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無錫(むしゃく)慕情

昨晩から中国。無錫(むしゃく)という街は、二昔前は上海から北に暫く行ったところにある農村だったという。

それが工業化の波に乗り、いまや百万都市。巨大なる製造業とともに都市がぐんぐんと発展している。

窓の外は雨。農村の名残の小さな菜園が拓ける長閑さは、背面に迫るビル群にもう少しで呑み込まれそうになっている。

テレサ・テンの歌「何日君再来」が、遠くから聴こえてくるような気がする。
 
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by k_hankichi | 2014-06-30 08:55 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

オンディーヌに想う

水の精、と聞けば、美しく艶かしい誘惑の精なのだと思っていた。

青柳いずみこの「どこまでがドビュッシー?」(岩波の雑誌『図書』連載)が最終回になるところで、ラヴェルの『夜のガスパール』の第一曲「オンディーヌ」について、青柳としての曲の解釈が紹介されていた。以前の著作でも記したそうだ。

ラヴェルはベルトランの詩から想を得ているということで、青柳は、この詩人の女性にたいする思想をきちんと理解して弾かねばならぬ、としている。

反自然主義に派生する反女性主義が底流にある。「女はダンディの敵だ。故に女は唾棄すべきものである」「女は自然だ。即ち、厭うべきものだ」「女は魂を肉体から切離すすべを知らぬ」と、書きしるしたボードレールにラヴェルは心酔した。

だから、ラヴェルの「オンディーヌ」は、お尻をくねくねさせて歩く誘惑のお色気であってはならず、あくまでも冷たく、氷のように冷たく、しかしそのものの美しさ、魔力で聞く者を破滅させるようでなければならないとする。

僕自身は、反自然主義でも反女性主義でもなく、美しい姿や色香には無条件に陶酔してしまう。そのハードルも低く、だからちょっと近寄ってこられたりすれば、理由なく自動的に、とよーんと骨抜きになってワナワナと魔術にかかってしまう。

危険なので、自ら戒め、遠巻きにして生活をしている。河合奈保子をステージの遠くから、眺めてうっとりとしているような具合が安全で良い。

ラヴェルのオンディーヌは、僕の想像していたオンディーヌとは違っている。おっかなくて近寄りがたいそんな水の精。近寄らないほうが良い、という意味だけにおいては、僕の基本姿勢と似ているなあ。

再び『夜のガスパール』をきちんと聴きたくなった。
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by k_hankichi | 2014-06-29 11:03 | | Trackback | Comments(5)

陽のみちのくと陰の相模

みちのくは朝から曇り空ながら、時おり陽の光も射していた。暑いくらいである。ターナーの絵のような雲がぽつんぽつんと浮かんでいて、それぞれが次々に北のほうに流れてゆく。

濃い灰色のものが流れてくると霧雨になり、それはミストみたいなものだから、却って気持ちが良い。そんな雲を何度か見送りながら、午後が過ぎた。

東京に近づくにつれて、空は雲が増し、やがて一面に厚く濃い灰色になった。車窓には雨滴が流れるようになる。列車を降りると肌寒く陰鬱で、人々は足早に駅の通路を往き来する。

さながら北ドイツのような風合いのうすら寒い空気に、思わず身震いし、暖かだったみちのくに想いを馳せる。

頭のなかで梅雨全線が東にゆっくりと移動しながら、それは関東に差し掛かるところで、少し南に弧を描くように下がっていく、その線の先にいるのだなということを感じる。

神奈川に着けば夕闇になりつつあり、哀しみのような侘しさのようなものがそこに漂っていた。
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by k_hankichi | 2014-06-28 18:45 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)
小津安二郎監督の映画がとても好きなのだけれど、それを何十回何百回と観るまではいっていなかった。この著者、末延芳晴はしかしそれを実に普通なこととしてこなしていた。『原節子、号泣す』(集英社新書)は、そんなマニアな人がしるした実に玄人好みする評論だった。紹介してくれた友人に感謝。

