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『インフェルノ(上)』(ダン・ブラウン)・・・美の記憶と生への渇望が交錯する挑戦状
ダン・ブラウンの最新小説『インフェルノ』(越前敏弥訳、角川書店)が発売されると知って、すぐさま本屋に走った。今日は上巻を読了。

舞台は僕にとっての憧れの街、イタリアのフィレンツェ。訪れたことはないのだけれど、美術の本や映画などで見聞きし、記憶に深く残っているから、セレンディビティ的なわくわくする感覚に陥る。

さて、インフェルノの意味は「地獄」である。小説の冒頭に次のように書かれている。
“地獄”(インフェルノ)とは、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』に述べられた地下世界であり、『神曲』ではそこを、“影”~生と死の狭間にとらわれた肉体なき魂~が集まる複雑な構造の世界として描いている。
読み進めていくうちに、何層にも掛けられたヴェールがするりするりと剥がされていくように、その理由が明らかになってくる。そして悟る。この小説は単なるサスペンスではない。われわれが生きているこの世界で、いま直面している問題を取り扱っているのだと。僕らは人類歴史上、かつてない切羽詰ったところまで来ているのだ、ということをも実感していく。

上巻は息をする合間も惜しく、胸が圧迫されるようなスリルに満ちていた。何者かに襲撃を受けたロバート・ラングドンが、この街の病院で目を覚ますところから始まる。ストーリーの展開は「ねたばれ」になってしまうので書かないが、ダンテ・アリギエーリの『神曲』と彼のデスマスク、ボッティチェルリの『地獄の見取り図』などが鍵を握っている。

以前本で観たドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)、アルノ川やヴェッキオ橋が、映画的なまでに鮮やかに登場するし、また、ヴェッキオ宮殿へ続くヴァザーリ回廊を通ってゆくシーンは、まるで自分がそこを歩いているかのような錯覚に陥る。そういった事柄のいつくもが、自分の記憶と重なり、夢なのか現実なのか見分けがつかなくなってくる。

この小説は、ふつうのサスペンスではない。「美」の記憶と「生」への渇望が交錯する挑戦状だ。

※書店HPはココ→http://danbrown.jp/inferno/index.html

■サンドロ・ボッティチェルリ『地獄の見取り図』(Sandro Botticelli - La Carte de l'Enfer)
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From http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Sandro_Botticelli_-_La_Carte_de_l%27Enfer.jpg

■この小説の広告も凄まじい。KADOKAWA的な、あまりにもKADOKAWA的なインパクトに圧倒される。
Promotion Movie of "Inferno"(Dan Brown)→http://youtu.be/SLwX89c3Iaw
 

インフェルノ (上) (角川書店単行本)

ダン・ブラウン / KADOKAWA / 角川書店

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by k_hankichi | 2013-11-30 18:46 | | Trackback | Comments(4)
ほうとうで温まる朝
明け方の冷え込みが日に日に厳しい。出勤時にはマフラーも必携になった。

今日の朝飯は「ほうとう」。昨晩から家人が仕込んでいたもので、平たく太い麺がカボチャと野菜をふんだんに入れた味噌鍋のなかに溢れんばかりになっている。

汁は麺に対して、これでもかと言うほどに纏わりつこうとし、麺はそれを拒むどころか、目一杯に受け止める。

端をつける。一口啜る。味噌がかぼちゃの甘味に誘惑され、科(しな)を作っている。うどんを口元に誘導する。鰻が水路に入って行くようにそれは無言で頬の内側を撫でたかと思うと、喉の奥に、ずるんと滑ってゆく。

ずるん、とである。

それに続いて人参やら大根、細切れ肉などが待っている。一つずつ摘みながら食す。汁がふかくまで浸透している。旨い。

今度はお椀に口をつけ、そのまま啜る。雪崩うつように、じたばたしながらあらゆる輩が来る。麺も短く切ったやつらが割り込んでくる。押し合いへしあいだ。

スキー場のリフト乗り場に押し寄せる者ども。

リフトには乗れないよ。ふうふうと言う音が聞こえるだろう。

君たちは、ほうとう。僕、食べる人。

至極に温まった朝は、顔の頬も何となく緩んでいる。来週はもう師走である。
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by k_hankichi | 2013-11-29 07:49 | 食べ物 | Trackback | Comments(3)
孤高の男の情念・・・『バッハ復活』(小林義武)
特定秘密保護法案が衆議院で可決された。自公とみんなの暴挙は、歴史にその自らの「思考停止の罪」を刻むだろう。何を好んで、そこまで急いて進めるのか。どこに向かっているのか。どんな未来を築きたいのか。

そんななか、『バッハ復活』(小林義武、春秋社)を読了。バッハの復活は、メンデルスゾーンらによる根気よい市民運動により実現したことを改めて思い知った。一介の音楽家、音楽愛好家、そして市民たちによるたゆまない努力と熱意が再生させたバッハの音楽。

