<   2011年 12月 ( 35 )   > この月の画像一覧

例年通り、今年心に強く残った音楽、小説、酒、映画、TVドラマのそれぞれベスト3をここに残します。

■音楽
1.ケーゲルのエグモント序曲
音盤:アルトゥス・ミュージック ALT055
録音:1989.10.18 サントリーホール
これは、僕のケーゲル開眼の音盤であり、これを聴くことでだれもが、ヘルベルトという名はただこの一人にだけ残すべきだと思うのだ。遅まきながらも、既に30年前にこの指揮者を推していた僕の先輩に最大の表敬を払う。

2. アンネ・ソフィー・フォン・オッターの『Bach』
音盤:アルヒーフ UCCA-1089
歌: アンネ・ソフィー・フォン・オッター(メッゾ・ソプラノ)および、
カーリン・ルーマン(ソプラノ)、アンデッシュ・J.ダーリン(テノール) 、トマス・メディチ(テノール)、ヤーコブ・ブロッホ・イェスペルセン(バス・バリトン)
演奏:コンチェルト・コペンハーゲン、ラース・ウルリク・モルテンセン(指揮、オルガン)
録音:2008年6月 コペンハーゲン、ガーニソン教会
遠くから近寄ってくる色香というものが音によってあらわされるとしたら、まさにこの歌にあると思う。

3.バティアシュヴィリによるショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 Op.99
音盤:ユニバーサル・ミュージック UCCG-1524
録音:2010年5月6日-9日
リサ・バティアシュヴィリというきりりという名にふさわしい切れ味で、このひとの弦の俊敏さ透徹さに魅せられ、アンネ=ゾフィー・ムターの濃厚なまとわりつきに後ろ髪を引かれながらこちらに流れていくのだった。おなじ音盤にペルトの『鏡のなかの鏡』とラフマニノフの『ヴォカリース』が入っており、こちらもよい。

■小説
1.『すべて真夜中の恋人たち』(川上未映子、講談社)

2.『暗渠の宿』(西村賢太、新潮文庫)

3.『ささやかな永遠のはじまり』(盛田隆二、角川文庫)

このほかにも、『下町ロケット』(池井戸潤、小学館)、吉田健一の一連のエッセイ集、川上弘美の書評集『大好きな本』(文春文庫)や堀江敏幸の書評集『本の音』(中公文庫)と小説『ゼラニウム』(中公文庫)などが、とても大切な記憶として残っている。久世光彦のエッセイや小説にも遅まきながら開眼した年だった。また、沼田まほかるの小説もおっかなさを知りながらどうしても手にとってしまうことになった。

■酒
1. 岐阜の日本酒『小左衛門』(中島酒造、瑞浪市、特別純米直汲み)、『三千盛』(三千盛酒造、多治見市、純米大吟しぼりたて)、『三千櫻』(三千櫻酒造、中津川市、純米渡船ひやおろし)
年末に友人とぶらりと訪れた神保町の飛騨居酒屋『蔵助』で出された一杯に、日本酒についての認識をまるっきりゼロから覆された。『小左衛門』は微発泡のワインと行ってもよく、ワールドクラスに誇ることができるし、『三千盛』と『三千櫻』とは、おなじく芳醇な香りで甘すぎず辛過ぎずこのバランス感覚には舌を巻く。岐阜の酒がこんなに旨いとは初めて知った。地図つきの紹介図がここにある。ココ→http://www.kurasuke.jp/nihonsyumenu.html

2.ロンドン・ドライジン『ピムリコ』
これも友人と川口のバーで呑んだものだが、57度のジンの記憶は鋭くぴしゃっと踵をただすような衝撃だ。もし次にお目にかかることができたならば、かならずトニックにして飲みたい酒だ。

3.ブルゴーニュのシャルドネ『Rully』
Joseph Drouhin(ドルーアン)というボーヌにある醸造家によるシャルドネはコート・シャロネーズの良質な石灰系の地盤の味がして、料理無くしてこれだけで十分に長時間味わえるワインだ。

■映画
1.『英国王のスピーチ』(監督:トム・フーバー、主演:コリン・ファース、2010年)
こういう映画を歴史に残る映画というのだと思う。

2.『愛のむきだし』(監督:園子音、2008年)
満島ひかりの迫真の演技が何と言っても光る。

3.『フローズン・リバー』(監督: コートニー・ハント、2008年)
このリアリティがたまらない。

■TV番組
1. 『それでも、生きてゆく』(フジテレビ)
これだけ重苦しいドラマは久々だったが、テレビドラマをこの極みに高めた監督、演技者にただただ感謝する。大竹しのぶ、そして満島ひかりのすばらしさに脱帽した。

