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<   2011年 06月 ( 31 )   > この月の画像一覧
フローリングの上にじかに寝る
今朝方はあまりの暑さに、ベッドを抜け出し、居間のフローリングの上に仰向けになり二、三時間ねむった。ひんやりとした夜のしじまが伝わってきて、それは心地よかった。やがて夜が白々と明けてくるのもなんだかわくわくして良かった。犬やら動物もこうして夜明けを感じるのだろうか。

考えてみると、ベッドやら布団は、人間が考えたぜいたくであり、眠りをわざと作り出していくものなのかなと思った。

じつは、いろいろな横たわり方がある。「草のうえに寝る」、「乾いた砂地にじかに寝る」、「コンクリに横たわる」、「海の水のなかで浮き身で仰向けになり空を見渡す」、「ゲレンデで雪に身まかせ寝そべる」、「露天風呂のあがりがまちの研き石に火照った身体を横たえる」。

どれもが外部と対峙する眠り方だ。敵がいるかもしれない。人間、ぬくぬくと眠っていくだけが良いわけではなさそうだ。
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by k_hankichi | 2011-06-30 07:45 | 一般 | Trackback | Comments(0)
ショスタコービチの森のなかに迷い込みながら道を説くような歌曲
ショスタコービチの交響曲を聴いたあと、ウォークマンから歌曲集が流れてきた。ずっと前に買ってあって埋もれていた音盤だった。『ミケランジェロの詩によるバスのための組曲 作品145a』

森の奥に迷い込みながら泰然自若とし、自らの進むみちをしっかり見据えて語る。そんな歌だ(歌詞はわからないから違うかもしれない、しかし生きる道を達観して捉えたような感じ)。

エフゲニー・ネステレンコという歌い手だが、実に朗々として嫌味や媚びがまったくない。なんと心地よい声なのか。

バックはマキシム・ショスタコービチ指揮のモスクワ放送交響楽団。1975年の録音らしいが、べらぼうに音がよい。メリハリ度200%といえよう。すこし調べたら、この曲のオケ版の初演録音らしい。

こんな曲に出会えて、なんだか幸運な気がする朝だ。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3628198
ショスタコーヴィチ:歌曲集(2CD)
ヴィシネフスカヤ、ネステレンコ、ポガチェーワ、他

【収録情報】
CD2
・ミケランジェロの詩によるバスのための組曲op.145a(録音:1975年)
 エフゲニー・ネステレンコ(バス)
 マキシム・ショスタコーヴィチ指揮、モスクワ放送交響楽団

CD1
ショスタコーヴィチ:
・ブロークの詩による7つの歌op.127(録音:1967年、初演時のライヴ)
 ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)
 ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)
 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
 モイセイ・ヴァインベルグ(ピアノ)

・イギリスの詩人の詩によるバスのための6つの歌op.140(録音:1974年)
 エフゲニー・ネステレンコ(バス)
 ルドルフ・バルシャイ指揮、モスクワ室内管弦楽団

・ツヴェターエワの詩による6つの詩op.143a(録音:1974年)
 イリーナ・ポガチェーワ(メゾ・ソプラノ)
 ルドルフ・バルシャイ指揮、モスクワ室内管弦楽団
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by k_hankichi | 2011-06-29 08:16 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
『雪沼とその周辺』(堀江敏幸)
雪沼という地には、こころやさしい人たちが暮らす。ボウリング場を静かに閉じようとしながらブランスウィックのピンがはじける重厚かつ透徹とした共鳴音を求め続ける男。その音色、響きを求める憧憬ともいえる気持ちはやはり男ならではのものに思う。

田舎町に料理教室を開く女。その美味なる味付けに隠された秘密。死ぬ間際につぶやく永遠の気持ち。

会社を辞して山間にふらりとやってきた男が書道教室を開く。そこに幸せを見いだした女は彼に嫁ぐ。幸せは続くが息子を事故でなくし、そのことを悔やむ女はオイルランプを旅先で買い求める。送り火を想いつづける。

どのひとにも大切な秘密があり、それを書きあらわすことではじめて、そのひとつひとつにある貴重な想いが人に伝わる。思いがけない情念がそこにとうとうと流れ横たわっていることに、ようやっと気付く。

