<   2012年 08月 ( 33 )   > この月の画像一覧

八月の濡れた砂

八月の濡れた砂。まだ観ていない映画だが気になる。

八月の冷たいビシソワーズスープ。今朝はまた格別だった。

八月の夜の花火。ねずみ花火をあれだけやったのは久しぶり。

八月のなでしこサッカー。大儀見優季がどうしても高橋洋子(女優の)に見えてしかたがなかった。

八月の熱い議論。やはり我を忘れてしまった。

八月の領土争い。無意識でよいはずが不自然な恣意が交錯するのが嫌だった。

八月の採れたての幸水。やはりこの時のは大玉ほど旨かった。

八月の夕方からのハイボール(ビール泡つき)。斬新さの意図が味を損ねていた。

八月の熱い渋谷や神泉。美術館にいったあと、路地路地を歩いていると昔の頃が懐かしかった。

八月の盆の提灯。亡くなった人を迎えるならわしは、たいそう美しかった。
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by k_hankichi | 2012-08-31 07:22 | 一般 | Trackback | Comments(0)
ふとチャンネルを変えたさきで『100分de名著』という番組をやっていた。おこがましいような気恥ずかしくなるような題名に戸惑ったが、少しだけ耳を傾けた。

フランクルの『夜と霧』がその回のテーマだった。

その本は偶然にも、いま家の居間のテーブルに置いてある。大学生の家人が読み終えたものだ。

遠巻きにながめて、しかしその重さを思い出し、また、家人のことを、若いな、という考えが頭をよぎっていた。自分では、また手に取ることはしないでいた。

番組を5分ほど観た。

老いていくことは苦ではなく至福のことなのだ、というようなところを紹介していた。

はっ、とした。

再読精読しなおしていない自分、手にとろうともしていなかった自分。そのことを恥じた。

社会のなかで、組織のなかで存在する僕。一個人として存在する僕。ともに、すこしでも役にたっていきたい。

本も番組も、ともに深く噛み締めたい。いまいちど内省するためにも。

貴重なる100分のなかの5分だった。

フランクル『夜と霧』 2012年8月 (100分 de 名著)

NHK出版

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by k_hankichi | 2012-08-30 06:51 | | Trackback | Comments(4)
久々に吉本隆明を読んでいる。『情況としての画像 高度資本主義下の(テレビ)』(河出文庫)。あまりの鋭さに新鮮100%生トマトジュースを飲んだ感だ。

最近の芸人の芸のなさを批判する輩たちに対して、それこそが洞察力が足りないのだとする。いまの芸は、解体話芸であり、失敗も成功も、そのときの表情や動き、服装から姿勢、笑いも哀しみの表情も、すべてを組み入れて全体を芸とみるべきものだとする。

「朝まで生テレビ」のような床屋政談の討論会についても、小田実、筑紫哲也、大島渚、田原総一朗など、何をやっても、いつまでたっても半人前で、そのときどきの世界党派の一方に同伴することでしか身がもてない理念とする。(以上、「テレビはどこへゆくか」から)

まさにいま起きていることについて書かれているように思えるが、記されてからもう二十年も経ている本であることに気付き、愕然とする。

僕自身の理念や見識もどうなのだ。解体して壊すようにしていくことで、真に据えるべき構造が見えてくる。

情況としての画像―高度資本主義下のテレビ (河出文庫―文芸コレクション)

吉本 隆明 / 河出書房新社

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by k_hankichi | 2012-08-29 07:02 | | Trackback | Comments(0)
骨董とか茶道とか花道のことがよくわからなかった。そんななか、『いまなぜ青山二郎なのか』(白州正子、新潮文庫)を読み、はっとするものがあった。たとえば次のよう。

“何事につけジィちゃんは「意味深長」という言葉を嫌っていた。精神は尊重したが、「精神的」なものは認めなかった。意味も、精神も、すべて形に現れる、現れなければそんなものは空な言葉にすぎないと信じていたからだ。これを徹底して考えてみることはむつかしい。生きることはもっとむつかしい。金持になった日本人は、これからは精神の時代だ、などと呑気なことをいっているが、相も変らず夢二の夢から一歩も出ていはしない。そのようなメタフィジックな物言いは、ごまかすのにまことに都合のいい言葉で・・・”

なんとまあ直截な物言いだろう。

いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫)

白洲 正子 / 新潮社

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by k_hankichi | 2012-08-28 06:56 | | Trackback | Comments(2)
アンジェラ・ヒューイットの、バッハの平均律クラヴィーア曲集を聴いている。2008年9月のベルリンでの録音(二回目の全曲収録)。

自由に、気持ちの流れに逆らわずに奏でるその音色は健康的で、そしてどこまでも穢れを知らぬように響く。

バッハは、難しく考えるのではなく、吐息とともに、そして時の流れに沿うように、過去から現在に、そして未来に向かってゆく。

はるか先の未来には、僕らはもう居ないかもしれないが、たましいはしっかりと、その音色を聴き分けるに違いない。

アンジェラの音色は、そんなふうに優しく柔らかいのだ。

Well-Tempered Clavier

Hyperion UK

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by k_hankichi | 2012-08-27 00:11 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
渋谷でロシアのトレチャコフ美術館所蔵のイリヤ・レーピンの画を観てきた(Bunkamuraザ・ミュージアム『レーピン展』)。この人の絵は、中野京子の『怖い絵』シリーズで知ったのだが、そのときからなにか強く引きつけられていた。

そしてそれは何といっても、『皇女ソフィヤ』(1879年)だ。異母弟のピョートル1世にかわる摂政に就任し、ツ「専制君主」と呼ばせ、事実上の王のようにふるまうが、やがて、その異母弟にその座を奪われる。修道院に幽閉されたその窓の外には、殺された自分の家臣たちが吊り下げられ異臭を放つ。ソフィヤの憤怒にあふれて崩れんばかりの形相は、凄まじい。もう正視できぬほどのおっかなさがある。絵が描かれたあと間もなく、剃髪させられ修道女にさせられ、世の中から捨て去られる行く末が、瞼の奥にへばりつく。

『ムソルグスキーの肖像』(1881年)も圧巻だ。酒に溺れ幻覚にさまよう彼の眼は、どこを見定めるのかを知らない。しかし自尊の念ははっきりとその底流にある。この絵が描かれたあと、作曲家は1週間ほどで亡くなってしまったという。

『ゴーゴリの「自殺」』(1909年)も凄まじい。小説「死せる魂」を執筆中の姿を描いたものだが、原稿を燃やすかれの様相はもはやこの世を、そして彼自身を見限っており、狂人の体である。そしてかれはこの絵のシーンの10日後に亡くなっている。

そして『ピアニスト、ルイーザ・メルシー・ダルジャントー伯爵夫人の肖像』(1890年)。これも病気で死ぬ前の直前の肖像。数日後に死んでいる。

壮絶に生きようとする、最後の「気配」を嗅ぎ分け、そのなかにある一筋の光明を描いているような気がしてならない。

■『皇女ソフィヤ』(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Sofiarepin.jpg)


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by k_hankichi | 2012-08-26 09:53 | 美術 | Trackback | Comments(4)
穂村さんの短歌から、山田航さんが50首を選んで、解説を書き、その解説に対して、穂村さんがさらに補足をした本だ。新潮社。

ときどき、難しく感じる穂村さんの短歌に対して、推察も交えながらの独特な解説が、面白い。穂村さんによると、かなりの確度で当たっていて、さらに深い背景のことを説明してくれる。

一粒で何度もたのしめる紐解き本だ。

写真はこの夏のある日の夕焼け。ふとした瞬間がものすごく美しかった。
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世界中が夕焼け: 穂村弘の短歌の秘密

穂村 弘 / 新潮社

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by k_hankichi | 2012-08-25 12:51 | | Trackback | Comments(2)

齢をかさねて

昨日は、ひとつ齢を重ねた。同級生の誰かに追いつき、学年がひとつ上の誰かにも追いつき、年齢というものは人それぞれ違うのだという、あたりまえの事があたりまえではないような感慨をもつ。

そして、な~るほど、とちょっと深く息をついてみる。

ひとりひとり別個に齢を重ね、ほんとうはぽつりんという存在でしかないのに、社会のなかで交わり、相互に触発されあい影響を与えあい、あらたなものを作っていこうとする。

ぼくらに課せられた宿題。それを片付けていく。
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by k_hankichi | 2012-08-24 06:46 | 一般 | Trackback | Comments(3)
車窓から外を眺めていると、いろいろな建物が自然と目に入ってくる。

あの建物には誰々が住んでいた、ここの場所には行ったことがある。あのころそこで、その人に会った。

なかでも一番感慨があるのは、「このみちを行くと、あそこがある」というようなときだ。

見えていないのに、その行き付くところのことを知っている。そういう瞬間、なにか枯淡の気持ちがし、そして、ちょっと甘くてせつない感覚が入り交じる。
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by k_hankichi | 2012-08-23 07:18 | 一般 | Trackback | Comments(0)
品川駅から帰る途中、無性に腹が減っていて、何か食いものはないかと、むかし良く寄った駅なかの居酒屋風食堂を探した。

すると、おやまあどうしかことか、エキュートが更に拡大されていて、みるも美しい店々にすげかわっている。春にリニューアルされていたらしいが、浦島太郎のような感覚に陥った。

時代が進んでいる・・・。

なかに『キャンプエクスプレス』という山小屋風のカレー店が出来ていて、興味深く訪れた。入ってみて、さらにびっくり。ほぼ満員のなか、九割方が女性客だ。しかもみな一人だ。

ベーコンアスパラカレーなるものを頼む。出てきたものを見てさらにびっくり。鉄製の片手鍋にグラグラと煮えたぎったカレーが入っている。

熱い。熱いがカレーはフレッシュな野菜と燻しが効いているベーコンが見事にマッチングしている。ご飯は、鉄鍋に接している部分で、やんわりとお焦げが形成されつつある。スコップ風の意匠のスプーンで突き崩して食べ進む。

旨い。そしてその熱々さといったら比類なく、ワイルドさとフレッシュさに溢れる。半熟温泉卵も入っていて、これも濃厚さとコクを醸しだしている。硬軟ふたつの食感のご飯を味わえるのもたまらない。

お冷やも目新しい。テーブルのうえに、遠足で使うサーモスタイプの水筒があり、そこから、保温型のアルミのマグカップに注いで飲むのだ。

額の汗を拭いつつ、目の前のうら若き女性をときおり見遣りながら、完食。

すべてが新感覚の、キャンプ擬似体験型のレストラン。

ちょっと高めの値段だが、このハードルで、一人客の女性をターゲットにしている様相。

♪アルプス一万尺、品川駅中、真夏のカレーを食べようよ。ホラ、ランラランラ、ララララ、ランラランラ、ラララ、見知らぬ仲間と楽しもよ!
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by k_hankichi | 2012-08-22 20:56 | 食べ物 | Trackback | Comments(2)

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