2. 『酒場放浪記』(TBS)
この番組はドラマではないけれど、それに匹敵する面白さがある。これに出会えたことは今年の至福であり月曜日の夜は自宅に直帰したくなった。

3. 『マルモのおきて』(フジテレビ)
芦田愛菜、とにもかくにも芦田愛菜である。

来年も、音楽、小説、酒、映画、TVドラマを、広く広く極めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
[PR]
by k_hankichi | 2011-12-31 19:00 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)
今回の旅行での記憶は玉石混淆ながら沢山ある。美しいものへの感動は大切にとっておきたいが、忘れ去りたいような得体の知れぬものもある。そのひとつが、龍山寺のメトロの駅に隣接した地下のカラオケ店街だ。

カラオケというと日本の場合は、個室カラオケが主であって、そのほかはパブやクラブの閉じた部屋のなかでのごく少人数のあるていど知った人たちで楽しむものだが、ここ台湾の地下街は違う。通路に面してカラオケ店が軒を連ねている。ビニールが天井からつりさげられたものが店と通りの仕切りになっているだけだ。

店内は殺風景である。学校の教室のように四角くて長いテーブルが並べられていてその上には、すこしばかりの飲食物が申し訳程度に置かれているだけですべてが筒抜けに見える状態だ。

そこで親父さんやカラオケ店のママさんらが歌を歌っている。踊っている老若男女もいる。一同はきちんと座りながら、他の人たちが歌い踊るのを聴くのだ。夜ではなく、昼下がりから、である。雰囲気からすると、もしかすると朝っぱらから歌っているのかもしれない。

歌声は、通路じゅうに響き渡り、もちろんそれは隣のカラオケ店にまで響き渡る。向こう三軒両隣がカラオケ店だから、4曲も5曲もが五月雨式に聞こえてくる。僕はぎょっとして絶句した。しかしメトロから降りてきた通行人たちはこれを平然と眺めながら次々に地上に出ていく。

このシーンと台湾演歌の歌声がなかなか頭から離れない。

公衆公然カラオケの怪しさ、おそるべし。
c0193136_12411550.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2011-12-31 12:41 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)

台湾の味あれこれ

台北への旅から一夜明けて感慨深く思うのは、やはり食いもののことだ。何が旨かったかといえばどれもが旨かったのだが、それらをひとつひとつ想い出しているだけでまた訪れたくなる。

朝は下町の路地に間口2~3メートルほどで軒を連ねている食べ物屋から、揚げ饅頭屋を選んで食うと良い。持ち帰りか立ち食いの店だ。どの店も4~5人の客が列をなしているが概して客あしらいはぞんざいだ。しかしそれと味は関連はなく、中身が豚肉のひき肉であろうと、青菜入りだろうと、キャベツであろうと、一口噛んだ瞬間、香ばしい香辛料とジューシーな汁の味に驚き、無言のうちに貪り進めることになる。

昼はやはり点心である。いまや世界各国に支店を出して展開(日本にも多数)している小龍包の店の本店は、肩肘はらない明るい雰囲気で、頼んでからものの5分も経たないうちにせいろ(蒸籠)蒸しにしたそれや餃子などが運ばれてくる。小さな蓮華にいれて箸で穴をあけ汁をすするだけで、そこには台湾島全体どころか広大な大陸に繋がるような味がし、一口噛むとその柔らかさにさらに驚く。包一包が程良い大きさだから、幾包でも際限なく腹に入っていき、いつ満腹になったのかわからずに、気づいた時には前頭葉全体に靄がかかるほどの甘美な状態になっている。

歩き疲れたところではタピオカドリンクがよい。タピオカはその音感だけで南の響きがするが、キャッサバという根茎から製造したデンプンだそうで、それを丸い球状に成形した「粉圓」(フェンユアン)をミルクティーに入れたもの(珍珠奶茶)は、はまさに台湾が発祥だそうだ。タピオカはこれまでずっと白い色をしたものだと信じて疑わなかったが、台湾のそれは黒く、そしてだいたいがパチンコ玉をすこし小ぶりにした大きさであってびっくりする。スタンドバータイプのチェーンがたいていあり、大玉の球を、これまた太いストローで連続して吸いこんで食していく。これはマシンガンの弾を口に含んで込めていくようで、食べること以外にもとても愉快だ。