彼にある秘密はなんだろうか。そしてぼくのなかにある秘密はなんだろうか。

秘密を明かすと、しかしまだそこには別のあらたな秘密が隠されているだろう。それでよい、それでよい。

『雪沼とその周辺』(堀江敏幸、新潮文庫)。

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

堀江 敏幸 / 新潮社

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by k_hankichi | 2011-06-28 08:03 | | Trackback | Comments(2)
ショスタコーヴィチ交響曲第五番(ワレリー・ゲルギエフ指揮)
買ったきり、震災やら何やらで聴かずに放置していたショスタコーヴィチ 交響曲第五番(ワレリー・ゲルギエフ指揮、キーロフ歌劇場管弦楽団)を聴いている。

バーンスタインの指揮による力いっぱい糊を掻き回すような印象が強く刻まれ過ぎていて好きになれない曲だったが、ゲルギエフはまるっきり異なる。同じ曲に聴こえない。

美しい。諦念の連綿のようなものが流れ伝わってくる。魂にしみこんでくるものがある。

ある友人に、三月の末に亡くなった友人に、この演奏のことを伝えたくなった。「君が好きだったショスタコ、いいね、ようやく染み入る感じだよ。ゲルギエフはどう?」

「そうなんだよ、ショスタコはこんなであんなで僕の血が騒ぐっちゅうか、かあーっちゅうんだよね」。天国から返事が聞こえてきそうだ。

コナルカロフ二レコヒレフ。そしてゲルギエフ。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5&9番

キーロフ歌劇場管弦楽団 ゲルギエフ(ワレリー) / ユニバーサル ミュージック クラシック

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by k_hankichi | 2011-06-27 08:14 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)
『モチベーション3.0』(ダニエル・ピンク)
『モチベーション3.0』(原題'Drive'、ダニエル・ピンク著)。副題は、“持続する「やる気!」をいかに引き出すか”である。これは僕のような怠けた人間には気になる一方、そのことの重みを知るだけに、読むモチベーションそのものが湧かないでいた。そして半年ぐらい積ん読にしていた。

ようやくこの週末に読み、一瞬気持ちが高まり、そして高まりきったところで、すこし消沈している。自分はタイプX かタイプIかどちらなのだろうか、とわくわくしながら読んだところで、同社のテストを受けてみると、タイプXであると導出されたところもある。この本は、麻薬のように精神を高揚させる。そしてだからゆえにその反動も大きい。

何のために自分は有るのか、存在するのか、という本質的な問いを続けてくれているのだが、それと同時に、ビジネスは何のために行われるのか、どのように転換していくべきなのか、ということも説いているところがある。それがゆえに、どうしても、いまの僕の理想と現実、このようにしたいというイメージと、これまで大きな慣性で動いてきた(動かされてきた)現実とのはざまに悩むことになる。自分をこの会社や社会の大きな潮流のなかにぽつりと置いてみると、とてつもない挑戦とたくさんの壁が見えてしまう。

それでも内なる声に揺り動かされるように挑戦し続けること、自分で自分の存在を定義する(Write down myself with a sentence)ということでつねに意識付けしていくこと、それが大切なのかもしれない。

Type I behavior: A way of thinking and an approach to life built around intrinsic, rather than extrinsic, motivators. It is powered by our innate need to direct our own lives, to learn and create new things, and to do better by ourselves and our world.

Type X behavior: Behavior that is fueled more by extrinsic desires than intrinsic ones and that concerns itself less with the inherent satisfaction of an activity and more with the external rewards to which that activity leads.

追記:
ダニエル・ピンクが多くを参照しているエドワード・デシとリチャード・ライアンによる「自己決定理論(SDT)」は、行動理論を普遍的な人間の願望を起点にして説いている。人には生来、(能力を発揮したいという)有能感、(自分でやりたいという)自立性、(人々と関連を持ちたいという)関係性という三つの心理的要求が備わっているとする。これらが満たされているとき、我々は動機づけられ生産的になり幸福に感じるという。このなかで関係性、つまり興味を抱く能力、というところが大きな動機づけのひとつになっている。

