音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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今年心に強く残った音楽、小説、評論、酒、映画、TVドラマのそれぞれベスト3をここに残します(友人に倣い)。

■音楽
1.ショパン『ワルツ全曲集』、アリス=紗良・オット(独グラモフォン:UCCG-1473)・・・短調の曲を聴きいれば聴き入るほど、その祈るような、でも太い情念の気持ちが伝わってくる。Youtubeの映像も凄い。
2.ペルゴレージ『スターバト・マーテル』、シャルル・デュトワ指揮/モントリオール・シンフォニエッタ(ユニバーサル:POCL-5188) ・・・この演奏を超えるものは出てこないのではないかと思う。
3.ラヴェル『ピアノ協奏曲』、萩原麻未/Pascal Rophé指揮/スイスロマンド管弦楽団(ジュネーヴ国際音楽コンクールの本選の演奏)・・・アルゲリッチを超えた演奏ではないか、と思った。

■小説
1.藤谷治『船に乗れ!』(ジャイヴ出版)・・・今年の正月に読了したものだが、ぼくにはこれが一番だった。音楽を志す若き才能の萌芽と、そこを取り巻く若者の姿に感動する。
2.小池真理子『望みは何と訊かれたら』(新潮文庫)・・・パリのギュスタヴ・モロー美術館から始まるこの小説。自分の学生時代と重ねるような想いで頭が溢れる。
3.大崎善生『ランプコントロール』(中央公論新社)・・・大崎節が満載だ。それぞれの場所で、相手と自分の気持ちにひとつひとつ対峙し、きちんと選択をする大切さ。

■評論、エッセイ
1.小林秀雄『人間の建設』(新潮文庫)・・・「無明(むみょう)ということ」について、何度も考えていかないと、と思った。
2.茂木健一郎『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)・・・“思い出すということである。過去に繰り返し立ち返ることである。過去を見る射程が長いほど、遠い未来を見晴らすことができる”。こんなことを語られたら、もう透明なまなざしになるしかない。
3.吉田健一『旅の時間』(講談社文芸文庫)・・・エッセイのようなものと小説の混在だが、こんな旅をしてみたい。吉田さんには珍しい恋愛小説、『大阪の旅』がすごい。

■酒
1.シャンパーニュ『ユリス・コラン』ブラン・ド・ブラン・・・火打石のミネラルに、これがシャルドネなのか?と唸るはずだ。ジャック・セロス門下生だが、33歳にして異次元の美味さを醸し出している。
2.ピュアモルトハイボール『竹鶴』(ニッカウヰスキー)・・・出来合いモノのハイボールなのだが、桁違いに美味い。すぐ飲める日本一のハイボールだ。
3.ウオッカ『ベルヴェデール』のソーダ割り・・・比肩できるものがない、東欧の精神の集大成のウオッカだ。それをソーダで割るという至極の贅沢。

■映画
1.『瞳の奥の秘密』(監督:ファン・ホセ・カンパネラ)・・・愛というものについて深く重い感慨が迫ってきて、しばらく立ち上がれない。
2.『オーケストラ』(監督:ラデュ・ミヘイレアニュ)・・・滂沱の涙ものである。メラニー・ロランのぴんとした姿勢と顔立ちがとてもよい。
3.『今度は愛妻家』(監督:行定勲)・・・自分の内面で、いろいろな感情が生まれ、整理収拾がつかなくなるほど心乱れ、気持ちが定まらなくなった。トヨエツはふくよかでも格好良い。

■TVドラマ
1.『不毛地帯』(フジテレビ)・・・唐沢寿明さんのきりりとした姿に男でも惚れるだろう。
2.『Mother』(日本テレビ)・・・芦田愛菜の素晴らしさの一言に尽きる。
3.『チェイス‐国税査察官-』(NHK)・・・麻生久美子の妖しさに魅入った。

今年は年末押し迫って、ちょっと体調を崩してしまいましたが、正月からは挽回して、元気に過ごしていきたいと思います。

来年もよろしくお願いします。
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by k_hankichi | 2010-12-31 19:21 | 一般 | Trackback | Comments(7)
学生時代に吉本さんの著作、『共同幻想論』に衝撃を受け、いろいろ一端なことを友人らと酒を飲みながら語っていた時代のことをちょっと思い出した。いまとなっては、その頃の訳知り顔の自分が、恥ずかしい。

