音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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今月の朝日新聞の「文芸時評」では、松浦寿輝が「歪んだ異世界」と題して、いくつかの文芸作品を取り上げていた(12月25日)。なかでも“縦横無尽の想像力 爽快”としていたのが、筒井康隆の最新作『ペニスに命中』。次のように論評している。

“認知症の徘徊老人らしい「わし」の主観世界を、だだ漏れ状態になった妄想言語の氾濫で描いた傑作である。何もかもことごとくデタラメで、題名自体、本文とは何の関係もない。このナンセンスの疾走感は近年の筒井作品の中でも出色で、往年の彼の作品で縦横無尽に飛び跳ねていたスラップスティック感覚が、数段パワーアップして還ってきた感がある。

何よりもすばらしいのは、知覚も言語も歪みに歪んだ老人の心理と行為の暴走が、客観的現実によって矯正され抑圧されるどころか、逆に現実の方を徹底的に手玉に取っている爽快感だ。無意味が意味を蹂躙し、狂気が理性を足もとにひれ伏させてしまう。日本の文人は歳をとるほどに円熟して枯淡の境地に至ったりするものだが、筒井康隆はただ一人、尽きせぬパワーで何もかもを蹴散らかし、徹頭徹尾、デタラメと馬鹿々々しさを追及しつづけている。現代文学の一大奇観であろう。”

「新潮」1月号に掲載されたものだということで、思わず書店に走って、この雑誌を買い求めてしまった。二段組みの割り付けで、16ページほどの短編。さきほど読了。愉快痛快だった。枯淡と円熟の老境、というものから遊離した異次元の世界。想い入れや思い遣りということがらとはかけ離れた世界観。見にするもの触れるものに延髄反射的に対応してゆく直情性。

認知症という設定らしいが、まったくもってそのようなことはなく、逆にそういう症状であることを利用して立ち振る舞う巧妙なる老獪さ。幼稚になるということと相反した精神がここにある。結末までもが痛快で、罵詈雑言というものを、これほどまでに嫌味なく、透明なる言語感覚で言い放てる才能にびっくりした。

さて、文芸誌を一冊買うと、持て余し状態になるのが常なのだけれど、今回もそんな気配がする。そんななか、大澤信亮による連載『小林秀雄』は良かった。第七回ということで、こんな連載があったことを知らなかったことを悔いた。しかしこの回だけでも非常に愉快な気分にさせてくれた。

ちょうど、小林秀雄が、同棲中であった長谷川泰子のもとを離れ、そのまま行方不明になった事件のことが記されている。1928年5月28日のことである。小林の失踪は翌29日の読売新聞朝刊に「モガに魅いられ文学士謎の家出」と題された記事になったという。

“自殺の虞れがあると学友達は捜索願を出した 小林文学士は一高を経て東大文科に入り文科を今春卒業し翻訳や創作に耽ってゐたが在学当時から女優と称する長谷川やす子(25)と内縁関係を結び実家を飛出して府下中野に同棲してゐたが最近ヒステリツクなやす子の我儘に悩まされて円満を欠いてゐたといふから家でもこれらの煩悶の結果といはれてゐる。”

そんな小林は、大阪から京都、奈良と転々としている。大阪の天王寺谷町にある妙光寺に居候していたときに妹に出した手紙も紹介されている。

“僕はとうとう逃げ出した、気まぐれでもなんでもない、如何にも仕様がないのだ、僕が今迄にどの位ひどい苦しみ方をして来たか幕を通して彼方のものを見る程度にはお前にも解つてゐる筈である、僕は実際出来るだけの事をした、馬鹿しい苦しみだ、あゝ今度で終つて欲しいものだ、
ここはお寺です、日蓮宗の立派なお寺だ。僕はまるで牢屋から逃げてきた囚人の様に広い縁側に蹲つてぽかんとしてゐる。池を蛇が器用に泳いで行く。
若し俺は悪い事をしたのなら神様が俺を悪い様にしてくれるだらう、若し俺に罪はないのなら、いゝ様にしてくれるだらう。兎に角俺は恐ろしく疲れた、春の陽というものはこんな色をしてたつけなあと眺めてゐる。”

