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『砂の上のあなた』(白石一文)…渦巻く輪廻

白井一文の『一瞬の光』というデビュー作を、友人が紹介してくれた葉書のことを、よく覚えている。ぽつりと書かれたその字体まで。

そして、その作品を読了したときの鮮烈な衝撃。あれを再び味わいたいがために、彼の作品を読み続けているように思う。

この新作『砂の上のあなた』(新潮社)では、彼は、父と娘、男と女の輪廻を、非常な濃密さで描いた。言い表しようのない、黒々とした何ものかに強く推し動かされる気持ち。恋愛というものの、救いようもない自己中心さ。

その想いは、深海の底に静かに堆積する泥が、少しずつ層流のように動くように、じわじわと自分に迫ってくる。

人が密かに隠しもっている秘密。その気持ちの救われなさ。そういった事柄を抉りだすような小説だ。

人によっては、受け容れ入れにくいストーリーだとは思う。万人には薦められない。

自分の心の底にある、ある種のいやらしさを許容できるとするならば、読めるだろう。清涼さとは異質の小説だ。

砂の上のあなた

白石 一文 / 新潮社

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by k_hankichi | 2010-11-30 08:20 | | Trackback | Comments(2)

深層記憶の物語を待つ気持ち

昨日読了した『ユーラシアの双子』は、登場人物たちの心の深層に、幼いころに読んだ小説が、しっかりと意識せずに残っていたことが伏線になっていた。

ユーラシア大陸全体と西の端に繰り広げられた勇敢な王子の話。

ぼくの心の伏線は何だろうか?

『偉大なる王(ワン)』、『ジャン・クリストフ』、『秘密の花園』、『次郎物語』、『国盗り物語』。…これ以外にも、まだたくさんのストーリーが刷り込まれているだろう。

記憶のなかに埋没していて、普段は気付いていないストーリー。いつか噴出し、渦巻き流れるのだろうか。それは未知ゆえに不安である。しかし、そうなったとしても抗うことなく応じていこうではないか。

自分のなかにあるもの。それが何ものなのか知りたい。
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by k_hankichi | 2010-11-29 08:12 | | Trackback | Comments(0)

『青春譜』という合唱曲に触れて

大学時代のクラブの先輩から、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の、合唱コンペティションが収録されているCDを郵便で頂いた。平成20年度、第75回のものだ。11の学校が、課題曲の『青春譜』(作詞:五木寛之、作曲:信長貴富)と、自由曲を歌い上げている。

合唱にはちょっと親近感があるし、このあいだテレビでその取材番組を観て、うずくものがあったので、熱心に2枚組のこのCDを聴きとおした。

『青春譜』は、次のように始まる詩だ。

”明日(あした)という 扉おしあけ ひとり
きみは歩く 風に吹かれて
悲しみを 秘めながら
はるかな道 はるかな空
ほほえみをうかべて”

ため息がでるほど若々しく、躍動感と生命感がある。最終選考に残った学校ばかりなので、レベルの高さは確かなわけだが、それぞれの学校がこの歌を自分たちのものして仕上げきっている。女性三部によるものと混声四部による歌唱があるが、どちらも素晴らしい。

優勝したのは宮崎県宮崎学園高校。混声四部。高校生でここまで生きる凄みのようなものまで伝えられるとは・・・。銅賞を得た愛知県岡崎高校(これも混声四部)。これは力まず、すーっとした歌唱だ。僕はこちらが心地よい。

女性三部の歌唱もそれはそれは美しく、島根県の出雲北稜高校の、純粋な透き通るような極みには陶然となる(この学校の歌唱は先輩も評価しているようだ)。

■コンクールで表彰が終わったあとの歌唱。この映像の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。


第75回(平成20年度)NHK全国学校音楽コンクール 高等学校の部

コンクール / フォンテック

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by k_hankichi | 2010-11-28 18:15 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

大陸を縦断しての復活・・・『ユーラシアの双子』

大崎善生の長編『ユーラシアの双子』(上・下)。この壮大なるドラマを昨晩から一気に読みきってしまった(講談社刊)。シベリア鉄道の地図とイラストをみた瞬間、捉えどころのない強い想いに惹かれた52歳の石井隆平は、富山の伏見港から船でウラジオストックに向かう。

そこで或る娘の話を聞き、自分の子供に起きた出来事を重ね、ユーラシアを横断する彼の旅は、愛と救済の旅路に変わっていく。そしてそれは、自分の真の気持ちを確かめる旅であり、相手の思いを確かめる旅でもある。

石井は、ロシアの無愛想さ、凍てつくバイカル湖、そして社会主義が拝金主義に変貌する容易さを垣間見、巨大な仕組みというものの崩壊がなせる技と、人間というものの行く末に愕然とする。しかし、ポーランドの地に足を踏み入れ、そこにある若々しさと、確実なる精神の健全さの息吹に、彼は明るさを取り戻していく。

