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ベートーヴェンのピアノソナタは、学生時代はウィルヘルム・バックハウスのモノラル録音(Londonレーベルだったと思う)のLPを揃えて聴いていた。実のところ、なにが面白いのかは良くはわからず、しかし、ちゃんと耳を傾けないとな、と云わば我慢していた。いまだから白状できる。その音盤は押入れの奥の奥に仕舞っているから、もう何十年も聴いていない。

そんななか最近、内田光子のベートーヴェンの30, 31, 32番などを聴き、ああ、なんという諦念と枯淡なのだ、と驚くとともに、この素晴らしい音楽を理解できずにいたことを悔やんでいた。

そして久しぶりに、バックハウスの演奏のCDを買い求めた。それはモノラル時代からそれほど時間を経ずに再び録音したステレオ版だ。

デッキにかけてみるなり出てくる音は、「ああ、バックハウスだ!」と数秒でわかる響き。学生時代に聴いていた音の記憶がよみがえった。なんとも淡い、そしてしかし小さな珠玉がパラパラと零れ落ちてゆくような感じ。それはときには、米粒のような、あるいは煌びやかなあられのような感じでもあり、そしてまた、良質のシャンパーニュのグラスを耳に傾けたときに聞こえる、細かな泡の弾く響きのようでもある。

特に第31番変イ長調作品110は、やはり僕の気持ちにしっくりと落ちてくる。バックハウスが弾くと、あまりにそっけなく聞こえるという人もいるかもしれないが、もったりとした思い入れというようなものは無く、ただ単にあるがままに弾いている。

第2楽章は、内田光子やフリードリッヒ・グルダのような騒ぎ踊り喜ぶ様相ではなく、ただ、こういうことがあった、というような、ことの成り行きはそういうものなのだという響き。

極め付きは第3楽章で、これは寂しさというよりも、日々の移ろいはこんな様相でそれはただ少しづつ時が過ぎていく、それ以上でもそれ以下でもない、ということを伝えているように思えてならない。後半のフーガについて、石井宏がライナーノーツに次のように書いている。

「一歩一歩、彼岸への階段を上っていくかのように見える。しかし、道は遠く、諦念がいつも一緒に歩いている。」

物事は本当は淡々と過ぎていく、それは人が生きていようと死んでいようと世の定めであって、それを大事のように掻き立てたり騒ぎ立てたり、また脚色したりしても意味はないのだ、ただ時は過ぎゆき、我々はそのなかに居るだけなのだ、ということが分かる。

あるがままに受け入れることの姿勢、それを教えてくれるバックハウスの演奏だった。

■演目
・ベートーヴェン:ピアノソナタ 第30番 ホ長調作品109
・同 第31番 変イ長調作品110
・同 第32番 ハ短調作品111
■録音
1961年11月(第30、32番)、1963年11月(第31番)、ジュネーヴ、ヴィクトリアホール
■音盤
ユニヴァーサル UCCD-9163

ベートーヴェン:Pソナタ第30

バックハウス(ウィルヘルム) / ポリドール

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by k_hankichi | 2013-03-31 19:18 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
今日は平塚魚市場が唯一開いている食堂(魚市場食堂、それは何故か平塚ではない町にある)にて昼食をとる。新鮮なる海鮮丼の美味なことと言ったらなかった。

旨い物を食べたあとには旨い酒を求めたくなり、さいきん贔屓にしている酒問屋で、夜に飲むお酒を選んだ。

その酒は、ジンとしてはイギリス最北の地、シェットランド諸島(lerwick、ラーウイック)で作られているブラックウッズ(Blackwood's)。このジンは実に生き生きとしていてその薫りも高く、なにか、北欧のシベリウス的な生命の躍動感に通じるものがある。ココ→http://blackwoodsgin.net/

ラベルをみると2007年ヴィンテージと記載されている。蒸留酒にビンテージが入っているものは、そうざらになく、そのわけを調べてみたら、その年の短い夏の期間にシェットランド島で手摘みで採取された、ワイルドウオーターミント、シーパイク、ジュニパー、アンジェリアルート、エルダーフラワー、メドウスウィート、ヴァイオレットなどで味付けをすることにこだわりをもった蒸留所のものだった(Wild Water Mint, Angelica Root, Sea Pinks, Juniper Berries, Meadow Sweet, Coriander, Cinnamon, Liquorice, Turmeric, Citrus Peel, Nutmeg, Orris, Violet Flowers)。

丹念に作られたそのジンの薫りと味は、あまたにあるものなかでも、とくにふくよかで、1707年になってやっとグレートブリテンの一部になった、スコットランドの最北からの魂の息吹が流れてくるような気がした。

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by k_hankichi | 2013-03-30 21:09 | | Trackback | Comments(3)
ザクッと洗いざらした爽やかな須賀敦子という感じのエッセイ集に出会った。『ジーノの家』(内田洋子、文春文庫)。

“イタリア語でもない日本語でもないキヨコさんの話を聞きながら、気がついたら五時間が経過していた。その独特な散文調の語り口もあって、ただでさえ不可思議な内容にさらに輪がかかり、ビーノと私は魂を抜かれたようになってしまい…”(「イタリアで北斎に会う」より)