吉本さんのそれらの著作とはまったく異なる、「食」、「味」、「酒」についての回顧や、持論の披露がここにある。フランス社会や食文化、そしてワインについての専門家でもある宇田川悟さんが、吉本隆明さんにインタビューした書だ。奥付では著者は吉本隆明となっている(朝日新聞社刊)。寝床で横になりながら、一気に読んでしまった。

“・・・「味」っていうのはつまり「匂い」とも言うようなもので、それは非常に感覚的に総合的なもので、だから味っているのは、いちばんわかりにくくて難しいんじゃないかな。すべての感覚のもとにあるみたいなものを引き出される感じがあれば、「うまい」っていうことになるんじゃないかなと、理屈づけはしてみるんですけどね。”

そんな話の合間にも、哲学についての言及が入り込む。

“ジッド、ヴァレリーみたいな人以降、つまり十九世紀以降のフランス文学というものは、大物じゃないというか、着想がないよっていうふうにしか思えないんです。僕が会ってみて感じた大物というのはフーコーだけです。・・・・・だけどフーコーだけは全然そういうことはなくて、「今では自分のやり方はあまりいいやり方とは思っていません」とか言って、自分がやったことについて反省してみたり、要するに総合的な歴史学というものは成り立たない、個別史としてしか成り立たない、そういう話を普通の言葉で、謙虚にぼそぼそってしゃべっているだけなんですけど・・・”

そしてやはり食についての話に戻る。

“懐石料理は得体が知れないというか、逆に得体がわかりすぎだよって意味もちょっと入ってますけど、そういう感じがして。・・・・ああいうのを褒めると、とんでもない錯覚を助長するんじゃないか。二本鼻汁をたらしている子どもを汚いというのに同じですね。

“一度、出版社の大将が行きつけの美味しい店だというところに、僕を連れて行ってくれて・・並みの食堂やレストランではないよなっていうのはわかりましたけど、だけど、こんなのいちいちうめえとか言いながら食うってのは、やりきれねえなっていう程度のものでね。そんなに本当に気持ちのうえからうめえってとこまでは、いってないよなという感じでしたね。”

“フランスの食べ物は、いい印象というのはないんですよ。・・・・それで、だいたいうめえと思ったのはないし、食ったこともねえような料理で、見たこともないようなソースがかかっていて、うわあっという感じで、ちっともおいしいと思わない。それで、すぐ傍らに給仕が控えてて面倒をみてくれるわけだけど、窮屈な思いをしましたですね。・・・これはもうかなわないという感じで。この味はいってえなんだ、原形的にわからない、いくら考えたって、なにとなにが混じっているっていうようなことはわからない。そうするとみんな得体のしれない味だってなっちゃって、・・・”

フランス食文化の専門家を聞き手にして、これである。

締めくくりは次のようである。

“食いしん坊だから、食い物の関心は失せないですよ。珍しいものとか食通っていうのはないですけど。それは僕にとってはわりあいに基本的な普遍的な考え方で、思想的なことについても宗教的なことについてもそうで、高級な宗教はあんまり好きじゃなくて、「俺、坊主でもねえし、普通の人でもねえよ」っていう親鸞がいちばん好きで。あの人は、肉食ったって、魚食ったって、なに食ったって、そんなことはいいんだって人ですから、そういうのがいちばんいいやと思っています。”

にやにやしながら読了した。

こんなものに触れると、風邪をひいてはいるものの、俄然と、食欲がでてきた。これでは、似非病人といわれても仕方がない。

吉本隆明「食」を語る

吉本 隆明 / 朝日新聞社

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by k_hankichi | 2010-12-31 12:04 | | Trackback | Comments(0)
風邪で寝入りながら、時折起きて活字を追おうとするが、なかなか入ってこない。

しかし昨日買った娯楽本『まぼろし商店街』(串間努著、ソフトバンククリエイティブ刊)は楽しめた。昭和40年代のあれこれグッズを紹介していくもの。忘れていた記憶が蘇るおかしさがたまらない。例えば次のようなものだ。

■軍人将棋
黄色く色づけされた駒に大佐、中将、スパイ、工兵、タンク、ジェットキ、砲兵、ゲンバクとか書いてあり、相手の陣地に送り込んで戦わせるものだ。一時期、毎日何度も友達たちと遊んでいたことを思い出した。

■シーモンキー
妖怪のような宇宙人のような挿絵の箱。1の袋のなかの粉を水に入れ1日待つ。翌日に2の袋の中の粉を入れると孵化したシーモンキーが水のなかに泳いでいる。お向いさんの岩井君が買って貰っていた。気持ち悪かったが、なんだか米国テレビドラマの『タイムトンネル』みたいな感覚で、羨ましかった。

■コビトチョコレート
チューブ入りのチョコレートだ。先端からネロネロ出てくるソフトチョコだ。母親からは、下品だしバイ菌が入っているから、止めなさいと言われていたが、隠れて駄菓子屋で買って舐めていた。チューブの材料が金属で、それが歯に当たるとキーンと苦い味がして痛がった。

■コリス当てくじガム
小さなガムが繋がって一枚のテープのようになっている。駄菓子屋の店先に吊してあって、五円で、一つをちぎって買う。なかなか当たらないのだが、賞品が欲しくて、その不味いガムを買っていった。

■マルヨシの模様入りちり紙
昔、トイレには、ねずみ色のしわしわのちり紙(いわゆる便所紙)が木の箱に入れて片隅に置かれていた。この高級バージョンで、仮面ライダーやら漫画の包装紙に入っている。紙は白かったりピンク色だったりで、絵の透かし模様が入っている。貰って匂いを嗅いで淘然としていた気がする。トイレで使うのは勿体ない気がして、ランドセルに入れっぱなしにしていた。ボックスティッシュペーパーが発売される前時代の極みだ。

風邪で床に伏していると、やることはなく、昔のこういったことを思い出したりするには、ちょうどよい。

なつかしのニアレトロ「昭和」 まぼろし商店街

串間 努 / ソフトバンククリエイティブ

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by k_hankichi | 2010-12-30 21:55 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

静かに年末を過ごす

昨夕の友人との忘年会は、またまた、大いに飲んだ。四軒をはしごした。暮れの挨拶回りのように。

一人あたりにすると、次のような感じだ。

・ビール 1/2本
・芋焼酎『無双』二合
(このあたりで相席になったライターさんと酒談義してた)
…居酒屋『兵六』は、市井の珠玉の触れ合いの場だ。味も良し。名物、チャー豆腐のほかに、シュウマイと兵六あげも絶品だとわかる。

・スパークリングワイン(クレマン・ド・ロワール) 1/2本
(友人が持ってきたアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが歌うシャンソンのCDを店のマスターが流してくれた)
…『ラテン』にはシャンソンがよく似合う。

・ハイボールかジントニック 二杯(のようなものを飲んだ筈だが、もはや記憶にない)
…『TRIP』という、ちと妖しげなバーでトラップされた。

・生ビール 一杯(餃子とチャーハンも食べたらしい。舌の感覚が残っておる)
…『天鴻餃子房』では、鴻が星形の地に舞い降りた。豊潤なる味が微かに残っている(と思う)。

ああ、しかして今、僕は喉がひりひりとし、脳が痛む。静かに年末の時を寝床に横たわって過ごす。また楽しからず哉。
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by k_hankichi | 2010-12-30 13:48 | | Trackback | Comments(0)
昼すぎから、神保町界隈に出た。古書を買い求めた。

夕方には、不思議な出で立ちの肩掛けカバンの男と飲んだ。

飲むまえに買った本は次に記す。

『食を語る』(吉本隆明著、朝日新聞社)

『まぼろし商店街』(串間努著、ソフトバンク刊)

『セザンヌの手紙』(ジョン・リヴォルド編、美術公論社)

『ビジネスマンの余白』(五十嵐幸雄著、コールサック社)

『日本の終戦』(メディアボーイムック)

『月刊ショパン』1月増刊号

とりとめもないが、僕はまあこんなものだ。
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by k_hankichi | 2010-12-29 22:11 | | Trackback | Comments(2)
年末になってワイドショーを賑わしていたのは、半芸能人の過ぎ去った昔の離婚(三角関係だかなんだかの)の経緯やら事実関係の時系列の話。そして政治は、駄々をこねて上長の要請に煮え切らない態度を示す人の話。なんとまあ悠長で、ぬらぬらしたことなのだろうか、と思った。

そんななか、さきほどのテレビ番組(日本テレビ:『今夜決定!そこまでやるかマン 世界最強の勇者たち7』)にはまさに勇気付けられた。

極めつけは松岡修造さんのメッセージだ。自分とは対極の人柄だけれども、嫌いではないし、こういう気概は、今を生き、次につなげていく責務を持つ我々には、必要だ。

一人、阻害され、人から蔑まれているかもしれないことは、僕らもにも往々にしてある。でも、これを肝に銘じて進めていきたい。

■松岡修造メッセーシ:独りて苦しんでいるあなたに


■松岡修造メッセージ :温泉のように癒したいあなたに

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by k_hankichi | 2010-12-28 21:57 | 一般 | Trackback | Comments(0)
ところで今回、ひとつの驚きがあった。第16回ショパンコンクール(2010.10.3~20)のWebを調べていたら、コンクールの状況は、テレビ、ラジオ、Webですべて生中継されているということである(こんなことは志あるピアニストだったら誰でも知っていることなのかもしれないが・・・)。世の中に自らの審査状況を明示しながら進めている。

そしてまた、更なる驚き。これらすべての演奏者の演奏について、そのビデオアーカイヴをWebであとからいくらでも観ることができるのだ。一次予選からファイナルまですべて。
ココ→
進行順:http://konkurs.chopin.pl/en/edition/xvi/competition/auditions/stage/3/day/1
演奏者別:http://konkurs.chopin.pl/en/edition/xvi/video/archive

これであれば、イーヴォ・ポゴレリチが落選してアルゲリッチが審査員を途中で辞任したり、ミケランジェリがアダム・ハラシェヴィチの優勝に異を唱え、退出するような事態も起こりにくいだろう(世間の目をごまかせなくなる)。

この国際コンペティションの姿勢、きわめて公平でかつ厳格なる責務を負った選考と運営を自らに課している。この姿勢に感服した。

密室政治できめられていくようなことは、どのような世界でもあってほしくないし、それをやりつづけているような機構や組織は自ら滅びていくのだ、と思った。
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by k_hankichi | 2010-12-27 10:48 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
今年、第16回ショパンコンクールで優勝したユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva)によるショパンのピアノ協奏曲の演奏を聞いた(N響アワー)。この曲を初めて聴くような感覚に陥った。いままで聴いたことがない、ある種独特の響きをした演奏だった。

華麗とか流麗ということは対極にある、なにか深い大地の底からわきあがる気持ちが、木の葉のように降ってくる、舞い落ちてくる、という感じの演奏。朴訥なる太きつぶやき、という感じだ。

ショパンコンクールは5年に1回の開催。たくさんの応募者のなかから、ワルシャワの地を踏めるのは80名ほどで、そこから一次予選、二次予選、三次予選、そしてファイナルと行き着く人たちは、単にピアノが上手だということだけでは残れない、何物かをもっているのだ。

前回優勝のラファウ・ブレハッチのきらきらと美しく流れる音楽とは対極にあるピアニストを選んだ、今回のコンクールの審美眼に感服した。
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by k_hankichi | 2010-12-27 10:46 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
昨日からすこし躊躇していたが、午後一で散髪にいったあと、やはり読まずに済ませるわけにはいくまいと(というか読みたくて仕方が無くて)、『秘密』(文春文庫)を買いもとめ、先ほど一気に読了。

映画版とはすこし異なるシチュエーションではあるけれど、基調はほぼ同じで、そして、最後のシーンでは、やはり涙が溢れてウルウルとしてしまった。分かっていても泣いてしまうのは、『ローマの休日』を何度観ても同じところで泣いてしまうのと同じであり、学習と成長が一向に無いわけなのだけれど、まあ、性懲りもないのが人間なのだ、と自らを納得させる。

最後の謎解きの展開は、映画版と原作では微妙に異なるのだが、それぞれに素晴らしいと思う。ただし、原作のこの部分の状況に自分を照らし合わせてみるならば、おそらく、映画『卒業』のラストシーンのようなことをやらかすに違いないと思い、だからこそ、ちょっとモディファイしたのだろうなあと思ってしまった。

初めて東野作品を読みきった僕は、高尾山を頂上まで登ったあと、下りをリフトで降りてきているような、気が楽になったところにある。

文庫本の解説は、広末涼子と皆川博子が書いており、それぞれに爽快な内容だった。皆川博子は、『光の廃墟』でたいそう感動した覚えがあり(これは非常なるお薦めミステリーである)、ああ、そういえばミステリーというものは、いったん心を開いていかないと、なかなか気持ちがその路線に切り替えられない(そしていったん乗ると、暫くその軌道上に乗っているほうが心地よい)ものだったなあ、と思いだした。

秘密 (文春文庫)

東野 圭吾 / 文藝春秋

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光の廃墟 (文春文庫)

皆川 博子 / 文藝春秋

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by k_hankichi | 2010-12-26 18:39 | | Trackback | Comments(2)
池澤夏樹さんが個人編集をしている世界文学全集(河出書房新社)があることを、先ごろようやっと知った。学生時代に福永武彦の小説を耽読したこともあり、池澤夏樹、と聞くだけで、なにか呼び込まれるような気がする(池澤さんは福永さんのご子息だ)。

そして自然なるままに、その棚に有った辛子色の一冊を買い求めた。「短編コレクション2」(20世紀ヨーロッパの短篇集)。

すべて僕が読んだことがない作品ばかりだ。知らない作家も幾人か。これらの短篇を選ぶために、いったいどれだけの量を読み込まれているのだろう。思うだけで、畏怖と尊敬の念を禁じえない。

読み始めた順に記す。

■ウィリアム・トレヴァー『ローズは泣いた』(中野恵津子訳)
今年の始めにこの人の短篇『密会』を読んでいたので、なんとなくここから入っていったが、人の心の見えないところに沈んでいる、鉛のように重い気持ちをよく描いたものだった。男の悲哀と、それを思い遣りきることができなかった少女が抱く悔やみの気持ちが、あとを引く。

■サルマン・ラシュディ『無料のラジオ』(寺門泰彦訳)
男の自尊心というものの行き着く先と、それが自分にもあることを知る。むなしさとともに放置される感じが、なんとも虚しい。

■カズオ・イシグロ『日の暮れた村』(柴田元幸訳)
かつて喝采を浴びた人間の成れの果ては、こうなってしまうのか。ここまで人々から蔑まされるとは。それを知らぬのは自分だけだ。

■ミッシェル・ウェルベック『ランサローテ』(野崎歓訳)
諦念の末に、自分もそこに流されていくような感覚。あるようで無い。でも、無いとちょっぴりさびしい。世の中のいろいろも知っていたい。忘却のかなたに行きたい気持ちと後ろ髪を惹かれる気持ちの微妙なバランスに居たい人には、うってつけの短篇だ。

■フリードリッヒ・デュレンマット『犬』(岩淵達治訳)
聖書を片手に伝道する人間。彼はなぜそうなったのか。結局はそうだったのか。やはり犬の仕業だったのか。

■ロジェ・グルニエ『あずまや』(山田稔訳)
なぜ彼は音楽を捨てたのか。バイオリニストの死とともに、蘇る、砂を噛んだような苦い過去の想い。それは「あずまや」の出来事にあった。うう・・・。

このほかの作品も、気の向くままに読みつつある。これは何とも素晴らしい世界文学全集だ。

短篇コレクション Ⅱ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

A・グリーン G・ランペドゥーサ他 / 河出書房新社

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by k_hankichi | 2010-12-26 09:17 | | Trackback | Comments(0)