台湾は亜熱帯にあり、大陸側の広東省にも近い。それだからなのか、夜は広東料理(その店は江浙料理と称していた)が旨かった。濃い味の北京料理や辛味の四川料理とは異なり薄めで、これはだから繊細という味だと思う。江浙料理とは、調べたところ上海、杭州、寧波、徽州、楊州、蘇州、無鍚等といった南部の地方料理を総合している。なかでも「東坡肉」(トンポーロー)は、僕らが日本で食べている豚の角煮とは異次元の柔らかさと優しさに包まれていて、あっさりした甘辛さはどうやればこの味になるのか、まるっきり想像だにできないが、それは分からないままにしておくことが良いほどに深遠な旨さだった。

このほかにも旨いものがたくさんある島で、貝料理(蒸し、焼き、煮)、台湾(新竹)名産のビーフンの炒めもの、焼餃子(鍋貼という)や水餃子、それから菓子類のどれもが良い。際限ない食いものの種類はこの中華民族の系譜と遺伝子からなのだろうが、大昔に島伝いに大陸から移住してきたはずの同じ東洋人の我々ゆえにそれにかならず共鳴するわけで、この感覚に没入する楽しみのためにもだからまたこの地を訪ねたいと思う。
c0193136_1234062.jpg
c0193136_11515325.jpg
c0193136_12115312.jpg
c0193136_14452942.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2011-12-30 11:27 | 食べ物 | Trackback | Comments(2)

這う這うの体の末の安堵

物事の分別がつくくらいの歳ごろになってから、父親からときおり、「中国人は油断をしてはならぬ」というようなことや、そのあり様のことを断片的に聞かされてきた。すこし前にも彼が観光で台湾を訪れた折に土産に買ったオールド・パーの12年物が、日本に帰って開けてみるとサントリー・レッドのようなものが中身であり、それを掴まされたことをとても残念がって、やっぱり今でも彼らは…、という説明が復活した。

そうは聞かされていながらも、僕は一方では台湾人とここしばらく仕事上の付き合いがあり、そのなかでの彼らの真摯な姿勢には、父親がそこまで言うほどのことはないよなあ、僕だけは彼らにきちんと対峙しているさ、と擁護派的な観点でみていた。

しかし油断をするもしないも、昨日は自分の審美眼がいかに甘いのかを思い知ることとなる。商売の基本というものは、存外そういうものなのだということも改めて身にしみる。

台北城外の食品関連の商取引は、南はかつての新富町(現在の龍山寺のあるあたり)での生もの系(肉類)、そして北がかつての永楽町(現在の迪化街[ティーホワチエ])での乾物系だったようで、その迪化街は、現在もひきつづき魚介や木の実などの乾物、漢方薬、米粉(乾麺)などを扱う店ばかりが軒を連ねる。

東京でも大阪でも、城の近くにはこういった問屋街が開けてきたわけだから、そのこと自体は不思議ではないのだが、この台北の乾物街はどの店もほぼ同じような品ぞろえで、そのくどさというものはもう不気味ともいえるほどだった。それぞれがどのような顧客筋で以て切り分けられ経営が成り立っているのか、まったくもってわからぬ様相だ(もちろん彼らはその縄張りわけがきちんとできているから現在に至っているのだろうが)。

とそこまで分かったことはよいのだが、僕はある漢方薬を求めてそのなかを何軒も廻り、どの店もこの値段で精一杯、という表情で語りかけるそのあり様に嫌気がさしていた。そんななか、まさに嘘いつわりのない誠実の見本のような、そしてこれ以上ないほどに快活溌剌とした売り手を見出し(発掘した気分だった)、破格とおもえる条件を引き出し(交渉のたまものと信じた)、そして買い求めたその同じ薬は、駅までの帰りがけの路の小さな店で半ばからかい調子で尋ねれば、それよりも更に3割以上も安い値段を示され、誠実を信じた自分の現実に唖然とし、しかしそれではあまりにも癪なので同じものを更に3つもその店で買い求めてしまった。