“振り返ると、いかにも気難しそうな男性がいて、自分は音楽家だ、という。ピアノを演奏するからよかったら聴きに来ないか、と招待を受けた。「ひどくご機嫌の悪そうな方でしてね、ご招待いただくというよりは命令された、という印象でした」…渋面の音楽家は、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ本人だった。”(同上)

どの短編も、才知と機知に富んでいて飽きさせず、ときに背筋がぞくりとするような感銘をもたらす。文書力の余裕を感じる。

いつかこういうエッセイを書けるようになりたいものだとつくづく思った。

ジーノの家 (文春文庫)

内田 洋子 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2013-03-29 07:46 | | Trackback | Comments(2)

暮れなずむ都会の黄昏に

暮れなずむ都会の
黄昏の街路を眺むれば
春の陽のぬくもりが
見えそうな気がする

建物と空の境目は
桜の花弁が溶け入りそうで
あちこちにそんな風情だから
頬は緩み気持ちはたゆたう

この時間は
境界がおぼろ気で
寒くも暑くもない
だからこれは
桃李境のようなものだ

心みだれる気配もあるが
ゆったりと身を預ける
人々は故郷(ふるさと)を
こんな黄昏のなかに想いだす
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by k_hankichi | 2013-03-28 18:03 | 街角・風物 | Trackback | Comments(7)

しんせつなひょうしき

『しんせつなともだち』という、実に心温まる童話が好きで、何度も読んでいた。福音館書店。
作:ファンイーチュン
絵:村山知義

それとこれとは違うのだが、街角のしんせつ過ぎる標語や掲示に、たびたび驚くことがある。

「夜道には 明るい服装 反射材」(パーティードレスを想像してしまう)
「ひとりきりにならないで 私たちが守ろう子供の未来と安全を」(誰への呼び掛けか)
「ひったくり 心で用心 目で用心」(ぼやぼやせぬよう、とストレートに書きたい)
「明日の友 今日の友」(青少年健全育成の意味らしいが繋がりがよくわからない)
「ちょっとまて」(絵が無いとわからん)

しんせつなこころは、もっと控えめにしないとなあ、と思うことしきりである。
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by k_hankichi | 2013-03-27 08:10 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)
重い脳は欲望に汚れちまつて

鉛と粘土が詰まつてる気がする

ふと選んだ音は

荒んだそれに流れ込み

羽根をつけて飛び回る

珠玉というものが

病んだ回路を癒ゆく

バツハの六つのパルテイイタ

ミケランジエロとフラ・アンジエリコの絵のような

響きを奏でるその人はだからアンジエラ・ヒユウイツト
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by k_hankichi | 2013-03-26 08:00 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
結局、土日でDVDレンタルしての映画を五本観た。レンタル期間は一週間だから次の土曜日までに観れば良いのだが、平日にそのような時間を確保できるはずもない。

もともと観たかった二本だけ借りておけば、こんなことにならなかった。店員の勧誘に欲望が屈したことを悔やむ。

中学生の頃に一日五本を観たことがあるから大丈夫だ、と軽く考えたのが運の尽きで、知恵熱である。心がふらふらに疲れた感があるのに、身体が泥のように重いのに、覚醒している。朝は早くに目覚めてしまい、前頭葉の先が火照っている。

ごちゃごちゃした夢を見たせいなのかといえば、半分はそうで、趣旨一貫しないストーリーに寝覚めが悪い。思いだしたくなくても、絡み合った糸のように解けない。

■ジャンヌ・モローの嫉妬と誘惑の眼差し(『マドモワゼル』)。

■渋谷の恋の物語の血しぶき(『恋の罪』)。

■ポーランドの捕虜収容所の憂鬱(『あの日あの時愛の記憶』)。

■イタリアの反ファシスト派を主導する教授の妻の美貌(我ドミニク・サンダにひれ伏せり、ベルナルド・ベルトリッチ監督の初期作『暗殺の森』[1970年])。

■塀に囲まれた家から出てはならない不条理な環境のなかで育つ子供たちの奇怪な振る舞い(『籠の中の乙女』[2009年、ギリシャ])。

映画を観過ぎた脳は、花冷えの桜が恨めしい。
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by k_hankichi | 2013-03-25 07:50 | 映画 | Trackback | Comments(3)
件のレンタルショップには、名作発掘コーナーという棚があり、ジャンヌ・モローの名演と銘打たれていて、思わず選んでしまった。『マドモワゼル』(1966年)。

フランスの田舎の小学校に勤める女性教師は、マドモワゼルと呼ばれ、人々から一目置かれている。未婚の彼女は、いつも折り目正しくきちんとした佇まいをしていた。そんな彼女は、森の中でマヌーというイタリア人の木こりの男らしい体つきに釘付けになってしまい、舐めるように彼の身体に見入り続ける。