映画『晩春』での原節子の号泣シーンについて、次のように書いている。

“かくして原節子は、小津の映画において、いやそれだけでなく、彼女が出演してきたすべての映画を通して、初めてスクリーンのうえで全身的に号泣することになったわけだが、ここで重要なことは、原が、自分が父親から裏切られたからという理由だけでなく、父親が再婚することで、父親との幸福なる対的関係性が永久に失われてしまうことをはっきり自覚し、その喪失の痛みに耐えかねて号泣しているということである。
 これ以上、今ある幸福の関係性が続けば、そこに腐敗の影が忍び寄り、腐臭が立ち昇るというギリギリの瀬戸際で、原節子が号泣し、新たなる幸福の関係性を求めて旅立っていくことで、父親との幸福の関係性は崩壊する。そしてその代償として、残された方(老いたる父や母)は孤独な老後の生とその先にある死を、宿命として受け入れて生きていくしかないという、小津と原節子と笠智衆の間で無言のうちに確認され、共有化された「幸福」をめぐる哲学的思想が、ここに初めて映画を通してのみ明らかにされ得る「真実」として表出されたのである。”(第六章 『晩春』[I]-原節子、初めての号泣 より)

これまで読んだどんな論説よりも、こころにすっと入ってきた。そして、この映画の持つ普遍的で、優しさとさみしさを併せ持った気品というものの本質を知った気がした。

原節子、号泣す (集英社新書)

末延 芳晴 / 集英社

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by k_hankichi | 2014-06-27 00:18 | | Trackback | Comments(5)
ウルトラセブンの映像や音楽(シューマンのピアノ協奏曲)に触発されて、懐かしさがぶり返して思わず買い求めて一気に読んだ。『セブン セブン セブン アンヌ再び・・・』(ひし美ゆり子、小学館文庫)。

読んでみて、ウルトラセブンのドラマのストーリーのことは、ほとんど覚えていないことに気が付いた。しかし、アンヌ隊員の、あどけなさの残る、可憐でいて色香のある美しさとその声色のことだけは、鮮明に覚えている。

だいたいにおいて、アンヌの役柄を、この本を読んで初めて理解した。地球防衛のウルトラ警備隊に所属する医師だったのだ。あの制服に身を包んでいるから、コンバットなのかと思いきや、である。

それにしても、この美貌とスタイルは、小学校の低学年であろうとも参ってしまうことは、この歴史とこの僕の精神の状態が証明している。アンヌという名前がついたものには、延髄反応的に「憧憬」(おとなの女の人はかっこいいという憧憬)の心の炎が揺らめく。この気持ちの根源は、いつになってもどういうメカニズムなのかわかない。

説明のつきようのない憧憬(好きなのだという気持ち)というものが、この世には、ある。そのことだけは、わかる。

セブンセブンセブン―アンヌ再び… (小学館文庫)

ひし美 ゆり子 / 小学館

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by k_hankichi | 2014-06-26 00:20 | | Trackback | Comments(0)
白石一文の小説『神秘』(毎日新聞社)を読了。寸暇を惜しんで読んだ、という感じだ。

子供たちも独立し妻とは離婚していた53歳の菊池は、ある日、末期の膵臓がんに冒されていることがわかる。余命をどう送っていくのか?彼はすぐさまに行動に移した。失われそうになっていた、ある記憶の由縁を追い求めて。

