音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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ブリューゲルの雪世界

未明から降り始めた雪が降り積もり始めている。ぼた雪だがもはや目の前の景色は一面まっ白の世界だ。

歩いているうちにプリューゲルの絵のなかに入り込んだような気持ちになる。ああ向こうを主人とともに歩いているのは狩りから帰ってきた猟犬だ。丘の先では村人たちがひそひそ話をしている。

森には鳥たちが息を潜めており狐たちは何か獲物がないか木の榁から外を窺っている。

今日一日、静かに物事が動いていくことを念ずる。
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by k_hankichi | 2012-02-29 07:40 | 街角・風物 | Trackback | Comments(3)

春の予感と人の機敏

三寒四温ということそのものを感じる今日この頃だ。田の刈り取った切り株から青い芽が出ていたり、黒い土だったところもうっすらと短い雑草で覆われていることに気付く。

卒業や入学のシーズンも近い。会社もいろいろな動きがある。

こういったときに人の本当の姿や心意気が現れる。裏が見えてしまうときもある。ああそんなふうに仕事のことを考えていたのか、とがっかりするようなことも。

春四月に向けて、ますますまっすぐに前を向いていかなきゃ、と思う寒い朝だ。
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by k_hankichi | 2012-02-28 07:54 | 社会 | Trackback | Comments(2)
先週末、御茶ノ水にはこれから大学に入る家人を同行した。あの本屋街に足を踏み入れたことがないということで、それではまずかろうと考えたからだ。

クラシック音楽は私が聴く蛮人のものだと思われていたようだが、レコード店で、これを聴きたいと唯一差し示したのが、メンデルスゾーンの交響曲第五番『宗教改革』だった。シャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団。このほかにもいくつか宗教曲に興味を示す。学校で習ったからということだがまあ良い。

曲の感想を聴くと、なにやらニヤニヤしていて思っていた感じとは違っていたようだが、僕も今朝聴いている。

冒頭はグレゴリア聖歌風なる崇高なる和声。以前きいたのはかれこれ30年は前だから、なんだか記憶の欠片が少しずつ蘇りくるような感じが心地よい。

重厚なるモチーフに乗って煌びやかなる響き。大聖堂のなかでこの音楽を聴きたいなあと思うことしきり。

ながらく封印されていた書物をひもとく心地よさがした。

シューマン : 交響曲第1番「春」&メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」

ボストン交響楽団 / BMGメディアジャパン

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by k_hankichi | 2012-02-27 07:51 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
「真実ってさ 一つじゃないんだよね」
「人は信じたいものだけを信じて 見たいものを見るのよ」
・・・夕日が映えるの海を見ながらのこんな会話の背景には、湘南の空があり、そこには通奏低音のように次のようなことが書き連ねられている。
“思いもよらないことが ある日ふいに姿を現す 昼間偶然見つけた月のように でもそれはずっとそこにあったのだ ただ気づかなかっただけで”
(『海街Diary』第2巻 「真昼の月」から)

子供のころから漫画雑誌は苦手で、唯一読めていたのは毎日小学生新聞の数コマ漫画の『がんばれゴンべ』ぐらいだった。四、五年前、ワインにまつわるコミックスということで『神の雫』にすこし嵌りはしたが、酒についてだから読んだのであって、物語としては陳腐でそこに何の意味があるのかをつかめないままでいた。僕には絵と文字を同時に追うことがうまくできないのだ、漫画は性にあわないのだ、これを読める人たちには別の能力があるのだ、と思いこむことにしていた。

長い間そういう状態にあったなか、この吉田秋生(よしだあきみ)のコミックス『海街Diary』(小学館flowersコミックス)を友人から知り、読み進めている。この漫画は、各コマの流れの合間に、ときおり丁寧な心情描写が入っていて、それが唐突な場面の切り替わりの緩衝剤というか時の流れの融合のはたらきをしている。

素晴らしいのはストーリーだ。鎌倉という街を舞台に、父親に先立たれた若い四姉妹が生きる物語だが、そのなかに日本人が持っている「想う」「慕う」「堪える」「通じる」ということが、実に控えめに描かれている。小津安二郎が生きていたら、絶賛したのではないだろうかとおもうほどで、コマとコマの間にもそういった余韻をもった美しさがある。