メンデルスゾーンが、バッハ没後79年後の1829年、『マタイ受難曲』の再演に向けてベルリン合唱協会の会長ツェルターに掛け合ったのは、20歳の若さだったという。ツェルターの強硬な反対にあい、彼は同僚に次のように漏らした。
「キリスト教の音楽のなかで最も偉大な『マタイ受難曲』を再び人々に聴かせようとする人間が、喜劇俳優(オペラ歌手デヴリエントのこと)と、ユダヤ人の青年(メンデルスゾーンのこと)でなけばならないとは。」
再三の交渉の結果、再演の演奏会を開くことができたメンデルスゾーン。その会場には、哲学者フリードリッヒ・ヘーゲル、神学者フリードリッヒ・シュライアーマッハー、詩人ハインリッヒ・ハイネ、後年の歴史学者グスタフ・ドロイセン、そして数々の音楽家たちが居た。その反響がいかに凄まじかったのかは、諸処の記録が物語っている。そしてもちろん、そういった彼の行動が結実して、僕らは今、バッハの音楽にこれほどまでに浸り癒され、啓発されることができている。

だから秘密にするような物事などこの世にはない。秘密にしようしようとしたならば、大切な想いや、魂の叫びや、生きる希望というものは、もうほかの人たちの目に触れることもなくなる。互いの触発ということも起きなくなる。影響の輪も生じない。そんな世の中にだれがしたいのか。

以下の写真は、この本にあった挿絵。13歳のころのメンデルスゾーンだという。フェリックスの姉ファニーの夫、ヴィルヘルム・ヘンゼルによるスケッチ。すでにそのころ、フェリックスは深くバッハの音楽に傾倒していて、翌年のクリスマス・プレゼントに祖母から『マタイ受難曲』の筆写譜を贈られている。それがやがて、フェリックスの迸る情念につながる。純粋無垢なるままの私的努力が人々を動かす。孤高の男の執念だ。

意志あれば通ずる。

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by k_hankichi | 2013-11-28 00:17 | | Trackback | Comments(1)
「問題」のすり替え能力
先日読んだ『自責社員と他責社員』(松本洋、幻冬舎・経営者新書)のなかで、次のような喝破があって、思わず唸った。

“ここで「問題」というとき、それが本当に解決されるべき「問題」なのか、それともただの「事象」であるのかの確認をする必要があります。なぜなら「問題」という言葉には、いろいろな意味があるからです。いくつか具体的な例を挙げてみましょう。

「あれが、今話していた問題の彼だ」
  この場合の「問題」は、「話題」の意味で、解決されるべき「問題」ではありません。

「やるとかやらないとかの問題ではない」
  この場合の「問題」は「論点」の意味で、解決されるべき「問題」は他にあります。

「問題は彼がうまくやれるかどうかだ」
  この場合の「問題」は、「関心」の意味で、やはり解決されるべき「問題」ではありません。

では、解決されるべき「問題」とは何か。
私たちの定義では、ビジネスにおいて、あるべき姿(目標)と現状(実績)とのギャップが、解決されるべき「問題」です。”
こういうことがないようにしなければ、と気を付けるのだけれど、会議の中で行き詰ったり、あやまた紛糾したりした時であるとか、飲み会の席のようなときに、どうもこういう論調が出たりする。議論をしているのではなく、すり替え、その場しのぎをしていると言われれば、まさにその通りなのだ。

「当社の製品の価格が高いことが問題だ」
  これも、価格が高いことは本当の意味での「問題」ではないとする。高くても買ってくれるような良い製品はいくらでもあり、商品の売り方であるとか、仕様の絞り込み方であるとか、いろいろなことが他に理由があるとする。

ぐうの音もでない。詭弁を吐かないように、気を付けないといけないなあ。

自責社員と他責社員 (経営者新書)

松本 洋 / 幻冬舎

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by k_hankichi | 2013-11-27 00:14 | | Trackback | Comments(2)
衒い(てらい)が無いということ・・・カール・ズスケによるバッハの無伴奏
先の週末から、カール・ズスケによるバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティ―タ全集を聴きこんでいる。この音盤は、そのジャケットからして素晴らしい。なだらかな山に囲まれた湖。その静謐なる水面を、一人の男が舟を曳く。その蒼い色調がえも言えない。

自分の過去を背負うかのように、すこしづつ歩みを進めるその先には何があるのだろうか。誰も知らない。知らなくても男は歩む。うつむきながらも直向きに、男は歩む。

バッハのこの曲は、いろいろな演奏家のものを聴きこんでいるのだけれど、こんなにも衒い(てらい)が無いものは久しぶりだ。その無垢さのわけを知りたいとは思うものの、おそらくその答えはない。それはズスケが、そんなことを考えながら弾いてはいないだろうからだ。

