音楽、小説、そして酒を愛する方々との空間です

by はんきち

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昨日から雨である。心、鎮まる。然して、心鎮まれども、身の周りの不条理や課題は、解消せず、増えつづけていくようでもある。心、雨のなかに浮かぶ。

『巷に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!

消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。

何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや!
この喪そのゆえの知られず。

ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。』

(「忘れた小曲」その三、『無言の恋歌』より。ポール・ヴェルレーヌ作、堀口大學訳。)
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by k_hankichi | 2010-04-28 07:48 | 一般 | Trackback | Comments(0)

いま、むかし

いま、目の前にある道が、昔はどんな姿だったか。

いま、訪れているこの建物が、昔はどんな佇まいだったか。

今の街区になる前は、どんな掘割りがあったか。

この道は何故に曲がりくねっているのか。

何故に、このポストは、こんな道端にぽつんと立っているのか。

こういったことを、かなりの頻度で、考えている。

昔から今への変遷。想い馳せているだけで、懐かしさと、時の流れの力と、じぶんのぽつねんさに、感慨する。

いま、目の前にある国道246号線。昔は、がらがらの、だだっ広い通りで、ピンキーとキラーズが、歌を歌いながら、おんぼろバスで、さすらっていた。
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by k_hankichi | 2010-04-27 08:06 | 一般 | Trackback | Comments(0)

Tokyo・トウキョウ・東京

出先から東京に入ったり、戻ってくると、最近、とても、落ち着く気持ちがする。なんだか、懐かしい気持ちにさえ、なる。

空の上から眺める、街の広大さはメトロポリスであり、湾の中核は軍港都市のようにも見える。港湾に沿って林立する、コンテナの積み下ろしクレーンの巨大なキリン達。飛行機はぶつかりそうになりながら、着陸する。

すこし視点を下げて、ビルの上から眺めてみれば、高低差が手にとるようにわかり、その街区ごとに、異なる風情をもつ、豊かな地勢がある。乱雑と整然が織りなすカオスの世界だ。

Tokyoの好きなところ。それは、街が、さまざまな様相に溢れているからかもしれない。オフィスがあり、庭園があり、運河があり、宮城(きゅうじょう)の堀があり、武家屋敷跡があり、霊園があり、御所がある。商店街があり、寺があり、野球場があり、公園がある。

一番高い、六本木の稜線から下って、谷底にいけば、春の小川があり、そこを登ると松の濤がある。さらに登り、降りると、また、北の澤に出る。

ショーウインドウの立ち並ぶ、高級ブティック街から、すこし足を延ばせば、豊かな、山の手と下町のあいのこのような路地に、出くわす。路地裏は、薄汚れているかといえば、そうではなく、きれいな、清い佇まいを見せている、小粋な世界。小津安二郎の風が、まだ残る。

近世と現代、過去と将来が、複雑に織りなす、都市の妙である。西洋のどのような都市にも無い、不思議な混在。

五月の連休は、街角に繰り出そう。探検隊は、東に西に、路地を歩こう。
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by k_hankichi | 2010-04-25 23:56 | 街角・風物 | Trackback | Comments(2)

ワルツとマズルカ

ショパンのワルツ。友人に薦められるまで、ほとんど聴いたことがなかった。

しかし、いま、気持ちを透明にさせたいときに、静かに聴く。もちろん、短調の曲を。秘められたる、静かな熱い憧憬。

理性で覆われた、情念の世界。都会に生きるショパンの美の昇華。

アリス=サラ・オットさんの情景と、都会の我々の心が重なる。

そして、かたや、マズルカ。情念を秘めた朴訥な語り。方言、とでも言うだろうか、同じ三拍子なのに、ポーランド弁による、無垢の気持ちの吐露。

形が少々いびつでも、ためらわない。ため口をたたく。

アルゲリッチさんの、メランコリックな表情と、エトランジェの心境が交錯する。

ワルツとマズルカ。どちらも、とても心に染みる。

オットさんのマズルカも、いつか聴いてみたい。
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by k_hankichi | 2010-04-23 07:54 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

解脱

バイオリンの幻影になやまされていた。中和剤は、アルゲリッチさんのピアノだった。ショパンの初出音源集。1967年の演奏。秘められた情熱が爆発する。

エチュード第4番嬰ハ短調。かつての激情の恋の思いを吐露する。

マズルカ第29番変イ長調。想いの走馬灯がたゆたう。ポーランド民謡のワルツが、羽根を広げれば、郷愁のかけらが落ちてくる。

マズルカ第26番嬰ハ短調。懐かしい想いが溢れるが、浸りすぎないように、今の「自分」が高音の定打音で制している。

マズルカ第36番イ短調。想いを流れるままに歌おうとするが、気だるくなり、気持ちが萎える。

思いつめた胸の震えと、まとわりつくような深い情熱が伝わる。そして、瞼の裏に浮かぶ。気難しさと、片方の口角を、キュッと上げた(ちょっといじわるっぽそうな)顔つきが。