フランスの地では、若き新婚の頃の自分たちの気持ちを思い出しながらも、オランジェリーでモネの睡蓮に終末を予感し、しかしてバルセロナのサクラダ・ファミリアで起きた輪廻的な共鳴に驚く。これらすべての潮流が流れ込んでいく西の果てリスボンの海で、石井は、まさに自分の生きてきた証を救おうとしたのかもしれない。

この小説は、主人公の心の底にあった愛と魂の迸りを、悔悛しきることなく、でも、生きてきた証として咀嚼し確認し、献身という別の形に昇華させるプロセスだ。ユーラシアを何十日もかけて横断し、国や街の風景や、人や、酒や芸術に触れながら昇華させていくプロセスだ。

硬く閉ざされて、畳み込まれていた想いや心情は、そういった交歓を通じて少しづつ融解し、マトリューシカを開けていくようにして最後の発見に繋がっていく。

きわめて心情的で、そしてまた映像的でもあるこの小説は、われわれに”私的時間の共有”(この言葉は大学時代の或る先輩がよく用いていた)を味わせてくれる。

これは、いつか映像(映画、ドラマ)となるような予感がする。そして、それを観ている自分、小説と自分を重ねるかのごとく追体験している自分がいる。

→本のカバー写真は、樋浦舞花(上巻)、結花(下巻)というモデルをやっている双子の姉妹。

ユーラシアの双子 上 (100周年書き下ろし)

大崎 善生 / 講談社

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ユーラシアの双子 下 (100周年書き下ろし)

大崎 善生 / 講談社

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by k_hankichi | 2010-11-28 14:08 | | Trackback | Comments(2)

再訪したいクレーラー・ミュラー美術館

いま開催されているゴッホ展で、友人は、蟹が裏返しになった絵に感銘したと言っていた。後ろ向きざまに種をまく人や屈んだ姿や、ねじった体位の美しさに魅せられた画家からすれば、蟹に内在する本質は、まさにその裏側にあるグロテスクさと猥雑さにある、と見抜いたのだろうか。その裏に息を殺しながら内在する秘密や企み。潜む陰謀のようにねじれた心と生きざま。

自分の生きる意味を求めながら20歳台の半ばに画家をこころざし、ミレーの一連の「種まく人」を見習いながら、来る日も来る日も写実を練習した。印象派からのエネルギーももらいつつ、ようやっと画壇に認められ始める。しかしやがて、自身の目に見える景色や人、物事の光と影に幻惑されていく。ゴーギャンとの短い蜜月は破綻する。

療養院での抑圧はさらに、自分を追い詰め、外界を見る目には、鋭敏な光と音が交錯するようになる。そしてわずか37歳で自らの生を絶つ。その短くも熱い湧き出る才能と心境を推し量るだけで、胸の奥が重い。

かつて一度、オランダのクレーラー・ミュラー美術館を訪れたことがある。深い緑に囲まれた場所に位置するこの館で、屋外の彫刻・彫像群に見入って感銘を受けたものの、ゴッホの記憶がとんとない。しかし今回の展覧会は、そのかなりの点数がここから来ているようだ(同館には272点のゴッホが有ると分かった)

ああ、ここを再訪したい。ゴッホが生を受けたこの国の精神の粋を、きちんと浴び、知り摂りたい。


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by k_hankichi | 2010-11-27 21:15 | 美術 | Trackback | Comments(0)

東京の風情、街の起伏

ときおり東京の街に出かける。そのたびごとに、この街は、坂道から成り立っていることを痛感する。山手線の内側の場合、どのターミナルから地下鉄やバスにのっても、その地形を意識せざるを得ない。

六本木の頂きから、千代田のお濠までのなだらかな傾斜もそれであるし、内濠から飯田濠までの一つ山を越えての傾斜も風情がある。新橋から坂を登るようにバスに乗っていく場合も、同じである。

今週、友人が、神楽坂で仕事をしたということを聞き、思わず、その近辺にまつわる中学・高校時代のことが鮮やかに思い出された。神楽坂のたもとの飯田濠から、逆側に(内濠側に)すこしづつ傾斜を上がり、二合半坂という坂を登るところで、僕が通っていた中学校があったこと。坂のすそ野にサンドイッチ屋さんがありそこで焼きそばパンやら、ホットドックやらを買いこんで昼飯にしていたこと。その隣の富士見坂という坂を登りきるところにある高等学校に今度は通ったこと。サテンドールという喫茶店で、先輩が「レスカ」と叫び、それは何なのかを知り、大人の響きに酔いしれたこと。

神楽坂に話を戻せば、その坂を登りきると友人の家があり、その近所に室田日出男という俳優が居ると聞かされて、なんだか、不安な(おっかないような)気持ちになったこと。石立鉄男の『きまぐれ本格派』というテレビ番組が気になったこと(まさにその坂を舞台にしていて、貸衣装店や、パン屋や、毘沙門天など目白押しだった)。

そんなこんなで、東京の坂には、風情があり、起伏はそのまま物語につながる。
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by k_hankichi | 2010-11-26 23:08 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

クラフト・エヴィング商会の小説

吉田篤弘の『水晶万年筆 』(中公文庫)を読了。

彼の小説はいつも、残響のような、しん、としたしじまがある。どこか知らない、遠い北の街のこと。大きな出来事はおきない。街角にも十字路にも、人影がない。アラン・ロブ・グリエのように。

何かが、かさっと少しだけ動く。だが、その素性は知れない。おきそうなときにも、しゅん、と収まりそのまま放置される。そんなときに、しんみりと余韻のような響きがある。

そんな夜の描写が秀逸だ。

“夜には果てがない。そのことを忘れてはならん。果てがないものは次々と驚きを見せる。…正確に言えば、すぐそこにある見慣れたものが、突然、姿を変えてみせるのが『驚き』だ。夜はそれを教えてくれる。そして何かが姿を変えるたび、夜は優しげに膨らむ。”(『黒砂糖』から)。

作品ごとに、巧拙はばらつくものの、引き込まれて已むないのが吉田さんの小編だろう。

いま、会社に向かう道すがら、一匹の黒猫が身を低くして僕の目をみつめた。ああ…、こいつが吉田さんの夜に徘徊する奴か。

おわあんと心のなかで僕も叫んでやる。

水晶萬年筆 (中公文庫)

吉田 篤弘 / 中央公論新社

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by k_hankichi | 2010-11-25 07:58 | | Trackback | Comments(4)

奥泉光『シューマンの指』からのスピンオフ短編『Arabeske(アラベスク)』

今年読んだ本で僕のベスト3に入る奥泉光の『シューマンの指』。このサイドストーリーとして、雑誌WB(早稲田文学のフリーペーパー・季刊行)に『Arabeske(アラベスク)』が掲載された。

シューマンの『詩人の恋』作品48の終曲の後奏に託された思い。つぎのうように奥泉さんは記した。

“シューマンのあらゆる楽曲の「奥」に感じられる、魂の密かな囁き…風景が蔭に溶け込み、なにもかもが輪郭を失っていく黄昏の刻、闇に沈みいうことへの深い諦念の溜息のなかになお美しく晴朗なものへの憧れが孕まれるあの感覚を、人はそこで聴き取らないだろうか?”

そして、『アラベスク』作品18。その最終の16小節の不思議なコーダについて。短い後日談的エピソードのようだという。

“修人のいうように、シューマンの大地深くで連続している地層が、ここにも「露頭」となって見えているのだ!届かぬところに在る何者かへ囁きかける、諦念と憧憬が一つになった、暗い熱を帯びた感情の地層。それがここで露わになっているのだ!”

非常に完成度が高い短編小説だ。記載しつくさない、書ききらない、表現の余白が好きだ。それこそがシューマン的なのかもしれない。
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by k_hankichi | 2010-11-24 08:00 | | Trackback | Comments(2)

スイスロマンド管弦楽団とのジュネーブ国際音楽コンクール

ジュネーブ国際音楽コンクールのファイナル選考の協奏曲の部は、スイスロマンド管弦楽団が合わせてくれる。…ということを知ったのは、ともかく美しく煌びやかな音に感銘し、これはそんじょそこらのオケではないよな、と思って調べたからだ。

改めて本選の三名を聴き比べてみると、やはり萩原さんの演奏が光っていることがわかる。このラヴェルは稀代の名演だと思う。第二楽章は聴いている間に涙に溢れる。うち震える。

のこる二人のうちMaria Masychevaさんのプロコフィエフも、秀逸。よくこんな難しい曲を弾きこなせるなあ。Hyo Joo Leeさんのラフマニノフは、時折、雑なところや絡まっているところがあり、惜しい。

これを契機にスイスロマンドをもっともっと聴きたくなった。見なおしたぜ、スイス!
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by k_hankichi | 2010-11-23 09:05 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(4)

日本人の立ち位置…『街場の中国論』(内田樹著)

先週のジュネーブ国際音楽コンクールやロン・ティボーコンクールの予選から本選の状況をみていると、日本人のプレゼンスの高さに今更ながらに感じ入るものがある。

ジュネーブは予選に出られた人達の半数は日本人だったようだし、ロン・ティボーも二次予選に進んだ9人中4人が日本人だったようだ。

ちょうど、内田樹の『街場の中国論』(ミシマ社)を読んだところで、この日本人の活躍ということは、そのなかの論説に呼応した。つぎのようなものだ。

日本人の立ち位置は、オリジナルを作り出すのではなく「付加価値をつける」商売。仏教も儒教もそうで文字もそう。

「私はオリジナルではありません」という立ち位置自体が儒教の教えであり、そういった文化的構えの原点自体が、すでにオリジナルではないというところが凄い。オレが中心で、オレがオリジナルで、という立ち位置をとらない。

・・・だから、西洋音楽についても、このように自然体で他者に教えを請うことができ、またたくまに吸収し、あらたな態様に変化させて自分のものを提示できるのかな。

街場の中国論

内田 樹 / ミシマ社

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by k_hankichi | 2010-11-22 21:15 | | Trackback | Comments(0)


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