繰り返しこの演奏を聴く。聴きこんでゆくほどに、彼の無心というものだけが伝わってくる。東ドイツという時代の、貴重なまでに透き通った穢れない魂。

カール・ズスケという男の、孤高の心の透徹だけが、そこにある。

※この音源、いまはキングレコードのシャルプラッテンレーベル集から求めることができるほか、Naxosのダウンロードでも手に入れることができる。少し聴くだけでも(「選択曲を視聴」をクリックする)、無垢な孤高というものが滲み出てくる。
http://ml.naxos.jp/album/0092752BC

■曲目
J.S. バッハ:
1)無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
2)無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
3)無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003
4)無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
5)無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV1005
6)無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006
■演奏:カール・ズスケ(ヴァイオリン)
■録音:1,2)1983年, 3,4)1985年, 5)1988年, 6)1987年, ドレスデン・ルカ教会
■音盤:Berlin(edel) Classics 0149292BC(オリジナル:シャルプラッテン)
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バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ全曲(2CD)

ズスケ(カール) / King Records =music=

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by k_hankichi | 2013-11-26 00:19 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
気張りや気取り、つくろおうとする心がはらりと抜けてゆく・・・『人間にとって成熟とは何か』(曽野綾子)
薦められて週末に読んだ曽野綾子の『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書)は、予想をはるかに超える良著だった。気張りや気取り、つくろおうとする心がはらりと抜けてゆく。次のようなところに、とくに心が落ち着いた。

“品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう。それは別にお高く止まる態度を取るということではない。自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同意するところと、拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことである。この姿勢を保つには、その人自身が、川の流れの中に立つ杭のようでなければならない。”(第七話 品がある人に共通すること)

この人の心は、いつも拓かれている。そして静かで謙虚だ。人はそれぞれが生きているということだけでも、本来は既に崇高なのだから、「自分は自分は」と主張する必要はない。共存共栄であることもこの世の宿命だから、ともに支えあう。権利だけを主張するということには半鐘を鳴らす。

曽野さんはこういったことを静かに語り、大切なことは何かということを、我々に深く悟らせてくれる。

人間にとって成熟とは何か (幻冬舎新書)

曽野 綾子 / 幻冬舎

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by k_hankichi | 2013-11-25 00:10 | | Trackback | Comments(3)
俳人・歌人としての寺山修司
昨晩のNHK・ETV特集は、『寺山修司という宇宙 園子温×穂村弘』だった。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/1123.html

この番組を観て、この俳人にして詩人、俳優にして小説家、舞台演出家にして映画監督である彼の素顔に、初めて触れることができた。たった一時間ほどの番組だったけれど、自分の発する言葉が真実なのかどうなのか、自分だけにしか聞こえていない声なのか、そういうことが不安で、だからゆえに人一倍に感性を研ぎ澄ませ、芸術を創出していったという寺山。

みんな似たようなところに行きつくだろうものが、唯一、彼は想像力の域に行きついた、と穂村の切り込み。

マッチ擦る つかのま海に 霧深し 身捨つるほどの 祖国はありや
見るために 両瞼をふかく 裂かむとす 剃刀の刃に 地平をうつし

未発表歌集には、つぎのようなものがある。義理の関係の偽家族が集まって、秋の野に何らかの穴を掘り始めている。そういう不思議な物語の創造。誰かを埋めようとしているところだ、と佐々木幸綱の洞察。

義母義兄 義妹義弟が あつまりて 花野に穴を 掘りはじめたり

そんな一方で、人の詠んだ歌を参考に、自分の歌に転じて仕上げてしまう大胆さもある、とする。

向日葵の 下に饒舌 高きかな 人を訪わずはば 自己なき男
霧の中 酔いたる父が 頬を突く ひとさし指の 怪人として

母親のことが一番嫌いで、そして母親のことをもっとも愛したという寺山。小中学生のころの寂しい体験と、高校になってからの周囲からもて囃された状況は、正反対ともいえる。そんな対照的な境遇を経験した人生の悲哀を、青年にならずしての彼は、身を以て体感してしまったのだ。

売りにゆく 柱時計が ふいに鳴る 横抱きにして 枯野ゆくとき
海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり

そして死の前年の詩から次のような言葉。

「僕は世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしか
ないことを
知っていたのだ」

この人の残した言葉や声を聞くたびに、彼の生きた幼き境地が彷徨う、青森のことを想うようになるだろう。
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写真:寺山の学び舎とは対極なのだけれど、昨日の三田の山からの眺め
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by k_hankichi | 2013-11-24 19:49 | 一般 | Trackback | Comments(0)
変革のことを考えていて合点がいく・・・『自責社員と他責社員』(松本洋)
最近、「変革」(あくまでも仕事の)に関連するような本を幾つか読んでいる。この本も合点がいった。『自責社員と他責社員』(松本洋、幻冬舎・経営者新書)。