著者の世の中の見方に、いつもながらひとつひとつ感銘する。今回はそれがさらに極まっていて、箴言のようなものごとに度々引込まれる。

たとえば「輪廻転生」という章から。

“時間は卵のようなものなのだった。私たちが日々、瞬間瞬間に持たされているものは、喜びにしろ憎しみにしろ、それそのものではなくて、それらの卵なのだ。誰かを好きになるというのは、その誰かのことをこれからさらに好きになっていくだろうという期待や予想を信ずることであって、本当にその好きなわけではない。誰かが憎いと思うのは、その誰かをさらに憎いと思うようになるだろうという危惧や予想を信ずることであって、本当にその人のことが憎いわけではない。(中略)愛や憎悪の本体を私たちは実のところ永遠に知ることができない。私たちに与えられるのは、ただ、そういうものが確実にあり、あり続けるのだろうという予測に過ぎない。”

いまこの世に生きていること自体のなかにも輪廻の連続が隠されている、というか、すべてがその連続なのだということを知る。

神秘

白石 一文 / 毎日新聞社

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by k_hankichi | 2014-06-25 07:32 | | Trackback | Comments(4)
こりゃベートーヴェンのピアノソナタ・・・。そういう感銘ともに楽しんでいる。ブラームスのピアノソナタ全集。アナトール・ウゴルスキによる。

リヒテルの演奏も聴いていたはずなのに僕の記憶には薄く、ウゴルスキによる演奏で、びっくりするやら、ため息がつくやらで、嬉しい悲鳴である。

ブラームスの作品1がビアピアノソナタ第1番だとは、不覚にも全く知らず、しかし若くしてこの味わいを醸し出すことができた作曲家に脱帽した。

ブラームス : ピアノ・ソナタ第1番ハ長調

ウゴルスキ(アナトール) / ポリドール

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by k_hankichi | 2014-06-24 07:39 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
梅雨なのだけれど、オレンジの薔薇を玄関に飾っている。

蕾だったものがこの夏至に花開き、いまや大輪の花弁から放たれるエネルギーはすさまじい。パレオという日本が生み出した品種。和の精神とゴッホの色彩との融合だ。

この花のこの色の花言葉は、「無邪気」「爽やか」「信頼」「元気を出して」だそうだ。再び雨が続くようになったこの週末に、活き活きとした力を与えてくれる。

どんなに鬱屈しそうになっても、へこたれず、前を向いて進んでいく。直球で、素直な気持ち。

一方で、昨晩から読み始めた或る小説のなかから、それと対照的に、自分の心のなかに滓のように沈降させていく祈りのようなものが響きつづけている。

ふたつのことが呼応する。

僕の未来、僕の希求、僕のアンガージュマン。
僕の過去、僕の諦観、僕の内省。

どちらも大切なのだ。

■満開の薔薇
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■内包の薔薇
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by k_hankichi | 2014-06-23 06:36 | 一般 | Trackback | Comments(2)
ウルトラセブンといえば、アンヌ隊員「ひし美ゆり子」であるのだけれど、美しい人が、もう一人いた。第37話に出演した、吉田 ゆり(のちの香野 百合子)である。彼女は、マゼラン星人マヤを演じる(Wikipediaから、転記したものを、下にも記載しておく)。

この放送回は、ウルトラ怪獣が出てこない。出てこないのだけれど、ウルトラセブンの作品としては傑作である。それは、宇宙に生きる悲哀というものが、ひしひしと伝わってくるものだからだ。

BGMとして、「「哀惜のバラード(他人の星) M49A」が流れる。ウルトラセブンのなかでも、珠玉のメロディだ。そこにシュールレアリズム的な映像が加わる。小学生の僕は引き込まれ、広く大きな宇宙の中にぼくらそれぞれは、かろうじて、奇跡のように生きているのだ、さみしいけれども、それがいきることなのだ、というようなことを感じたのだった。

