たちもそこに居る。本社機能がここに移転したという。驚く僕を横目に、みなはオフィスで至極当然のように働いている。外は南国(天国)。内は或る種の修行。

ここにいてはならない。他の場所に移らなければならない。頭の中で警鐘が鳴る。

しかし巨人がマイクロ核兵器を操るあの国に帰ることはできない。僕は飛行艇の並ぶ空港に車を走らせる。道路にはのろのろと走る大型トラックであるとかリヤカー、人力車などがごちゃごちゃといて、なかなか車を前に進めることができない。このままだとここを離れる艇に間に合わない。

石像の巨人たちが攻め込む東亜の島と、南国の際限のない煉獄と、両方から遠ざかることはできるのか。新天地はこの世にあるのか。あの交響曲の終わりのように、苦悩は繰り返し押し寄せる。

■どう考えても、あの、ワルター指揮、コロムビア交響楽団の石像が夢の中で動いたのだった。
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by k_hankichi | 2015-01-26 06:43 | 夢物語 | Trackback | Comments(4)
山田和樹/日本フィルによるマーラーの交響曲第1番「巨人」を聴く機会があった。1893年ハンブルグ稿で、第2楽章として「花の章」が挿入されたもの。マーラー・ツィクルスと題しての交響曲全曲を通しで振るシリーズの初回だった。すばらしい演奏だった。1月24日(土)、Bunkamuraオーチャードホール。

杜の奥からホルンが小さく柔らかく響いてくるかのように始まる冒頭。ここからして何かが始まる予感がした。それは舞台裏から響いてきたのだけれど、まるで夢うつつのなか寝床で目覚めていくような、ちょっと切ない、そして失われ取り戻せないような懐かしさがある。

そして花の章。僕はこれまでこの音楽を殆ど聴いてこなかった。さざ波のようなものに乗りながらトラムペットが鳴り響く。菅野光亮による組曲「砂の器」の中盤に、これと似た儚さが漂っていたことを思い出す。

第3楽章(ふつうの稿であれば第2楽章)は、とにかく煌びやかだ。このオーケストラの金管は磨かれた真鍮食器のようにきらきらと美しい。

第4楽章、第5楽章までくると、マーラーが、何度も何度も、くどいほどに自分の夢を語りかけてくる、その深く強い想いだけが心に落ちてきた。前の方の楽章の旋律が繰り返し形を変えて現れる。とても重い。切実なまでに、この音階で僕らに新たな抒情を伝えようとした、にじにじとした祈り願うような気持ち。

長い長いこの演奏を聴き終えるころ、学生時代の頃を思い出した。マーラー派、非マーラー派という区分があって、僕はどちらかといえば後者のほうで、この作曲家が苦手だったのだけれど、あのころの自分は頭で分かろうとしていただけなのだ、と思った。

ただひたすらに心を浸し、たゆたうこと。そういうふうにしていなければならない。そういうことに気づいて、それが本当にマーラーを聴く姿勢なのかどうかはわからないけれど、そういうことを感じて、ちょっと愕然とした。

プログラムの解説は、安川智子さんという方が書かれていた。今回のハンブルグ稿では、全2部5楽章として構成されているそうで、初めてこんなことを知った。

第1部『青春の日々より』花・果実・茨
 ・第1楽章「終わりなき春」
 ・第2楽章「花の章」
 ・第3楽章「満帆に風を受けて」
第2部『人間喜劇』
 ・第4楽章「座礁」(カロ風の葬送行進曲)
 ・第5楽章「地獄から」

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■山田和樹による「マーラー・ツィクルス」についてのメッセージ →http://youtu.be/LN5k2HSeW4g

 
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by k_hankichi | 2015-01-25 00:51 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
ドキュメンタリーの映画と知りながら、なにか惹かれるものがあって観にいったら、一瞬も目を離せない、素晴らしく面白い作品だった。『みんなのアムステルダム国立美術館へ』(ウケ・ホーヘンダイク監督)。

場面は、全面改修を始めた美術館の館長らが、難問を突き付けられ右往左往するところから始まる。周辺に住む住民たちが、美術館の中央を貫く道路が新しいエントランスのデザインになると自転車で通ることが自由にできなくなると猛反発したのだ。