初めて、漫画というものを理解できた気持ちがした。

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

吉田 秋生 / 小学館

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海街diary 2 (フラワーコミックス)

吉田 秋生 / 小学館

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by k_hankichi | 2012-02-26 21:49 | | Trackback | Comments(2)
久々に昼下がりから御茶ノ水、神保町界隈を訪れた。

ディスクユニオンやササキレコードを探訪し、昼は友人が薦めていた老舗『エチオピア』でチキンカリーを食す。辛い。大地の奥底から、くぐもった太鼓の響きに重なって、生け贄にされた都会人の断末魔が微かに聞こえてくるような旨さだ。

隣のテーブルの人は豆カレーを食べていて、それはルーとライスが別皿に盛られて具もふんだんであり、そちらの方が旨そうに見えて仕方がなかった。隣の芝生は青く見えるのは人間に欲がある性(さが)か。だから次回は必ずや豆カリーである。

書店で気になっていた本を入手したあとは、『さぼうる』に。絶妙のタイミングで扉を開けてくれる店長の立ち姿に剣道家の影を感じる。相変わらずの昭和レトロの雰囲気にホッとする。人間味溢れる店内の雰囲気に押されてハイボールを呑みたい気持ちになったが、ぐっと抑えて珈琲を味わう。

帰りがけは交差点の神田達磨で鯛焼きを立ち食いし、甘辛取り混ぜての想いを胸に刻んだ。
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by k_hankichi | 2012-02-25 18:23 | 食べ物 | Trackback | Comments(2)
ファジル・サイによるバッハの音盤を聴きはじめた。唸る踏みしめる、奔放な放埒な演奏だ。

冒頭のフランス組曲第6番から、心身の赴くままに弾き流す彼の音魂を聴いていると、閉じこもらず自然なる発露のまま心を開け放てばよいんだ、ということを感じる。「分かる」というより、「感じる」。

ああ、この人はビアノを弾くことのなかに、たくさんの喜びがあるんだなと感じる。イタリア組曲もそうだ。グレン・グールドが不良少年になったようなところがある。

端正とか精緻とか、折り目正しい、とかいうものとは違う、ある種の無頼的なる世界は、肩肘はることのない緊張することのない、心身の解放感に浸ることができる。

そんななか、最後の曲は平均律クラヴィーアからプレリュードとフーガ。実はこんなに優しい、羽毛に触れるような演奏もできるよ、ということを披露され、僕はあっけにとられた。

シャコンヌ!〜サイ・プレイズ・バッハ

ファジル・サイ / ワーナーミュージック・ジャパン

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by k_hankichi | 2012-02-24 07:32 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
実はシューマンのピアノソナタを聴くのは初めてだった。

極めてロマンディックなフレーズから始まる第一番(嬰へ短調作品11)。なんだこれはバラードか、と信じてしまうほどに叙情が溢れ起伏し、物語のように流れていく。現代映画の音楽にそのまま使えそうなものだ。第二楽章はトロイメライのような夢想曲。軍楽隊の余興のような三楽章を経て、第四楽章は改めてこころを整え鼓舞するような出だしから叙情のフィナーレに転じてゆく。

音盤は学生時代の先輩から先頃頂いたもので、小林五月というピアニストによるもの。深い情念が込められた、シューマンをたどる思索の旅のような演奏だ。

ピアノソナタ第三番(へ短調作品14)も、型破りな曲想。そぞろ心踊る第一楽章、第二楽章と、そして深く沈降する第三楽章。そしてクライマックスに向かう魂の円舞と渦巻き。ロマンチックな、あまりにロマンチックな主旋律が絡まるような息遣いで吐かれてゆく。

この演奏は実に均整のとれた、しかしそれだけではない自らの軌跡を重ねあわせて描いたかのような情念が流れている。

ピアノ・ソナタ第1番&第3番 [シューマン・ピアノ作品集III]

小林五月 / ALM RECORDS

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by k_hankichi | 2012-02-23 08:01 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

『共喰い』(田中慎弥)

どろりとした川の淀みをみやりながら、それが淀めば淀むほどにどくどくと荒立ちたぎる欲望のさがが滾る。そんな川辺に棲む父と息子の、自分の生きるさがを賭けたような張り合いだった。共喰いとは、それぞれが愛するものを食らいながら生きようとする最後のも掻きのようなもの。

