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時間よ止まれ

もう明日から九月だというのに蒸し暑く寝苦しい夜だった。今も朝の八時半なのに日差しは強く、にじにじした光は矢のように額にあたる。盛夏がぶり返したかのよう。

そんななか、今日のドラマ『あまちゃん』はいよいよ3.11の午後2時半を回り、ゆいちゃんを乗せた北三陸鉄道が駅を出発してしまった。来週の放映を観たくないような観たいような、複雑なる気持ち。

夏がぶり返すように時間を戻すか、時間を止めて欲しい気持ちだ。
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by k_hankichi | 2013-08-31 08:32 | テレビ番組 | Trackback | Comments(0)
コロラドのアスペンのような山と丘が連続した谷間にある場所にいた。家族はホテルで二つ並びでの部屋をとり、旅の疲れを癒している。

朝になると、廊下で配管工事の職人が作業しているところに出くわした。天井に頭を突っ込みながらしきりに首を傾げている。なにやら配管が間違っているらしい。

記憶が遊離飛躍するガスが流れる配管が部屋に繋がってしまっていた、というようなことを呟く。

部屋を見せてくれ、と言われて渋々導き入れると、さっそく床をめくって配管を改めた。「やっぱり・・・」。職人は二人、顔を見合わせた。

何もおかしなことはありませんでしたか?と問われたが、なんのことやらわからない。出発の時間が来て我々は部屋をあとにする。腑に落ちない気持ちを引きずったまま。

家人の一人はバスに乗り込む。暫くするとバスは暴走し始める。街を疾走し、車を人を跳ねとばし、坂を上り下る。ようやく運転手が取り押さえられたところで、家人と再会。大丈夫かと声をかければ、「夢みたいなものだから大丈夫。今も目をつむったままでも歩けるわ、ほら」とやってみせる。

父母のほうはいきなり、スキー場を改造したような、長い長いチューブ状の滑り台を試すことになる。ぐるぐる、ぐわんぐわんと、身をもって行かれて、着いたところは長野県の温泉街。あらやだ飛行機に乗らずして帰国できちゃったわ、と喜んでいる。

僕らは魔界風の料理屋を訪れている。どうして和風の建物がこんな西洋にあるかと訝しがる。廊下の天井には、江戸時代の彫り物が施されている。そう言われて見つめているうちに、自分達はいつの間にかその時代に入り込んでいる。

その彫り物は人々を幻想の世界にいざなう。眠りか現つか、それは違うようでどちらも同じなのだと、いつの間にか隣に立っていた彫り物師は言った。左甚五郎だった。
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by k_hankichi | 2013-08-30 07:36 | 夢物語 | Trackback | Comments(0)
電車のドアのところで、でんと構えて本を読んだまま、出入りする乗客が困っていても動かぬこと。

映画館で、がさごそ音を立てながら、ビニール袋から物を出して飲み食べること。

かと思えばガーゴーいびきをかいて眠ること。

特急列車で後ろに合図無く座席をいきなり倒すこと。

レコード店でこの演奏家の音盤がない、あれが揃っていないと店員に詰め寄ること。

中古レコード店で盤の試聴時間が短すぎると怒り説教すること。

病院前で受付が始まるのを井戸端話をしながら一番で待ち続けること。

同じく銭湯の前でそうすること。

自分の荷物を置いて隣に人がくるのを妨げ知らんぷりすること。

などなど、こういう人間になりたくない、こういうことはしたくない。
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by k_hankichi | 2013-08-29 07:12 | 社会 | Trackback | Comments(6)
柏崎刈羽の再稼働が論議されている。僕は、いまから15年ほど前の情景がよみがえった。

広い大きなプールの底の、青白く弱々しくも不確かな光のことを。

「真上から観ても大丈夫ですよ、安全です」

という説明員の言葉とともに。

地元の東京電力営業所の広告が入り、おお、と飛び付き応募したのがきっかけだった。

柏崎刈羽原子力発電所の親子見学ツアーは、一泊二日全食事付きお土産付きだった。

なんでこんなに東京電力は親切なのか。微かな疑義を感じながらも、もてなされる際の、心くすぐられる感覚に浸る気持ちが勝っていた。

ああいった教宣を繰り返すことで、人々を懐柔していったやり口に、まんまと填まった自分たちを恥じた。

互いに欲望と欲望の戦いだったのだと知るまでには時間がかかった。

先方は、まだその欲望にとりつかれている。幻想が作り出す果てしない暗夜行路には出口は無く、あるのは責任不在の核汚染と核処理なのだ。
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by k_hankichi | 2013-08-28 07:12 | 社会 | Trackback | Comments(3)
奥泉光が1993年に野間文芸新人賞を得た『ノヴァーリスの引用』(新潮社)を読んだ。『シューマンの指』で楽しんだ纏緬とした心情描写と芸術との共鳴が、形を変えてここにある。