<マゼラン星人マヤ>
第37話「盗まれたウルトラ・アイ」に登場。
身長:1.6メートル
体重:40キログラム
地球を「狂った星」と蔑み、侵略する価値すらないと語っていたマゼラン星の少女。人間と変わらない容姿だが、テレパシーで相手との意思疎通ができる。マゼラン星が放った恒星間弾道弾を地球に着弾させるために邪魔なセブン(ダン)からウルトラ・アイを盗むのが任務。任務を果たし、拠点のアングラバーから「ムカエハマダカ」と無電を送り続けるが返事はなく、自分が最初から母星に見捨てられていたことを知り、無言でダンにウルトラ・アイを返した後に、ジュークボックスの番号を「J7」と押し、謎の煙に包まれて自ら命を絶つ。
出演:吉田ゆり
恒星間弾道弾:マゼラン星が「狂った星」地球を破壊するために発射する超大型弾道ミサイル(厳密には巡航ミサイルに近い)。通常の円盤以上に巨大かつ強固で、地球防衛軍の要衝たる宇宙ステーションV2を体当たりで完全破壊して突破、ウルトラホーク1号・2号の集中砲撃をまったく受けつけない。しかし、セブンが内部に突入、機器を操作して間一髪のところで反転させることに成功。弾道弾は宇宙の彼方へ飛び去っていく。

■香野 百合子→http://www.haiyuza.net/%E4%BF%B3%E5%84%AA%E5%BA%A7%E9%80%A3%E5%90%8D/%E6%BC%94%E6%8A%80%E9%83%A8-%E5%A5%B3%E6%80%A7/%E9%A6%99%E9%87%8E%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90/

■「盗まれたウルトラアイ(他人の星)」 →http://youtu.be/2mwl5kYwFTg


■「哀惜のバラード(他人の星) M49A」 →http://youtu.be/FlZtfarEmAI

  
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by k_hankichi | 2014-06-22 00:23 | ポップス | Trackback | Comments(2)
心身が疲労することを重ねたあとの週末は、けだるく時間が過ぎてゆく。何の気なしに、昔のテレビドラマの動画をつらつら眺めているうちに、気持ちは一気に遡り、しぜんと身体が癒されていった。

『忍者部隊月光』である。

何と言っても恰好が良いのは、手信号での合図である。僕の幼稚園、小学校の低学年時代は、外遊びは「忍者部隊下月光ごっこ」で始まり、それに終わった。

彼らは、革ジャンパーに網で覆ったヘルメットで、背中には日本刀を背負った、動きやすい忍者的なコスチュームが入り込んでいる。銃は最後に使うものとし、刀と手裏剣、つまり忍者道具を主に使用して戦う。飛び跳ね、蹴り、転がり、斬る。

そして、子供心にも、打ち震えたのは、「三日月」(森槙子)の艶めかしい声としぐさ。おとなの女の人というもののなかには、秘められた何かがある、と理屈を超えて悟っていた。

時代は東京オリンピックを迎え、それを経て、ますます成長していた。勧善懲悪の忍者部隊は、世界を相手に戦っていた。

※今回ちょっと調べていて、第18話で月影(渚健二)が爆死してしまったのは、プライベートで目に余るほどに三日月(森槙子)と付き合っていたことが原因だということを知った。そしてその三日月は、劇中突然にロンドン支局に飛ばされてしまい(第33話)、それ以降、俳優としてもTVや銀幕から姿を消してしまったという。なんとミステリアスなでき事なのか。

■放送:フジテレビ
■制作:国際放映
■出演
 月光~水木襄
 月輪~石川竜二
 名月~山口暁
 月影~渚健二(第1 - 18話)
 三日月~森槙子(第1 - 33話)
 新月~浅沼創一(第19 - 51話)
 半月~小島康則(第23 - 104話)
 銀月~加川淳子(第33 - 104、118、126 - 130話)
■主題歌
  作曲~渡辺宙明
  作詞~山上路夫
  歌~デューク・エイセス
■放映:1964年1月3日 - 1966年10月2日(全130話)

■番組オープニング →http://youtu.be/xuZEOM69YoY


■銀月の交代の場面 →http://youtu.be/YfucjxJcuag

  
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by k_hankichi | 2014-06-21 19:09 | テレビ番組 | Trackback | Comments(2)

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