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

ダニエル・ピンク / 講談社

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by k_hankichi | 2011-06-26 14:24 | | Trackback | Comments(0)
暑さの記憶
幼少のころの暑さを覚えているかというと、あまりきっちりとした記憶がない。一番脳裏に焼き付いているのは、1970年の大阪の日本万国博覧会の長蛇の列と、アスファルトから照り返すみりみりとした暑さだ。「暑いわねえ大阪は。やっぱり関西はちょっとだめよねえ。それにひきかえ東京は・・・。」と、深川育ちの母親は訪ねる家々で言っていたことを思い出す。宿代を浮かせるために親族の家々を転々と泊まり歩いていたわけで、あまりずけずけ言うと嫌われかねないのだが、それでも沢村貞子のように直球を次から次へと繰り出しつづける母親のことを、父はいつも横でタバコをふかしながら静かに眺めていた。

さてその万博。そのころ僕は半ズボン(とても短かかったことを覚えている)を履いたひょろひょろの餓鬼で、しかし世界であるとか物事への好奇心だけは旺盛だった。父親が仕事の関係で欧米に出張することが多く、その旅先から絵ハガキをよく送ってもらっていて、遠い世界へのあこがれの心が増していたからなのかもしれない。

『4000万人のための日本万国博覧会・ガイドブック』(というような題名だったとおもう)を隅から隅まで読み、そしてどういうルートで見学していくのかを子供ながら計画していた。エキスポランドのダイダラザウルス(ジェットコースター)に乗りたいとは思わず、しかし「ブリティッシュコロムビア州館」、「英国館」、「ドイツ館」、「自動車館」、「フジパンロボット館」、「古河館」といった、なにか世界のどこかや未来に繋がっているような展示を観ることにわくわくしていた。

振り返ってみると、万博のパビリオンでコンパニオンをしていた、ということが良家の子女の代名詞になっていたわけなのだが(そして当時そういう人を意中に収めた男の人を僕は2人ほど知っている)、僕はそういう事象に興味をもつような年齢でもなく、ああ、もうすこし大人になっていればよかったなあと、ちょっと片目を瞬きする。

暑さの記憶をさかのぼってきたら、こんなところまで来てしまったが、今日はこのくらいに。続きの話はまたいずれ書きたいと思う。
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by k_hankichi | 2011-06-25 17:44 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
暑さボケと焼き飯
こうまで暑いと降りるべきバス停の名前までなんとなく自分が降りる場所ではないような錯覚に陥り、扉が閉じて走り出してから、やあしまった、ここで降りるのだったと気づいた。運転手に声をかけるのも気恥ずかしいから次のバス停でまで黙って過ごしてそして降りたが、この地では隣までの距離がずいぶんとあり、もとの場所まで歩いて戻るのも億劫だ。

顛末を話すべく家に電話をしてみれば、呆れているような応答とともに、すでに夕飯は根こそぎ食べられていることが分かったので、これはもののついでだと、そのバス停の目の前にある台湾料理屋に入ることにした。

その店は、店員から調理人まで全員が大陸系と思しき中国人で、メニューの写真を指ささないと注文が通じない。注文したあとはうんともすんとも言ってこないので、はたして事が無事に運ばれているのかが分からない。

隣のテーブルでは還暦をすでに一回り過ぎそうな年配の男性客数名が酒を飲みながら議論をしている。立身出世のようなことに話題が飛んでいて、なにやらそこに忸怩たるものを感じている一人の男が順風満帆に生きているような男に対して詰め寄っている。暑いなか、ますます意味なく暑いぞこの土地は。

そうこうするうちに「台湾餡かけ焼き飯」なるものが出てきた。五目中華丼の餡が、具だくさんの焼き飯にかかっているもので、それは意外に旨く、自分が台湾か上海かベトナムの路地にいるかのような感じになってきて、ますますこの夜は暑く、気持ちは何故か昂ぶった。

“アジアンの熱き湿気にけぶる闇 われ餓鬼道や 食らう焼き飯”
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by k_hankichi | 2011-06-24 00:40 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)
『映画の構造分析』(内田樹)
内田さんの書を新たに読むたびに、目からうろこが落ちる思いがする。『映画の構造分析~ハリウッド映画で学べる現代思想~』(内田樹、文春文庫)もそうだった。

だいたいにおいて映画をぼーっと観ていることが多い僕だから、構造分析のようなことをする人の気持ちはわからない。映画はただぼーっと観ているに限るし、観ながら我を忘れてそこに入り込み、あるいはそうでないばあいにも、いろいろと蕩けるような世界に入っていることのほうが気持ちがよい。映画館であればなおさらだ。