エニグマの冴え渡る哲学的ミステリーとでも言おうか。晦渋でもある。

次のような感じだ。

“こうした断片にノヴァーリスの思想の反映を視るのは難しくない。ノヴァーリスの観念論は宇宙を自己の内部に位置づける。宇宙は私のなかにある。外界は内界の暗い影にすぎなず、自分を知ることこそが世界を知ることである。であればこそ「内部へー沈潜、内面への洞察は、同時に登昇であり、天に昇る行為である」と言われるのである。
・・・(中略)・・・
初期マルクスの疎外論にノヴァーリスを接ぎ木した石塚の思想が、むしろヘーゲル流の観念論に近いものに変質したのは当然であるとはいえ、これはもはやマルクス主義とはほとんど無縁の何かであった。”

この小説でもシューマンが取り上げられている。図書館のほうから聞こえてくる音楽に次のように語る。

「シューマンだね」
「作品47のピアノ四重奏。グールドが弾いているやつです」
・・・
「このアンダンテ・カンタービレはいつ聴いてもいいよね」
・・・
「でもシューマンのレクイエムはいいよ」進藤が言った。「あまり知られていないけどね、死の恐ろしさなんて全然ない、全編が甘美な幸福感に溢れている。ぼくは好きだな」

読み直せば読み直すほどに、また新たな発見があるだろうな、と思う小説だった。

ノヴァーリスの引用

奥泉 光 / 新潮社

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by k_hankichi | 2013-08-27 07:27 | | Trackback | Comments(0)
頼んでいた音盤がようやく海外から届いた。ウィルヘルム・ケンプによるバッハのゴルトベルク変奏曲。

主題の旋律の一部の音符の省略から始まって、その弾き方は他のどの演奏家による演奏とも異なる。

あるときはフーガ的にパイプオルガンの響きがするかと思えば、あるときはハープシコードの響きがする。

思いのたけが伝わってくる。激のあとには柔。騒のあとには静。

この演奏を聴くとケンプの心が僕の心に重なったかのようだ。

■録音:1969年7月、ベートーヴェンホール、ハノーヴァ

バッハ:ゴルトベルク変奏曲

ケンプ(ヴィルヘルム) / ポリドール

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by k_hankichi | 2013-08-26 06:23 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
昨日午前は、川崎・生田緑地にある岡本太郎美術館を訪れた。
ココ→http://www.taromuseum.jp/index.htm

向ヶ丘遊園駅から歩いて15分程度経ると、自然が保存された杜の小径に変わってゆく。すっくりと立った木々の間を歩くと、さきほどまでの喧噪が嘘のように静かで、その森が明けるところに美術館があった。

青山の岡本太郎記念館は、彼が生活してきた息吹を感じられるところが良いが、ここ川崎の展示や資料は膨大なる量塊で、本当に圧倒される。絵画、陶芸、書画、そして語りの画像までもが十分にそろっている。

油絵は、公の広場に展示された連作の数々が、ふたたびここに集められ、時代とともに変遷した彼の画風を理解することができる。また、縄文文化の価値を見出した岡本が、それらの意匠に触発された絵画やオブジェ、陶器を数々生み出したさまも感銘する。

収蔵されている映像資料のなかには、岡本のフランス語によるインタビューと語りがあり、これも凄いエネルギーをもっている。10年間の渡欧のなかで、パリ大学・民俗学科/哲学科を卒業した彼の専門的な考察力と洞察力の凄さを改めて思い知った。彼の芸術についてのドキュメンタリーやインタビュー映像は、今回は、すべてを観ることはできなかったので、また改めて訪れて視聴したい。

このほかの所用を済ませた夕方、こんどは祖師谷大蔵の「そしがや温泉21」へ。
ココ→http://www.soshigaya-onsen21.com/

ここは銭湯なのだけれど、れっきとした温泉。ナトリウム-炭酸水素塩冷鉱泉の黒湯だ。濃いコーヒーほどの色合いで温めの湯(40.9℃)は、肌がすべすべすする心地よさ。こんな住宅地に湧き出るなんてすごい。すこし鄙びた世田谷の商店街も味わいがあり、レトロ感に浸りながら帰途に就いた。

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by k_hankichi | 2013-08-25 10:13 | 美術 | Trackback | Comments(3)
宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観た。ココ→http://kazetachinu.jp/

幾種類もの風が、実に精緻に描き分けられ、自然の美しさのリアリズムが際立つ映画だった。空を見上げての眩暈、月が光輪のようにおぼろ霞む姿、驟雨のひと筋ひと筋が身体に沁みとおってゆくような佇まい、彼女のことを心配に想う涙がぽたりぽたりとノートに滲むそのじんわりさ。

これらは、実写やあるいはコンピュータ・グラフィックスでは却って難しく、宮崎アニメゆえの、ある種の時間的空間的な余白というか、粗雑と丁寧のぎりぎりの狭間が生きるところなのだと感じる。

主人公、堀越二郎は、子供のころからイタリアの航空機設計技師カプローニの著書を読み、飛行機を設計することを夢見て育ち、そして大学でそれを専攻するところに至る。夢のシーンは何度も出てくるのだけれど、出てくる飛行機は、どれも奇怪な形態をしていて、またそれは幾つにも態様を変えてゆく。夢は僕の場合も、このような感じで茫洋としていて、だから却って夢としてのリアリティがある。

