音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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「卵の殻を自ら割れば、生命を持った鳥になるが、他人が割れば目玉焼きにしかならない」と著者はいう。

企業や組織、そして一人ひとりの人間は誰でも、自分だけの殻をもっているが、それは破ってよいのだ、固定観念を率先して破っていかねば、ということで締めくくっている。

彼らが何故変革できたかが、よくわかる解説書だった。

『サムスンの決定はなぜ世界一速いのか』(吉川良三、角川ONEテーマ21)

サムスンの決定はなぜ世界一速いのか (角川oneテーマ21)

吉川 良三 / 角川書店(角川グループパブリッシング)

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by k_hankichi | 2012-05-31 22:12 | | Trackback | Comments(2)
今日は、福島への日帰り出張。阿多多羅山が、その会社の目前にあるということを教え知らされ、仕事の話は上空になり、それはもう、いてもたってもいられなくなった。

高村光太郎の『樹下の二人』そのもののの場所なのだ。『智恵子抄』の一篇。ああ、あの総武線の下りで読んでいた本を級友に取り上げられて、ひやかされたことを思い出した。

今日の出張は、この山を視識できたことだけで、たとえその内容がぼちぼちであろうとも、全てが佳し、ということに思われた。

『樹下の二人』

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

(後半省略)
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by k_hankichi | 2012-05-30 20:17 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)
白石一文さんの小説を読むたびに、はっと気付かされることがある。彼も、ふとした瞬間に気付いた、見出したことをたいせつに記憶していて、それをしっかりと人に伝えたいと思い、そして小説に織り込もうとしたのだということがわかる。それはときおり、とても哲学的な示唆に富むことがあって、『翼』(光文社)もまたそうだった。

「たしかに自分のことを最も深く理解してくれている人間の死は、自分の死と限りなく近いのかもしれませんね」
「・・・俺たちは他人の心の中に自分と言う手紙を配って歩く配達人にすぎないのかもしれんなあ。配達人が郵便受けに差し込む手紙の中身を知らないように、俺たちも自分がどんな人間なのかちっとも知らずに、それをまるごと人に預けてるだけなのかもしれん」

尊敬していた先輩が、主人公(珍しく女性である)に語った言葉だ。

“要するに私たち人間は、一人の例外もなく「完全なる無」にしか過ぎないのだと。にもかかわらず、私たちはその虚無に抗いたくて、無駄な抵抗と知りつつ愚かな繁殖行為を続けているだけなのだと。”

そう主人公は語り、そして、最愛の人となるはずだった人を亡くした際に、ようやっと、自分自身の存在というものの意味を知る。

白石さんは、その一篇一篇の小説で、そのたびごとに新たな事柄を、読者に伝えようとしている。潮の渦巻きのように、見定め究めたひとつのメッセージに向かって、加速度をもって集束させていくのは、彼の独自の技法だ。

翼 (テーマ競作小説「死様」)

白石一文 / 光文社

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by k_hankichi | 2012-05-29 00:41 | | Trackback | Comments(2)
今朝の朝日新聞には、一面、文化面、神奈川さがみ野面、社会面の四面に、吉田秀和さんを悼む記事が掲載されていた。調べればもっと載っていたかもしれない。

なかでも堀江敏幸さんの表現は、吉田さんの文章のような感じがあり、深い溜め息をつかされた。次のようである。

“音楽家であれ画家であれ作家であれ、吉田さんが発する固有名詞は空っぽの張り子にならず、息をふきこまれ、血の通った像を結ぶ。どれほど精緻な分析がほどこされていても、その文章から香気が消えることはない。とくに一九八0年代の一連の絵画論は、理智が身体感覚と結びついた小説的な散文の、稀有な達成だった。”

『永遠の故郷』四部作についてもこう記す。

“すべての言葉が粒立って若々しく官能的な光を放っている作品群は、詩文どころかもう、年齢も性別も超えたアリアにしか聞こえない。”

切り取ってきた記事を電車のなかで何度も何度も読み返しているうちに、涙がじんわりと出てきた。

ひとつの時代が幕を下ろした、ということを実感した。
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by k_hankichi | 2012-05-28 07:06 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

吉田秀和さんを偲ぶ

吉田秀和さんが亡くなったことを遅ればせながら知った。彼の評論は、まずは深い感受性と芸術造詣、そして精緻なる音楽理論に基づいていると思うが、若い頃から通い続けた欧州の音楽会や音盤の聴き込みがさらにそれを支えているだろう。

音楽というものは、人の心の奥底に深く深く沁みいり、そこで雪の結晶が静かに融解するようにして身体に回ってゆき、そして、その人の気持ちや行動に影響を与えていくもののように思う。

彼が残した著作をWikiで改めてひもといてみると、評論、翻訳、訳詞まであまりの量塊に圧倒される。
ココ→http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田秀和

すべてを読み尽くすには膨大な日々が必要になるだろうが、折に触れ、そのページを繰っていきたいと思う。

謹んで、彼の冥福を祈りたい。
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by k_hankichi | 2012-05-27 21:31 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
酒も文学もこよなく愛す僕だけれども、その両方を適切なるセパージュ、バランスで、しかもこれほどまでに高度に組み込んだ本には出遇ったことはなかった。『熟成する物語たち』(鴻巣友季子、新潮社)。ああ参った、これは信じるに足る、と正直に頭をさげる。

なにがどうで、どれがどんなぐあいで、ということを説明することは難しく、それはなぜ難しいのかは、この書を読まないと、いまの境地をいい表せない。

ヴァージニア・ウルフの小説のなかの言葉に潜む、秘められたる意味の数々。

ヴァルター・ベンヤミンが信じる翻訳についての深遠なる考察。言葉が刈り入れられていったん定着した「死後」にもさらに熟成していくことを「後熱」(ナーハライフェ)と彼は表現しているということで、それはワインの熟成にもにているとする。

落語と物語の因果関係について。「会話文から内面描写へすっと移るくだりで、こんな風に閉じ括弧なしで訳せた感じが出るのに」と嘆息する著者。

「翻訳語」の寿命について、そして、日本語という言語でしか表せない僕らの心の風景について。

村上春樹の文学について、その変遷と、そして世界文学になってゆく予感。それによる日本の心からの乖離への不安。

それらの文学に関する叙述のなかに、フランスワインと各国ワインのそれぞれの醸成と変遷を重ね対比し、論考が展開されてゆく。

なんとまあ、心地よく、そして、深く敬服する文章なのか。これは、エッセイでもなく評論でもなく、さまざまな視点から心に射し込まれる情念を描写した「心の風景」のように思う。

熟成する物語たち

鴻巣 友季子 / 新潮社

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by k_hankichi | 2012-05-27 19:40 | | Trackback | Comments(0)
東京への行き帰りの電車のなかで、『トーべ・ヤンソン短篇集 黒と白』(ちくま文庫)を読了。彼女は、第二次世界大戦後にムーミン物語を世に出し、その後25年のあいだにそのシリーズを計9冊描き続けたそうだが、それから先は、そこから離れ、本格的に短篇に取り組んだそうだ。本書は、どちらかというと人の生きざまの厳しさを問うような系統だ。

気味のわるい作品が、なかでも良い。『第二の男』は、ときおり、もうひとりの自分が幻覚のように現れることを体験する装丁者が、初めはその影におびえながら、やがてその彼との決別をきっぱりとしてゆく。『灰色の繻子』は、相手の死期を予言してしまう刺繍家の話。見えてしまうことの悲哀と宿命に翻弄されているうちに、得意だったはずの刺繍をどのようにすればよいのか分からなくなっていく。

これらの小篇のようなテイストはないが、『発破』は海に生きる男の荒々しい大胆さが生きた小品だ。ダイナマイトで海の岩石を打ち砕き、その砕石を売り物にしていく鉱業従事者の、ドクドクと血流が遡るような、そしてむせかえるような油のにおいの船の揺れに佇む姿が伝わってくる。

夢のなかにも出てこない、まったく味わったことがない感性がどろりと流れてくる。

決して、“わー、ムーミン作家だ楽しそう!”、ということで飛びついて読んだりしてはならない。

トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白 (ちくま文庫)

トーベ ヤンソン / 筑摩書房

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by k_hankichi | 2012-05-26 19:36 | | Trackback | Comments(2)
駅までのバスに乗る。客はぼくひとりだ。こんなときに運転席のうしろに陣取るのはむかしっからだ。

爽やかな春の風に乗るバスに、身を預けるのは心地よい。

停留所ごとに、ひとり、ふたりと乗客があり、ゆるやかに揺れながら窓の外を一様に眺める我々。小津安二郎映画の横須賀線に乗っている客と同じになる。

ようやく一体としたバスになったかなと思うころ終点だ。駅前広場ではなにやら風船が飾りつけられエレクトーンの音楽やらが流れ、催し物が開かれようとしている。

世の中は、そぞろ心浮かれ、馬車に乗った緑色の服を着たジプシーたちがバイオリンやら掻き撫で躍りだしそうだ。
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by k_hankichi | 2012-05-26 09:30 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)
初バスで会社に向かう朝。寝ぼけ眼を擦りながら聞くのは音楽ではなく、『ピーピングライフ バカップル留守番電話ですれ違い〜CD仕様〜』。

恋人からの留守電が20件も入っていた男の当惑を描く。ドラマ仕立てである。

そこらに居そうな二人の馬鹿な関係におもわずにやっとしていまい、そのまま忘我の世界に再び入っていく。

好かれてしまった男の悲哀なり。

Peeping Life(ピーピング・ライフ) -The Perfect Extension- [DVD]

コミックス・ウェーブ・フィルム

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by k_hankichi | 2012-05-25 06:15 | | Trackback | Comments(2)

夏服への切り替え

中学生のころ、学校の制服の冬服から夏服への切り替えが待ち遠しかった。切り替わったあとの教室は、陽光がきらきらと輝いているような気がした。

高校生のころ、標準服を最早着なくなるのもこのころだった。服装は自由だったから、パチンコや麻雀屋にごく自然に出入りでき、だからなんだかいっぺんに大人の仲間入りをした気がした。

大学生になると、冬でも半袖で通す数学科の先生がいたりして、冬服と夏服の区別がつかなくなった。

大人になると、ティーピーオーが重視され、人と違う格好をすると、なにか言われた。

冬服から夏服に切り替える嬉しさ、ワクワクする気持ちを、忘れぬように。そのきらきらとした気持ちは永遠ということに近いのだ。
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by k_hankichi | 2012-05-24 07:43 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)