都合、手を余すほどの漢方が集まってしまい、結局僕は、台湾人の素状がわかるどころか、完全に掌上で操られているという状況にあることを遅まきながら悟ることとなった。

その後、這う這うの体で台北市政ビルを訪れ、同市が運営する台北探索館というテーマ館で、僕はようやっと旧台北城の俯瞰図を見つけた。そしてその後の日本統治により整備された市街図もそこにはあり、小南門ちかくには父親の家が描かれていて、ようやっと旅の目的の片鱗を達成した気分になり安堵した。

ありし日の台北を訪ねる旅は、どうにもこんなふうに終わろうとしているが、これは自分の存在につながる源泉を知るための一つの始まりのような気がする。遠い昔の、国々と人々の歴史、そして民と民のこころの葛藤と交錯をたどる途は、実はとてつもなく遠いのかもしれない。
c0193136_1135441.jpg
c0193136_1175691.jpg
c0193136_1148424.jpg


台北探索館はココ→http://www.discovery.taipei.gov.tw/web/index.html
児童版のページのほうが充実している。ココ→http://www.discovery.taipei.gov.tw/web/child/index.htm
[PR]
by k_hankichi | 2011-12-29 01:03 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)

禁断の寺町の眩暈

その寺町の横断歩道を中ほどまで歩いていたそのとき、向こう側の歩道の角で中国人の男がいきなり崩れ落ちるように倒れた。スローモーションの画というのはこのようなものなのかと思うほどの見事なゆっくりさだ。バックパックを背負ったその男は何ものなのかは分からなかったが、手に握りしめられた長いストラップの先を見ればそれは顔写真が入った社員証のようなもので、だから勤め人なのように思われた。

周囲の人たちは、はっとその男に視線を注ぎ、だが次には何事もなかったかのようにその横を素通りしてゆく。なんと冷たい人々なのかと思いながら僕は彼をみやった。

しかし、だ。人々が通り過ぎていくやいなや男はのろのろと起き上がり、そして再び、次の信号待ちをしている人たちの間に入り込み、またゆっくりと崩れ落ちるように倒れたではないか。手には社員証がそのさきについているストラップを投網のように投げ出すかのように。

そうして僕は、彼の素性に納得した。生き倒れを演じる新手の物乞いであることを。

その寺町、龍山寺は、父親が子どもだったころは、日本人はあまり行ってはならない場所といわれていた。その先には家畜の屠殺場もあり、その先にはその肉を売る市場も開けていた。だからそこら一帯の屋台やら出店では、肉を焼いたものやその残りの臓物を煮込んだもの、またはそれらを団子状にして饅頭のなかに入れてこしらえたものや棒菓子状に甘辛くしたものがあったりして、子供らはその旨そうな匂いにつられて学校帰りについつい買い食いしてしまったという。

それを誰がどこで見ていたのか、翌朝学校に行くとすかさず先生に呼び出しを食らい、中国人街で買い食いをしたかどで教室で立たされたという。それでも買い食いをする子供はあとをたたなかった。旨いものは旨く、さすれば子供らはそれを提供する中国人に近づくことになり、だからこそ、感化されたり親近感を持つことを避けたい大人たちは、子供らが中国人街に出入りすることや食べ物を食べることを禁じたのだった。

僕がその寺町の繁華街に入り込んだとき、まさしくその下町の猥雑と下賤の息吹が寄せてきた。寺の屋根の角に飾られた龍が天に火焔を吹くその炎にあぶられるように、僕の胸の奥は騒いだ。

通りの向こうから歩いてきたいかにも商売女だろうというその女が、「よっていくか」というような言葉を僕に浴びせた。過去と現在、野卑と健生の間の狭間に陥るような眩暈が僕を襲い、そしてしばらく言葉を失ってしまった。
c0193136_10483983.jpg
c0193136_10494092.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2011-12-28 10:43 | 街角・風物 | Trackback | Comments(0)

帝国の鉱山開拓と黄昏

台湾の北、九扮、金瓜石、そして淡水という町をめぐりながら、19世紀末から20世紀の始めに、日本人が遥か海を渡ってここに殖産興業の原資をもとめていったことの、にじむような努力と欲望を思った。

九扮、そして金瓜石は人も寄せ付けぬような台湾北端の断崖絶壁の山岳地帯。そこを切り開き、金鉱山を掘り進め、日本式の会社組織や仕事の仕組みを徹底的に拡大して行った当時の人々の貪欲さには圧倒させられる。金鉱は既に25年も前に閉山されて、精錬工場の建屋は吹きっさらしの崖の合間に廃墟となって太平洋を見下ろしている。人々を掻き立てた熱意は何なのだったろうか。その疑問で一杯になる。