解脱しつつある、我。

アルゲリッチ・プレイズ・ショパン

アルゲリッチ(マルタ) / ユニバーサル ミュージック クラシック

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by k_hankichi | 2010-04-22 21:29 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)

切り取られた追憶

まるきり知らない人によって撮影された写真のなかに、ふと自分が写っていることがある。

それに気付くとき、ひとは実に不思議な気持ちに陥る。恥ずかしいような、自分ではないような、なにかが逆転したかのような気持ちになる。

そして、そのときに考えていたこと、こちらから眺めていた風景のことを、きっと思い出す。

あるかたのブログに、この日曜日に出掛けた音楽会のホール前景が掲載されていた。僕は、その端っこに写っていて、実につまらなそうな、時間を持て余したような格好をしていた。

たしかに、あのとき、ぽつねんと、群衆をながめていた。でも、そうだったのか。僕は、傍からみると、こんなに遣る瀬なく、ぽかんとしていたのか。

切り取られた追憶は、なんだか、いつも、ちょっぴり、ものさみしい。
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by k_hankichi | 2010-04-21 22:08 | 一般 | Trackback | Comments(1)
「赤と黒」(下巻、スタンダール著、小林正訳)を読了。

過酷な修行のあと、上京した神学生ジュリアンは、周囲に受け入れられ、あれよあれよという間に出世していく。

赤と黒。その対比は、いくつもになぞらえられるという。世界観の転換を意味しているようだともいわれる。でも、僕には、トランプのカードの赤と黒の反目のように、女と男の、心理の絡み合いに思えてならない。どちらがどちらをどれだけ愛しているのか、と言わしめる、恋の駆け引き。

女と男が所属している階層の違い(貴族と民衆)も、書かれた時代には重要な意味合いだったろう。でも、この小説は、現代(階層を取り去った現代)に置き換えてみても、そのまま通じると思う。ストーリーや構成の妙が、読者を惹きつけるのだ。

しかし、いろいろな感銘はあるにせよ、驚きの結末だった。180年前だからこその帰結だった。急転直下のような、それでいて、実にあっさりとした結びだった。このあっけなさは、逆に、何故かしみじみとした余韻を残す。

この小説が、二世紀もの間、生きながらえ、読み継がれた理由のひとつも、ここにあるのではないだろうか。こうならなければいけないのだ、しかたないのだ、という不思議な、そして、ぎりぎりの納得感。

本当に、絶妙な小説だ。

赤と黒 (下巻) (新潮文庫)

スタンダール / 新潮社

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by k_hankichi | 2010-04-20 21:58 | | Trackback | Comments(0)
昨日のコンサートの音が、この一日、ずっと、頭のなかのどこかを流れていた。仕事をしていても、何をしていても、である。

音が浮かび、消え、姿が、幻影のように浮かび、消えていく。

「かすかな」「消え入る」「震える」

「濃厚」「濃密」「艶」

の音が、交差し、こだまし、秘めたる音魂となって、増幅されていく。

"かすかな、かすかなまでの、かろうじて聴こえるか聴こえないかの、吐息のような弦。"
と、
"濃艶な、馥郁たる、朗々たる、割れることのない響きの、たゆたい。"

なんだか、とりつかれた。心が、そこに、沁み入ってしまった。当分、もとに戻れないかもしれない。

でも、それでよい。
消えないでほしい。
付きまとってほしい。
それがよい。
そうしていたい。
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by k_hankichi | 2010-04-19 23:53 | クラシック音楽 | Trackback | Comments(0)
今朝、神奈川県立音楽堂のHPを眺めていたら、なんと、先週までは完売と表示されていた、ムターさんコンサート(本日午後3時からのマチネー)の券が、当日(本日)、午後2時から少数、発売されるという。あわてた、あわてた。

で、とにかく、何が何でも、行かねば、と音楽堂に向かった。正午前、楽屋口脇の当日券売り場に、一番で到着した。

退屈紛れに、小説なんぞを読んでいたところ、午後1時、黒塗りのリムジン型ミニバンが楽屋口に横付けされる。

Ah, oh! la la!