だが、観賞者のなかにも映画の構造を分析をしてみようという気持ちになる流れがあるだろうことはわかる。それは僕の街角探検隊として街角を観るときの視点や姿勢とちょっと似ているのだろうなと思うからだ。内田さんとしては、たとえば『ゴーストバスターズ』を観るうえで、次のような観点があるという。おおーっと唸るとともに、ここまで考えて観たこともないわけなので、ははーっと平身低頭、ひれ伏するような気持ちになる。

「私たちは自分の過去について、記憶について、欲望について、おのれ自身が何者であるかについて、宿命的に嘘をつきます。しかし、それらの「作り話」のうち、ある種の嘘=物語は私たちの症候を緩和する力を持っています。トラウマという「穴」に漸近線的に接近し、穴の輪郭をそれとなくかたどり、その破壊的な効果を軽減する「阻止線」となるような種類の物語は、そのような意味において「よい物語」なのです。私たちが太古以来、物語を語って止まないのはおそらくそのためです。」

こういう分析を、『エイリアン』、『大脱走』、『盗まれた手紙』、『北北西に進路を取れ』、『裏窓』、『お茶漬けの味』に対して重ねていく。

ここまで分析されてしまうと、もうぐうの音も出ないし、そして、やはり、内田さんが言っているように、思わずその映画のDVDを借りにTSUTAYAに走り、Amazonで購入しようと画策してしまいそうになる。しかるに僕はどうするか。その世界に引き込まれるか、それとも、ただ陶然と流れゆく大河に身を委ねるようにしていくか。

時の流れと映画のなかのシーンの流れと自分の気持ちの流れの整合性を取らずに、そのまま茫漠と身を任せることのほう取りたいと思う。だからゆえに、僕は内田さんにはなれず、映像は僕のまえをよぎる景色のように感じることとなる。それでよいのではないか、と自分で自分をなだめる。そしてきっとこれからも、自分にはないものをもつ、憧れのような存在として内田さんの本に接しつづけるのだろう。

映画の構造分析―ハリウッド映画で学べる現代思想 (文春文庫)

内田 樹 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2011-06-23 01:14 | | Trackback | Comments(2)
『おぱらぱん』(堀江敏幸)
『おぱらぱん』(堀江敏幸、新潮文庫)を読み終えた。パリにすむエトランジェの然してエスプリに満ちた短篇集である。一篇を除いて舞台はすべてフランスでありパリであるが、その心象風景は日本人であり詩人であり哲学者の感性に溢れている。

どの作品も、ある一点にめがけて語られていくが、読み手には、自分がどこに連れていかれるのかわからない。しかしそこに乗っているのは快感である。ミステリーではないのだが、エニグマに近いのか。時として行き止まりのような実は断崖のようなところから放たれるようなこともあるのだが、またそれも心地よい。

そして僕は堀江さんの知性の渦巻のなかに巻き込まれ、その臘斗の先になにがあるかわからぬ世界に身を任せていく。

おぱらばん (新潮文庫)

堀江 敏幸 / 新潮社

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by k_hankichi | 2011-06-22 08:16 | | Trackback | Comments(0)
怖い夢からシュールな夢にかわる
ピアノコンテストに出ることになる。あまりできが良くないことがわかっているのでぐずぐずしていると、早く水に入れという。そこでようやく分かる、このコンテストがプールのなかで行われることを。泳ぎながらピアノを弾くのだ。

順番まちの弾き手たちがプールの縁ちかくを行き来さながら練習している。

向こうでは計時係がシステムで四苦八苦している。水のなかから響く時間遅延を調整して表示するしくみだが、ソフトウェアハウスが複雑な注文仕様に音をあげてしまって未だ完成していない。本選の直前なのに。しかたなく、音の響きを二次元配列にして時間毎に差分表示したらとアドバイスする。

隣の年配のおじさんが水に入り弾きはじめる。ラヴェルの『水の戯れ』かと思いきや、シューマンだ。はじめ妙なポルタメントで聴衆の失笑を買うがやがてすばらしい熱演にかわる。演奏が終わり水のなかの彼に手を差し伸べるのはヴィーラント・ワーグナーの子供であった。「やっばりローエングリンのピアノ版を弾けば良かったかな」と弾き手は言った。
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by k_hankichi | 2011-06-21 08:34 | 夢物語 | Trackback | Comments(2)