いま僕らには(すくなくとも僕には)、こんなに遠くの亜熱帯にまで来て、不満分子もたくさんいるだろう土地の人々に分け入りながら人々を統治し、血のにじむような努力のもとに鉱業を活性化させようというようなことを考え付くこともできないし、それをやりきることもできない。

そしてすこしずつわかってくる。その熱意は「帝国主義」という思想によるものだったことを。それが幻想だと気づかなければ、人々は国家に対する不満や不信の念を消し去り、誘導され、内政への不満をどこかに忘れながら、おそしい意識の高揚とともに、そこになだれ込んでいくものであることを。

そんななか、ここでもうひとつの出来ごとにぶち当たった。台湾人はそこを博物館として復活させ、昭和初期の日本の指導者たちの和風住居を修復をもさせ、有りし日の姿を記憶にとどめようとしている。尊重されている。僕の胸の奥は、なんだかこそばゆいような、理解しがたいもやもやした気持ちが交錯した。そしてもしかすると、という気持ちが沸き立った。

人々の日本への想いは対極の狭間なのだということが。憧憬とそこからの離脱への希求のふたつ。日本をそのように棚の上にあげることで、そこにもうひとつの軌跡、孫文、蒋介石の思想を重ね、そこに重要な意味を付加し、大陸の別の思想とは異なる系譜にあることを意識するようになっているのではないのかということを。

島の北のもうひとつの街、淡水という港町の今日の夕暮れは、しかしそんな複雑な思いを消し去るほど深遠だった。静かな水面に照り映える夕日は、日本人には琵琶湖のような風情を、中国人には遠く離れた母国の黄河か揚子江の風情のようで、僕らが情熱だと信じて選んできた気持の代わりに失ってしまった、本当のなにかを思い起こさせるように美しかった。
c0193136_23153092.jpg

c0193136_23191449.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2011-12-27 23:13 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
昨晩は台北駅のすぐ近くに投宿し、一夜明けた今朝、僕はそこから一路南に下った。父がうまれた家を探すためである。下ったというと大げさであり、実は歩いてものの20分ほどの距離だ。しかしそこが嘗ての台北城の跡であると気づいて歩かなければ、素晴らしい様式美を保った総督府であるとか、広々とした街区からなるこの国の政治の中枢の美しいたたずまいに、ふつうの観光客とおなじように感慨深くなっているだけだったろう。

清が築いたという台北城とその壁は、いくさで日本が勝ってこの島を統治することになってから、門を残してあとかたもなく崩された。そこには台湾総督府や官邸、軍司令部、新聞社、銀行などの商業の中枢建物、そしていくつもの教育施設などが作られ、街区のなまえは、栄町、書院町、明石町、本町、京町、文武町などと日本風に書き換えられた。

台湾専売局の課長として日本から移り住んだ僕の祖父は、陸軍技術中佐待遇で、だから残された小南門の近くの、ガジュマル木が豊かに茂る広い庭をもつ官舎に居を構え、そこに僕の父やその兄弟姉妹がうまれたという。

僕はそこを目指して歩く。そして歩きながらそこに至る街区の名前は、今や日本の次に統治した蒋介石や彼への忠誠、そして彼の思想に由来したものに書き換えられたことを知る。

嘗て、台湾の人々は、これらの街区に、許可なくしては一歩たりとも入ることが許されなかったと、昔話として父親から聞かされていた。犬猫は入ることが出来ても、である。嘗て台湾の君主が住んだ城壁のなかには、台湾人が入れない。恨めしくその門を見上げて立ちすくんだ人々の顔が目に浮かぶ。そして、いまそこに僕は立ちすくむ。

そしてもうすこし先の南門町3丁目14番地を目指す。昭和の初期の番地だから、誰に尋ねてもわからない。台湾の人々は無理やりにでも昔の記憶を消し去ろうとして知らぬふりをしているのかと思ったが、しかし実は彼らはここに立ち入ることもなかったから、だからその住所が展開されていたということも知らなかったのだということに気づく。