アンネ=ゾフィー・ムターさんと、ランバート・オルキスさんが、降りてきたのだ!僕の目の前を、お二人が、1.0mの距離で、にこやかに、颯爽と(もちろんムターさんのほう)、入っていった。バイオリンケースは花柄であしらわれていた。

昇天気味の気持ちがおさまらないまま、僕もやがてホールに入った。1106名の聴衆の一人となることができた。

そして幕があけた。

ムターさん、真っ青な五月晴れのような色の人魚服に身を包まれながら(笹の葉が水に浮かべられているような東洋的な柄が入っている)、ランバートさんとともに登場。ああー、かっこよい。

オール・ブラームス・プログラムが始まる。

ヴァイオリンソナタ 第2番イ長調、第1番ト長調「雨の歌」、第3番ニ短調。

珠玉の世界。ため息をつくような、かすれるような、かすかな響きの、「微かさ」の凄さを知った。震える弦。震える音。そして、旋律の展開。心情を吐露するようかのようである。そして、情熱が、気持ちが、昂ぶっていく。濃厚さが、そこに投げかけられていく。

ランバート・オルキスさんも上手である。円術と洒脱が組み合わさったような絶妙なピアノ。こういう伴奏者がいることで、すべてを任せて自己表現できるのだ。

ムターさんの瞑想もあった。ピアノに任せるところは、楽器を下におろして、物想いに任せる。この表情は、ずっとまぶたの裏に記憶されるだろう。

J. ブラームス。そのヴァイオリンソナタ。第3番は、1, 2番とは、ずいぶんと異なる世界観に立った作曲なのだということも、通しで聴いてみて、なんだか、わかった。

かつて、東洋一といわれた木のホール。濃厚な、とろけるような音と汗と、ぼくらの熱気とともに、夕暮れに向かった。

<追記>
3曲の感想。「ローマの休日」の最終場面のヘプバーン張りに、いずれの街もそれぞれに・・・。といいたいところですが・・・。

第2番、始まりは少し緊張されていました。CDで聴くよりも、はるかにダイナミックレンジが広い奏者であることに、まず、驚きます。幸福感溢れる第一楽章です。そして、第二楽章は朗々と語り始めます。第三楽章は、心の戦慄きの世界です。

そして「雨の歌」。録音で聴いていたテンポよりもさらにさらに遅く、こんな遅くて止まらないのか、と思いました。でも、やがて、たゆたうように弾き始めます。とぎれとぎれになる、ぎりぎりのところで、ぽつぽつと、語り始めます。弦が、ここでも擦れゆきます。ささやくような音。「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」、というところを超えて、希望を目指していこう、と、悩みつつ声を漏らしていくのです。第2楽章は、冒頭のピアノにまずはムターさん、瞑想します。そして、おもむろに弾き始めるのです。陶酔している間に、第3楽章まで通り過ぎてしまいました。あっという間に、喝采に包まれます。夢見心地のなかでした。

第3番、不安げなはかなげな旋律で始まり、でも、その諦念を打ち破ろうとする、溌刺とした流れに乗ります。第2楽章は、朗々です。最終楽章は、掛け合い・対話の高次の絡みです。はらはらする気持ちもありました。オルキスさんだから、このムターさんの自在の語りに付いて来られるのでは、と思いました。ブラームス、この3番目のソナタは、他の二曲とは、違う次元を念じていた(おそらく20世紀を見ようとしていた)のでは、と思いました。

アンコールも、オールブラームスでした。
ハンガリー舞曲第2番、第1番、子守歌、そして、ハンガリー舞曲に戻って第7番。この4曲ともに、もの凄い情念の嵐でありました。ジプシー民族を、ムターさんは小さい頃に、どこかで見たのだろうな、と思いました。彼らの歩み、そして、そこで、口づさみ踊った人たちを、頭に鮮やかに浮かべながら弾いている、そう思いました。

※CDが出た時のメモは以下です。
http://hankichi.exblog.jp/13957044/
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by k_hankichi | 2010-04-18 19:43 | クラシック音楽 | Trackback(1) | Comments(5)
初回から引き込まれたTVドラマだった。「素直になれなくて」 (フジテレビ、4/15~)。瑛太と上野樹里が主演。

上野さんの表情や演技の美しさには、改めて感心する。このひとは、感性や共感という切り口で人の心にくいこんでくる。素のままでその役に完全に心を入れこんでいく“魂”、が備わっていると思う。

上野さんについて、最初に目に留まったのは、竹内まりやさんの「返信」の音楽ビデオだった(末尾に貼り付けた)。その表情のナチュラルさ、素朴さ。今回のドラマでも、彼女のそういったところが縦横にほとばしり出ている。

さて、このドラマの脚本家。北川悦吏子さん、これまでの作品の、どれもこれもが、心のひだやその動きを、とても自然に描きつくす。相手にたいして、ストレートに向かうことができない気持ちや恥ずかしさ、いじらしさ。せりふだけでなく、ちょっとした、無言のしぐさや表情もよい。

“ツイッター”や、いろいろな社会現象を題材に使ってはいるものの、人の気持ちに切り込むドラマだと思う。


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by k_hankichi | 2010-04-18 08:53 | テレビ番組 | Trackback | Comments(0)