そんな状態のなか、小林がただ一人連絡を取り合っていたのが河上徹太郎。この評論では、小林が67歳のとき河上の全集の発刊に寄せた文章も紹介している。関西の放浪の旅のあとしばらくして住んだ鎌倉の家で、フランクの交響曲を聴いていたときのことだ。

“聞いているうちに、私はだんだん気持ちが悪くなって来た。頭痛がして来たが、ニ短調の第一楽章が終ると、私は庭に、したたかに吐き、レコードを止め、横になり、茫然として眼をつぶった。”

この連載の著者によると、河上は、フランクを虚無、孤独、自意識、不毛といった言葉で論じたそう。<いうべきことしか決していわない> というフランクの姿勢を憧憬していた。これは彼の小林への魅かれ方に似ているとしていて、すると小林のフランクに対する嫌悪は、一種の自己嫌悪ということになるのだろうか、という。

思わず僕も、フランクの交響曲を聴いてみた。バーンスタイン/フランス国立管弦楽団盤だ。小林のような感覚は生まれない。そこは、柔らかな陽射しが居間に注いでいるだけで、苛立ちも嫌悪も生じない。この演奏の指揮者が大胆茫洋な人だからかしらん、と頭をかしげた。

年末も大晦日。こんな読書と音楽で、来年は厳しくなりそうな自分の仕事と生活を思い遣る。つかの間の昼下がりに突入していくいまである。

新潮 2014年 01月号 [雑誌]

新潮社

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フランク:交響曲

フランス国立管弦楽団 バーンスタイン(レナード) / ユニバーサル ミュージック クラシック

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by k_hankichi | 2013-12-31 11:57 | | Trackback | Comments(0)
恒例の、今年こころに強く残った音楽、小説、映画、酒、TVドラマのほかに、今年は美術(展)と銭湯を加えて、それぞれベスト3をまとめます。

■音楽
歳をとればとるほど、バッハに回帰してくるような気がする。こんななかでもズスケのバッハは記憶に深く刻まれた。アクサントゥス合唱団は素晴らしい響きがあり、ああ人間の声はこうやって神に届くのかもしれないなあと感銘。合唱曲、宗教曲をたくさん聴くことにもつながった。ピーター・ウィスペルウェイは、バッハの無伴奏をさらにいろいろと聴いていきたいという気持ちにさせてくれた。パク・キュヒのギターの音色の美しさには、しばし恍惚となり、いまは車のなかではこの曲だけしか聴く気がしない。

1.カール・ズスケによるJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティ―タ BWV1001~6
・録音:1983~1987年, ドレスデン・ルカ教会
・音盤:Berlin(edel) Classics 0149292BC(オリジナル:シャルプラッテン)
http://hankichi.exblog.jp/21004687/

2.アクサントゥス合唱団によるフォーレのレクイエムとラシーヌの讃歌
・演奏:ローランス・エキルベイ(指揮)、アクサントゥス、サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)、ステファン・デグー(バリトン)、管弦楽:フランス国立管弦楽団のメンバー
・録音:2008/1月、サント・クロチルド聖堂、パリ
・音盤:仏Naive V5137
http://hankichi.exblog.jp/19393836/

3.ピーター・ウィスペルウェイによるバッハの無伴奏チェロ組曲
・録音:2012.6月、Serendipitous Studio, mechelen, ベルギー。
・音盤:Evil Penguin Music EPRC 012
http://hankichi.exblog.jp/19191012/

※次点:パク・キュヒの『最後のトレモロ』
http://hankichi.exblog.jp/21283485/

■小説
ダントツのものが無くて絞り込みにくかった。『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹)も入れたかったのだけれども、松家仁之の新境地をやはり祝したい。そしてパスカル・メルシエは57歳の古典文献学者に僕を完全に感情移入させた。マルセル事件のリアリティにはのめり込んだ。そして梶村啓二は、ゴヤの世界に僕をどこまでも引きづり込んだ。そしてゴヤ物が連鎖する不思議因縁もあった。

1. 『沈むフランシス』(松家仁之、新潮社)
http://hankichi.exblog.jp/20841967/

2. 『リスボンへの夜行列車』(パスカル・メルシエ、早川書房)
http://hankichi.exblog.jp/19637630/

3. 『マルセル』(髙樹のぶ子、毎日新聞社)
http://hankichi.exblog.jp/19098389/

※次点:『使者と果実』(梶村啓二、日本経済新聞出版社)
http://hankichi.exblog.jp/20014865/

■映画
今年は素晴らしい映画を続々と観ることができ、まさに当たり年のような気がする。今週の気持ちからは『鑑定士と顔のない依頼人』をベストとしたいものの、まだ熱気がさめやらないので、すこし心を落ち着けて考えて、次のようになった。アニメの世界のリリシズムという点で『風立ちぬ』も外せないのだけれども、実写に限定した。やはりハンナ・アーレントの衝撃は凄い。自分の生き様にも影響した。音楽にまつわる2作品はどちらも甲乙つけがたかったが、弦楽四重奏に軍配をあげたい。そして鑑定士だ。

1. 『ハンナ・アーレント』
http://hankichi.exblog.jp/20881187/

2.『25年目の弦楽四重奏』
http://hankichi.exblog.jp/20498609/

3. 『鑑定士と顔のない依頼人』
http://hankichi.exblog.jp/21261790/

次点:『クヮルテット』
http://hankichi.exblog.jp/20333928/

■美術
今年は美術展に足を運んだ回数が昨年よりも増えた。やはりクリュニー美術館のタペストリーと再会できたことが一番強い印象だ。そしてターナーの真髄を理解できたこと。また、牧野邦夫を知ることができ、その生き様や、描こうとした世界の凄さに感銘した。

1. 『クリュニーの貴婦人と一角獣展』(国立新美術館)
http://hankichi.exblog.jp/20116009/

2. 『ターナー展』(東京都美術館)
http://hankichi.exblog.jp/21059279/

3. 『牧野邦夫 ‐写実の精髄‐ 展』(練馬区美術館)
http://hankichi.exblog.jp/20003088/

次点:『モローとルオー展』(パナソニック・ミュージアム)
http://hankichi.exblog.jp/20759606/

■銭湯
日帰り温泉やクアハウスも加えれば、たくさんになるのだけれども、それらは除いて銭湯に絞ってここではまとめてみる。やはりダントツの一位は池之端だ。ここは入ったことの無いほどの熱い湯で、だからそれを試すだけでも価値がある。千駄ヶ谷は能楽堂の裏にひっそりと構えていて、その意外性が良い。南青山はおそらく東京の銭湯のなかでも一番美しく、ハイソサエティ的な銭湯で記憶に新しい。東京都は銭湯文化が保持されているのだけれど、神奈川県は人口密度という点からもなかなか営業が厳しいらしく、減っているなかでのセレクションが三ツ境である。どれもが450円だけで味わえる至福なのだ。

1.『六龍鉱泉』(池之端)
http://hankichi.exblog.jp/19920413/

2.『鶴の湯』(千駄ヶ谷)
http://hankichi.exblog.jp/20227452/

3.『南青山清水湯』(表参道)
http://hankichi.exblog.jp/20759831/

次点:「ファミリーアイランドさくらゆ」(三ツ境)
http://hankichi.exblog.jp/20373618/


■酒
今年もたくさんの酒を飲んだ。良い酒の記憶ばかりが詰まっているはずなのに、思い返そうとしても、どうも砂を噛むような感じになる。覚えていないのである。記憶できていたものはメモに記しているから、それを並べての順位づけをすることになる。実際にはもっとたくさんのものが並んでいるはずであることは確実なのだけれど仕方がない。シェリー酒が1本、フランスとドイツのジンがそれぞれ1本だ。

1.マンサニャーリャ・ラ・ゴヤ Manzanilla La Goya
http://hankichi.exblog.jp/20367092/

2.シタデル・ジンCitadelle gin
http://hankichi.exblog.jp/19554526/

3. モンキー47 Monkey47
http://hankichi.exblog.jp/20303090/

■TVドラマ
何が何でも、こういう順番になるだろう。我々の目線を上げさせてくれたふたつのドラマは今年の流行語大賞になった。これを外すことはできない。たとえ政治家がおかしなことをやっていたとしても、われわれがいつかどこかで変革をさせる、突破をすることができるように思うのだ。そんななか、真木よう子の秀逸な演技が光ったドラマがある。全編を通じてのバランスは良くないものの彼女のあの名シーンは、ずっと記憶に残るだろう。

1.『あまちゃん』(NHK)

2.『最高の離婚』(フジテレビ)

3. 『半沢直樹』(TBS)

来年も、どうぞよろしくお願いします。
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by k_hankichi | 2013-12-30 18:00 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(6)
え?何故と思うものが多いのだけれど、今年は壊れたものが特に多かった気がする。

・パソコンのプリンター、無線LAN
・テレビ用オーディオアンプ、テレビのリモコン
・ブルーレイハードディスクレコーダー
・石油ファンヒーター
・自動車のステアリングリンク機構、電動シート、パワーウインドウ、ヘッドランプ
・掃除機の吸い取りノズル
・風呂のシャワーフック
・書斎の本棚

そんなに早いのか、如何なものかと思うものもある。多くのものは必需品に近く、慌てて買い換えた。

もとに戻せない(戻せそうにない)ような驚くべきこともあった。

・特定秘密保護法立法
・食材偽装
・知事の贈賄
・原発再稼働への動き
・基地全廃への動き(普天間基地移設の容認)

失墜を取り戻すこと。落ちてしまったロシア・ウラル地方の隕石は元には戻せないが、正しい姿に戻すこと、戻せるようなことはそのようにすること。来年はそういうことを祈念する。
  
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by k_hankichi | 2013-12-29 09:52 | 社会 | Trackback | Comments(2)
これまで、「江戸~東京重ね地図」(エーピーピーカンパニー製→http://www.app-beya.com/kasane/index.html)を、自宅で重宝して使っていた。街角探検隊の必需品だ。ニ、三年前には、Goo古地図(→http://map.goo.ne.jp/history/)が出て、これは航空写真も観られるので、加えて使うことでさらに探検力に磨きがかかっていた。

そんななか、なんと今朝の新聞で、明治、そして大正、昭和時代の地図を同時に比べて眺めてみることができる「今昔マップ on the web」(→http://ktgis.net/kjmapw/index.html)が今年9月に公開されていたことを知った。

パソコンで見ることもできるし、スマホでは自分の居る場所の昔の地図をその場で確認できるようになっているということ。埼玉大学の谷謙二准教授が開発したものだそう。おお、これは便利だ。東京都下までカバーしているほか、京阪神、中京、福岡・北九州、広島、仙台、札幌なども観ることができる。

自分の記憶の軌跡をたどりながら、その二次元地図からにじみ出てくるものは、三次元の光景となって瞼の裏に再現される。その景色は、僕の幼少期のものだから現在のそれとは異なる。現代の地図を拡大してみると、そこはまるで異なる様相や佇まいになっているようで、その隙間を埋められないということを理解してはいるものの、だからそれが時間の流れによる仕業であるのだということを実感するまでには、まさにそれと同じくらいの時間がかかるのかもしれない。

江戸東京重ね地図

中川惠司 / エーピーピーカンパニー

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by k_hankichi | 2013-12-28 22:16 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
先日銀座に出かけたとき、いつも行くレコード店で、スカルラッティのソナタをギターで演奏しているという音盤を見つけた。それはパク・キュヒ(朴葵姫; Kyuhee Park)という若手女性演奏家によるもので、今年の録音のNaxos盤だった。

この演奏家は、ほかにもう一枚、コロムビアから『最後のトレモロ』という新盤も出したところのようで、試聴棚に並んでいる。ちょっと気になって少し聴いてみたが、良くわからなくてそのまま棚に戻し、その他のCDとともに、先のスカルラッティを買い求めた。

家に帰って、袋から出して一枚づつ手に取って眺めていると、あれ・・・?、スカルラッティだけでなく棚に戻したはずの『最後のトレモロ』が入っている。道理で支払額が多いなあと感じたわけが分かった。しまった、と後悔したが、また銀座まで返しに行くのは億劫で、ままよ、と聴き流しはじめた。

素晴らしい音盤だとわかったのは、最初のA.バリオスによる「フリア・フロリーダ」を聴きとおしてすぐさまだった。L. ブローウェルの「11月のある日」まで来たところで、それは確信に変わった。中南米の音楽曲集で、とても心落ち着くものばかり。世知辛いこの時勢、心がささくれだったようなところがあるなかで、この曲の数々は、しずかな呼吸に変えていく。回想と受容とでもいおうか。

A. モンテスの「別れの前奏曲」も、なんとまあこんなに素晴らしい旋律をつくったものだと思う。哀しみというものが優しい追憶として沈降していくさまがここにある。

そしてA.ビアソラの「天使のミロンガ」。世界のビールではない。ミロンガとは、タンゴの源流となったアルゼンチンとウルグアイ、及びブラジル南部の原住民による音楽と舞踏のことだ。作曲家はこの音階をモチーフに舞台「天使のタンゴ」のために劇音楽を作ったということで、アコーディオンでの演奏とはまったく異なる哀愁をここにもたらす。

音盤の締めくくりは、A. バリオスの「最後のトレモロ」だ。パラグアイ生まれのこの作曲家が亡くなる前最後に書き残したもので、正式な曲名は「神の慈悲に免じてお恵みを」というものだそう。トレモロの名曲「アルハンブラの思い出」よりも、ずっと崇高で静謐なるものがここにある。

演奏家のパク・キュヒは、韓国生まれの日本育ちということで、名だたる世界のギターコンペティションを総なめにしている。その愛らしい顔つきからは思いもつかない、静かに燃える芸術の情念は、ただただ吐息をつくだけである。オフィシャルサイトhttp://columbia.jp/kyuhee/index.htmlには、次のように記載されていた。

1985年韓国仁川生まれ。3歳の時、横浜にてギターを始め、幼少の頃から数々のギターコンクールで入賞。
2004年東京音楽大学に入学、05年同年小沢征爾指揮によるオペラ公演に参加。
06年9月よりオーストリア・ウィーン国立音楽大学に留学。
これまでに、荘村清志、福田進一、アルヴァロ・ピエッリの各氏に師事。
05年韓国ギター音楽コンクール優勝
07年ドイツ・ハインツベルグ国際ギターコンクール第1位及び聴衆賞
08年ドイツ・コブレンツ国際ギターコンクール第2位(1位該当者なし)
ベルギー“ギターの春 2008”コンクール第1位(コンクール史上アジア人及び女性として初めて)
リヒテンシュタイン国際ギター・コンクール第1位
09年イタリア・アレッサンドリア国際ギターコンクール第2位及び特別賞(ヤングアーティスト賞)
スペイン・ルイス・ミラン 国際ギターコンクール第1位
10年バリオス国際ギターコンクール第1位
12年アルハンブラ国際ギターコンクール第1位及び聴衆賞

この年末は、ギター曲三昧になりそうだ。

■音盤の宣伝動画 →http://youtu.be/uK6E_hleChY

 
■「最後のトレモロ」 →http://youtu.be/9bmsJMMp5_U

 

最後のトレモロ

朴葵姫 / 日本コロムビア

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by k_hankichi | 2013-12-27 12:35 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
僕が小さいころ、いつも母親から、「ちゃんとしゃがんでうんちをしなさい、そうしないと落ちて『うん死』しちゃうからね」、「そういう人たちが沢山いたんだから」、「子供は小さいから、すっぽり落ちて上がってこれなくなるのよ」と言い聞かされてきた。そのおっかない感覚は今でもまだ、脳裏にしっかりと残っている。子どもの頃に育った東京の西の郊外の街が、まだ汲み取り式のトイレだったころのことだ。

一、二か月に一度だったか、バキュームカーが来ると、怖ろしさとワクワク感がゴチャゴチャになった感覚に包まれ、しかし怖いもの見たさで、僕と弟はおじさんたちの後にくっついて、その様子を見るのだった。最後にテニスボールを、ホースの先にスポッと吸引させる時まで。

そういう記憶と、昨日読んだ本の印象がそうさせたのか、今朝の夢は糞尿譚だった。東京の市街のさびれた街角に、緊急用の簡易トイレがあるという話だ。それは、木造の二階建ての屋上の物干し台にあるということだった。いつでも街中の人たちが「大」をしたくなると立ち寄れるところだと聞かされていた。そこがどんなトイレなのか知りたくてたまらないまま、幾年もが経過した。

高度経済成長の効果で(様相からは昭和40年代後半だ)、その市街地に道路が新しく設置されると噂された。その緊急トイレの近くにも、新しいバス道路が開通する。ああ、あれが取り壊されてしまう、そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。

二階建ての建物の屋上には先客がいた。そのおばさんは、衝立の上に顔をのぞかせて、東京の街の風景を眺めている。そこは床に何の穴も開いていない板の間だ。おばさんは椅子に座っている。しかしそこで用を足している。ということは、どうやって?

おばさんは何事もなかったかのように、爽やかなる面持ちで、そこを後にした。ああ・・・、緊急トイレとはこういうことだったのか。僕は放心し、しばらくそこに佇んだままだった。

何か月かが経た。僕は駅からのバスに乗りながら、外の景色や建物のそれぞれを、何の気なしに見遣っていた。舗装された広いバス通りが、あるコーナーを曲がりかけたとき、そこが、過日訪れた、あの簡易トイレの場所だということに気づいた。

日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る

そんな詩が、そこに流れているかのようだった。

家庭の中での吉田健一は、普通の優しいお父さんであり、僕が育った東京の郊外の家での、僕の父のありさまをまるで見ているかのよう。だからそういうときの記憶が、不思議な連想を呼んだのかもしれない。

“糞尿譚を好むのは子供の一つの特徴のようだが、このことでも私達は父を喜ばせた。早くも虫きちがいになった兄はファーブルの『昆虫記』を、一冊また一冊と買ってもらっていて、それで私も、馬糞で球を転がしていく黄金虫がいるのを知った。・・・(中略)・・・兄も私も写真を眺めるだけでなく、ある時、自分達が馬糞の球になることを思いついて、「クソコガネによりて球にされたる馬糞の歌」とでもいうような歌を作って歌いながら、父の書斎と隣りあった子供部屋を転げまわった。その間母が笑っていたのは憶えているが、父も大喜びだったらしく、父はいわば死ぬまでこの馬糞の歌を憶えていた。”
(「鎌倉と私、そして父(二)」・・・『父吉田健一』吉田暁子著、河出書房新社)

父・吉田健一

吉田 暁子 / 河出書房新社

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by k_hankichi | 2013-12-26 11:40 | 夢物語 | Trackback | Comments(2)
年末にきてこんなに凄い映画に出会えるとは思わなかった。『鑑定士と顔のない依頼人』(ジョゼッペ・トルナトーレ監督、原題:La migiore offerta, The Best Offer、製作:イタリア)のことだ。HPはココ→http://kanteishi.gaga.ne.jp/

西洋美術にまつわるラブロマンスミステリーとでも云おうか。潔癖症な壮年男の恋でもある。なんだかめっぽう感情移入している自分に気付く。音楽も素晴らしく良い。

『英国王のスピーチ』で吃音治療医師役を演じたジェフリー・ラッシュが、ヨーロッパで活躍する一流の美術鑑定士兼オークションの裁定人を演ずる。かの映画を遥かに上回る快演、名演だ。

舞台はウィーンとおぼきし美しい街。ヴァージル・オールドマン(ジェフリー・ラッシュ)は、仕事の傍らで、個人的には美しい女性肖像画に魅せられたコレクターでもある。しかし彼は実際の女性に恋をしたことがない。そればかりか女性に触れたこともない。

そんな彼が、とある古屋敷に残された美術品の鑑定を依頼される。うら若い女性グレア(シルヴィア・ホークス、美しい!)が依頼主だ。しかし彼女は顔を見せない。どう応対したらよいか分からない。躊躇いがちながらも、少しずつ鑑定を進めてゆく。そして、彼女の姿を初めて目にした瞬間、ピグマリオンのように深い恋に陥ってしまう。二人の気持ちは近づいてゆき、心は柔らかに融和してゆく。

登場する名画も凄い。ルノワール『ジャンヌ・サマリーの肖像』、モディリアーニ『青い目の女』、ゴヤ『ベルムーデス夫人の肖像』、ブーグロー『ヴィーナスの誕生』、ティツィアーノ『ラ・ベッラ』、ボッカチーノ『ジプシーの少女』、クレディ『カテリーナ・スフォルツァ』などなど。

そんな豪華絢爛なる美の展開に、身も心もとろけていたら、最後に全く意外なる展開が待ち受けている。ミステリーだからここには書けないけれども、真実は何だったのか、観終わっても謎のまま放心してしまう。プログラムを買って、やっと朧気ながら分かることができた。

「この映画は、フロイトの故郷であるウィーンに始まり、カフカの故郷のプラハで終わる。」と製作クルーの誰かがいったそうで、たしかに最後に出てきたプラハのカフェ「ナイトアンドデイ」のシーンは、男の深層心理と哲学のすべてが凝集したかのような量塊で、ヴァージル、そして僕に迫る。

マーラーのアダージョのような音楽(エンリオ・モリコーネ作曲)が、いつまでも濃厚に残る、何とも奥の深い映画だった。

■スタッフ
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
撮影:ファビオ・ザマリオン
美術:マウリツィオ・サバティーニ
衣装:マウリツィオ・ミレノッティ
■キャスト
ジェフリー・ラッシュ:バージル・オドマン
ジム・スタージェス:ロバート
シルビア・ホークス:クレア
ドナルド・サザーランド:ビリー
■原題La migliore offerta、2013年、イタリア

■映画トレイラー →http://youtu.be/3a5hxZ-chfM

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by k_hankichi | 2013-12-25 17:33 | 映画 | Trackback | Comments(6)
友人が薦めていた『「東京物語」と小津安二郎』 (梶村啓二、平凡社新書)を読み終えた。小津映画を魅入って居るほど驚きに包まれるだろうと思った。

著者は小津映画を愛して止まないひとであることがひしひしと伝わってくる。しかしそのなかにも、文学を生業としているがこその深く見据えた洞察と解釈がある。すべてのシーンについて、あたかも昔話を子どもに読み聞かせたあとの母親がふと漏らすような、人生の真理がある。

次のような一節も胸をうつ。

“ 子供たちの失敗と冷淡とエゴに深く傷つきながら、そのことからそっと目をそらす。自分とかつての仕事仲間の男たちの敗北と孤独に取り返しのつかない時間の流れを感じながら、そのことからそっと目をそらす。心の片隅で、自分が自分を騙し、目をそらしていることにうっすらと気づきながら。
 誰かに似ていないだろうか?
 原節子演じる紀子である。義理の親への気遣いの域を超えて、無意識のうちに、次男の嫁という自分の役割を過剰なまでに破綻なく演じ、尊厳を維持できる自分の位置を守ろうと努める。その平山家の中での安定した自分の位置の根拠であった夫、その死という現実からそっと目をそらす。そして自分に嘘をついていることにうっすらと気づいており、その気づきをぼんやりとした痛みとして抱え込んでいる。
 周吉と紀子は同じ種類の人間である。
 そして、おそらくは、彼らを見ているわたしたちも。”