漆黒の闇が迫るころ、彼女は森から家路に戻ろうとするが、人が近づくことに気づく。彼女は慌てて家の傍らの藁小屋の陰に身を隠す。通り過ぎる男がマヌーであることに気づき、彼女は手に持っていたタバコを思わず落としてしまう。それは藁の束に、そして瞬く間に人家に燃え移り、大火事になってしまい、村人たちは総出で火消しにやっきになる。そんななかマヌーは人並みならぬ手際を見せ、その活躍をマドモワゼルは離れたところから見つづける。

マヌーは、村の女たちからもてはやされる。女たちは、だれもがマヌーに抱かれたいと思い、森のなかで彼を見つけた村女は自ら彼を誘っていく。マドモワゼルは、そんな彼女らに対して言い表せぬほどの嫉妬で心を焦がす。

村では、放火や水門の決壊など、立て続けに起こるが、村人たちはそれはイタリアの木こりによるものだと邪推する。しかし証拠があがらず、くすぶった気持ちを吐き出す手立てがない。

そんななか、マドモワゼルは森の中でマヌーと、とうとう触れ合うこととなり、夜通しで、逢瀬に耽溺する。身も心も満たされた彼女が、明け方に村に帰ってくるやいなや、その口から出た言葉は・・・・。

ジャンヌ・モローというと、男を手玉にとる女、というイメージがあるのだが、その潜入観念に違わず、そのものずばりの物凄いインパクトがある作品だった。脚本はジャン・ジュネによるもので、それだからこそ欲望をここまで深く黒く描けるのだと分かった。

モノクロ映画でそしてBGMも無い。言葉のひとつひとつが突き刺さり、宵闇のなかに草木が掠れ、その中にうごめく男と女の姿がどこまでもどこまでも艶めかしい。

歴史に残る名作だ。

■『マドモワゼル』('Mademoiselle')
・出演
マドモアゼル…ジャンヌ・モロー
マヌー…エットレ・マンニ
ブルーノ…キース・スキナー
アントニオ…ウンベルト・オルシーニ
アネッタ…ジェーン・ベレッタ
ブーレ…ジェラール・ダリュー
・監督:トニー・リチャードソン
・脚本:ジャン・ジュネ
・製作:1966年、イギリス、配給UA



マドモアゼル [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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by k_hankichi | 2013-03-24 18:04 | 映画 | Trackback | Comments(2)
レオナルド・フジタ(藤田嗣治)のことを気にかけていたら、今朝の新聞には、相続人から絵画663点が21日にランス市に寄贈されていた記事が出ていた。2018年に開館するランス市美術館に常設展示されるようだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130323-OYT1T00770.htm
地元紙には、さらに詳しいことが掲載されていた。→http://epernay.lhebdoduvendredi.com/article/11054/&page=5

フジタは1968年にスイスのチューリヒで死去し、現在は、最晩年に手掛けたステンドグラスがあるランスの礼拝堂(フジタ礼拝堂)の地下に埋葬されている。
※フジタ礼拝堂についは下記参照。
http://www.museesdefrance.org/museum/special/backnumber/0908/special01-03.html
http://www.ville-reims.fr/index.php?id=892&L=0

シャンパンでも有名なこの街。これは僕にとってはまたとないチャンスで、ぜひともに訪れたい。
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by k_hankichi | 2013-03-24 13:45 | 美術 | Trackback | Comments(4)
近所も桜が満開。それらを眺めながら街に出かけ、レンタルDVDショップにも立ち寄る。2本だけ観るつもりが、今週は新作でも5本1000円と言われ、思わず借りて大変なことになっている。

今日の2本目は『あの日あの時愛の記憶』(http://ainokioku.jp/)。昨年、映画館で予告編を観てとても気になっていた作品だ。

1976年のニューヨーク。街角のクリーニング店のテレビから流れてきた懐かしい恋人の声と姿。そこから物語が始まる(というか遡る)。

1944年、強制収容所で恋に落ちたポーランドの若者とユダヤ系ドイツ娘は、奇抜なアイデアでもっての脱走に成功したが、しかし生き別れてしまう。その後それぞれ、相手は死んだと伝えられ、別々の生活を営んでいく。女は、彼が生きていることを知るやいなや、その想い出が次々に蘇り、もうどうしようもない状況になってしまう。

愛や恋というものは、たとえ32年が経ていても、たった今そこにあるかのように蘇り、もう居ても立ってもいられないほどの心地になってしまう。そういう気持ちの高まりや機微を、細やかに捉え映し出した佳作だった。

■『あの日あの時愛の記憶』(原題:DIE VERLORENE ZEIT)
出演:
アリス・ドワイヤー (1944年のハンナ・ジルベルシュタイン)
ダグマー・マンツェル(1976年のハンナ・レビーン[ジルベルシュタイン])
マテウス・ダミエッキ(1944年のトマシュ・リマノフスキ)
レヒ・マツキェヴィッチュ(1976年のトマシュ・リマノフスキ)
監督:アンナ・ジャスティス
音楽:クリストフ・カイザー 、 ユリアン・マース
製作:ドイツ、2011年、111分



あの日 あの時 愛の記憶 [DVD]

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by k_hankichi | 2013-03-23 19:44 | 映画 | Trackback | Comments(0)

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