父が愛するものを子が欲し、息子が愛するものを父が欲する極めつけの荒々しさはなんとも壮絶だ。それはなまなましく、そしてどこまでもぬめぬめしていて、その川で釣れるうなぎの光沢のよう。その薄気味わるさは読後もずっと残っていて、なんともいえぬ気持ちの悪さが残る。しかしそれが人間の生き様なのだということをうすうす気づかせてくれる、そんな小説だった。

田中慎弥の芥川賞の挨拶は、なんともふてぶてしく、それが世の中の話題になっているけれども、そのうらにある芯の強さ、なにがあろうとも生き抜いてやろう作家として世に物語を問うてやろうという気概の強さに裏打ちされたものだと思った。そしてしかしそれは育ちのよい選考委員の方々には、やはり分からぬものなのだろうとも思った。

文藝春秋 2012年 03月号 [雑誌]

文藝春秋

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by k_hankichi | 2012-02-22 00:19 | | Trackback | Comments(0)
さきの週末からこの週明けは、ずっと深く重い、過去を振り返るときだった。親族に不幸があり、あまり帰省しないその地を久しぶりに訪れ、慣習に従ってのいろいろな偲ぶ場のなかで、普段遭わないたくさんの人たちと語りあい、そして人と人のつながりに想いを馳せるときの連続だった。

体力的にも精神的にも朦朧としながら、この音盤を携え、聴くことができるような車中ではそこに耳を傾けた。深夜に漆黒の暗闇のような山あいの道を辿る時間には、挫けそうな気持ちが励起されて精神が研ぎ澄まされた。

これまで接したバッハの演奏のどれにも似ていなく、峻厳な孤高の極みにあるそれとは、友人が薦めていた庄司紗矢香のバッハとレーガーのアルバムだ。

極め付きは、やはりパルティ―タの第2番。華奢な女性の腕と指先から、こんなに鳥肌立つ音色が生み出されるとは知らなかった。「シャコンヌ」の後半では涙がじんわりと涌き出てくる。曖昧なことをしていてはいけない、きちんと生きなければいけないという気がした。

音盤の表紙は真っ白でそのなかにBach & Regerという文字があり、そしてそこに純白のワイシャツと黒パンツを着た彼女が、はにかんだような微笑みを浮かべて遠くを見やっている。裏面は空色の絹のすべすべしたドレスを羽織って一心に演奏している。演奏の趣きそのものだ。

彼女はミッシャ・エルマンが所有し演奏していた1729年製ストラディヴァリウス「レカミエ」を使用している。あの甘ったるいエルマンの音色とは全く異なる響きが同じ楽器から出ている。その事実には、これから起きる何か果てしない空恐ろしさのようなものが内包されている。

この週末のことは、庄司の音とともに、これからもずっと心に刻まれているだろう。

■収録曲
マックス・レーガー:プレリュードとフーガ in G minor Op.117 No.2
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 in G minor BWV1001
レーガー:プレリュードとフーガ in B minor Op.117 No.1
バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第1番 in G minor BWV1002
レーガー:シャコンヌ in G minor Op.117 No.4
バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティ―タ第2番 in D minor BVW 1004
■録音:2010.8.28, 31 @Chapelle de I’Enfant Jesus par Hugues Deschaux
■音盤:仏Mirare MIR128

J.S. バッハ & レーガー: 無伴奏ヴァイオリン作品集 (Bach & Reger : Works for violin solo / Sayaka Shoji violin) (2CD) [日本語解説付輸入盤] [Import CD from France]

庄司紗矢香 / Mirare France

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by k_hankichi | 2012-02-21 01:04 | クラシック音楽 | Trackback(1) | Comments(2)
なかなか出口ない感覚があるいまこの世の中だけれども、それがサルトルの小説『出口なし』に絡むのかはわからない。

しかしあの小説の真価はやがて分かるだろう。

技術や専門レベルでは人に説くことができたとしても、みなに影響を与える存在になれていない今を反省する。出口をみいだそうと、あ掻く。
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by k_hankichi | 2012-02-17 00:43 | 一般 | Trackback | Comments(0)