また小津映画を見たくなった。今度はデジタルリマスター版でである。

「東京物語」と小津安二郎: なぜ世界はベスト1に選んだのか (平凡社新書)

梶村 啓二 / 平凡社

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by k_hankichi | 2013-12-24 08:06 | | Trackback | Comments(2)
ウィルヘルム・ケンプ・リサイタルと題した音盤を聴いている。

バッハが8曲、ヘンデルとベートーヴェンが2曲づつである。後半の4曲は、もともとはバッハ・リサイタルの音盤とは別の25cm盤LPからの復活だという。

一曲目から鬼気迫る。バッハの半音階的幻想曲とフーガ 二短調BWV903である。ケンプは地の果て、地獄の狭間を覗いてきてしまったかのような凄みで弾き尽くす。我を忘れそうな、いや、涙と汗とともにそうなっていたにちがいない、そういう演奏だ。

その業を反省するかのように、次なるコラール前奏曲「来たれ、異教徒の救い主よ」(18のコラール集、BWV659より)と、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」(教会カンタータ第147集より)は、いたわるように撫でるように、優しい慈悲に満ちている。

コラール前奏曲が三つ続くが、深く静かに神の前に跪く。

シチリアーノ(フルートソナタ第2番変ホ長調BWV1031より)は、イタリアの潮風の香る、岩肌も所々のぞく丘のうえで、羊たちに囲まれながら静かに奏でられる笛だ。

ヘンデルのメヌエット ト短調(クラウザン曲集第二巻・第一組曲より)は、もうこれは宗教曲である。哀しみ慈しむ歌詞がつくかのよう。

締め括りはベートーヴェンのバガテル「エリーゼのために」。何百何千回と聴いている曲だけれども、ケンプの手にかかれば一つの淡い愛と惜別の物語になる。

更けゆく冬の夜は、色褪せぬモノクロ映画のように静かに目をつむってゆく。

録音:1953,3月(1〜8)、1955,5月(9〜12)
音盤:キング KICC2198

ケンプ・リサイタル

ケンプ(ウィルヘルム) / キングレコード

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by k_hankichi | 2013-12-23 22:11 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
先の鉄拳のパラパラ漫画で、「信濃毎日新聞」のことを知ったが、調べてみるとこの新聞社の歴史はかなり古いことが分かった。

日刊紙としての日本での第一号は、、1870年の「横浜毎日新聞」。1872年には「東京日日新聞」(現在の「毎日新聞」)、そして1873年にこの「信濃毎日新聞」の前身となる「長野新報」が創刊されている。「読売」は1874年、「朝日」に至っては1879年の発刊だから、「信濃毎日」は堂々の老舗なのである。

この新聞社が自ら紹介している社歴(http://www.shinmai.co.jp/shinmai/rekishi.htm)のなかで、一人の論説委員について、特出しで扱っている。

1933(昭和8)年 日本、国際連盟脱退。主筆桐生悠々、社説「関東防空大演習を嗤ふ」を掲載、信州郷軍同志会が反発して不買運動を展開。桐生退社。

この論説主筆の桐生悠々、歯に衣を着せぬ物言いで、当時の政界や軍部を明快な論理で批判し続けたよう。新聞は御上の僕(しもべ)ではないということを地で行った。

論理的・科学的・建設的に、明確に、明快に世相を斬るということの精神を、これからの報道にも期待したいなあと思った。

■桐生悠々(From http://www.shinmai.co.jp/shinmai/history/kiryu.gif)

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by k_hankichi | 2013-12-22 13:29 | | Trackback | Comments(2)