隔絶と忘却。そのふたつが交錯して、頭が混沌とするなかで、僕は清朝から日帝、日帝から国民党、国民党から中華民国と変遷した歴史の間を行きつ戻りつする。しかしそれでも歩きつづける。

ようやっとその番地にたどり着いた僕の目の前には、台北花園大酒店という瀟洒なホテルがそびえたっていた。父の家は跡かたも無くなっていた。

夏草や つわものどもが 夢の跡。

冬空に、そのことばだけがあたまのなかを駆け巡り、いつまでも残響のようにこだまして、そして消え入っていった。

c0193136_23453279.jpg

c0193136_23593691.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2011-12-26 23:10 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

黄昏の空港

今夕から短い旅に出る。混雑していると言われていた空港も空いていて、黄昏の空は何かしらさみしい感じだ。
雲は垂れこめていて、もうじき天地創造になるような雰囲気だった。

c0193136_1615875.jpg

[PR]
by k_hankichi | 2011-12-25 16:01 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

師走に東奔西走

年末年始の準備を始めている。部屋の片づけから始まって、不足しているものの買い物やら、確認していなかったいくつかの登録サイトでの自己ステータスも確認したり、旅もすこし計画しているのでその準備もしたり。普段の週末はもっとのんびりしているのに、今日この日はことさらにあわただしい。

スーツケースも物色したが、TSAロック(※)というものが具備されたものがあって、それはなにか物々しくしかし007的な格好よさと頼もしさがあるように思えたので、今回の旅の目的とは異なるが将来価値も考えて購入した。旅行かばんなど10年に1度くらいしか購入しないから、こういった事柄の進歩にはいちいち驚く。

そして極めつけは年賀状だ。これは、年初にいただいたものをひとつひとつ見返したりしているだけで、そのときの書き手の感興なども伝わってきたり、そしてまた、その時はそんなことなど見過ごしていた自分に恥ずかしくなったりする。毎年急ごしらえで書いている自分を恥じながら、今回はもうすこし気持ちを込められるように、と念じながら添え書きをしていった。

※アメリカ運輸保安局 TSA(Transportation Security Administration)によって認可・容認されたロックで、空港での検査の際に、TSA職員が特殊な開錠ツールを使って鍵を開けることができる仕組みになっている。これが付いたかばんは、アメリカの空港でも鍵をかけたまま預けることができるという。
[PR]
by k_hankichi | 2011-12-24 22:59 | 一般 | Trackback | Comments(0)
録画してあったBS TBSの『酒場放浪記』を昼下がりから観ている。年末までの繁忙がまだ頭に残っている状態からじわりじわりと解き放たれていく感覚は実によい。

■人形町のおでん『ナポリ』
欧州駐在の商社マンをやっていたらしきひとが、定年後に店を構えたという。このかたののんびりとした人柄に心和む。「大雪の蔵」という北海道旭川の地酒が実に旨そうだ。練りもののなかに玉ねぎが丸ごと入ったおでんを食いたい。牛筋というものは僕は苦手だが、この店のものは脂が落ちていてあっさりしているようでこれも味わいたい。

■金町の居酒屋『大松』
石川県の山中温泉の旅館で修行したという板長がつくる料理は実にあっさりしていそう。こちらでも「牛筋の煮込み」がまずはじめに運ばれてきた。あっさりとしていてスープも出汁が良い模様。「舞茸のてんぷら」、「うなぎ棒寿司」(山椒の実が入っている)、「出汁巻き玉子(塩味)」とまったりとしながら食べている姿を見ているだけでその雰囲気に溶け込んでいく。

■新丸子の『三ちゃん食堂』
中華料理屋かと思ったら広大な居酒屋で、角ハイボールを呑んでいる人たちの乗りも良い。「レバーショーガ」という生姜焼きも旨そうで、そして「鯖の味噌煮」、「ハムカツ」、「ホルモン焼き」(これはちょっと苦手かも)。なんとも庶民的な呑み屋だ。

■関内の『大鵬』
ふぐ鍋が定番そうなこの店は、横浜にあるとは思えぬほどの気さくな店だ。名物という「湯豆腐丼しらす盛」は、是非食べてみたい。「〆めサバ」も実は僕の好物で日本酒に合うこと請け合いだ。「アジフライ」の大きさも凄い。フードバトルのような酒場ということ。

酒場巡りは、やめられない。
[PR]
by k_hankichi | 2011-12-23 15:20 | | Trackback | Comments(4)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち