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サッカーのワールドカップ。昨晩は、パラグアイに、0-0の延長引分けで、PK戦で5-3で負けた。

さぞかし悔しかったろう。しかし、日本チームのプレイヤー達の顔は、やりきった充実感にあふれていた。さばさばさと共に、さわやかさ。

ここまでやった。個人技に劣るところを、チームワークでカバーし、力を出し切った。自分たちの力量を最大限に発揮した。そういう満足感。

会社の仕事もおんなじ。チームワークで、レベルを高め、やりきっていく。

みんなで、互いに、あの、さわやかな顔で、見つめあえる仕事にしたい。
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by k_hankichi | 2010-06-30 07:52 | 一般 | Trackback | Comments(0)
maruさんが、エルガーの弦楽曲『Sospiri(ため息)』に触発されていた。この曲が入っている、彼の小品集を買い求め、聴き始めた。『ミュージック・メイカーズ』、アンドリュー・デイヴィス指揮、BBC響。

フランスのエスプリや、ドイツ・オーストリアの理性、ロシアの迸る野生とは異なる、端正なる英国の爽風が、そこに、やさしく吹いていた。

『エレジー』、作品58。今まで聴いたこともないような、安堵感に包まれる一品。哀愁、ではない、「たおやかさ」がある。

『スルスム・コルダ(意気高揚)』、作品11。あくまでも、内に込めた精神の高まりだ。昂ぶる情熱を、安易に吐露しない謙虚さ。こういう慎ましさを前にして、ジェントルという言葉の真の意味を、感じ取った。

そして『sospiri(ため息)』、作品70。静かに、でも確実に、存在する魂。解放するのではない、内包する息吹。囁くような吐息から、僕らは、その魂が、真摯なる鼓動を隠し持っていることを知るのだ。

最後は『朝の挨拶』、作品12。よく知られた曲ながら、徹底的なまでに品を保った、嫌味ない美しさだ。

蒸し暑い、この梅雨のさなかに触れた爽風。心が、綺麗になった。

エルガー:ミュージック・メイカーズ

デイヴィス(アンドリュー) / ダブリューイーエー・ジャパン

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by k_hankichi | 2010-06-29 07:57 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

『地獄の季節』の朗読

今月初めの出張で、ランボーがヴェルレーヌに撃たれた場所を見つけることができたが、そういえば、大学を卒業するかしないかの頃からしばらく、『地獄の季節』の詩の朗読レコードに、いたく嵌まっていたことを思い出した。それは旅行先で買い求めたものだった。

当時、友人たちと、部屋のあかりを暗くして酒を飲みながら、静かに耳を傾けていた覚えがある。意味は分からなくても、聞きこんで、感心していた。いまは、押入れの遥か深いところに埋蔵されていて、お目にかかることはないが、その声色だけは、いまでも深く頭の奥に残っている。

今もそういうものは無いものかと、Webを調べてみた。そうすると、かなりその筋に近いものがあった。Bruno Sermonneというフランスの俳優によるものだ。

この朗読も、素晴らしい。ランボーの詩は、このような声の響き、強弱から、なにか熱くうごめくものが伝わってくる。踏んでいる韻から、思いや気持ちも伝わってくる、ということなのだろうか。

素晴らしい詩は、音魂からして凄味がある。そして、音楽にも近づくように思う。

『地獄の季節』:序の部分・・・「おれの思い出が本当なら」


・この部分に対応する原文:たとえば以下のサイト。http://www.mag4.net/Rimbaud/poesies/Jadis.html
この部分の訳が、ありがたいことにwebに乗っていた(篠沢秀夫さんによる)。小林訳とは、格調も風情も全然異なるものの、なんだか妙にくだけた口調があって、それはそれで面白い。
http://www.gutenberg21.co.jp/jigoku.htm
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by k_hankichi | 2010-06-28 01:10 | | Trackback | Comments(2)

『怖い絵2』

中野京子著、朝日新聞社刊。怖い絵をことさら好んで見たいとは思わないものの、中野さんが選ぶそれぞれは、怖いという事象とは無縁であろうと思っていた美しい名品から、まさにタイトルどおりのものまで揃っている。これらを眺め、そして読みすすめていくうちに、実は、怖さ、というよりも、爽快感に近い感覚になっていることに、気付く。物事を理解してしまう、その裏に通じてしまう、構築性を知ってしまう際の、快感だ。

中野さんの流儀は、それぞれの絵について、画家、宗教、歴史、階級、生活、恋愛などの、暗部やら屈曲、矛盾、どろどろした部分にフォーカスし、そこから作品や、それをとりまく事象を読み返す、やさしく紐解くというところにある。純粋絵画論やら、構図や技法は云々、というような切り口から読まねばならない書とは異なる、明快さがあるのだ。

一見、脈略のない絵の連続であろうとも、解釈の観点が、このように或る切り口に揃っているので、そこから理解していくことにつながりが出てくる。そしてまた、さらに、異なる画家が描くことであろうとも、宗教、歴史、階級、生活、恋愛などに関して、観点を据えてみると、共通な暗部やら解釈が浮き出てくる。

この第二巻では、次の絵や、その背景にある事象が、僕には興味深かった。

・ルーベンス 『パリスの審判』(1632年~35年)
ギリシャ・ローマ神話にある、トロイアの戦争のもととなったパリスが、運命の選択をするときの絵。ヘラ(=ユノ)、アテナ(=ミネルヴァ)、アフロディテ(=ヴェヌス)の三人の女神に、いとも簡単に、人間の欲情が操られ、そして、破滅へと導かれるところが怖ろしい。

・ジェラール 『レカミエ夫人の肖像』(1805年)
なんとまあ美しい人なのだ。指先のしぐさに至るまで美しく、そして、しどけない姿なのだ。そこに手を差し伸べ、触れたいと思うのは僕だけではないはずだ。この時代のこのファッションの流行。その裏にある、時代の動く息吹、そして、そこにある無節制の感覚は、確かに怖ろしい。

・カルパッチョ 『聖ゲオルギウスと竜』(1502~07年)
死屍累々とはこのことだ。ブリューゲルの世界にもこのようなものがあったが、このむごたらしさも、絵をみれば見るほどに怖ろしくなる。イタリアの生肉・生魚料理”カルパッチョ”の語源が、この画家の絵画にあるとは初めて知った。宗教の力を示そうとする人たちの、信神・執心の飽くなき深さを知る。

なかなか美術館に足を運ぶ時間がない今の僕にとって、これは貴重な書だ。そして、そぞろ爽快な気分を禁じ得ない、痛快な読書になる。

怖い絵2

中野 京子 / 朝日出版社

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by k_hankichi | 2010-06-27 15:26 | | Trackback | Comments(2)
盛田隆二著、光文社文庫。この人の16歳のときの処女作「糠星(ぬかぼし)」、そして、いくつかの人生の契機に際してのものから、直近の53歳で書いたものまでの短編集である。

僕は、この人の小説のなかに流れる、真摯さひたむきさと、でも、底に流れる虚脱感、諦観が好きだ。

一番良かったのは、実は、短編というよりも、夢日記である。会社を辞めたあとの一年間にわたる夢の断章、『エーテル密造計画』。たとえば、このなかの「ヘルチェゴビナート線」という一篇から、ちょっと長いけれども引用する。

”・・・駅はどこにあるのか、と訊こうとしても、通りがかるのは異国の女ばかりだ。次々と女子専用の銭湯に入っていく。思いきって「女」の暖簾をくぐると、そこは駅だ。駅長にたずねると、「川越は新幹線で行くと三日はかかるが、山越線経由で行けば今夜中に着けるかもしれない」という。どこで乗り換えればいいのか、と窓口で訊くと、「ヘルチェゴビナート線のナンツェルユーノス駅でトヘナンツェーニ線に乗り換え、ゼオルドーレ駅で・・・」と説明が延々と続く。「ここに書いてくれないか?」と手帳を差し出すが、男は断水した蛇口が空気が漏れるように笑うだけだ。若い駅員はとても親切だが、広東語なのでまったく理解できない。プラットフォームに電車が入ってきた。ぼくは階段を二段おきに駆け上がる。だが、まにあわない。電車はドアを開けたまま発車してしまった。」

実は、僕が見る夢も、こんな感じのものが多い。

これまで僕は、自分が見た夢のことを人に伝えたびに、なにそれ?と怪訝な顔をされるか、ずいぶん長い夢を見られるものだ、とか、よくそんなに憶えているものだ、とあきれ顔でしか言われず、相当、落ち込んでいただけに、盛田さんのこの断章を読んで、非常な共感を覚えたのだった。

あなたのことが、いちばんだいじ (光文社文庫)

盛田 隆二 / 光文社

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by k_hankichi | 2010-06-27 14:14 | | Trackback | Comments(0)
アルトゥール・ルービンシュタインによる、ショパンのワルツ集を聴いている。1963年の録音で彼が76歳のときのものである。

これは、究極的なまでの、枯淡のショパンである。ある意味、すでに、彼自身の故国ポーランドへの郷愁は、思いの底に沈降しきった、そして、若かりしころの情熱は失せ去った境地だ。故国に帰ることはあきらめた男による、最後のショパンの録音。

老齢になっても、背筋をピンと伸ばし、葉巻を片手に、タキシード姿でこちらを素っ気なく眺めている写真がジャケットについている。貴公子は年齢が経ても、依然として貴公子である。黙って俺のショパンを聴け!という感じ。(そういうば、「俺の話を聞け」 という曲があったような・・・。)

冒頭の作品18、グランドワルツを聴き始めると、あまり感情を出したくないかのように、淡々と弾きこなしていく、その姿勢に驚く。衰えはあるのだろうが、それをあまり感じさせない。

短調に移ってからも、その印象は大きくは変わらない。作品34の2 イ短調は、やはり素っ気ない。でも、そこには、過ぎ去った時代を振り返りながら、もうそれはそれでよい、それでよい、と言いたい気持ちが流れている。

しかし、どうしたことだろうか。作品69の2 ロ短調は、一方で対照的なまでに、篤い想いが込められている。テンポは微妙に揺れ動く。ルービンシュタインの息継ぎ、息遣いがそこかしこで聞こえる、涙を浮かべているのではないだろうか・・・。

以前から聴きこんでいる、アリス=紗良・オットさんの演奏の”希求的さ”は、ルービンシュタインとは対極的だ。彼の年齢の1/3にも至っていない、オットさんは、今を生きている。そして、ショパンが、同じ年齢のころに、想いを馳せた祖国への郷愁と憧憬の念を、自分の日本への想いと重ねている。それだからこそ、あの胸の底から来る感動があるのだと思う。以前にも紹介した、ドイチェ・グラモフォンが作った、この演奏についてのビデオクリップを観てもそれが分かる。

ルービンシュタイン、郷愁も枯れた境地。しかし、生地ウッチ(Łódź、ポーランド第2の工業都市)は、彼のことを忘れていない。

写真出典:Sculpture of Artur Rubinstein on Piotrkowska Street in Łódź
picture taken by Polimerek 20:07, 2 May 2005 (UTC)

このファイルは、クリエイティブ・コモンズの表示 - 継承 3.0 Unportedで提供されています。

ショパン:ワルツ集(全14曲)

ルービンシュタイン(アルトゥール) / BMG JAPAN

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by k_hankichi | 2010-06-27 13:26 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(2)

『Mother』の最終回

TVドラマ『Mother』の最終回を観た。期待していたことは、起こらなかった。そして、時が待たずして、当然のごとくに過ぎゆくように、ドラマは静かに終わってしまった。深く、余韻が漂った。

どんなに寂しくても、離れて生きていかねばならないことがある、そして、待つことに静かに耐えねばならないことがある、ということなのだろうか・・・。

このドラマを見終わって、心に浮かんできた曲があった。・・・『眠れぬ夜は君のせい』

”今夜夢の中 どうか逢いにきて その願いがもし叶うなら・・・”



Mother [DVD]

バップ

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by k_hankichi | 2010-06-26 15:51 | テレビ番組 | Trackback | Comments(0)

鳥取の岩牡蠣

昨日から鳥取に来ている。

夜は、魚が美味い店で同僚と飲んだ。イカの活き造り、そして赤碕の岩牡蠣を食べた。牡蠣は「夏輝」というブランドものらしく、帯タスキが巻かれている。立派。殻がふつうの牡蠣の三倍くらいの大きさで、度肝を抜かれた。味は・・・クリーミーで、だが素朴。すーっとしていて、あれ・・・?と、ちょっと拍子抜けするほどでもある。北海道の厚岸とか、富山の牡蠣と勝負する、というよりは、自然な味覚が売りであるよう。

鳥取自慢、お薦めの美味い物、もうすこし探求したい。

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by k_hankichi | 2010-06-25 12:51 | 食べ物 | Trackback | Comments(1)
メッゾ・ソプラノ歌手のキャサリン・ジェンキンスさんが主催した、野外音楽祭のDVD『キャサリン・イン・ザ・パーク』を観た。英国の南ウェールズにあるマーガム・パークという素晴らしく美しい古城が点在する丘陵での音楽祭だ。2007年7月。

まとわりつくように豊かで濃厚な歌声。観ているだけで、なんだか、時間とともに、妙な気分になってくる。狂おしくなる。ドキドキする。

この人の笑顔は本物で、根っから人を惹き付ける。一面、魔性的でもあるかもしれない。

以前、友人が僕に、ファム・ファタルということについてしゃべっていたが、その言葉の意味を知らなくて、教えてもらったことを、なぜか想い出した。

キャサリン・ジェンキンス・イン・ザ・パーク/ライヴ [DVD]

UNIVERSAL CLASSICS(P)(D)

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by k_hankichi | 2010-06-24 18:26 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

雨景色のなかの音楽

朝、かなりの雨音で目が覚めた。本格的な梅雨だ。

会社に向かう道すがら眺めれば、安藤広重の絵にあるような雨が、糸のように降り注ぐ。

遠くの小山の裾は、雨霧で霞んでいて、そこから山影が浮かんで見え、それはそれは趣きがある。

水田に注ぐ雨粒が作る波紋も、全てが同期しているかのようで美しい。

西洋の絵画では、雨が描かれることは、それほど多くなかろうが、浮世絵をはじめとして、日本には雨の絵が馴染み深いなあと思う。

絵画はそうなのだけれども、いま、雨のなかを歩きながら聴くのは西洋。マーラーの交響曲第六番『悲劇的』。クラウディオ・アバド、ベルリンフィル。

雨が降ろうと矢が降ろうと、自らの道を切り開き進んでいく。鼓舞され、突き進んでいく。第一楽章。

つかのまの至福、第二楽章。ブラームスの交響曲第三番のような旋律も流れ。雨景色がよく似合う。

第三楽章は、行進の復活だ。どちらに向かうのだろうか。僕もどこに向かうのだろうか。曲を聴き終えぬ前に、会社に着いてしまうのが、なんとも心のこりだ。
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by k_hankichi | 2010-06-23 08:09 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(1)

音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です


by はんきち