サイクリスト協会の“道路を救え”キャンペーンは執拗で、館長らは憎悪に燃え暴言を吐きはじめる。請け負ったスペイン人建築家たちは、意見をまとめることができないオランダ人たちの論議に飽き飽きして嫌気がさす。

これは現実に起きている市民ドラマなのだ。館長は辞任し、次期人事の予想にマスコミがはやし立てる。下馬評が高かった17世紀美術学芸員は選に漏れ落胆するが、新たに全体のコレクション・ディレクターを任され、きらきらと目が輝く。

日本の作品を新たに陳列しようとするアジア美術学芸員は、それらの喧噪から身を避けながら、ただひたすら手に入れた金剛力士像が陳列される日を夢見、魅せられた自分の路を語る。絵画修復士たちの丹念な仕事、ファシリティ管理人が持つ建物の瑕疵を見逃さない目も素晴らしい。

美術館の絵や作品は、あまり映し出されないのだけれど、たくさんの人々に支えられ、改修が行われていったこの美術館。いつか絶対に訪れてみたい。

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■映画トレイラー →http://youtu.be/dCmxg4iA-gM

  
■原語(オランダ語)版トレイラー"Het Nieuwe Rijksmuseum" →http://youtu.be/QFm8RLsQ4ss

  
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by k_hankichi | 2015-01-24 23:10 | 映画 | Trackback | Comments(6)
雨上がりの朝の国道。活気がある。金曜日ゆえだからか。

大型トラックやコンクリートミキサー車が疾走する。あれはどこまで走ってゆくのだろう。

幼少の頃に毎日観ていた、教育テレビの『はたらくおじさん』を思い出した。

タンちゃんと、犬のペロくんが、色々な職業の仕事場を訪問してゆく。「はーたらくおじさん、はーたらくおじさん、どこゆーくーのー」というような歌だったかしらん。

そう思っていたら、僕も、はたらくおじさん、だなあと気づいた。

さーてタンちゃん、ペーロくん、おじさんはどーんなしごとを、してるのかな~。

返ってくる言葉は、「わー、すっごーい」なのか、「あれあれ~、このひと、きむつかしそうだよ、ねータンちゃん」、なのか。

はたらくおじさん、今日も働く。
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by k_hankichi | 2015-01-23 07:32 | 街角・風物 | Trackback | Comments(4)

途切れながら繋がる夢

若人から刺激を受けたからなのかわからないが、語りかけられたり、ふと気づいたりするような夢だった。

処は東京の郊外の住宅地。僕らはとある友人宅に集まりつつある。皆は手に手に掘り出し本だとかお宝CDを持ち寄っている。あーこれ知っている××だよね~、など指摘されると撃沈だ。レア物を自慢する輩たちゆえの悲劇。

撃沈した僕は、近所の住宅の門扉横の石垣に、ふと目を留め既視感に襲われた。こ、これは・・・。

石垣の真ん中に小さな窪みがある。見覚えがある窪みだ。何だったっけ、としばし思考するが分からない。気づくと傍らには小綺麗な婦人が柔らかな笑みを湛えながら僕を見つめている。

また来ましたね。僕に目で合図し、その窪みを指先でそっと押してね、いつかのように、と言う。

押してみる、と彼方からドビュッシーの歌曲が流れ始める。「エリー・アメリンク!」僕の口から思わず言葉が出る。

「そう、エリー・アメリンク。あなたは、これが好きだったんじゃないの、何をとってもこれこそがあなたのお宝なの。」

三十年ほど時が遡り始める。目の前にはインド系アメリカ人が居た。ジュンパ・ラヒリ然とした面持ち。

「あなたの夢は何なの。」

「いま仕事をしながら学んでいるApplied Physicsは、大学院を終えるのにあと一年かかるのだけれど、そのあとは新しいエレクトロニクス製品を世の中に創りだすんだ。10年でも30年でも掛かろうが、創りだすんだ。」

「しかし家庭はどうするの?」

「家庭?だって僕はまだ若いし、しがらみはないよ。」

「なにを言っているの、あなたの後ろにはあんなにたくさん背負っているものがあるのに。」

そこで僕は、いきなり現在に引き戻される。砂嵐のあとのように、若い頃の息吹きと情熱がそこに残されていた。
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by k_hankichi | 2015-01-22 07:50 | 夢物語 | Trackback | Comments(3)