そんななか、彼は汽車のうえで里見菜穂子に出会うことになる。彼の帽子が鉄橋の上で風に飛ばされ、それを彼女がキャッチするのだ。そのときの二人が会話で諳んじるのは、ポール・ヴァレリー(Paul Valéry)の詩[※]の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”(風が立った!生きようと努めねばならない![風立ちぬ、いざ生きめやも(堀辰雄訳)])。ああ何と夢想的な二人なのだろうか。二人の心の交感のきっかけであり、終わりまで貫かれる二人の気持ちなのだ。

飛行機会社の設計技師となった堀越の前に立ちはだかるのは、欧米の航空機設計技術に比べて20年遅れているという日本の技術。ドイツのユンカースの旅客輸送機G38のライセンス生産をすることになり、先方の技術を把握しに渡欧する。このあたりの飛行機の描写は実に精緻で、トロイの木馬のようにどでかいユンカースの機体の量塊の凄味はとても迫力がある。外装の波型外板(鋼管骨格にジュラルミンの波形板を貼ったもの)の様相や、翼の中の構造まで実にリアルで、この航空機を実写含めてこれほどまでに描写したものは無かったのではないだろうか。

結核に冒されている菜穂子のことが心配で心配で仕方がない堀越なのだが、一方で仕事としての飛行機設計についても粉骨砕身で尽くしていく。愛と仕事の両立ができるのか。彼への愛を成就させるべく菜穂子がとる行動とは・・・。

主人公の堀越の声を演じるのは、庵野秀明というアニメーション映画監督。俳優や声優ではない、モノトーンなぶっきらぼうさにはびっくりするが、しかしあとから思い返せば、これが却って、エンジニアの朴訥さとひたむきさを表現できているのだ。劇的に無理やりにも気持ちを昂ぶらせようとはしない、滂沱の涙をお仕着せようとはしないことが、実は「人が愛と夢に生きてゆくということはこういうことなんだ」ということをわからせてくれる。

♪「ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれどしあわせ
空にあこがれて 空をかけてゆく あの子のいのちは ひこうき雲」♪

という歌そのものと同じ、愛する切ない気持ちと心の情景が、美しい山河と自然と風に溶け込む。普通は相容れないようなエンジニアの夢が、そのなかに季節の移ろいの瞬間のように絶妙に融合され描き尽された映画だった。

※「海辺の墓地」(Le Cimetière marin)[1920年]。詩集Charmes ou Poèmes par Paul Valéry『魅惑』[1922年]に収録。

■『風立ちぬ』Trailer ココ→http://youtu.be/a3PBiLDXawU

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by k_hankichi | 2013-08-25 01:18 | 映画 | Trackback | Comments(0)
朝のバス停での一番乗り争奪戦は、まだ続いている。最近は連敗だ。ちょっと悔しいので、突貫小僧はどんな振る舞いをしているかを家人に見せることにした。

身支度も出来ていないよ、こんな格好で外には出られないというところを押して、引き連れていった。

突貫小僧は、バス停の周りをぐるぐると歩く示威行為をしていた。

家人は、目を見張った。「す、すごいね・・・。」

突貫小僧の話は本当の話として、瞬く間に家じゅうに広まった。百聞は一見に如かず。

そんななか、つらつらとYouTubeを観ていたら、英国のバス停の突貫小僧が居た。『ミスタービーン・オン・バスストップ』。

おお毎朝の突貫小僧よ!お前は英国仕込みだったんだな!

■Mr. Bean on Bus Stop ココ→http://www.youtube.com/watch?v=T_3e5KUVdkI&feature=youtube_gdata_player

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by k_hankichi | 2013-08-24 09:22 | テレビ番組 | Trackback | Comments(2)
本の題名がなかなか覚えられないたちである。向田邦子の『無名仮名人名簿』(文春文庫)というエッセイ集もそうで、『仮名手本忠臣蔵』『仮名手本忠臣蔵』としか覚えられなかった。

なかみは勿論、忠臣蔵とは違った。人の振る舞い、仕草、くせなどを、動物図鑑のように紹介していくが、そのまとめかたが心憎い。

マーロン・ブランドが映画の封切り挨拶に来日したとき、45分間も映画論、芸者論、人生論、哲学を語ったそうで、それについて記している。

「平然と話しつづける彼は、実はひどく無理をしているように見えた。(略)負けそうになる気の弱い自分に挑戦しているというところがあった。普通ではありたくない、と熱望している普通の男の、せいいっぱいの抵抗の姿に見えた。この人は、くたびれるだろうな、と思った記憶がある。」(「普通の人」)

うう、『欲望という名の電車』から始まり、『波止場』などで当たったあとしばらく厳しい時代を過ごしていたマーロン・ブランドだが、こうまで見抜かれては・・・。

向田さんが生きていれば、いまの虚言詭弁づくしの国会の政治家たちのことを、どう「蜂の一刺し」してくれるだろうかしら、と想像して、すこし楽しくなった。

無名仮名人名簿 (文春文庫 (277‐3))

向田 邦子 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2013-08-23 07:13 | | Trackback | Comments(4)

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