まずはじめに人と会社の成長を邪魔する5つの阻害要因を説く。

1. 認識の欠如
2. 行動の欠如
3. 知識の欠如
4. 仕組みの欠如
5. あきらめの支配

特に5つ目の「あきらめの支配」は、ハンナ・アーレントが見出した「思考停止の罪」、に似ていて、指摘されたくなかったことが明かされてしまったバツの悪さがある。

無力感、言い訳、他責。どうせダメ、無駄だ、責任は他部署にある、としている状態。あらら。

聞けば聞くほど「他責」の思考が浮かび上がる、とも指摘する。社員ばかりでなくマネジメント側も同罪だという。

「自分の仕事だけすればそれでよいと思っている人が多くて、横のつながりがあまり見られないので、部下のレベルを上げたい。人を取り替えるのが手っ取り早いけれど、給料が安いので優秀な人材が残ってくれない」

一見、マネジメント層の悲哀のようだが、これも他責の思考という。部下を教育して育てるべき立場にある人が、部下が悪い、会社の給与体系が不足という批判。

自分や部下の成長を阻害する要因を放置したままでいると、組織も同じ状態になる。真の問題、課題は、実は自分たち自身が既に知っていることが殆んどだ。

解決されるべき「問題」をメンバー間で臆せず明らかにする。そこから変革の一歩が始まる。

自責社員と他責社員 (経営者新書)

松本 洋 / 幻冬舎

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by k_hankichi | 2013-11-23 16:58 | | Trackback | Comments(0)
その部活のこと
大学時代の部活の後輩から、こんど『題名のない音楽会』に、そのクラブの現役生が出演する、と連絡があった。ああ、まだ健在なんだ、あの部活、と懐かしくなった。

音楽愛好会と聞けば軟弱なる印象があるわけだけれど、事実それは、外から見ればそういうふうに見られても仕方がない。しかしその内情は、自称プロ、あるいはマニアたちの篤い切磋琢磨の場だ。

そのなかは更に幾つかの研究会に分かれている。バロック音楽研究会、モーツァルト研究会、ピアノ研究会あたりまでは、なんとも静謐なる時間と空間である。

しかしこれが、ベートーヴェン研究会やら、オペラ研究会、そして現代音楽研究会となれば、騒がしさが増してくる。マニア度が昂じると、さらに特定の音楽に絞った研究会が出来てくる。政党の派閥みたいなものだ。

求心力がないと、たった一人の研究会になったりもする。しかしそうなっても慌てたりしない。孤高を気取って、空の遠い彼方を見据えるように、その音楽に没頭する。

ハイドン研究会なんていうものもあった。今から思えば彼は、遥かに遥かに先見の明があった(フランス音楽研究会をやっていた僕は、そのころは節穴で、今から思えば恥ずかしい)。

月に一、二回の会合では、設定したテーマにまつわるレコードが持ち寄られ、担当者が解説をしたあと、教室で神妙に耳を傾ける。他の会派から飛び入り参加する輩もいて、「やっぱこっちの研究会は、ヤワだよねぇ」としたり顔をされたりする。反論が始まる。マニア同士の論争は終わるところを知らない。

ああ、あの崇高なるまでの熱い世界が懐かしい。
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by k_hankichi | 2013-11-22 07:45 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(6)
紐解かれた篤く大切な日々の積層・・・『いつの日も泉は湧いている』(盛田隆二)
読みおわって、久々に篤い想いが湧いてきた小説だった。『いつの日も泉は湧いている』(盛田隆二、日本経済新聞出版社)。日経新聞電子版に昨秋から今春まで連載された作品。

これは盛田さんの底流にあった最も大切な「心」なのではと感じた。「これまで書かなかった」のではなく、「書けなかった」のでもなく、「書くことを躊躇っていた」のでもない。

あの時代が何だったのかが分かりかけるのに時間がかかったのだと思った。40数年が経てようやくその様々な想いが沈降しきり、底流に静かに積みかさなったのだと思った。

紐解かれた篤く大切な日々の積層。そんなふうに思う。

1968年から1970年。主人公が中学生から高校生にかけて、社会の、政治の矛盾に真っ向から対峙し、篤き想いと熱き身体をぶつけていった時代。自分の存在を超えて社会に関わっていった時代。

長い人生からみればほんの短い二年ほどの時間は、彼にとっては「永遠」に繋がるほどの、いや、「永遠の」意味を持っていた。

いつの日も泉は湧いている

盛田 隆二 / 日本経済新聞出版社

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by k_hankichi | 2013-11-21 08:10 | | Trackback | Comments(3)